第9話沙依

「あんたね、うちの車にはナビないんだから、住所だけじゃなく目印ぐらい聞いて来なさいよ!」

涼が蒼に言う。有の車で来れば良かったのだが、あれは5人乗りで全員乗らないのだ。8人乗りの、恐らく10年以上前に、倹約家の父が家族増加でやむなく買ったワゴン車は、余分なものは一切省いた輸送に特化した車で、もちろんナビなど付いてはいなかった。母は道路脇に車を停めた。

「携帯で調べたらいいんじゃないの?」と恒。

「ちょっと母さんのスマホ取って」と母。

「月が出るまで待ったらいいんじゃないか?どうせもう出るじゃん」と蒼。

「時間遅れたら良くないよ。」と遙。

「なんであんたは何でも月に頼るのよ。ここまで門も開かなかったクセに。」と涼。

有が助手席で母の携帯を操作して検索している。「はいはい、もうわかるからケンカしないの!」

《お前らなー》聞き慣れた声が割り込んだ。《あの重苦しい気がわからねえのか?》

スーッと力が体中に満ちて行くのがわかる。門が開いて、月から力が流れ込んで来たのだ。昨日新月で補充出来なかった分、それはとてもありがたかった。

例えるならば、夏の炎天下走った後の炭酸水、みたいな。

「十六夜!…でも、どこ?」

《見えねえかもしれねえな。今日は十六夜でなく繊月だ。だがお前らの門さえ開きゃ、いつもと変わりねえよ。》そして、先を促した。《早く行った方がいい。ずっと前にある木の生い茂ってる場所を左へ入れば、あの子が待ってる。》

日は落ちて辺りは薄闇になっていた。維月が身震いした。十六夜の示す方向を見ている。そして思いきったようにハンドルを握った。

「有、準備はいい?」

有は頷いた。心なしか青い顔をしている。恒と遙が手を握りあった。とたんに、二人から出た光の放流が有へと流れ込み、有から出た光が大きく広がって、車を包み込むような光の膜になる。車は、そのまま月の示す方向へ向かった。

有には、守りの力があるのだと蒼は聞いていた。だが決して力は強くなく、戦うには向いていない。ゆえにいつも守りの内側から見ていることが多く、念に対する恐れも誰より大きいはずだと母から聞いた。

木の生い茂る地点が近付くにつれ、蒼には黒く渦巻く霧のようなものが、その木々の間から沸き立つように舞い上がっているのが見えた。

まるでここから念が生み出されて、回りへ拡散しているように見える。言われた角を左へ曲がると、沙依が神社の鳥居の前に立っているのが見えた。回りは念の霧で真っ暗で見えづらく、蒼は努めて念を見ないようにした。そうすると実際は、薄闇の中で周囲には人通りもあることがわかった。

蒼は車から降りた。

「山中、ごめん遅れて。」

「ううん、こっちこそごめんね、こんな所まで。」そして鳥居を示し、「ここ入って横に停めてもらったらいいから」

蒼は中を見た。神社の本殿が向こうに見え、手前の平屋の横には、犬小屋が二つ並んでいる。

「お前んち、神社だったのか。」

「うん、知らなかった?山下くん、言ってなかった?」

そういえば、裕馬が小中学校一緒だったと言っていたっけ。そもそも裕馬に沙依のことを話すこと自体避けていたので、そんなことはすっかり忘れていた。

「とにかく、母さん達を紹介するよ。」

蒼は維月に車を停める場所を伝え、先に沙依と並んで平屋の方へ向かった。

犬小屋の前で足を止めると、あの白い犬が、あの時巻いてやった紐をまだ首に巻いたまま、こちらを見て尻尾を振っていた。

「お前、元気だったか?この紐・・・」

沙依はかがんで犬を撫でている蒼に並んだ。

「この紐、光ってるでしょ?あの時高瀬くんが光を当てたのが、ここに残ってるみたいなの。なぜかこのままにしておいたほうがいいような気がして。」

隣に薄い茶色の、なんだかキツネに見えるような犬が並んで尻尾を振っていた。沙依はその犬を撫でた。

「この子も、ヒカルが来てから・・この犬に付けた名前なんだけどね」と白い方の犬を見て微笑んだ。「いつも犬小屋の奥に入って出てこなかったのに、外に出て遊ぶようになったの。」

