第27話 役目への目覚め
「できあがり!」
唯がパチンと手を打ち鳴らした。紗矢も、鏡を通し自分の髪型を眺めながら「わぁっ」と声を上げる。
「唯ちゃん、有り難う。器用だね」
鏡の中の紗矢は、太めの編み込みを施されている。普段一つに縛るか、または髪を下ろしているため、慣れない髪型が紗矢を新鮮な気持ちにさせていく。
「良かった。喜んでもらえて。これからも結んで良いですか? 舞お姉ちゃん、私に髪を結わせてくれないから、つまらなくって」
「う、うん。良いよ」
唯がニッコリと笑えば、ツインテールのくるんと丸まった毛先が、嬉しそうに跳ねた。
長女の愛と、次女の舞はさっぱりした性格でクールな雰囲気を漂わせているが、三女の唯は可愛らしい服に可愛らしい小物を好み、実に女の子らしい。メルヘンチックなこの部屋も、唯の趣味によるものだった。
戸がノックされ、祐治が開いた扉の隙間から顔をのぞかせた。
「唯ちゃん、僕、今日は少し早めに登校するけど……支度、終わってるかな?」
唯は「終わってまーす」と返事をし、パタパタと祐治に走り寄っていく。その姿に祐治は顔を綻ばせたあと、紗矢に笑いかけた。
「紗矢さん、玄関に兄さんたちがいると思いますから、支度が終わったら降りてきて下さい」
「分かった」
祐治の腕に嬉しげに手を絡めた唯を微笑ましく見つめながら、紗矢も鏡台前の椅子から立ち上がった。
既に制服は身に着けている。しかも峰岸家に置いていったものではなく、新調されたものだ。
紗矢は胸元のリボンを見て、ため息を吐く。何回結び直しても、上手くいかないのだ。曲がっている。これでは新入生のようだ。
(リボン。唯ちゃんに結んでもらえば良かった)
鞄の持ち手に腕を通してから、紗矢はリボンを解き、そして結び直し始めた。目は手元を向けながら、足は皆が待っているだろう玄関へと向かう。
扉を開け廊下に出れば、階下から修治の賑やかな声音が聞こえてきた。階段を降りる最中、二階の部屋の戸が開いた。ドキッと鼓動が高鳴り、自然と顔が強ばっていく。
「おはよ」
「おっ、お早う」
珪介はちらりと紗矢を見やってから、パタリと戸を閉じた。
彼を見るのは三日ぶりである。夜、獣舎で珪介に喰われたあと気を失ってしまい、気が付けば、次の日の夜になっていた。丸一日眠っていたことになる。
しかし紗矢が眠り続けている理由を察したのは、紗矢をベッドに運び込む珪介の姿を見た舞だけだった。目覚めたばかりなのに無理をさせてしまったと慌てふためく忠実に、紗矢は「二日間、絶対安静」と言いつけられてしまったのだ。
週が変わり月曜になり、紗矢は久しぶりに学校の制服に身を包んだ。珪介の制服姿も、久しぶりに思えた。
珪介の背には刀がある。それを見てとれば、自然と気持ちが引き締まっていく。学校に行くということは、越河の結界から出ると言うことで、学園に行けば卓人と顔を合わせる事にもなるのだ。紗矢は覚悟をするように唇を引き結んだ。
珪介は長い歩幅で階段へと向かってきたが、そのまま階下には降りて行かなかった。足を止め、紗矢が降りてくるのを黙って見上げている。見られている緊張感で、リボンを結ぶ指先が震える。ようやく結び終えれば、珪介がポツリと呟いた。
「……へたくそ」
紗矢はむっと顔をしかめた。しかし、反論はしない。確かに不格好だからだ。
「ほら」
細長い指が胸元に伸びてくる。体を強ばらせた紗矢などお構いなしで、珪介はリボンを解き、そして結び直していく。
珪介がリボンに集中しているのをいいことに、紗矢は目の前にある端正な顔立ちをじっと観察する。まつげの長さに羨ましさを感じながら、紗矢は彼の口元に視線を止めてしまった。
(……そうだ。私、珪介君と、キスしちゃったんだ)
柔らかな唇の感触を思い出してしまい、一気に顔が熱くなっていく。視線を泳がせれば、珪介の視線が上がってくる。そしてにやりと笑みを浮かべた。
「何思い出して、顔赤くしてるわけ?」
「なっ、何も思い出してないわよっ!」
声を荒げた紗矢を鼻で笑ってから、珪介はおもむろに鞄から何かを取り出した。そしてそのまま紗矢の首に手を伸ばす。
「……え?」
珪介が紗矢の首に提げたのはネックレスだった。
細いシルバーチェーンに二センチくらいの白い石が下がっていて、それをぐるりと巻き付けるように、銀色の針金が螺旋状に巻かれていた。石の下には一センチもないだろう赤と青の小さな石が二つぶら下がっている。
