Episode IV-3

 一限目の体育実習テスト、生徒たちは各々の科目の体操着に着替えて通路に出ていた。

 マユミとシュリはセリカーディと同じ科目である体操演技用のレオタードに着替えていた。配色はツートンカラーの地味なものだが、下半身は骨盤の突起あたりから大胆にカットされたデザインになっていた。

「ねえ、まだかな。セディ」

「う、うん」

 テストを既に終えていた二人は、自信満々だったシュリが帰りが遅いことを心配していた。

 相変わらずこの通路には、キスシーンをひと目見ようと生徒が集まっていた。

 そこに、理事長が現れた。横を歩いているのはセリカーディだ。

「セディ!」

 二人が駆け寄るとセリカーディは笑顔で答えた。

「大丈夫、何も言われなかったわ。ですよね、理事長」

 セリカーディが声をかけると、理事長は黙って頷いた。そしてペンをとり、写真に向かって自著名を書いた。そして斜線を描くと、写真は綺麗さっぱり消えた。

 そのまま黙って去る理事長を横目に、マユミが聞いてきた。

「せっかくの写真、残念だったね。あんなに気に入ってたのに」

「ええそうね。でも、問題無いわ。だってあの二人は女優ではなく私の専属メイドだもの」

「イズヴェランツェさん」理事長が戻ってきた「これは、あの写真のマスターデータです。これでいいですね」

「はい。どうもすみません・・・・・でした。理事長」

「では、これで」

 理事長がエレベーターに乗り込んだ後、シュリが聞いてきた。

「なぁん? これってまさか、写真貼った犯人は……」

「いいのよ。もう。思わぬ収穫もあったから」

「収穫?」

「さ、この話はおしまい。私も着替えるから、先に行ってて」

 そう言って更衣室に向かった。

 急いで制服を脱ぎハンガーにかけ、下着も脱ぎボディーファンデーションを着用しようとした。

「はあ……。おっぱい、おっきくならないな~。セルクスの言う通りにすればシュリくらいにはなるかな」

 と乳房を押し上げ少し大きく見せてみた。でも虚しくなったのですぐに着用を済ませて、レオタードを着付けた。

 体育館に向かうとシュリが手を降ってきた。

「おーいん、セディ。こっちこっち」

「今行く」

 と近くまで寄ると、セリカーディは目線を胸に落とした。

「……はあ」

「どうしたの? まさかやっぱり、さっきのことで理事長に大目玉くらってたの」

「ううん、違うわよ。ごくごく個人的なことよ。それよりも順番は?」

「あぁんと、さっきマユミが先生に言って順番後回しにしてもらったから、まだかな」

「あら。流石マユミね、気配りが行き届いているわ」

「へへん、たまには目の前で褒めてもいいんだよん」

「シュリ……。そうね、あなたは最近おっぱい大きくなったわね」

「うっ。なんか棘が刺さってる言い方だにゃん」

「ふんっ。どうせ私は貧乳よ」

「誰も何もいってないよん~」

 どう返答して良いのか眉毛を曲げて困った顔をするシュリに構わず、ソッポを向くセリカーディ。

「あの、二人ともそんなに変わらない……」

「「むっ」」

 マユミはフォローが見事にハズレてしまったのをなんとか誤魔化す。

「あ、あの。セディの番だよ」

 見ると教師がこちらを睨んで待っていた。

 手を挙げてセリカーディは走っていった。

 シュリはマユミの胸をまじまじと見つめた。

「やだ、何よ」

 思わず胸を隠すマユミに、シュリは手を後ろに組んで肩を振ってきた。

「いいなー。私もマユミみたいに人並みの大きさになりたいなぁん」

「人並みって。もう、からかわないでよ」

「私もぉん、寄せて上げるブラにしようかなー」

「バカ。そんなことより、始まるよ」

 マットの端でセリカーディが準備良しの手を挙げていた。プログラムは自由なのでその場で組み立ててから床に入った。

 中央までダッシュすると、タッと跳ね前方宙返り三回転を難なく決めてみせた。スタートと反対側の位置に来ると、平均わざのY字バランスやジャンプ開脚などを披露。くるりと前転で着地して、今度は後ろ足を頭まで付けて静止。そのまま端まで言って、後方抱え込み三回宙返りニ回ひねり――新月面――をピタリと着地して決めた。