蒼は自分の力がそこに残っているのを見て取った。そうか、力にはこんな使い方もあるんだ・・・蒼はヒカルの紐に触れて、そっとまた力を注ぎ込んだ。

《蒼、ダメだ!》

十六夜の声が飛んだ。ざわざわと回りの木々が音を立てて、見ないようにしていた黒い霧がザアッと蒼に向けて巻き付くように集まって来た。

「うわっ!」

蒼は腕で振り払うようにもがいた。瞬間、真っ白い光が辺りを包み、黒い霧はまたザアッと舞い上がると、退いて行った。

「この力には寄ってくるって言ったでしょう。」

維月が腕を組んでこちらを見ている。涼がこちらに向けて手を伸ばしていた。涼の力で振り払ったようだ。有がこちらへ歩いて来ると、そこに居る全員が丸い光の膜の中におさまった。

「守りの力なんじゃないの?」

蒼はふて腐れて言った。

「守りの力になる為に出した、そのエネルギーに反応するのよ。奴らは力に対して貪欲なんだから。」

涼が言う。蒼は立ち上がって沙依を皆に紹介した。

「山中沙依さん。」そして1人1人を指した。「オレの母さん、姉の有、妹の涼、双子の弟の恒、妹の遙。」

沙依はその年には似合わず、美しくお辞儀をした。

「初めまして。突然ご無理を言ってすみません。」

「沙依さん。」維月が言った。「あなたは大丈夫なようね?」

「はい。詳しいお話をします。中へどうぞ。」

沙依は先に立って歩いて行く。その時有の守りから出たが、沙依には黒い霧のようなものが、その回りだけ避けるように漂うだけで、寄り付かないようだ。蒼は自分も膜から出てみた。自分個人のぼうっと光る光の外で、こちらをうかがうように黒い霧は漂っている。

「案外いける?」

後ろから維月が言った。「用心に越したことはないのよ。」

《まだボスは登場してないようだからな。》

十六夜が同意した。蒼は膜の中に戻り、皆と一緒に家の中へ入った。

その様子を鳥居の辺りに居た人影が、うかがっているのには誰も気付かなかった。


応接間らしき座敷へ通された一同は、座卓の回りに腰を下ろして、沙依がお茶を出してくれるのを見守った。家のなかには、他の人の気配はない。この大きさの家で、奇妙なことだった。

お茶を出し終わった沙依は、深々とお辞儀をした。

「今日はほんとに来て頂いてすみません。」

「様子を見て驚いたわ。とてもお困りなのね?」

維月は労るように声を掛けた。

「はい…もうどうしようもないのだと、諦めかけていました。」沙依は涙ぐみながら歯を食いしばっている。「何からお話すればいいのか…。」

蒼は口を開いた。

「まず、なんでオレが光るのが、山中には見えたんだ?」

沙依は蒼の方を見た。

「私は巫女の家系で、母も、祖母も、みんな人に見えないものが見えたから、多分それでじゃないかな?」

「私達とは違う力のようだけど…あなたが何かに守られているのはわかるけど、それが私達には見えないし、わからないの。」

維月は言った。蒼はえっ、と言う顔をした。「蛇じゃなくて?」

一同は蒼を見た。「え、なんですって?」

「山中の回りを白い蛇が包んでるのが、ボワッと見えてるけど…。」

「蒼、あなた…」

維月がそう言い掛けた時、沙依がワッと泣き出した。

「やっぱりそうなんだ!」と泣きながら「あの時からずっと守ってくださってたんだ。」

蒼は驚いて維月を見た。母は黙ってその目を見返した。

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