第33話 手を繋ぎ歩く道、1


「紗矢ちゃん。一回転してみてっ」


 唯に言われた通りに、紗矢はその場でくるりと回転する。自分の動きに合わせて揺れ動いた浴衣の袖に、つい笑みを浮かべた。


「大丈夫? 変じゃない?」


「変じゃないよ! すっごく可愛い! 髪をアップにして、色っぽさが倍増!」


 唯が手を合わせ、満足気にニッコリと微笑んだ。




 珪介に「連れて行ってやる」と言われた後、紗矢が掃除に取りかかろうとした時、今度は唯が獣舎を訪ねて来た。

 そして彼女に浴衣を持っているかと尋ねられ、持っているなら一緒に着てお祭りに行こうと誘われたのだ。

 そういう機会に恵まれなかったという事もあるが、今まで紗矢は一度も浴衣を来たことがなかった。和装の経験も、七五三の時の晴れ着のみである。


 しかし、祖母は和装が常だった。


 祖母か母のものならば、浴衣の一枚くらいあるかもしれないと考え、紗矢は母親と連絡を取るべく、部屋へと戻ったのだった。




 予想は的中し、その四時間後、紗矢は久しぶりに自分の家へと帰ってきていた。

 器用な唯に手伝ってもらいながら浴衣を身に着け、そして髪も結い上げてもらい、紗矢は上機嫌で鏡の中の自分を見つめた。

 薄ピンク色の生地に、所々、赤と白の牡丹が描かれている浴衣は、母が今の自分と同じくらいの年齢の時に祖母に買ってもらった物らしい。

 浴衣も可愛らしいが、今さっき唯に挿してもらった玉かんざしも、紗矢はすっかり気に入ってしまっていた。


 玉の色は濃い赤だった。

 珪介の放つ色、ランスの躰の色に似ていると感じ、身にまとえば、胸が甘く痺れるように高鳴っていく。

 鏡の前で前髪を弄っている唯をちらりと見て、紗矢は苦笑した。自分と同じだと思ったからだ。彼女は去年買ったという浴衣を身に纏っている。色は祐治の水色だ。きっと唯も、惹かれているその人が纏う色を好み、選んでしまったのだろう。


「紗矢。開けるわよ。支度終わった?」


 コンコンとノックをし、しかし、返事も聞かずに部屋の扉が開けられる。

 顔をのぞかせたのは、支度の途中でどこかに行ってしまっていた紗矢の母だった。紗矢と唯を見て「二人とも可愛いわね」とにこやかに感想を述べた。

 床に膝をついて、自分たちの着ていた洋服を大きな紙袋の中に入れながら、唯は戸口に立っている紗矢の母に顔を向けた。


「忠実さんはまだいますか?」


「えぇ。お茶飲んだら帰るって言ってたけど」


 それを聞いて、唯はゆっくりと立ち上がり、紗矢にニコリと笑いかけた。


「良かった。これを持って帰ってもらおうと思ってたんです」


 祐治から浴衣を取りに紗矢の家に行くと聞いた忠実が、家の様子を見に自分も行くと、車を出してくれたのだ。


「裕治君も珪介さんも待ちくたびれているだろうし、降りましょう、紗矢ちゃん」


「うん」


 唯と紗矢が部屋に籠もってから一時間近く経つ。

 祐治は浴衣に着替えると言っていたため、多少の時間つぶしは出来ているだろうが、珪介は洋服のままだ。忠実とのお喋りもそろそろ飽きてきた頃かも知れない。

 時間を持てあまし、つまらなさそうな顔をしている珪介を思い浮かべながら、紗矢は唯と母に続いて、階段を降りていく。


「それにしても、若い子は肌にハリがあって良いわねぇ。筋肉質で見惚れちゃうわ」


「何の話?」


 紗矢が眉間を寄せれば、母は肩越しに振り返り、誤魔化すような笑みを浮かべた。

 訳も分からぬまま、リビングに踏み込めば、テーブルの横に立ち談笑していた忠実と祐治がそろってこちらに目を向けた。忠実は「艶やかだねぇ」とだらしなく笑い、藍色の浴衣に着替えた祐治は唯を見て「可愛い」と目を輝かせた。


