Episode III-2

 ――その夜の別館の部屋。

 かつて大所帯だったイズヴェランツェ家の時には住まいとして使われていたが、今は物置小屋となっていた。そこの空室ニ階にセルクスは寝泊まりしていた。一階の物置部屋に人形たちと一緒に置かれていた時と比べれば、質素でも幾分マシだ。またここは、見習いメイドが寝泊まりする部屋だったところを片付けてから使わせてくれた。少なくとも今のセルクスには人間と同等の扱いを受けている実感があった。

「今頃、キュアリスはどうしているかしら」

 本館で寝泊まりしている彼女のことを思うと胸が熱くなる。レオタードを脱ぎ、一晩中自分を慰めていたこともあった。けれど今は決闘のために備えなければならない。余計なことに機能を使わないよう制限していた。

 カーテンを少し開けて窓から見下ろす。そこからはキュアリスと訓練している裏庭が見えた。

 俯瞰的な視点で今までの動きをシミュレートし、育成方針を幾万パターンも演算していく。明日からはこちらも武器を使った決闘当日を想定した訓練だ。マルダードのデータが皆無だが、素直な彼女の場合は対策よりも今ある技を磨き上げる方針が良いだろう。

 もっとも効率のよいメニューを決め、カーテンを閉じた。その間は数秒しかかからないが、やはりトゥルマレディとて重労働に変わりはない。

 そろそろ魔素も切れかけてきたので、睡眠をとって充填することにした。

 ベッドに横になった時、気になったワードをもう一度繰り返した。

「あの博士が言っていた《コード・999の抑止力》とは何のことだろう。もう一度、記憶を整理しなければ」

 意識が次第に薄れ、眠りに入った。

 記憶の断片が不規則に積まれていき、メモリの空き容量を増やしていく。意識がない状態に移行する。この時はボディパーツのチェックが行われる。まどろみの中、人間も見るという夢の世界が繰り広げられる。

 しかし、今夜は違っていた。半覚醒状態、俗にいう明晰夢だ。数百年ぶりに体験する感覚に驚きそうになるが、目が冷めてしまうのでなんとか眠りを維持した。

 ――検索開始。《コード・999》

【Spiel Tenchion! Ist eine vertrauliche Datei, die von den Koalitionstruppen versiegelt wurde. Seine Autorität ist derzeit deaktiviert. Wollen Sie zu öffnen?】

 ――機密ファイルがヒット。閲覧を中止。

 これ、まさか毎晩繰り返されたルーチン? なんて試行回数なの。戦争が終わってから私はずっと奥底に閉じ込めていたんだ。

 アクセス可能なんでしょ、見せて。

 ――アクセス開始。

【Es wird angenommen, stark die Speicherung und ich möchte nicht, sich zu erinnern. Noch Sind Sie sicher, dass Sie?】

 ……Ja(ヤー). 胸騒ぎがするけれど、キュアリスと本当に結ばれるためには思い出さなきゃならない気がするから。

 ――、――。

 ――。――ロード開始。

 目の前に見えたのは、萎びた男性器。私はそれを丹念に舐めていた。

「もういい、セルクス。今夜はこのくらいにして、明日に備えて寝よう」

「マスターは怯えています。慰めるのが私の役目」

「十分だよ。おかげで勇気がでた」

 髪をなでてくれるマスターを見上げると、体中傷だらけで顔は無骨な笑顔をみせていた。優しい顔を見せてくれるのはこんな夜だけ。作戦行動中は常にヘルメットで隠れてしまう。

「はい。その言葉に嘘はないと感じました」

「ありがとう。君からの保証が何よりの励みだ」

 マスターと私は最後になるであろうキスをした。

 《コード・999》の命令は既に下されていた。

 ――場面暗転。

『セルクス、聞こえるか』

 トゥルマの内線通話からマスターの声が聞こえた。どこも怯えた様子がない、勇ましい軍人の口調だ。

「はい、良く」

『俺は、昔滅びた日本の血を引いているらしい。だからなのか、この作戦の要に参加できることが誇らしいんだ』

「誇り? Stolz? 申し訳ありませんマスター、私にはまだその意味が理解できません」

『良いんだ。だが、いつかきっとトゥルマレディの君にも分かる時が来る。祖国の言葉に「どんな物にも魂が宿る」とあるからね』

「マスター、敵来ます。戦闘モードに移行します」

『ゆっくり話もさせてもらえないか。あいつらのほうが優勢のくせに、手を抜かん連中だ』

 ダメージ甚大。

 基地全壊。

 補給……なし。

『セルクス、友軍たちの状況は』

「ほとんどのトゥルマが破壊された模様。《姉さん》たちとの連絡は……もう取れません」

『そうか……。《コード・999》の実行条件が整っちまったか』

「駄目です。無茶です。今のマスターではこの武器に耐えられません」

『セルクス、世界を守るためだ。トリガーをこちらにくれ』

「マスター!」

『セルクス! ……もしもこの戦争が終わって日本の次の国が生まれたなら、その時はまた守ってやってくれ』

「……はい」

 眩しい光が眼前で展開され、それは槍となった。

 そして、その『光の槍』と引き換えに、そのエネルギー供給に耐え切れずマスターは亡くなった。

 あの時熱い涙であふれたのが不思議で仕方なかった。これが哀しみという感情だと知ったのは、戦争が終わって娼館で働くようになったずっと後のことだ。

 そうだった。

 その感情とあの時行ってしまった事に耐え切れず、私はこの記憶を封印した。たとえ連合軍の機密機関が過ぎても思い出さないように深く深く。

 目が覚めた。

 いつのまにか、私の耳たぶには涙が流れ落ちていた。

「『誇り』……。私はキュアリスにそれを強く感じたから愛した? でもどうして」

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