Episode V-4

 ――早朝。

「きゃあ⁉」

 いつもの鍛錬のために起き上がったキュアリスは、絹を裂くような悲鳴を上げた。

「どうしたの、キュアリス」

 扉越しに聴いてきたマリアを、すぐに入れた。

「ま、マリア」

「なによこれ」

 部屋がめちゃくちゃに散らかっていた。

 マリアはすぐにキュアリスに駆け寄り、無事を確認する。

「大丈夫? 怪我とかしてない?」

「うん。……あ、メガネが机にない」

「え?」

 マリアが辺りを見回すと、それは床でレンズごと粉々に砕かれていた。かがみ込んで見ると、ツルなどのフレームもグシャグシャに曲がっていた。

「これはもう修理も無理そうね。キュアリス、予備のメガネは無事?」

「あ、そうだった。たしかここに」

 机の引き出しを開けると、いつもの形と違う。目を細めて顔を近づけると、それも粉々だった。

 マリアがそれを見ていった。

「なんて酷い。砕いてからわざわざ机に戻すなんて、悪質も度が過ぎてるわ。もうメガネはないの?」

「見てみる」

 どれもこれも、同じように元々ある場所で粉々な姿になっていた。

 コンタクトレンズを付けないことが裏目に出た気分だ。でもすぐに、それも狙われてしまったら同じことだ、と思った。

「まずは、片付けましょう。これくらいなら二人でやればすぐに終わるでしょ」

「マリア、今日は決闘なのよ。メガネなしでどうすれば」

「お嬢様に報告してから考えましょう。今は出来ることからよ」

「うん」

 二人は普段の仕事と同様にテキパキとこなして、十分もしないうちに綺麗な部屋に戻った。その時、無理やりこじ開けられた形跡がないか外部の者の犯行である可能性を探ってみたが、全くその痕跡はなかった。そして元に戻らないメガネを、メイドたちが使うプラスチックのトレイに入れた。

 キュアリスがメイド服に着替えようと、取っ手を握る。

 すると、ピピッと音がなってクローゼットの鍵が空いた。

「服は無事?」

「うん、マリア。服は無事みたい。ここは部屋とは違う認証キーだからかな」

「そう、良かった。メガネはそこにおいてある?」

「ううん。こんなことなら、ここに保管しておけばよかった」

「悔やんでも仕方ないわ。早く着替えて」

「うん。あ、そうだ。今日のために仕立てていただいたメイド服、これを着ていくわ」

 よく見えないので匂うように服を近づけて確認した。間違いないと、マリアに見せた。

「デザインは変らないのね」

「そうね。でも、ここ。腰に鞘を収める細いベルトがついているわ」

「あら白薔薇の花柄なのね、可愛い。さすがお嬢様ね」

 それに着替えた後、マリアと一緒にそれらをセリカーディに報告に行った。

 セリカーディはノックの音に最初は寝ぼけていたが、メガネを見た途端みるみる険しい顔になった。

 マリアが詳細を説明した。

「キュアリス、あなたは無事なのね?」

「はい。どこも怪我をしていません」

「そう。良かった」

 それを聞くと少しホッとしたセリカーディだが怒りは収まらない。

 パジャマ姿のまま部屋を出ようとした。

「お、お嬢様、どちらへ」

 マリアが聞くとツインテールすら結んでいないセリカーディは、振り返らずに言った。

「マルダード」呼び捨てになりそうなのをこらえ「お兄様のところよ」と言った。

「お嬢様、その前に進言がござまいす」

「なによ!」それを聞くと「……分かったわ。ありがとう、マリア」

「お嬢様があんなにお怒りになったのを見たのは、初めてよ」

 マリアが言うと、キュアリスは立ち上がった。

「キュアリス?」

「私は私の仕事を済ませてきます。お嬢様の専属メイドとしてきちんとしなくちゃ」

「……そうね」

 ものすごい剣幕でセリカーディはマルダードの寝室に入った。

 ところが問い詰められたマルダードは、全く知らないの一点張りだった。

 それは朝の朝食でも続いた。

「少しは冷静になれ、妹よ」

「お兄様、お父様がいらっしゃらないからって、白を切るのもいい加減にして! 私の担当メイドが酷い目にあって、黙っていられるわけ無いでしょ」

「いい加減にしろ。俺は知らないと言っている」

「お兄様!」

 メイドたちもセリカーディの本気の憤りに、縮こまってしまった。止めようとするメイドを制するマリアは、それを黙って見守った。

 食堂からマルダードとセリカーディが言い合いをしながら出てくると、そこに他のメイドと一緒にキュアリスがセルクスと立っていた。

 マルダードはキュアリスを一瞥すると、肩をすくめた。

「別にどうってこと無いじゃないか」

「なんですって!」

「お嬢様、そこまでです」

「マリア、離して。一発ひっぱたかなきゃこの男は分からないのよ」

「お嬢様、ここで手を上げては、全てあちらの思惑通りになります。ここは抑えてください」

 マルダードは、茶番劇でも見たかのような素っ気なさで自室にもどった。

 マリアは手を離し、セリカーディはマリアを睨んだ。

「マリア……どうして止めたのよ」

「もう、はっきりしたからです。犯人は間違いなくマルダード様です。マスターキーを使われてしまったのでしょう。私の管理不行届です。申し訳ございません」

「いいえ。おそらくもともと複製のマスターキーを持っていたのね。マリアのせいじゃないわ。きっとあなたの管理している鍵は無事よ」

 セリカーディは、挙げた手で自分のドレスの首元を握りしめた。

 マリアは確認のため婦長室に行った。

 先程のマリアの提案で、わざとキュアリスのメガネが壊れたことを訴えなかったのだ。ただ、メイドが乱暴されたとだけ伝えた。セリカーディの担当メイドは他にも数名ほどいる。セルクスでもなく他のメイドでもなく、キュアリスだけを見ていたのだ。