それぞれの石の色に、見覚えがあった。
「この白い石、お祖母ちゃんの?」
「あぁ。大きめの欠片をいくつか組み合わせてある」
「赤いのは珪介君で、青いのは修治君?」
手の平に三つの石を乗せ、祖母と二人の色に嬉しさを噛みしめていると、珪介が指をさしてきた。
「それが守護珠の代わりだ……作るの結構時間かかったんだから、越河の家から離れている間は身に着けろ。絶対に外すなよ」
「珪介君が……作ってくれたの」
驚きに顔を上げれば、珪介が得意げな笑みを浮かべた。
「俺はお前と違って器用なんだよ」
「いちいち馬鹿にしないでよ! 私だって、器用なときは器用なんだからね! 今度なんか珪介君にすごいの作ってみせるから!」
「はいはい」
声を張り上げた紗矢を軽くあしらいながら、珪介は階段を降り始めた。玄関まで来れば、珪介は紗矢を待つことなくさっさと靴を履き、外へと出て行った。
ほんの一瞬見えたドアの向こうに、修治と舞がいた。修治の明るい声と舞の笑い顔に、紗矢の心が弾む。早く輪に混ざりたくて、靴に片足を差し込んだ瞬間、扉がまた開かれた。
「あら。今日からやっと登校?」
入ってきたのは知らない女性だった。紗矢は小声で「はい」と返事をしながら、会釈をした。
化粧映えのする派手な顔に、ショートカットのその女性は、手にトレーを持っていた。トレーの上には銀色のカップが三つ。そのうち一つにはお肉が残っている。
蒼一がまだ帰ってきていないのを考えれば、ランスとソラとスイの餌で間違いないと思った。
彼女の手元に思わず見入ってしまっていると、後ろからパタパタと駆け寄ってくる浜見さんの足音が聞こえてきた。
「美春様。預かります」
「はい」
美春様。
聞こえた名前から、彼女が珪介たちの父親である和哉の妻だとわかり、紗矢は背筋を正した。
浜見さんは紗矢に「行ってらっしゃいませ」と笑いかけてから、残っているお肉を見て、切なげな顔をした。炊事場へ戻っていく浜見を見送ってから視線を戻せば、美春の睨むような視線とぶつかった。咄嗟に紗矢は身構えた。
「今まであの子たちの餌は私がやってきたけど、求慈の姫である貴方が次の世代を引き継ぐのは確定してるんだし、明日から鳥獣の餌は、貴方があげてよね」
「……は、はい」
紗矢が素直に頷けば、美春は勝ち気だった表情を改めた。にっこりと笑顔になる。
「ねぇ? 誰を選ぶつもりなの? 私には教えてよ」
「あ、あの」
困って身を竦めた紗矢に絡みつくように、美春が手を伸ばしてきた。
「やっぱり、蒼一?」
耳元で囁くように言ってきた美春に、紗矢は身を竦めた。
「あの男、年の割におっさん臭いし、それに説教じみてるから、夫にしたら嫌になるわよ……だから、修ちゃんにしちゃいなさいよ!」
「えっ!?」
修ちゃんとは修治の事だろうかと紗矢が思案すれば、美春が顎に人差し指を添えながらニッコリと笑う。
「修ちゃん見た目はいい男だし、スポーツ万能だし……頭の方はちょっと残念だけど……面白くて見てると飽きないし、それに優しいところもちゃーんとあるから、この際、修ちゃんにしちゃいなさいよ!」
言いにくい箇所は小声になりながらも、美春が修治の押し売りをする。しかし返答に困り、紗矢が固まれば、美春は残念そうに体を離した。
「やっぱり、修ちゃんじゃ駄目? はぁ。結局蒼一なのね……まぁ、良いわ。珪介とか言い出されるよりは、マシよね。我慢するわ」
棘を含んだ言葉に紗矢の心がズキッと痛んだ。聞き間違えだと思いたかったけれど、美春の冷めた表情は変わらなかった。
「おい、片月! おっせーよ……って、引き止めてたの母ちゃんかよ! 遅刻しちまうじゃねーか!」
勢いよくドアを開け、修治が飛び込んできた。眉をしかめた修治を見て、美春が「あ、ごめん」と適当に謝った。
修治が紗矢の腕をガッと掴み、そのまま外へと連れ出していく。紗矢は陽のまばゆさに目を細めた。
「五之木学園まで歩いて二十分以上かかる。さっさと出発すっぞ」
庭を横断している舞と、越河家の結界になっている林の手前に佇む珪介を見てから、紗矢は「待たせてごめん」と修治に言葉をかけた。
煉瓦道を進み始めてから、修治は紗矢の手を離し、両手を頭の後ろで組んだ。
