第5話十六夜《いざよい》
《なぁ、そろそろいいんじゃねえのか。》
公園に座ってもくもくとハンバーガーをがっついている蒼に、声は言った。
《それだけ食やあ腹も膨れただろう。》
確かに、落ち着いた。電車に乗り、駅に着いて、ハンバーガーを買い、人気のない公園を探している間も、声はずっと話し掛けていたのだ。
ようやくここに落ち着いて「食べ終わるまで黙ってろ」と言ったあとは、声も聞こえて来なかった。沈黙の間、蒼なりにいろいろ考えた。が、この声の出先も、全く心当たりがない。
なのに、なぜか聞き覚えがあるのが、なんだかシャクだった。
そしてやっぱり考えるより、聞く方がいいと結論が出せたのだ。訳がわからないが、とにかく聞くよりない。
「で、さ」蒼は口を開いた。「どこから話し掛けてるんだよ?」
声はフフンと笑ったようだ。
《お前の背後って答えた方が期待に応えられるのか?》蒼はビクッとして振り返った。声は否定する。《違うな。お前の上だ》
慌てて頭の上を見る。何もない。
《あー》声はまどろっこしげに言う。《上っつってもずっと上だ。》
星がたくさん出ている。そして、満月の次の日の月が、明るく自分を照らしていた。
「星?」
《なんでだよ。まあ星には違いねえが》
まさか…
「あのー」蒼は少しかしこまって言った。「まさかあの丸くて大きな明るいやつじゃあ…」
声は落ち着いている。
《その丸くて大きな明るいやつだ。お前、何か知らねえのか?》
蒼は飛び上がった。
「うそだ!月は女神なんだぞ!なんでこんな口の悪いオヤジみたいなんだよ!」
月は涼しげに答えた。
《は?お前の夢なんざ知ったこっちゃねえよ。口の悪いとは失礼なヤツだな。だいたいな、オレは直接話してる訳じゃねえ。オレの思念を、お前が勝手に解釈してんじゃねえか。維月も有も、そんなこたあ言わねえよ。これはいわばお前だけのオリジナリティなオレの解釈なんだよ。》
蒼は頭を抱えた。月は女神がいて、キレイな女の人のはずだったのに。なんの解釈でオレにはこう聞こえるんだ?
「…で、月?お前、月だって証明出来るのか?」
《なんだって?》
「だから、ほんとにこの声は月なんだって、お前は証明出来るのかって言ってんの。」
月はフンッと鼻を鳴らした。
《ハッ屁理屈ばっかり言いやがって。》そしてしばし黙り《おあつらえ向きに、やって来やがったぜ。》
公園の遊具の影に更に濃い闇のような霧が渦巻き出した。何やら寒気を感じる。
「あれはなんだ?」
《念だ。悪い方のな。あれに憑かれると、あの犬ころみたいになるんだよ。ちょうどいい、オレから降りる力ってのを、目をつぶらねえでしっかり見てな。手を出せ》
蒼は両手を前に突き出した。「何か念じるのか?」
《いや》月は答えた。《光が手に降りたら、それをあれに投げつけるだけでいい。あれぐらいなら、それで大丈夫だ。》
蒼は待った。ざわざわと黒い霧はこちらへ来ようとしているように見える。瞬間、月からスーッと光が降りてきて、蒼の手のひらの上に集まって止まった。
蒼は狙いを定めて、ボールを投げるように霧に向かって投げた。光は思ったより早く飛び、黒い霧はあっという間に霧散して、消えた。
《ちょろいもんだろ?》
なぜか得意げに聞こえる。
「あー月」蒼はぼそぼそと言った。「ありがとう。」
《は~?聞こえねえなあ~》
「なんだよ、人が素直になろうとしてるのにさあ!」
《へいへい、まあ仲良くやろうや。だがな》月は声を厳しくさせた。《新月の夜は、ダメだ。》
「月が居ないから?」
《オレはいつだってここに居るさ。だがな、お前達の門が閉まっちまう。オレの力を受けるための、門が閉じて、いくらオレが力を降ろしても、お前達がそれを受けとめられねえんだ。》
「話すことも?」
《そうだ。話も出来ねえ。オレからは見えてるし、聞こえてるんだがな》
月の声は、なぜだか寂しげに聞こえた。わからないことは山ほどある。まだまだ聞かなきゃならないことも。
「母さんも、有も月と話すのか?」
《涼も、恒も、遙もだ》月は言った。《お前が一番遅かったんだぜ、蒼。門が固くて、開いてもすぐ閉じちまう。もうダメかと思ったな》
「母さん、なんで言ってくれなかったんだ」
蒼がひとりごとのように言うと、月が言った。
《維月はいつも、心配していたさ。お前達には、あの悪い念が寄って来やすい。何も知らないお前が、何かに憑かれやしないかって、お前の帰りが遅い時は、いつもオレに探してくれと頼んでたよ。あの新月の夜だって》月は蒼をたしなめるような声音になる。《維月はお前の帰りを待っていた。オレには見えてるが、維月の門が閉じていて声が届かねえ。それであいつは、有と涼の力を借りて、無理やり自分の門をこじ開けたのさ。瞬間開いた門から、蒼が無事に家に帰ってるのを知って、あのあとしばらく力を失って、寝込んじまったと有に聞いた》
蒼は、あの日の母の様子を思い出した。そうか、それで母さんはあんなに疲れきってたんだ…。
母を思うと、蒼は急に家が恋しくなった。
「もう帰ろう。ところで月は、何人もと同時に話せるのか?例えば、今母さんとも話してるとか」
《オレは万能じゃねえ。一度に何人も相手出来ねえよ。》
「へえ~世界で今、月と話してるのは、オレ1人か」
蒼はなんだか得意になった。
《そうそうオレの思念が届くヤツも居ねえしな。向こうが勝手に話して、オレから何を話しても届かねえ。所詮自己満足だ。》
そんなことを言う月は、なぜか孤独に見えた。
「なあ、名前をつけていいか?」
《なんだって?オレはお前達から見たら月って名なんだろうが?》
「違う、固有名詞をつけるんだよ。オレが蒼のように。」
月は怪訝そうな声を出した。《変な名前にするんじゃないだろうな?》
今日、月と初めて話したから、今日の記念に…
「十六夜[いざよい]って呼ぶよ。」
《ハッ、昔から満月の次の日はそう呼ばれて来てらあな。》
月はそう言いながらも、面白がっているようだ。
《お》と十六夜は言った。《タイムオーバーだ。先約があってね。売れっ子は忙しいんだ》
「オレも母さんに話をしなきゃ。じゃあな、十六夜。」
《いい子にしてな、蒼。》
そのあと、十六夜は静かになって、蒼は少し寂しく感じながら、走って家路についた。
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