 マリアが戻ってきた。

「確認しました。鍵は全て無事でした。使われた痕跡はありません」

「やっぱり。あの馬鹿兄様、キュアリスの顔を見て笑ったわ。普通、あんな事態を聞かされたなら、いくら女嫌いでも数秒くらいは周りのメイドを確認するでしょうに」

 突然、セルクスは踵を回した。それを見たセリカーディが大声で止めた。

「セルクス!」

「お嬢様……私の気がおさまりません。止めないでください」

「もう良いわ。全ては決闘で決着を付けましょう。あっちもそれを望んでいるなら受けて立つわ」

「どう言うことでしょうか」

「キュアリスが無事だったのがその証拠よ。侵入したなら、寝込みを襲うことだって出来たでしょ。でも決闘の前日で事故などがあった場合、決闘の契約そのものが無効になるのよ。……ちっ、ここまで冷静に悪事を働くなんて、本当にどこまで腐ってるのかしら、あの愚兄ぐけいは」

 滅多に見せない舌打ちをして、悔しさを表すと天井越しに部屋にいるであろう兄に向かってこう続けた。

「そこまでするなら考えがあるわ。徹底的に何もかも奪ってやる、もう容赦なんてしない。でも問題は」

 セリカーディはキュアリスを顔を近くで見上げた。目を細めてこちらを見つめていた。

「目はどうなの、キュアリス」

「すぐ傍にいらっしゃるお嬢様の顔すらぼやけてよく見えません。ただ、実は決闘用のメガネを注文していたのです」

「そう。良かったぁ。そういうことは、早くいいなさいよ。それでどこにあるの?」

「まだ受け取って無くて。今日の決闘の時間に間に合うかどうか」

「急がせましょ。私が直接行くわ」

「お嬢様」

「どうしたの」

「私のために、あんなに怒ってくれて。凄く嬉しかったです」

「馬鹿! 当たり前でしょ。あなたは、私の誇りなのよ」

「ありがとうござます」キュアリスは笑顔に一筋の涙を浮かべた「とってもうれしいです」

「さあ、店を教えて」

 車を二台出すことにした。リズィの車でセリカーディとマリアはメガネ屋に行き、キュアリスとセルクスはジョンの車で軍事演習場に向かう。この地点は反対方向だ。演習場は山奥にあるため、かなり遠い。

 マリアが念のために手配してくれたお陰で、リムジンはすぐにやってきた。

「おはようございます、お嬢様。お待たせしました」

「おはようリズィ。せっかくの休日、ごめんなさいね」

「何を仰るのです。さあ、急ぎましょう」

「セルクス、あなたにこれを預けておくわ」

 小さな丸い輪を一つ渡した。

「これは、携帯電話ですか」

「それで何かあったら連絡して。使い方は分かるわね」

 側面の小さな緑色のスイッチを触ると、0-9,#,*のナンバープレートが数センチ空中に映し出された。その映像に触れるとナンバーが入力された。##と続けて押すと、登録されたナンバーが表示された。この携帯にはセリカーディの番号以外は入っていない。

「はい、問題ありません」

 左耳にかけたのを確認したセリカーディは、キュアリスに近づいた。

「キュアリス」

 名前を呼ばれて振り向くと、首に腕を巻かれた。

「きっとすぐに持ってくるから、それまで頑張るのよ」

「はい」

 するとセリカーディは、親類の挨拶である頬のキスを交わした。

「行ってくるわ」

 リムジンが急発進していった。

 すぐにぼやけて見えなくなるリムジンを見送ったキュアリスに、ピアスからの通信が来た。

「キュアリスかい?」

「ジョンさん? いまどちらですか」

「済まない。マルダード様が急用を思い出されて、すぐに行けそうにないんだ」

「そんな」

「私の知り合いのタクシー運転手に頼んで、代わりに向かわせたから。もう少し待っててくれないか」

「はい。ありがとうございます」

「決闘、頑張れよ。おっとマルダード様だ。通信切るよ」

 セルクスが尋ねたのでキュアリスが先程の通信を伝えると、セルクスは片手で頭を抱えた。

「あの男には正直もう、うんざりです」

「セルクス、そんな事を言っては」

「いいえ。私は、彼に敬意を払うことはもう出来ません」

「私もそう思う」

「だったら」

「だけど、私たちはイズヴェランツェ家のメイドなの。分かって」

「……実は、貴女に伝えていないことが」

 クラクションが鳴った。

 屋敷の外に白い車が止まっていた。ジョンが言っていたタクシーだ。

「急ぎましょう。セルクス」

「はい」

「そういえば、なにか言いかけなかった?」

「いえ。なんでもありません」

 小走りに急ぎ、メイド服のまま車に乗った。

 すると、同じメイド仲間たちが「待ってぇ」と走ってきた。

「あなた達、これ忘れてるわよ」

「あ、カタナ。ごめん、私ったら」

「もう、駄目でしょ。キュアリス、わたしあなたが羨ましい。お嬢様にあんなに心配されて。でも、わたしもあなたが大好きだから。……だから、頑張って」

「あ、ありがとうみんな」

 ベルトのホルダーにカタナを収めて再び乗った。ベルトはウエストから垂れるように長めに作られているので、そのまま座ると膝の上にカタナが来るようになる。

 タクシーは水蒸気の噴煙を上げて出発した。


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