第45話 その温もりを抱き(いだき)集める
既に授業が始まっている教室へと紗矢が入って行ったのを確認し、珪介は瞳を閉じた。
教室を通り越し、ベランダの気配を探れば、そこにランスが舞い降りてきたことを察知する。ランスだけでなくソラの気配もあった。そのことに唇に笑みを乗せ、珪介はくるりと踵を返した。二匹が見張りについているのは心強い。
授業が終わり人々が動き出す前に、舞の様子を確認しておいた方が良いだろう。珪介はブレザーのポケットからスマホを取り出し、裕治を呼び出す。
画面に数秒映し出されていた時刻から授業の残り時間を頭の中で計算し、断続的に鳴り続く呼び出し音に耳を傾けた。
『はい!』
祐治の声が聞こえると、階段を降りる速度を僅かに緩めた。
「どこ? 保健室? 図書館?」
『図書館にいます』
「分かった」
それだけの会話で電話を切り、一気に進む速度を上げたのだった。
珪介は校舎の外に出ると、後方上空を振り返り見た。自分のクラスのベランダに赤と青の躰が二つ並んでいる。ランスは教室をじっと見つめ、逆にソラは地上や空を警戒していた。
優秀なボディガードたちに再び笑みを浮かべると、珪介自身も表情を改め、力強い足取りで図書館へと歩き出した。
自分の決断が遅かったため、越河兄弟はやっと足並みをそろえ一歩を踏み出したような状態である。未熟であるがゆえに、自分には余裕など全くなく。兄の蒼一にも、修治や裕治にも助けてもらってばかりである。
それでも珪介は、紗矢のために、兄弟のために、越河のために、この地のために、懸命になろうと覚悟を決めた。
……それなのに、一体なぜこんなことになっているのか。
紗矢の力が弱まる中、舞の刻印が光りだした。
何が起こっているのか、これからどうなってしまうのかと考えると、目の前が暗くなっていく気がした。
重い音を立てながら図書館の戸を押し開け、珪介は中へと入った。
「珪介兄さん、こっちです!」
すぐに一階廊下奥から、裕治の声が聞こえてきた。
素直にそちらへと足を向けると、前に紗矢の足を手当てしたあのソファーに舞と唯が並んで座っていた。
「刻印、光ってるって聞いたけど」
腕を組んだ格好で立っている修治と祐治の隣で珪介は足を止め、舞を見降ろした。
「……うん」
舞は酷く気だるそうな顔を珪介に向け肯定すると、辛そうに唯にもたれかかった。
それっきり場に沈黙が流れた。それぞれがそれぞれで何かを思案しつつも、言葉に出来ずにいたのだ。
「……いったい、どういうことなんでしょうか」
ややあって、口を開いたのは祐治だった。
「求慈の姫が二人になったってことなのか。それとも、紗矢さんの力が回復するまでの代理として舞さんに役目が移ったのか。それとも……」
祐治は眉間にしわを寄せながら続きを言おうとし、慌てて口を閉じた。
それ以上言葉にしなくても、ちらりと自分と舞を見た祐治の行動で、彼が言わんとしていたことが珪介には分かった気がした。
紗矢は求慈の姫の役目を解かれ、舞が新たにそれを担うことになったのか、だ。
それは、珪介にとって最悪の予想だった。そしておそらく、舞にとっても避けたい未来のはずである。
「私には無理よ。求慈の姫なんて無理」
少し汗ばんだ額を手の甲で拭いながら、舞は苦しげに吐き捨てた。
「……珪介が、峰岸から紗矢ちゃんを連れ帰ってきたあの夜。私が紗矢ちゃんに向かって言った言葉、覚えてる?」
気持ちを落ち着かせるように深呼吸した後、舞はその場にいる皆の表情を伺いながら問いかけた。
「私が保健室で寝てた時、夢の中で紗矢ちゃんに頑張ってって呼びかけられて、紗矢ちゃんの温かさが体の中に流れ込んできた気がしたって話」
「……あの時の舞さんの回復は劇的でしたよね」
祐治は難しい顔で意見を述べると、舞は小さく頷いた。
「実はね……あの時の熱が、まだ体の中に残ってるような気がするの」
刻印を抑えながら告げられた言葉に、珪介は思わず眉を寄せる。
「今朝までは、繊細で穏やかで静かに揺らめいてる感じだったのに、今は暴走してこのまま破裂しちゃうんじゃないかってくらい激しく高ぶってて……正直、恐い」
胸元でぎゅっと拳を握りしめ、舞は微かに首を横に振った。
「こんな力をずっと抱えてたんだもん、やっぱり紗矢ちゃんすごいよ。私はその器じゃないって、ハッキリわかる」
また一つ息を吐き出してから、舞は祐治をジロリと見た。
「この熱を、紗矢ちゃんに戻すとか出来ないわけ?」
舞の剣呑な視線を受け、裕治は怯んだような声を発した。
舞は修治に顔を向けたが、修治に何も思いつかないという表情をされ、苛立ちを隠せないまま、続けて珪介を睨み付けた。珪介はその視線に表情を変えることもなく、ぽつりと意見を述べる。