 その瞬間、周りから割れんばかりの拍手が起こった。このテストを免除されている体操部員たちも、飛び上がって賞賛している。

 教師は点数をつけながらため息混じりに告げた。

「合格よ。あなた、体操選手になる気本当にないの? 勿体無い」

「ありませんわ。ではこれで」

 マユリとシュリたちは、セリカーディが戻ってくるまでずっと拍手喝采だった。

「さっすが! あんな技いつ練習してたの」

「陰の努力も得意なのにゃん」

 セリカーディは首を振って言った。

「練習については否定しないけれど、あれくらいのレベルで国を背負う体操選手になれるだなんて夢見過ぎ。四回宙返り三回ひねりとかやる方々と練習するなんて、気後れするだけよ」

「でもセディは、進路決めていないのでしょ」

「これってのがまだなくて。まだ中等部三年だから、じっくり考えるつもり」

 シュリは何も言わず、手を引っ張って体育館から釣れだした。今度は魔素学実践だ。

 魔素を使用する場合、身体に大きな負荷がかかってしまうので、試験日の中から日程を自由に選べた。だがあえて、最後に回した。

 制服に着替え直し、魔素実践棟に向かう。

 ここでは初等部・中等部・高等部・大学生まで全員が共有して使用する校舎になっている。事故を防ぐため特別な作りになっており、外観はほとんど戦時用シェルターだ。有事の際の避難所にもなっている。

 セリカーディたちが受けるテストは、与えられた魔素器具を十秒間連続で動かすというもの。3回まで挑戦できる。

 彼女たちが到着すると、酸素マスクを付けて倒れている男子生徒がいた。制服からして高等部だろう。

「ごほっごほっ、やあ、イズヴェランツェさん」

「あら、あなたは。レイピア、お借りしてますわ」

「約束は今日だよね。忘れないでね」

 軽く挨拶して通り過ぎた。

 マユミとシュリは首を傾げながらもついていく。

 知り合いなの、とマユミが聞くと、セリカーディはまあね、と軽く答えた。

 テストを受けている生徒たちで、平然と立っている者はごくわずか。皆フラフラになっており、中には保険医に介抱してもらっているのもいた。

 担当の女性教師に会うと、注意事項を言い渡された。

「分かっていると思うが、決して無理はするな。魔素が赤血球と非常に結合しやすいのは園児でも知ってる常識だ。だがそれをつい忘れてしまうのがお前ら学生だ。魔素中毒症になりかかったら直ちにドクターストップかけるからな。受ける前は十分深呼吸してからだ。以上」

 三人は「はい」と答えると、課題の器具の前にやってきた。

「本当は疲れるからやりたくないんだよねん」

「仕方ないよ。今の生活で魔素を使ってない機械なんて無いんだから」

「でもさ、今はその機械がオートで変換してくれるようになっているのがほとんどでしょん」

「それはそうだけど……」

 二人のやり取りを聞いていたセリカーディが代わりに答えた。

「それはね。ほんの僅かでも身体に入ってくる魔素に耐えるためよ。どんな優秀な変換器も極微量だけど魔素が身体に流れているのよ。後はその力を増幅させているだけ。コムペーパー製の本を読むと、紙の本より目が疲れやすいでしょ」

「なるほどん。セディはなんでも知ってるなー」

「セディ、勉強になったわ」

「お役に立てたなら嬉しいわ」

 先生がマユミの名前を呼んだ。すぐに準備にかかった。

 クレーンアームとおもりが置かれた台であり、これを魔素により得られた力で操り持ち上げて十秒維持できれば合格だ。このクレーンは一般家庭水準の変換器が付けられておらず、ほとんどが使用者の力で動かすようになっている。つまり、魔素がかなりの量身体に入ることになる。

 深呼吸し、身体に酸素をためて、クレーンの制御盤に手をのせる。すると魔素が身体に流れ込みその化学反応がエネルギーとなってクレーンアームが動き出す。錘が持ち上がるとストップウォッチスタート。

 この時点で倒れる生徒が多いなか、何とか持ち上げられた。

「マユミ、無理しちゃ駄目よ」

「マユミ、その調子ん!」

 三秒経過……四秒経過……、……七秒経過……九・九◯秒、錘が落ちてしまった。

 教師は頷きながら言った。

「まあ、合格でいいだろ。次」

 マユミが倒れてスカートがふわっと上がった。激しく上下している肩をみたセリカーディは、酸素マスクを急いで当てた。

「ありがとう、セディ。ふぅふぅ」

「苦手なのによく頑張ったわ」

「うん……。ふぅすぅふぅすぅ」

 次はシュリだ。

 錘が持ち上がった。

 五秒経過……、転がり落ちた。

「一回目は失敗だな。十分間休憩した後またこい」

「……おぇっ」

 シュリが嗚咽を模様し、四つん這いならぬ三つん這いになった。操作盤から手を離せないまま息ができなくなっている。急いでシュリを抱え上げてクレーンから遠ざけたセリカーディは、近くの男の保険医を呼び応急処置を施してもらう。

