Episode III

Episode III-1

 キュアリスは心ここにあらずで鍛錬をしていた。

 屋敷の使用人たちからこのような噂を聞いた後だからだ。

 セルクスが庭掃除の当番になった時のこと。庭掃除は専属にかかわらず持ち回りで行うので、あまり接していないメイドたちも参加するのだが、彼女たちは手を止め顔を赤らめため息ばかりついていた。

「ねえ見て、あの雑草を刈る姿。まるで鈴蘭の花が揺れているみたい」

「私にはあの長いポニーテールの髪がまるで上質のシルクのように見えてくるわ。私なんて毛先が分かれてボロボロなのに」

 それは二階のバルコニーで洗濯物を干していたメイドも同様だった。セルクスの所作が日に日に洗練されているせいもあって、女優を生で見ているかのような気分だ。

 そのとき、セルクスが庭の樹に僅かに隠れてしまった。もっとよく見たいと柵から身を乗り出す。するとバランスを崩して足を滑らせてしまった。

「きゃあ!」

 メイドは自身を支え切れずに転落、気を失った。

 セルクスはその悲鳴にすぐさま反応し、作業道具を捨てて猛スピードで駆けつけた。メイドの頭が地面に激突する数センチのところで、その大きな胸を使って衝撃を和らげ、二転三転と転がりながら着地した。

