第24話 背負う覚悟

 炊事場から食堂へ入れば、白のテーブルクロスを掛けられた横長のテーブルが二列並べてあった。その手前に座していた修治が、テーブルをバンバンと叩いた。


「はーらーへったー! ちーかーらーがーでないー! みんな早くあつまれってー!」


 気の抜けた叫びに反応し、「すぐにお揃いになりますよ」という浜見さんの優しげな声音が、背後から聞こえてきた。


「ね、修治くん。座る場所って決まってる?」


「好きなところ……いや、片月。お前は俺の隣か前。好きなほうに座っとけ!」


「え……う、うん」


 修治が自分の両隣と前の席を順番に指さしたのを見て、紗矢は迷わず前の席へと向かって歩き出した。


「おいおいおい。俺の隣は絶対嫌なんですけどーって顔すんなよ! 傷つくっつーの!」


「してない! そんな顔してないってば!」


 訝るように突き刺さってくる視線に戸惑いながら、紗矢は椅子に腰掛けた。

 しかし、修治が疑わしそうに顔をしかめていたのは、ほんの僅かな間だけだった。頬杖をついた後、満足げな表情へと徐々に変化させていったのだ。


「ど、どうしたの?」


 少しばかりの薄気味悪さを感じ、紗矢は椅子を数センチだけ後方へ動かした。


「どうしたって。片月が俺たちの家にいるから嬉しいに決まってんだろ!?」


「き、決まってるの?」


「越河の愛と舞。峰岸んとこは竹内琴美。今まで求慈の姫はこの三人のうちの誰かだろうって、みんな思ってたんだよ。力の差もあまり無かったし、長が誰を選ぶのか誰も見当つかなかった」


 突然、修治がふて腐れた。続けて、はあっと大きなため息をついた。


「そこにお前が登場。でも俺たちは、お前の中に力が隠されている事を見抜けなくて、峰岸に一歩遅れをとってしまった……片月が寝てる間にどんだけ蒼一にどやされたことか。どこに目を付けているんだ、この馬鹿共がぁっ! ってな」


 修治がした蒼一の声真似に対し、紗矢は手を叩いた。


「今の似てる! すごい! さすが兄弟!」


 紗矢が無邪気に笑ったのを見て、修治は彼らしい明るさをその表情に取り戻していく。


「でも峰岸のヤツ、すっげー悔しがってんだろうなー。想像するとマジで笑いが止まんねー!」


 ついでのように高笑いまでし始めたのを見て、修治と珪介は本当に兄弟なのだろうかという疑問が、紗矢の中にわき上がっていった。


「それにしても……あの日の朝までは、峰岸のお気に入りには近付きたくないって無関心っぽかったのに、よく珪介はお前に対して行動を起こす気になったな」


(無関心だったんだ)


 その事実に、紗矢は段々と面白くない気分になっていく。


(でも確かに……校舎裏のビオトープ内で会った時、初めはそういう感じだった)


 ちょっとだけ口を尖らせながら記憶を掘り起こせば、すぐにあの時の珪介の態度が脳裏に浮かび上がってきた。

 紗矢を敵だとみなし、俺の前から消えろと言った彼は、氷の塊のようだった。ふらふらと異形の獣について行ったのが自分だけだったら、ランスが追いかけてこなかったら、きっと珪介は自分を助けになど来なかったのだろう。

 今さら気付かされ、ほの暗い陰を纏った寂しさが紗矢の心に広がっていった。


「あのね、最初に私に近付いてきてくれたのは、越河君じゃなくてランスだよ」


 ビオトープ内で助けてくれる以前に、朝、自分の部屋でランスに会っている。結局、卓人の鳥獣に邪魔されてしまい、向き合ったのは僅かな間だけだったが、しかしランスが自分に会いに来てくれたのは確かだろうと、紗矢は一人結論付けた。