「俺の母ちゃんに何か嫌み言われたのか?」
「え?……あの……」
美春さんは珪介のことを快く思っていないのだろうかと、そんな事を修治に聞けるはずもなく、紗矢は黙り込んだ。
「顔が強ばってるっつーの。気にスンナー」
修治が紗矢に顔を向け、笑みを浮かべた。
修治の笑みは珪介の自信たっぷりな笑い方にも似ていたが、陽の温かさも含まれているような、そんな笑い方だった。
「修治君、有り難う」
囁くように言葉を返し――……紗矢は不意に足を止めた。晴れ渡った青空を仰ぎ見る。
「片月?」
「……ごめん。修治君、ちょっと待って」
声が聞こえた気がしたのだ。
獣舎の方を見れば、ソラもスイもお行儀よく、戸口の前に並んで立っている。
バサリと力強い羽音が聞こえ、紗矢はハッとし顔を上げる。次いで修治も眩しげに目を細めながら、空を見上げた。
「……朝っぱらから、長だ」
空に留まっている長の後ろから光に包まれた鳥獣が姿を現し、しなやかな動きで、芝生へと舞い降りてきた。
私を喰らいに来た――紗矢は瞬時にそう悟った。
珪介の姿を目で確認してから、紗矢は大きく息を吐き出した。紗矢は光り輝く鳥獣に顔を向け、抱き締めようとするかのように手を伸ばした。
ぱっと光が散った。
滑るように近付いてきた鳥獣が、ふわりと紗矢を中心にぐるりと回転する。
(……不思議。すごく愛しい)
紗矢は瞳を閉じ、鳥獣の温もりを体全体から感じ取る。自分に身を寄せるこの鳥獣の中に、もう一つの温かさを感じる。
(子供がいるんだ)
身ごもっているのだと思えば、さらに愛しさが込み上げて来た。同時に「私はこの子を守らねば」という使命感に囚われていく。
温かさが遠ざかりうっすら瞳を開けると、胸の刻印に痛みが走った。紗矢は刻印を両手で抑え、両膝から崩れ落ちた。
「紗矢。大丈夫か?」
聞こえた声音に向かって手を伸ばせば、すぐに指先が温かさに到達する。大きな手に肩を支えられたまま、紗矢は歯を食いしばった。
「部屋に戻るか?」
ようやく痛みが和らぎ顔を上げれば、すぐそこに珪介の顔があった。不安げに自分を見つめている彼に、紗矢は弱々しい笑みを浮かべた。
「大丈夫……あ、あれ?」
僅かに視線をそらせば、舞が恐い顔をしながら、ずんずんと近付いてくるのが見えた。そして珪介の隣で紗矢を見下ろしていた修治に、がつりと蹴りを入れる。
「いってぇ!」
「修治! アンタの方が紗矢ちゃんの傍にいたっていうのに、珪介が助け起こすってどういうこと!? ほんっとに、気が利かない男ね!」
「うっ。しょ、しょうがねぇだろ! 珪介が素早すぎんだよ!」
ぎゃあぎゃあ言い合いながら、舞と修治が歩き出した。そのやり取りに笑いながら、紗矢は珪介の腕を掴んで立ち上がる。
「舞ちゃん、修治君には厳しいよね」
「修治はいろいろ突っ込み所満載だからな」
珪介の呆れ声に苦笑してから、紗矢はまた空を見上げた。鳥獣の長が身重の鳥獣と共に、遠ざかっていく。
「次の長になる新しい命……産まれるの楽しみだね」
思わず下腹部に手を添えた紗矢を見て、珪介が一歩身を引いた。
「い、いるのか」
「わっ、私じゃないっ! あの光り輝く鳥獣だよ!」
紗矢の言葉に、珪介が弾かれたように顔を上げた。じっと真白き長の姿を見つめている。
「やっぱり見えない?……私しか見えてないみたいだけど、長の傍に光ってる鳥獣がいるの。たぶん、夫婦なんだと思う」
無表情なまま見下ろされ、紗矢は「本当なんだよ」と声を上げた。珪介は「へぇ」とだけ呟き返し、歩き出した。紗矢も遅れないように、彼についていく。
煉瓦道を通り林の中に入った瞬間、紗矢は冷気に身を震わせた。嫌な気配が一気に自分へと突き刺さってきたのだ。
「……珪介君」
不安になって名を呼べば、珪介が振り返り、紗矢の手をそっと掴み取った。
「大丈夫。俺がついてる」
少しだけ口角が上がる。
「早く来いよー!」
少し先で、修治が手を振っている。舞も「大丈夫だよ」と語りかけているかのように、真剣な面持ちで頷いた。珪介に視線を戻せば、頭上を三羽の鳥獣が飛んでいった。
大丈夫。恐くない。私には皆がいる。
そう強く感じ、紗矢は笑みを浮かべると、力強く一歩を踏み出した。
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