 メイドが目を開けるまで数分ほどしかかからなかった。

「大丈夫、ねえ、大丈夫? バイタルは正常、ショック死はしてないから意識はあるはずなのに」

「……ん、あれ、私。……きゃあ、嘘!」

 眼と鼻の先にセルクスの顔があった。女優のようだと思って眺めていた彼女が突然現れてもうどうして良いか分からず、歓喜の悲鳴を上げていた。

 それを聞いたセルクスはゆっくりとメイドを立たせた。

「大丈夫そうね。紙一重だったの、もう少しで危ないところだった」

「あ、ありがとう」

 このメイドがたちまちセルクスの虜になってしまったのは、言うまでもない。

 もう一つ、メイドたちの間で話題になったものがある。

 セルクスが賄い当番になった時のこと。

 彼女はまだディアメイドの下のメイドの下、つまり見習いであるので給仕はできないし先に休憩もできない。

 調理室に入ると賄い用の場所があるのだが、セルクスはそこで腕を組んで悩んでいた。

 見かねた料理人の男が声をかけてきた。

「どうしたんだい、お人形さん」

「あ……。実は私、料理をやったことが全く無くて。教えてくださるかしら」

「お、おう。分かったよ、教えてやるよ」

 振り向いて指を絡めて組み、肘で大きなおっぱいをたくしあげ頼まれたら、断れる男はいない。十中八九計算だと分かっていても、目に胸が行くのが男だ。

「で、何を作るんだい」

「はい。今日の献立はオムライスと聞きました」

「あ、なんだ、オムライスか。いいよ、コツさえつかめばすぐ作れるさ」

「まあ、さすがお屋敷の料理人ですね」

 男はその屈託のない笑顔にぽぉ、としてしまう。人形なのに妙に色香が漂ってくる。何より、声の調子が男心の隅をくすぐって来る。

「……あの、料理人さん?」

「あっと。済まないねお人形さん、まずライスから用意するんだ」

「それから私、味付けが分かりませんの。成分は分かりますが、美味しいかどうかがよく……」

「それも俺が見てやるよ。俺が作ったやつを食べてみればいい。食べることはできるんだよな」

「はい」セルクスは、感心するように頬に手を当てて「尊敬しますわ」

「まあまあ、煽てても何も出ないぜ。じゃあ、見てな」

 たっぷりの黒胡椒と温めた玉ねぎソースをまぜて、ライスに混ぜておく。

 フライパンに油を入れて火をつけた後、油が馴染んだところで細切れベーコンをカリカリになるまで炒める。これは別皿に取り分けておく。

 卵を用意。一人前あたり二個が目安。これを空気を入れるように卵白と卵黄を溶く。

 これで準備完了。ここから調理開始。

 再びフライパンに火を入れて、味付けライスと焼いたベーコンを入れて炒める。パラパラになるくらいが良い。

 もう一度皿に取る。この時の皿は温めたものが良い。ライスが冷えないようにするためだ。

 フライパンを一度洗った後、もう一度油を敷いた後火を入れる。

 そこに溶いた卵を入れる。底が固まりだし表面がまだトロトロのところに、先ほどの炒めたライスを入れる

 フライ返しで包んだ後、フライパンを跳ねてひっくり返す。難しいなら一度皿に移してもう一度フライパンにいれるといい。これで形が崩れにくくなる。

 パセリなどで彩って出来上がり。

「ざっと、こんなもんだ。覚えたかい? うちはケチャップを使わないのが伝統なんだ」

「はい。凄いですね、魔法みたいです」

 目の前でその通りに行おうとしたが、ちょっと間違えて料理人に指摘されると、上目遣いで「ごめんなさい」と謝るものだから、鼻の下が伸びっぱなしだったらしい。

 こんなそんながあって、メイドたちからどんどん好意を寄せられ、言うまでもなく料理人やひいては執事からすらも注目され、キュアリスのライバルは増えるばかりであった。ちなみに、セルクスの賄いは好評だった。

 なので、午後の訓練はその苛立ちをぶつけるようにカタナを振るってしまう。

「ああ、もう。セルクス、他の娘と仲良くしすぎ」

『今は訓練に集中して。安心して、私は貴女のものですよ』

「そういうことじゃなくってっ」

 イクイップフォームに変身しているセルクスの言葉ではどうも想いまで伝わってこないので、余計にイライラしてしまう。

 セルクスが翻り、ポニーテールの髪がキュアリスの視界を一瞬覆った。

 次の瞬間懐に入られて、レイピアに見立てた空握りの手がキュアリスを指していた。

『実践では何かに視界を遮られてしまうこともあるの。その場合はできるだけ反応して体を防御に使って。貴女ならできる』

 最近、セルクスが藍色のポニーテールの髪型であることに気がついた。あまりの美しさで眼に入るものがぼやけるなんてことがあるのかと思ったほどだが、今はそんなこと関係なしにはっきりと認識できる。

「そんな高等テクニックを今すぐ覚えろって言われてもね」

『意識するだけでも変わるわ。さあ、もう一度。今度は私から合図を送るから』

「分かったわ」

 その訓練を外野で見ていたのはマリアだった。たまたま今日の仕事が片付いたので様子を伺いに来たのだ。セリカーディもいる。

「あの二人、いつの間にかあんなに仲良くなって」

「タメ口になっているのよね。この訓練でお互いの距離が縮まったみたい」

「ところでお嬢様、試験勉強はよろしいのですか。まだ日が残ってますよ」

「良いのよ、苦手科目は今日で終わったし。明日は得意な魔素基礎と歴史と国語、明後日は魔素実習と自由科目の床体操よ」

「左様で御座いますか」

 キュアリスは、セルクスの奇襲になんとか反応できた。

『さすが、今まででのマスターの中で最も愛おしい人。その調子よ』

「まだマスターじゃないってば。それに……恥ずかしいからやめて」

 セリカーディは呆れ気味にいった。

「まさか、本当に感情があるなんてね。もう家の中じゃセルクスはモテモテ、まあ私の許可なしに触らせないけどね」

「それはそうと、訓練からもう三日目です。セルクスにも武器をもたせたほうがいいのでは」

 多少なりとも護身術の心得があるマリアは、前からの懸念をセリカーディに進言した。

「それがねー、あの変態お兄様ときたら、倉庫にあった武器という武器全部を大型車に積んで持って行っちゃてね。こういうことに関しては抜け目ないんだから」

「では、今お屋敷には」

「そう。武器は一つもないの。それにレイピアなんて特殊な剣、代用するわけにもいかないし。やっぱり買うしかないかしら」

「その様子ですと、近隣の武器屋も」

「ええ、多分買えなくなるようにしてるでしょうね。かと言って遠乗りする時間が勿体無いし」

「どうするおつもりですか」

「学校よ」

「学校?」

「そう。あそこには高等科向けに実戦用の武器が置いてあるの」

「その剣は、魔素強化に対応したものですか?」

「ええ。でも、万が一使われてもって数十秒でしょ」

「確かに魔素のリスクにマルダード様が耐え切れるかは疑問ですが、実際に拝見したことはございません」

「ありえないわよ」

「なぜそう言い切れるのでしょうか」

「もしもそんな芸当が出来たら、今頃『お前は魔素もろくに耐え切れないのか。クズが』って見下してるに決まってるわ」

「ふふ。……確かに」

 マリアは思わず笑ってしまった。マルダードの自己主張の強い性格なら自慢気にしていていなければ不自然だ。

「でしょ。明日、二人にはレイピアを受け取るように言っといたわ」

「高等科にお知り合いでもいらっしゃるのですか」

「……あ、まあ、ちょっとね」

「そうですか」


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