「……あっ」


 紗矢が思わず発した声に反応し、窓の外を見ていた珪介がゆるりと振り返った。彼は黒地に滝縞模様の入った浴衣を身に着けていた。すらりとしている体つきに、和風の顔立ちの珪介は、とてもよく似合っている。


「昔、お祖母ちゃんが、お父さんに買ってきた物なんだけど……お父さんより似合うわ」


 珪介に見ほれていた紗矢は、母の言葉にハッとする。

 母が着付けの途中で居なくなったのは、父の浴衣のことを思い出し、珪介に着せようと考えたからだろう。そして先ほどの言葉から、珪介が着替えるところを見ていたということにもなる。

 羨ましさを心の奥底に押し込めながら、紗矢がじろりと見れば、また母から誤魔化し笑いが返ってきた。


「忠実さん、これお願いしますね」


 唯がリビングのテーブルの上に、洋服が入っている大きな袋を置くと、その中に祐治と珪介も自分の洋服をしまい込み、ソファーに立てかけてあった自分の刀を手に取った。


「ここから祭りの場所まで歩いて行けば、ちょうど良い頃合いに修治兄さんたちと合流出来るんじゃないですか? そろそろ行きましょう」


 祐治が時計を見ながらそう切り出せば、唯と紗矢はそろって頷いた。


「おう。気を付けて行ってこい! 俺は守護珠を確認してから帰るわ。お前らも、あんまり遅くなるなよ」


 忠実は椅子に座るとお茶を一口飲んだ。

 くつろいだ様子で息をついた後、自分の分のお茶の準備をし始めた紗矢の母に話しかけ始めた。


「珪介まで浴衣を借りてしまってすみません。浴衣はクリーニングに出してからお返ししますから」


「そんな気にしないでください」


 紗矢はふたりに「行ってきます」と声をかけると、大人二人は会話を途切らせることなく、揃ってニコリと笑い返してきた。

 四人はリビングを出て、ゆっくりとした足取りで玄関に向かう。


「日が暮れてきましたね」


 戸を開けて、祐治は嬉しそうに微笑んだ。紗矢の隣で下駄を履いている唯も同じような顔をしている。二人とも、今日を心待ちにしていたのだろう。

 外に出れば、薄暗くなり始めた空が視界に飛び込んできた。しかし気温はまだあまり下がっておらず、もうしばらく蒸し暑さは続きそうだ。


「行くぞ」


 通りすがりに珪介がそう呟いた。紗矢は慌てて彼の後につき、その後ろ姿をじろじろと観察した。


「……何か、お侍さんみたい」


 腰の刀に、慣れた様子で手を添えている。様になっている格好を見つめていると、段々と初めて見る姿とは思えなくなってくる。


「紗矢は七五三……七才……いや、三才。中身が」


 自分を見ないまま、珪介にそんなことを言われ、紗矢は頬を膨らませた。



+ + +



 歩き続け十分ほど経った頃、一筋の風が吹き抜けていった。滞留していた熱気を押し流し、微かな笛の音を紗矢に気付かせる。

 紗矢は聞こえてきたその小さな音に、以前テレビで見た祭りの光景を頭の中で重ね合わせていたが、遠くで蠢く異形の気配を感じ取り、慌てて珪介との距離を詰めた。


「珪介君」


 そっと声をかけ腕を掴めば、珪介も足を止め、視線を道の先に向けた。表情は既に険しく、彼も気が付いているようだった。


「……修治たちだ……囲まれてる……ランス!」


 名を呼ぶと同時に、後方で羽音が響いた。ランスが珪介の見ている先へと弾丸のように飛んでいく。珪介の隣に立つ裕治の表情も、緊張で強張っている。


「僕たちも行きましょう……って言いたいところですけど、群がってる異形に二人を近づけさせるのも危険ですよね」