 保険医が様態を告げた。

「大丈夫。中毒になってない。ちょっと力みすぎて魔素を吸い過ぎただけだ」

 セリカーディが胸をなでおろすと、シュリが申し訳無さそうに手を挙げた。

 いよいよ、セリカーディの番だ。

 先ほどの体操では余力を残したので、呼吸的に問題ない。

 クレーンの操作盤に手を触れると、魔素が身体に流れ込み、普段では感じ得ない力が身体から溢れそうになる。これに酔いしれ飲まれてしまうとあっという間に赤血球に魔素が吸着し酸素が取り込めなくなってしまう。上手く魔素の吸引をコントロールし、クレーンアームを動かした。

 錘を釣り上げると、教師がストップウォッチを押した。

 銅色の眼はいつになく真剣で、全神経が手から流れ込んでくる魔素の制御に向けられていた。中等部レベルの魔素装置ならほとんどオートマチックなので、細かい制御はやらなくていいはずだ。

 五秒経過……。

 長い。まだそれくらいしか経っていないのか。

 七秒経過……。

 そろそろ限界がきている。魔素の流入が止められそうにない。

 九秒……、十秒。

「よし、そこまで!」

「ふぅわっ。はぁ、はぁ、はぁ」

 手を離したセリカーディから大量の汗が流れ落ちた。

 それを観た保険医が感心するように言った。

「ほお。魔素の流入制御に神経を使ったのか。汗をかけるようになるのは高等部でも魔素使い科の生徒くらいなのに」

 倒れず胸を大きく上下させているセリカーディは言った。

「褒めていただいて、嬉しいですわ。先生」

「ああ、無理に喋らなくていいから。この二人の隣に座ってなさい」

「はい」

 その高等部のテスト模様を見てみると、ステッキから炎を出す試験をしていた。彼らが魔素使い科だ。別名「魔法科」と言われるところで、本当に炎や氷の使役を学ぶ学科だが、魔素制御の才能と技術がずば抜けていないと、ステッキを持つだけで気絶し、下手をすると脳に重い障碍しょうがいが出てしまうと言われる、超難関学科だ。

 三人とも興味を示したのを観た保険医が教えてきた。

「本当に魔法使いみたいだろ。魔法科の生徒たちは、軍を目指しているのがほとんどなんだ。魔法は実践じゃあの通りだが、トゥルマ制御の適正試験に関わるからね。まあ実際は、高性能コンバーターがあるからあそこまで苦労しなくても乗れるんだけど」

「では、適性試験はかなり厳しいのですか」

 比較的呼吸に余裕があるセリカーディが聞いた。

「当然だよ。コンバーターが故障するとパイロットにもろに負荷がかかるからね。トゥルマから脱出できるまで耐え切れなきゃ話にならないよ。あとは歩兵用武器の取り扱いも魔素が関わるからね」

