第10話白蛇

沙依は、ひとしきり泣くと、いずまいを正して座った。

「こんなことになってしまった、事の起こりをお話しします。」

蒼は身を乗り出した。沙依は思いきったように話し始めた。


始まりは、13年前の事だった。それまで父と母は仲がよく、祖母も穏やかで幸せな生活を営んでいた。

ある日、父は何十年ぶりかの同窓会があるとのことで、一泊の旅行に出ていた。沙依も寝ていた午前2時頃、境内に人の気配を感じ、母は外へ出た。

そこには、旅行に出ているはずの父が、雨も降っていないのにずぶ濡れになったうえ、全身傷だらけで倒れていた。

慌てて祖母を起こした母は、二人で父を引きずって家の中へ連れて入って、父に呼び掛けた。父は白目を向いて呼吸を荒くし、何やらぶつぶつと呟いていた。

たたごとでない様子に沙依も目が覚めて、襖の影からその様子を見ていた。

母は救急車を呼び、必死で父の正気を取り戻そうとしていた。すると、ふいに父はぱちっと目を開き、母を見た。その目の不気味さに、沙依は身震いした。その後父は、母を見たまま、この世のものとは思えない声で、こう言った。

『お前は~守られているのか~。だがその守りは破れる。破ってやるぞ~。その力、餌にしてやる~』

母と祖母は真っ青になった。だがその後父は激しく痙攣を始め、到着した救急車に乗せられて、母と共に病院へと運ばれて行った。

祖母に抱き締められながら、沙依は一晩過ごした。その間、祖母の震えは止まらなかった。

翌日、父は病院で息を引き取った。原因は最後までわからなかった。


そのまま、10年が過ぎた。沙依は中学三年生になっていた。沙依にも巫女の血が流れているので、母は、この10年、憑かれたように自分の知識を沙依に伝え続けていた。沙依は自分にも不思議な力があることに気が付いていた。

そんな時、運命の日がやって来る。

高校の合格発表の日に、沙依は合格をいち早く母に伝えようと急いで帰って来ると、境内の様子がおかしい。嫌な予感がして、沙依は母がいつもお祈りをしている本殿の奥へ駆け込んだ。

「お母さん?!」

気配が変だった。母であるような、ないような、今まで感じた事のない感覚。沙依は更に奥へ襖をいきおい良く開けた。

「きゃ!」

沙依は思わず身を屈めた。真っ黒い霧が開かれた襖からドッと溢れ出て来て、前が良く見えない。やっとの思いで目を凝らすと、黒い霧の中に母が頭を垂れて座っていた。沙依は母に駆け寄った。

「お母さん!お母さんどうしたの?!」

傍らで祖母が、まるで土下座をするような格好で身を伏せ、頭を抱えている。

「おばあちゃん!何があったの?!」

祖母は恐る恐る顔を上げた。

「沙依…沙依、早く逃げなさい。お母さんはもうダメよ、あんただけも逃げなさい!」

沙依はかぶりを振った。

「何を言ってるの?」

その時、母がゆらりと立ち上がった。咳をする。吐いた息から黒い霧がまたドッと溢れては襖から外へと溢れて出て行った。

「やったぞ…」母は低い声で言った。「この力、オレのものだ。やっとだ…やっと…」そして沙依を見た。沙依は悲鳴を上げた。目は真っ黒だった。「お前も持っているな!その力、よこせ!」

母の体から一層大量の黒い霧が沙依に向かって放たれた。沙依はもうダメだと目をつぶった。その瞬間、何か重いものがドサッと倒れる音がした。

恐る恐る目を開けると、母が倒れていた。沙依の目の前には、光る大きな白い蛇が背を向けているのが見えた。

「白蛇様…?」

沙依は呟いた。どこからか声がした。

《よく戦いました…でも、もう限界だったのです。お前は私が守ります。でもお前の母を助けるのは、私ではもう無理です。浄化の光を持つ者に、助けを求めなさい。もう、この世には居ないかもしれないけれど…》

白蛇は消えた。母は黒い霧をまとい、それでもおとなしく横たわっている。沙依もいつしか気を失った。


気が付くと、自分の部屋に寝ていた。飛び起きて、あれは夢だったのだと確かめたくて、急いで居間へ行った。

そこには、祖母が1人、ポツンと座っていた。沙依を見ると、祖母は涙を流した。

「沙依…。」

沙依は背筋を冷たいものが走るのを感じた。母を探さなければ!

「お母さん!」沙依は叫んで家中を走り回った。「お母さん、どこ?!」

母屋を抜け、離れに向かう時、沙依は黒い霧が離れを包んでいるのを見た。離れの引き戸を開ける。「お母さん!」

そこには、母が時々身震いをするような、痙攣をするような動きをしながら、布団に寝かされていた。

医者らしき人と看護婦が帰ろうとしている所だった。

「体はどこも悪い所はなさそうだけど」医者は言った。「もしかして心の病に掛かられたのかもしれない。おばあさんに、これからのことをお話してくるから…君も来るかい?」

沙依は黙ってかぶりを振った。頷いて、二人は部屋を出て行った。その背後に黒い霧がまとわりついてくっついて行くのが見えたが、沙依にはどうしようもなかった。

あれは、夢ではなかった。お母さんは、あの黒い霧に飲まれてしまったんだ。恐らく、お父さんも、飲まれて、命を失った…。

黒い霧は、どこかから湧いて来るようだった。なんとかするには、きっとあの声が言っていた浄化の光を持つ人を、探さなきゃならないんだ。

でも、そんな人いるの?この世には居ないかもしれないって言ってた。じゃあ私はどうすればいいの?