 裕治は刀の柄に右手を乗せ、左手を後ろにいる唯に伸ばした。すぐに唯もその手を掴む。


「いや、行こう……もう一人、修治と舞の他に誰かいる。加勢した方が良いかもしれない」


 そう珪介が言えば、裕治は大きく頷いた。

 紗矢たちが立っている通りを真っ直ぐ行けば、祭りが行われる河川敷にたどり着くことができる。

 その途中にある林……学校から繋がっている道とぶつかっている林の辺りに、異形の蠢く気配を無数に感じるのだ。


「紗矢、俺から離れるなよ」


 悪寒に身を震わせた紗矢へと、珪介は囁きかけ、そして歩き出した。


「うん」


 紗矢も彼の速度に合わせて懸命に前へと進んでいく。

 突然、深緑から青空へと飛び出すように赤い躰が舞い上っていった。嘴に咥えられていたのは、今では紗矢も見慣れつつある剛毛を纏った異形だ。

 心なしか、珪介の歩くスピードが上がる。勢いよく林の中に踏み込み、すぐに紗矢は修治と舞の姿を視界にとらえた。二人は多くの異形に取り囲まれていた。校舎裏のビオトープで異形に襲われた時を彷彿とさせる光景に、紗矢の体の奥が恐怖で冷えていく。


 また生温かな風が吹き抜けていった。同時に、異形の動きが鈍くなる。じりっと異形たちが後ろに下がった。それは修治に気圧されて後退したのではなく、矛先を変更したためである。

 紗矢は自分の動向を伺うように距離を狭めてくるそれらの様子に気づき後ずさると、すばやく珪介の手が伸びてきた。肩を抱かれ、力強く引き寄せられる。不安な面持ちのまま彼を見上げても、その視線は落ちてこなかった。彼は紗矢ではなく、蠢いているに異形の獣をじっと見据えている。


 珪介の斜め前に出て刀を構えた祐治の背から、水色の翼がふわりと広がった。そして異形たちを挟みその向こうで、刀を構え持っている修治の背にも、既に青い翼はある。


「助太刀ごくろう……と言いたいとこだけど、お前らそんな格好で、いつも通り動けんのか? 俺の足引っ張んなよ」


 大きく息を弾ませながら、修治がニヤリと笑えば、対抗するように、珪介もふっと笑った。


「いつも通り動けてないのは、お前だ。部活で疲れてるとか、言い訳するなよ」


 言葉と共に、赤い光が舞い上がった。珪介の背にも赤い羽が現れた。大きく、そして力強く広げられたそこからまた赤が立ち上っていく。

 突如、異形たちはそれぞれに動き始めた。慌てて逃げだすモノや、その場でぐるぐる回りだすモノ、そして怯えているかのように躰を震わせているモノもいる。

 修治でもなく、裕治でもなく、珪介の力が混乱を招いた。紗矢はそれをハッキリと感じ取っていた。


 修治の上空でランスが鳴き声を上げた。いつもの可愛らしい声ではなく、振動を感じるほど迫力のある声音だった。

 逃げ遅れた異形の獣から、次々と火が上がっていく。徐々に異形の気配は消えていく。

 修治も裕治も呆気にとられたかのように珪介を見つめているが、当の本人は警戒を解くことなく、表情に厳しさを保ったまま前方を見つめている。

 異形の数が多かったからか、この一瞬、珪介は力を出し惜しみしなかった。峰岸卓人と大差ない力を目の当たりにし、紗矢の鼓動が加速していく。


(こんなに……私は、珪介君にドキドキしてる……けど)


 彼の力に惹かれると同時に、紗矢はほんの少しの物足りなさも感じていた。前に獣舎の中で見た翼の方が、もっと強い力を放っていたように思えてならないのだ。


(珪介君のあの時の翼が、もう一度見たい……見たいけど、きっと)


 その願いを叶えるためには、珪介自身に自分の力を喰らってもらわなくてはならない。


(もうきっと、見ることはできない)