「そうですか。参考になりました」

「君は軍が志望かい」

「いえ。まだ決めていません」

「女性なら結婚の方が大事だろうからね。中等部なんだし、大いに悩むといいよ」

 返事をしようとした時、どこからか高笑いが聞こえてきた。

「あらセリカーディさんじゃありませんの。そこに座っているということは不合格したのかしら、情けない」

「レイカさん。これからテストなのかしら? 前の時間はどの教科を選ばれたの?」

「私は走り幅跳びよ。もちろん、平均以上の五・一◯メートル飛びましたわ」

「まあ凄い。見てみたかったわ。私は器械体操の床でした。一応合格ですわ」

「へぇ。そういえば、練習してたのをお見かけしたことがあったわね」

「あら、見守ってくださったのね。嬉しい」

「何を言ってるの。たまたま見かけただけよ。ではテストがあるのでこれで」

「先生の言うことをよく聞いて、くれぐれも無理をしないようにね」

「不合格の人に言われたくありませんわ」

 保険医がおいおいと挟んできた。

「何を言っているんだい、彼女は一発合格だよ。友人の付き添いで休んでいるだけだよ」

「あら、それは失礼。ぐったりした顔なのでてっきり」

 わざとらしい抑揚をつけて喋るのがレイカの癖らしい。でもセリカーディは意にも介さない態度で、こういった。

「レイカさんにご心配して貰えるなんて、嬉しいわ」

「また、あなたは。そうやっていつもいつも」

 教師がレイカを呼んだ。テストの順番が回ってきたらしい。

 縦ロールをわざとらしく振りかざしたレイカは、テスト台に向かっていった。

「まったく、困った生徒だよ。ああやって敵ばかり作って」

「あら先生。私はレイカさんに敵意なんてもった覚えはありませんわ」

「え、でも」

「レイカさんのいいところを皆さん知らないだけです。花壇に水を上げたり、お手洗いのアメニティを補充したり、当番じゃないのに率先してやってました」

「へぇ、彼女がねー」

「まぁんた始まった。セディの陰褒め」

「あらシュリ。もう大丈夫なの」

「ようやく息が整ったから、次行ってくるよ」

「落ち着いてね」

「あーいよん」

 シュリがゆっくりと歩くを見守るセリカーディに、保険医が聞いた。

「何だい、『かげぼめ』って」

「当人の見えないところで褒めることですわ。私の趣味なのですよ」

「なるほど、陰口ならぬ陰褒めね」

 そのレイカの様子を見てみたら、もう脚を揃えて座り込み荒い息で胸が上下していた。

 セリカーディが傍にやってきて、手を差し伸べた。

「大丈夫?」

「はぁ、はぁ、はぁ、ひぃーひぃー」

「魔素の取り込みよ。力んだ証拠」

「うるさい……はぁはぁ……だまりな……さい」

「はい、酸素」

「すぅーはー、すぅーはー」

 レイカの腕を肩に回してゆっくり立ち上がると、保険医のところに向かった。

「レイカさん、あなた」

「なによ。はーはー」

「立派な胸を持っていらっしゃって、羨ましいわ」

「こ、こんな……ときに……。あなたみたいな……貧相……な。はーはーはー」

「私は確かに残念ですけれど、あなたは誇れるものがあるじゃない。あまり周りを蔑んでたら、そのおっぱいが泣きますわ」

「……説教……なんて……」

「その素敵な縦ロールも、毎日セットが大変でしょう。ちゃんと拝見してるのよ」

「……あなた……いつもいつも、そんな……」

「はいここに座って。先生よろしくおねがいします」

「ああ。さあ、ミルカディアさん。もう少しゆっくり呼吸して」

「先生、わたしは友達のテストの様子をみてきますからこれで失礼します」

「ああ」

 セリカーディがそこを離れると、レイカが酸素マスクを取った。

「何なの。はーふー……あの娘」

「悪口でも言われたかい?」

 息をなんとか整えながらレイカが言った。

「……いいえ。むしろ、また偽善的な口ぶりで褒めてきましたわ」

「偽善かどうかはともかく、褒められたんだからいいじゃないか」

「乙女心は男のあなたには分かりませんわ」

「ああ。それを言われると立場がないよ」

「ふんっ」

 すぐに酸素マスクを口に当てた。

 ――もう、どうしてよ。こっちはあんなに嫌な態度取っているのにいつも優しい。そんなあなたが私は……嫌いよ!

 セリカーディが手を叩いて飛び跳ねて喜んでいた。シュリの再テストが合格したのだ。それを分かっていないレイカは、ちょっとだけ胸がチクっと傷んだ。

 ――なに、これ。どうして。

 セリカーディが戻ってくると、レイカに話しかけてきた。

「合格されたの?」

「ま、まだよ」

「じゃあ、ついててあげましょうか」

「別について来てなんて、頼んでませんわ」

「テストの結果を心配してくれたお礼よ」

「別に、心配なんて……してなかったわよ」

「いいからいいから」

「ちょ、まだ息が……。もう」

 マユミとシュリは二人を見守りながら、手を振った。

「やっぱ、二回目はきついん」

「はい、酸素」

「マユミ、ありがとう」

「セディ、やっぱりレイカさんのこと好きなのね」

「じゃなかったら、ただの物好きだよ。私にはレイカは嫌なやつにしか見えないけど」

「きっと、セディにとっても嫌な人なんでしょ。でも、見つけちゃうよ。いいところを」

「だねん」

 セリカーディがレイカの合格に、ぴょんぴょん跳ねて喜んでいるのを観た二人は、そのことを更に確信したのだった。

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