第4話犬と沙依
次の日は雨だった。
歩いて駅まで行くために、蒼はいつもより早く家を出て、駅のコンビニで朝食を買い、いつもより早めの電車に揺られていた。
それにしても、昨日のあれはなんだったんだろう?車の音もしなかったはずなのに、いきなり真っ白になった。
有はあんな目に合ったのに平然としていて、あのあと恒や遙と食卓で話していたのは週刊ジャンプのストーリーのこと。
母も入って何やら盛り上がって、自分もつられて話してて、すっかり忘れてて母に報告出来なかった。
朝、母に話すと眠そうにこう言った。「でも、なんともなかったんでしょ?」
確かにそうだけど。
母は心配性なのか、そうでないのかほんとにわからない。
今日は携帯も持って来たし、あまり必死に帰るのはよそうと蒼は思った。
学校の最寄り駅は、そう大きくなく、迷うこともない使いやすい駅だった。
いつもはここからまた自転車で行くのだが、今日はバスを使うことにして、蒼は駅の裏側に座りさっき買ったパンを食べていた。
駅の裏側は小さな公園があって、人通りも少なく落ち着く。
屋根のあるベンチに腰掛けて、どんよりと曇った空を見ながらボーッとしていると、足元に何か触る感覚がした。
びっくりして立ち上がって見ると、そこには白い犬がシッポを振っていた。
「なんだよ~びっくりしたじゃないか。」
蒼が背を撫でると、濡れた毛皮が冷たく感じた。首輪もない。
「野良か?じゃあ腹が減ってるよなあ」蒼はコンビニで買った袋の中を覗いた。「カラアゲなら食うかなあ。」
カラアゲの紙パックを開いて皿の形にし、下に置いてやると犬は勢いよく食べ出した。
その姿を見ていると、一生懸命生きているのが、なんだかけなげに見えて、助けてやりたくなる。
「オレ、もう行かなきゃな」蒼は家の鍵を付けている紐を外して、その犬の首に巻いた。「これで今日ぐらいは飼い犬に見えるし連れてかれないだろう。また来るよ。」
蒼はバス停へ走った。犬はその後ろ姿を不思議そうに見送っていた。
今日は文化祭の出し物の最終打ち合わせで、7時近くなってやっと下校出来た。外はすっかり暗くなり、一層肌寒い。幸い雨はもうやんでいて、星空も見えている。
バスに乗り込んで駅へと向かう時、蒼は朝の犬のことを思い出していた。帰りも様子を見てやろう。まだあの公園に居ればいいけど。
蒼はバスを降りて足早に歩き出した。
「高瀬くん!」
大きな声に、蒼はびっくりして振り返った。そこには、沙依が立っていた。そういえば、バスを降りる時からずっと呼ばれていた気がする。犬のことばかり考えていて、全く回りに気が付かなかった。
「ああ山中?だっけ。何?」
沙依はがっかりしたようにため息をついた。
「同じバスだったんだよ。ちょっと話出来たらなって思って。マック、寄らない?」
蒼は心の中で舌打ちした。オレにとっちゃあ初対面に近いってのに、お茶?犬が待ってるんだよな。
「ごめん、寄るとこあるんだよ。」
「じゃあ、そこに着くまで、一緒に歩こうよ。話したいことあって。」
「いいけど、すぐそこだぜ。」
「いいよ、行こう。こっち?」
先に立って、沙依は歩いて行く。蒼は面倒だと思いながら、駅裏に向かって歩いた。
「じゃ、ここだから」
蒼は公園の入り口で沙依に言うと、回りを見渡した。あの犬の気配が、微かにするような…。
「ええ?!ここって…まだ何も話してないのに~!」
沙依が不満そうに背後で騒いでいる。
「だからすぐそこだって言っただろ。」
蒼は意識を集中した。沙依がうるさくて気が散ってしまう。
「あのね、ほんとに大事なことなの。私にとって」
何やら訴えているが、その意識の力に引きずられて、蒼の犬探しセンサーがうまく働かない感じだった。
「5分、いや1分黙ってくれ!」
沙依は黙った。蒼はホッとして犬を探した。思えば自分は、昔から探し物が得意だった。みんなやってると思って、やり方を説明しても、みんな理解出来ないようで、いつしか説明もしなくなった…あれはいつのことだっけ?
ただ、今回は勝手が違った。確かに居るのに、それは違うもののような、何か掴めない、変な感じだ。
蒼は更に集中して探した。
「キレイ…」
沙依が呟いた声で、蒼は我に返った。
「は?!何がキレイなんだよ?」
犬の居場所を掴めないイライラで、蒼は八つ当たり気味に言った。
「キレイだよ。それを聞きたかったの。」
蒼は訝しげに自分の腕を見た。
―光っている。
よく見ると、脚も体も、全てが青白い光に包まれていて、手から出た光は、公園の上に浮かぶように散っていた。
「な、なんだこれっ?」
横を通行人が通りすぎて行く。蒼はビクッとして身を隠そうとしたが、通行人はこれほど光る自分に目もくれず歩き去って行く。
「見えないと思うよ」沙依は小声で言った。「学校でもすごく光ってるけど、誰も気付いてないみたいだもの。」
「光ってる?オレが?」蒼はパニックになった。「いつもこんななのか?どうなってる…」
沙依が叫んだ。「後ろ!!」
右肩に痛みが走った。何か黒いものが飛んできて、肩に当たったようだ。
よく見ると、それはあの犬だった。首に蒼が朝巻いた紐がある。
「お前…あの犬なのか?」
微かに感じるのは、朝の人懐っこい犬の気配。
しかしまとっているのは、どす黒く重い全く別の悪意だった。
この感じ…昔、母さんが、小さなオレを暴走する車から守ろうとして怪我をした、あの時…あの車から感じたあの感じと、全く同じだ!