 紗矢が気落ちしため息をつくと同時に、祐治が刀を鞘にしまい、苦笑した。


「あんなにたくさん群がっているのを始めて見ました。この前補強したばかりだというのに、異形の巣の結界がまた弱くなってしまっているのでしょうか」


「長の産卵が済み、力が回復するまでは仕方がない」


「そうですね……でも珪介兄さんがいれば、心強いです。今さっきの珪介兄さんがいれば、ですけど」


 珪介は裕治から顔をそらし、紗矢の肩から手を離した。


「……それより」


 そして、ぽつりと言葉を落とすと、刀の柄を掴み、顎を上げ、瞳を細めた。


「お前は誰だ」


 視線の先には、地面に足を伸ばし、疲労感たっぷりで座り込んでいる修治と、木の枝に手を突き、心配そうに修治を見ている舞がいる。


「どこの家の者だ」


 突き刺すような低い声が林の中に響き渡った数秒後、舞の後ろ――木のかげから、ふらりと、黒髪の女性が進み出てきた。

 紗矢はその姿を見て、息をのんだ。その女性が身に着けている五之木学園の制服は所々破れ、腕や足にはいくつもの切り傷があったからだ。

 彼女は何か言いたげな表情で、紗矢たちに向かって一歩一歩前進する。


「止まれ」


 珪介から突き刺すような声音が飛ぶも、彼女は足を止めなかった。


「おい! 珪介、ちょっと待て! 菊田も待てって!」


 座り込んだままの修治が、慌てて両手を伸ばした。しかし、菊田と呼ばれたその子は、修治に何の反応もしないまま、紗矢たちに向かって進み続けていく。珪介が紗矢の前へとすっと移動し、刀を抜き去った。


「止まれ」


 再びの要求に、彼女は素直に足を止めた。

 女性はじっと彼を見つめた後、珪介に向かってすがるように手を伸ばした。


「お願いします……私を保護してくれませんか?」


 女性がか細い声でそう言えば、珪介の刀が微かに動いた。

 修治は立ち上がり、困ったように頭をかきながら、ため息交じりに言葉を発する。


「こいつ、瀬谷から見限られたみたいなんだ」


 紗矢は再び菊田という女生徒に目を向ける。


(確かにこの女性から……微かだけど、鳥獣の力を感じる)


 とすれば、制服の破れは、異形に襲われた跡で間違いないだろう。紗矢はそんな予想を立て、こくりと唾を飲み込んだ。


「ふうん……で、越河に保護してくれと?」


「……無理ですか?」


 珪介はゆっくりと刃先を下ろした。

 警戒を解いたかのような行動に、菊田という女性は一瞬安堵の表情を見せた。


「お前の保護は瀬谷の仕事だ。俺たちじゃなくて瀬谷に言え」


「もちろん、言いました。でも役に立たなくなった刻印持ちは邪魔なだけだと言われました」


 彼女は胸元のボタンを二つ外し、そこにある刻印を露わにさせた。見えた五芒星は、半分しかなかった。


「見ての通り、私の力はもうすぐ消えます。それまでで良いんです。屋敷の隅にでも置いて下さい。家の仕事くらいなら手伝えます。決して迷惑はかけませんから」


 珪介は辺りを見回してから気だるげに刀を鞘に納めた。


「俺たちの一存じゃ、決められない……けど、その傷を何とかしないと、また異形に取り囲まれそうだ……とりあえず誰か、忠実さんに電話して」


 珪介がその場をぐるりと見回せば、唯が「はい」と返事をし巾着から携帯を取りだした。


「……有難う。越河珪介さん」


 菊田が珪介の手をぎゅっと掴み、笑みを浮かべた。それを目にし、紗矢の胸が重々しく脈打ち出す。彼女の瞳は熱を……好意を孕んだ熱を宿していた。


「恩に切ります」


 珪介の手を掴んだ彼女の手に、もう一度力が込められたことに息苦しさを感じ、紗矢はそっと瞳を伏せた。




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