第53話 塔の上へ


(珪介君だ)


 その存在を噛みしめるように、紗矢は珪介の背へと回した手に力を込めた。


「……会いたかったよ」


 思いが溢れ出していく。自然と言葉が零れ落ちていた。


「俺も、会いたかった」


 珪介の声音も、息遣いも、逞しい両腕から伝わる力強さも、全てが紗矢の中で幸福へと変わっていく。


(私、やっと珪介君の所に帰って来られたんだ)


 実感すれば、力が抜けていった。

 ほっと息を吐き出したのち、気づいた光景に、紗矢は瞬きを繰り返す。いそいそと、珪介から身を離した。

 いつの間にか、珪介の後ろに人が集まっていた。彼の父の和哉や、蒼一、修治に裕治といった気安い顔ぶれだけではない。見知らぬ男性たちがたくさんいた。年齢層も高く、みな一様に、気難しそうな顔をしている。


 そんな人々から注がれる視線にうろたえていたが、修治の後ろから顔を出した人物に気付き、紗矢は笑顔になる。


「紗矢ちゃん、お帰り!」


 明るくそう言って、舞は破顔した。


「ただいま!」


 紗矢も負けずに声を上げると、それを聞いていた和哉が歩み寄ってきた。


「紗矢さん、よく力を取り戻してくれた……おかげで無事に顔見せを執り行えそうだ……しかし」


 和哉は眉を潜めながら、庭の中央で横たわっている長へと目を向けた。

 長の横でうろうろしているランスの元へと、他の三羽も舞い降りてきた。ソラがギャアと甲高く鳴くと、長は瞑っていた目を開けた。目の前に揃った鳥獣たちを見た後、紗矢に視線を止め、瞼を閉じてしまった。


「長!」


 紗矢が声を上げ、長の元へと走り寄っていくと、忠実と祐治も足早に近づいてきた。


「まさか長に乗って落ちてくるとはねぇ」


「紗矢さん、長はどうしてこのような姿に? 何か処置をした方が……というか、僕たちが触れたりしたら怒られちゃいますかね?」


 紗矢を挟むようにし立ち止まった忠実と裕治が、長に触れようと恐る恐る手を伸ばした瞬間、長が目を開け、唸り声を上げた。

 すぐさま二人は後退したが、紗矢は長の傍らに立ったまま、上空を見上げた。長は忠実たちを警戒し唸り声を上げたのではなく、上空の何かに対し反応したのだ。


(やっぱり……嫌な感じがする)


 心が波立って行くのを感じながら、紗矢は長の体に手を添えた。

 長が離れたせいで、塔の上に異形が踏み込んでしまったのではと……そして、雛が狙われているかもしれないと想像すれば、一気に鳥肌が立った。


「……長」


 躊躇いながら名を呼んだ紗矢を見て、長は瞳を細めた。


(私を、塔の上に連れて行って欲しい)


 塔の上には、自分が守らなくてはいけないものがある。今すぐにそこへ飛んでいきたい。

 紗矢は斜め後ろへと顔を向ける。長を気遣うようにウロウロするランスがいた。いくらランスが大きくなったといえども、乗って飛ぶにはまだまだ小さく感じてしまう。

 長に視線を戻し、紗矢は小さく息を吐いた。今の長に人を乗せ飛べる力が残っているようには思えないが、やはり心は長を当てにしてしまう。


(……どうすればいいの)


 遥か上空から降りてくる仄暗い気配が、紗矢の焦りを増幅させていく。

 じっと見つめ合っていると、長が力を振り絞るように身を震わせたのち、立ちあがった。再度自分を見降ろしてきたその瞳に、力が戻っていることを感じ取り、紗矢の思いも固まった。


「私を、もう一度乗せてください」


 ハッキリそう告げると、そっと紗矢の横に珪介が並んだ。


「いや。俺が行った方が良い。すごく嫌な予感がする……頼む」


 珪介は紗矢の腕を後ろに引くと、変わるように前へ出て、長を真っ直ぐに見つめた。

 長はじっと珪介を見つめた後、ぐっと紗矢に向かって顔を伸ばし、手を嘴で挟み持ち上げた。そして肩より高い位置で紗矢の手を離すと、そっと嘴で手の甲を突っついた。

 喰われたのだと理解するよりも前に、紗矢の足がふらついた。前のめりになり地面へ倒れる寸前に、珪介の手が紗矢の体を支え起こした。


「紗矢っ!」


「だ、大丈夫」


 珪介の腕にしがみつき、眩暈が収まるのを待っていると、また紗矢の体が宙に浮いた。瞳を開ければ、頭の上にあるはずの珪介の顔が、眼下に見えた。胴を挟む感触は、覚えがあった。長の嘴だ。そしてやはり、紗矢は先ほどと同じように、長の背に放り投げられた。