「高瀬くん!危ないよ!」
再び犬が飛び掛かって来た。蒼は思いっきり犬をはたき落とす。犬は悲鳴のような鳴き声を上げた。人懐っこい犬の意識が、鳴き声を上げている。蒼にはこれ以上、犬を傷つけることはできない。
「…母さん」
どうしたらいい?母さんはあの時、真っ白に光っていた。きっと何かしたんだ。あれは自分が意識を失ったせいだと思っていたけど、違ったんだ。「母さん!!」
《おいおい、ざまあねえな。》
何かの、声が聞こえる。どこかでいつも聞いていたような、男の声だ。
《いつまで維月[いづき]に頼ってんだよ。いい加減に門を開きな、蒼》
蒼は回りを見回した。
「誰だ?」
沙依が悲しげな顔で答えた。「え、何が?」
誰もいない。犬は唸り声を上げて体勢を整え、また向かって来ようとしていた。
《なんでぇ聞こえるのか?おい蒼、お前このタイミングで、ラッキーじゃねえか。》
「何でもいいから、何とかしてくれ!」
蒼は小声で言った。これ以上沙依みたいな変なもの好きに、変なヤツだと付きまとわれたくない。
《甘えんな。何とかするのはお前だ。オレは力を貸すだけだ。》
「その何とか仕方を教えてくれよ!」
《手をかざしな。あとはお前の気持ち次第だ》
蒼は右手を上げた。なんかわからないが、とにかく言う通りにするしかない。気持ち次第ってなんだ?オレは犬を助けたい。
「オレは犬を助けたいんだよ!」
蒼が思わずそう口に出して叫ぶと、真っ白い光が降りてきて背中を抜け、腕から出て行くのを感じた。
手から出た光の放流は犬に当り、犬は光輝いて一瞬宙に浮き、地面に落ちて動かなくなった。
《浄化、だ。出来たじゃねえか、蒼。》
蒼はピクリとも動かない犬に、心配になった。
「死んだのか?」
《死んじゃあいねえ。浄化だって言っただろ。少しは勉強しねえとな…全く時間掛かりやがって》
「高瀬くん!」忘れてた。沙依だ。「大丈夫?犬、死んじゃったの?」
「いや、気を失ってるだけだと思う。もう大丈夫だけど、どうするかな…」
電車で犬を連れて帰れない。有に頼んで車で来てもらうか…しかし飼うにも母さんはいいとして、父さんはなんと言うか…多分、うちにこれ以上生き物はいらんと言いそうだし。
「私が連れて帰るよ」
「ええ?!」
突然のことに、蒼は必要以上に驚いた。
「うち広いし、一匹飼ってるから、もう一匹ぐらい大丈夫だもん。それに」沙依は犬を抱き上げた。「この子、すごくいい子だと思う。高瀬くんみたいに光らないけど、私もそういうのはわかるんだ。」
カバンを開いて体操服を敷き、その上に沙依が犬を乗せるのを、蒼は黙って見守った。
「なんか今日はちゃんと話せなかったね。高瀬くんの力のこと、ほんとはもっと聞きたかったんだよ。それで…あの…相談したいことがあるんだ。」
「相談?オレ、自分光るのもびっくりなんだけど」
蒼は情けない気持ちでそう答えた。犬を助けるのに、この始末。あの声のことも、なんだかわからない。何か力になれるとは、本当に思えない。
「大丈夫だよ」沙依は笑った。「黒い力を、浄化する力。それじゃなきゃダメなんだ!持ってる人が居ないって聞いてたのに、まさかこんなに近くに居るなんて…」
蒼はなんだか恐ろしくなった。そんな大したもんじゃないよ、ほんとに。
「か、母さんなら、何か知ってるかもしれないけど。」
《また維月か》
あの声が割り込む。蒼は小声で言った。「うるさい」
「ほんと?お母さん、話聞いてくれるかなあ?」
沙依はパアッと明るい顔になって言った。よく見ると、大きな二重の瞳に、化粧っけのないキレイな肌で、可愛らしい顔をしている。
蒼はそう思った自分に驚いて、早く話を切り上げようとした。「言ってみるよ」
沙依は犬の入ったカバンを担いだ。
「ありがとう!これ私の連絡先」沙依は小さな紙を手渡した。「じゃあ待ってるね!」
元気に歩いて行き掛けて、沙依は振り返った。
「高瀬くん、肩、ケガしてると思うよ。手当て忘れないで!」
大きく手を振って去って行く沙依を見送って、蒼は肩の痛みを思い出した。
《大したこたあねえよ。》声が言う。《血も出てねえじゃねえか。とにかく早く帰らねえと、腹あ減ってんじゃねえのか?力使うとだいたいそうなるのさ》
確かに腹が減っていた。
とにかく、早く帰って人の居ない所へ行かないと。この声はいったい誰なのか、こいつとガッツリ話さないと!
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