「……例えば、紗矢が舞を喰らうとか」
「あっ……それ良いアイデアかも」
珪介の一言で、舞の表情から苛立ちが抜け落ちていく。「さすが珪介」と、笑顔で褒め称えた。
「でも、今朝の様子からすると難しいかもしれないですよ……紗矢さん、舞さんを見てすごく怯えていたじゃないですか。すっかり力が逆転しちゃってますから、無理もないと思いますけど」
祐治の指摘を受け、珪介は今朝の紗矢の様子を思い返していた。確かに紗矢は怯えていた。
「でも一人じゃなかったら……俺が傍についていたら、なんとかなるかもしれない」
舞は紗矢に対し敵意を持っていないのだ。
自分が傍について、紗矢をなだめ落ち着かせながらだったならば、舞を喰らうことも出来るかもしれない。そこまで考え、珪介は進むべき道を探り当てたような気持ちになった。
舞をちらりと見れば、すぐさま彼女は同意を示すように珪介に向かって頷いた。
(やっぱり……舞と俺は、利害が一致してるらしい)
そう感じ思わず口角をあげると、修治がおもむろに両手を頭の後ろで組んだ。
「だよなぁ。舞、めちゃくちゃ恐ぇもんな」
「あんたねぇ! ほんっと馬鹿! あぁ、もう! むかつく!」
「いってぇ!」
舞は立ち上がると、修治に蹴りを入れた。手加減は感じられない。
「何だよ! なんで怒んだよ!」
修治に詰め寄られ、舞がそっぽを向けば、すかさず裕治と唯が間に入った。
「俺、そろそろ教室戻る。あとは適当に話し合ってて」
珪介は壁の時計をちらりと見て、騒々しい四人に背を向ける。
「おい、珪介!」
遠ざかっていく背中に向かって修治が声を上げると、舞がぎゅっと修治の腕を掴んだ。
「私、今日はもう帰りたい」
舞の手が微かに震えていることに気が付き、一瞬、修治は目を大きくさせた。がしかし、すぐに笑みを浮かべ、舞の頭に手を乗せた。
「しょうがねーな。付き添ってやるよ!」
舞は俯いたまま、こっそりと口元を綻ばせたのだった。
図書館から出たところでチャイムが鳴り響き、珪介は急ぎ足で校舎へと向かう。
様子を確認し、授業が終わる前に教室に行く予定だったのだが、つい話し込んでしまった。
ベランダには、先ほどと寸分違わず赤と青の躰が並んでいる。けれど、静かだった校舎の中からは生徒のざわめきが聞こえてきていた。人々が動き出し、空気も動き出すと、今の紗矢の弱くなった気配を探ることが少し困難になる。
昇降口に入ったところで、ピリッとした緊張感が体に走った。
ランスが何かに警戒している。そう感じ取るやいなや、珪介は階段を駆け上がる。
そして、二年の教室が並ぶ廊下へと飛び込み……足を止めた。廊下の奥から、こちらに向かって歩いてきていた峰岸卓人が、ふと何かに気付いたように足を止めた。
生徒によって開けられた教室の扉へと顔を向け、微かに目を細めている。
峰岸卓人がその場に足を止めたのはほんの数秒だった。すぐに気が削がれたように、珪介に向かって歩き出す。
「……彼女、刻印消えたの?」
珪介の隣で足を止め、小声で呟いた。
「全くの別人に見えるよ。あれなら琴美の方が何倍も魅力的だね」
言い草に、怒りが込み上げてくる。じろりと睨みつければ、卓人が嘲笑った。
「興醒めだよ」
その瞬間、珪介の理性が飛んだ。卓人の胸倉を掴み上げ、そのまま力任せに壁に叩きつけた。
「お前は……お前だけは……」
じわりと珪介から放たれる殺気に、卓人は口の端をひきつらせた。
「……珪介くん」
小さな悲鳴に混ざって、戸惑いがちに自分の名を呼んだ紗矢の声を聞き、珪介は徐々に手の力を抜いていく。
一度手を出してしまえば、もう戻れない気がした。冷酷なほどに、目の前の存在を叩きつぶしてしまうだろう。そんな光景を紗矢に見せるわけにはいかない。
やっとの思いで、珪介は卓人から手を離し、背を向ける。教室に入り後ろ手で戸を閉めれば、不思議そうな顔を浮かべたクラスメイトが珪介を取り囲んだ。
「どうかしたのか?」という言葉に、「ちょっとね」と曖昧に受け答えながら、ちらりと紗矢に目を向けた。
ひどく不安な顔で自分を見つめている彼女を目にし込み上げてきた衝動を、堪えることが出来なかった。気が付けば、珪介は紗矢を抱きしめていた。
『……彼女、刻印消えたの?』
投げかけられた卓人の言葉に、胸がチクリと痛んだ。
(それだけは絶対に嫌だ)
腕の中の弱々しい感覚をしっかりと繋ぎとめるかのように、珪介は力いっぱい紗矢を抱き締めた。
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