 長が自分を乗せ再び飛ぼうとしている。そう悟り、素早く身を起こす。


 その躰で飛んでしまって平気なのだろうかという不安は、すぐに消えてなくなった。長の躰は白い輝きを放ち、背についた手の下からは、驚くほどの力強さが伝わってきた。


 長は珪介に近づくと、体勢を低くした。二人もの人間を乗せ飛ぼうとしている長を目の前にし、珪介の背後で驚きの声が上がりだした。珪介は覚悟を決めたように表情を改めると、長に向かって手を伸ばす。


「待ちなさい」


 しわがれ声が響き、周囲の騒めき声がふつりと途切れた。珪介は手を止め、振り返る。


「待たされた挙句、やっと屋敷から若造が出てきたと思えば、長に乗りどこかに行こうとしておる」


 杖をついた白髪の老人が、硬い口調でそう述べた。


「待ってください、澤倉の先々代殿」


 和哉が理解を求めるべく口を開いたその時、老人は声を上げて笑い始めた。


「いや、実に面白いの。この年になって初めて、長が人を乗せ飛ぶ姿も見せてもらった。そこの娘さんが新たな求慈の姫かい? 飛び立つ前に、名前くらい聞かせておくれ」


 自分に向けられた鋭くも温かみのある視線を受け止め、紗矢は背筋を伸ばした。


「か、片月紗矢と言います」


「片月」


 細い糸のようだった目を大きく見開き、老人は愉快そうにまた笑う。


「引き留めて悪かった。行ってくれ」


 くしゃりとしわを寄せほほ笑んで、促すように老人は長へ話しかけた。


「すみません。失礼します」


 珪介は凛とした口調で周囲にそう言い、頭を下げると、刀を背負い直し、軽い身のこなしで長の背へと飛び乗った。紗矢は珪介と視線を交えると、笑みを浮かべこくりと頷いた。珪介も小さく頷き返し、紗矢の手の上に自分の手を重ね置く。


 二人を乗せ舞い上がった長に続いて、ランスも空へのぼっていく。その光景を見上げながら、五家の一つである澤倉家の老人は和哉に話しかけた。


「片月とは、あの片月かい?」


「えぇ。紗矢は片月マツノの孫です」


「そうかそうか。己の信じる道を突き進んだあの女の孫か」


 納得した様子で、口元に笑みを浮かべると、改めるように和哉へと体を向けた。


「今日の所は帰るとしよう。また日を改めて、二人を我々に紹介しておくれ……その時は新たな小さき長も見せてもらいたいものだ。わしが死ぬ前によろしく頼むよ」


「しかと心得ました」


 和哉が恭しく腰を折ると、老人は満足そうに笑って、場を離れるように歩き出した。


「ということだ。わしは帰る。みなもそうするがいい」


 ぶんぶんと杖を振り回し周りに声をかける老人を、付き添いの若者が追いかけていく。


「何が起きているのか分からないが……私たちも今出来ることをしながら、二人が帰ってくるのを待つとしよう」


「そうですね」


 和哉がそう告げれば、蒼一はすぐに同意し、「先々代を見送ってきます」と老人に向かって走り出した。

 ちらりと空を見上げてから、和哉も場の収拾へと動き出したのだった。






 宙を切り裂くように、急上昇していく。


 身体を竦ませながら、紗矢が必死で長の柔らかい毛に、温かな躰にしがみつくと、珪介が紗矢の体を支えるように背中に腕を回す。

 高く高く舞い上っていくにつれ、徐々に長の躰を包んでいた白光が薄れていくのに気付き、紗矢は思わず息を止めた。

 先ほど庭に落下した衝撃を思い出し、ぞくりと両腕が粟立っていく。庭へ落ちたときはあの高さだったから、怪我をすることもなかったが、ここから落下してしまったら、命はないだろう。


(お願い! 塔の上まで頑張って!)


 余計なことは考えないように、塔の上につくことを心の底から強く願った。ふわりと速度を緩め、旋回するのを感じ、紗矢はゆっくりと顔を上げる。


「……着いた」


「う、うん」


 いくつかの太い柱が並び、それらが大きなアーチ形の屋根を支えている。まるで大きな鳥かごが乗っているかのようである。

 その柱と柱の隙間をすり抜け、長はふらつきながら白い床の上に降り立った。紗矢は身体が強張ってしまいなかなか次の行動に移れずにいたが、珪介はすぐに長の背から床へ降り立つと、肩に背負っていた刀を下ろし、鞘を足元に落とした。


「お前」


 怒りに満ちた珪介の声音に紗矢はハッとし、姿勢を正して辺りを見回した。

 塔の上のこの場所は教室ほどの広さがあり、何も物が置かれていないからか、とても広く感じる。

 そんな部屋の中央部分には藁や枯れた草などが集められ場所があり……そこに、一匹の鳥獣と一人の男が立っていた。


「……峰岸君」


 紗矢がぽつりとその名を呼べば、卓人はにこりと笑みを浮かべた。






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