沙依は、母家の方を見やった。祖母が医者と話しているのが窓越しに見える。

祖母のためにも、頑張らなければ。前向きに頑張れば、きっと見つかる!


そこまで話して、沙依は一息ついた。

「入学してすぐの頃は、高瀬くんが光るのは、全然知りませんでした。それが、最近になって、時々光るのを見るようになったんです。幻かと思った。それが浄化の光なのかわからなかったけど、光る人を見たのは初めてだったから、聞いてみようと思ったの。」沙依は小声で続けた。「万に一つの望みをかけて。」

蒼は、心底沙依をすごいと思っていた。そんなに大きな問題を抱えて、あんなにあかるく普通に過ごせるなんて。1人でも、解決法を探そうと頑張れるなんて。

「それで、おばあ様は今どこに?」

維月が問うた。

「祖母は力がもう少ないので、黒い霧の瘴気にやられて…頑張っていたのですが、少し前から寝込んでいます。」

「では、まず、そちらへ行きましょう。」

維月は立ち上がった。それに習って全員が立ち上がる。

「ご案内します。」

沙依は先に立って襖を開けた。蒼は襟を正した。ここ数週間の特訓の成果を、ここで出さなきゃならないかもしれない。

廊下を突き当たりまで歩いた所で、沙依は声を掛けた。

「おばあちゃん、入るね。」

幾分外よりはましではあるものの、黒い霧が所々に浮かんで漂っている部屋に、祖母は横たわっていた。黒い靄が体全体を覆っている。

「涼、蒼、構えて」維月は言った。「有、膜を維持してね。恒、遙、援護して。」

光の膜の輝きが濃くなった。三人は手をかざした。とたんに回りの黒い霧がざわざわと動き出す。「1、2、3!」

ザーッと光の放流が放たれた。その場にあった黒い霧はかき消すように消え、部屋に漂っていた霧も全て消え去って行った。

まるで空気が浄化されたかのように、その部屋の中は清々しい空気に変わった。

恒が小さな水晶玉を有に手渡し、有はそれに息を吹き掛けた。

「これをどうぞ。」有は沙依に渡した。「守りの結界が出来ます。弟がエネルギーをかなり補充してあるので、しばらく持つはずですから。」

沙依は涙目になった。「ありがとうございます。」

そして、今は安らかな寝息を立てている祖母のポケットにその水晶玉を入れた。

「ところで…お母様のことだけれど」維月はすまなさそうに言った。「残念ながら、今日なんとか出来る規模のものではないの。ここの境内の気ぐらいなら、私達ですぐ浄化出来るけれども、根源がなくならなければすぐに復活するでしょう。かなりの力を感じるので、少しだけ時間をいただけないかしら?」

「…そんなに手に負えないほどなのでしょうか?」

沙依は不安そうにいう。維月は頷いた。

「何か私が知っているような気なの…準備はしなきゃならないわね。やってみないと、わからないけれど。」

沙依は深々と頭を下げた。

「よろしくお願いいたします。」

「それから、境内の気なのだけれど…」維月は窓の外へ目を向ける。「今、祓うのはやめた方がいいと思うの…お母様に憑いてる何かを、刺激しない方がいいと思うから。準備が出来次第、蒼に連絡させます。」

一同はその部屋を後にした。


外に出ると、もう空には星が出ていた。街灯があって明るいはずなのに、霧があまりに多いせいで真っ暗に見える。

蒼は母家の奥にある離れの方をちらりと見やった。もはやそこに建物があるのも見えない、漆黒の闇だ。気の強い涼が、横で身震いするのを感じた。蒼は涼を小突いた。

「オレがついてるだろ?」

ニッと笑うと、涼は眉を寄せた。

「ほんとあんたって、なんも知らないんだから。」

ぷいっと横を向いたが、肩の力が抜けたのが蒼には見えた。

車へ向かって歩き出すと、蒼は霧の中から何かが飛び出して、自分の腕を掴んだのを感じた。

びっくりして振り返ると、人影が蒼に言った。

「やっと証拠を掴んだぞ~蒼!」

「え、なんだよなんの話だ!?」

ようやく顔が見え、それが裕馬だとわかった。

「お前んちの車が山中んちに入ってくのが見えて、出て来るのをずっと待ってたんだよ!お前、やっぱりそうだったのか!」

「ずっとって、こんな所で、お前大丈夫なのか?」

「オレは全く正気だよ!なんでオレにまで隠してたんだ?!」

「待て、何言ってんだ、きっと誤解だ!」

沙依が後ろでヒカルを抱いて、困ったような顔をしている。「なんの話?」

「気にすんな」蒼は沙依に言って裕馬に小声で続けた。「だからお前の言いたいことはわかる。でも誤解なんだよ裕馬!」

「家族ぐるみの付き合いなのに?」

蒼はハッとして兄弟姉妹達を見た。皆呆然としている。いち早く気付いた母が、皆を促した。

「はいはい、車に乗って~」

蒼を置いて、一同は車に乗り込み始める。蒼は裕馬をなだめた。

「とにかく、今日はもうこんな時間だし、母さんに置いてかれたらヤバいんだよ、裕馬。」

裕馬は腕を掴む手をゆるめた。

「まあ、お前の母さんは怒るとかなりヤバいからな。」

「またきちんと話すよ。お前が納得するかはわからないが」

蒼は自信無さげに言った。しかし裕馬は腕を放した。「絶対だぞ」

「ああ」

蒼はホッとして裕馬から離れ、皆の待つ車に乗り込んだ。

《もてる男はつれぇな、ええ蒼?》

「うるさいよ、十六夜。」

車は家に向けて出発した。

それを沙依と裕馬は見えなくなるまで見送っていた。

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