 紗矢は自信を持って頷くと、修治は笑いながら頭の後ろで手を組んだ。


「だったら尚更、珪介はずっと片月を気にしてたってことになるな。アイツはとことん素直じゃねー。可愛くねー台詞吐きやがって」


「なんでそういうことになるの?」


 修治が口元に笑みを浮かべ、瞳をキラリと輝かせた。


「あのな。俺たちは自分の鳥獣と力を分け合ってもいるから、性格とか考え方が鳥獣に影響しちまうっつーか」


「あっ! それ、なんとなく分かるかも。だって修治くんと同じように、ソラも――……」


 紗矢が拳を握りしめて力説しかけた瞬間、察したように修治が剣呑な目つきになった。


「何でもないです。続けてください」


 低い咳払いを一つ挟んで、話は続く。


「ランスは警戒心が強すぎて、舞たちや俺の母ちゃんにも滅多に近付いて行かねぇってのに、見ず知らずのお前に近付いたってことは、それはもう珪介の強い気持ちに動かされたって考えるしかねーだろ」


 紗矢は腑に落ちなかった。ビオトープ内では、ランスの取った行動に珪介が驚いていたからだ。


「うーん……そうなのかな」


「この一年間、珪介は片月に力があるかもしれないとめちゃくちゃ疑って、こっそり観察していたってことが明らかになったな。まったく。それならそれで言ってくれりゃーいいのに」


「私、越河くんに観察されてるとか、見られてるとか、そんなこと一度も思わなかったよ?」


 対抗するように考えを述べれば、修治が紗矢を指さした。


「お前がいるところに峰岸もいるってーのに、露骨に眺めてたりしたら攻撃くらうって……峰岸のいない隙に、珪介からこそこそっと話しかけられたことくらいあんだろ?」


「ない。思いっきり睨まれた思い出しかない!」


 短いうめき声を上げながら、修治は口元を引きつらせた。


「それきっと、珪介の八つ当たりだ。片月の反応みたくてしょうが無いのに、峰岸のマークがキツくて近寄ることが出来なくって、腹が立った。ちょうどそこに片月がいた。睨み付けた。うん、有り得る」


 今度は紗矢が濁った声音を発し、苦々しい顔をした。


「私、そんなに峰岸君と一緒にいなかったと思う」


 一年間常に行動を共にしていたのは、卓人ではなく若葉の方だ。しかし、紗矢の不満を蹴散らすように、修治が豪快な笑い声を上げた。


「いたいた。ストーカーなみに、はり付かれてたぜ? ってか、まだしばらくストーカー続くかもしんねーけどな」


「えっ……」


 学園生活に戻れば、そこに峰岸卓人はいるのだ。クラスが違うのが幸いだが、会いたくなくても廊下ですれ違ったりすることもあるだろう。

 向けられた狂気じみた微笑を思い出せば、指先に震えが走り、心と体が強ばっていく。彼を敵に回し感じた恐怖を、体はまだ忘れてはいなかったのだ。


「片月も……やっぱり峰岸卓人が恐ぇんだな。アイツ強いもんな」


 咄嗟に己の体を両手で抱き締めた紗矢を見て、修治は椅子に座りなおし、真剣な表情を紗矢に向けた。


「舞も愛も唯も、そして片月紗矢、お前も。俺たちの守護下に入ったんだから、俺たち四人が異形からも峰岸からもきっちり守ってやる。豪華客船に乗った気でいろ!」


「修治くん」


 あまり見せない真面目な顔と切なげな声音に驚き、修治をじっと見つめ返していると、また顔つきが変化した。彼は茶化すような笑みを浮かべた。


「……って、胸張って言いたいとこだけど。俺たちがこんなんじゃ、やっぱ頼りねーよな。今俺たち頑張ってっから、もうちょっとだけ我慢してくれ」


 また修治は頬杖をついた。修治の口端は上がっているけれど、どことなく悲しそうに見えてしまい、紗矢はそんなことないと伝えるように大きく首を振った。


「片月は蒼一をあてにしてるだろうけど、兄さんは家の仕事があるから学園内でまで頼りにするのも難しいからな。俺と珪介でレベルを上げるべく猛特訓中。すぐに俺たち強くなっから見限んなよな、姫さん」


「そんな! 修治君たちにはもう守ってもらってるし……それに私だって、自分が何をしたら良いのか、いまいちよく分かってなかったりするし、こんなんで本当に役に立てるのかな」


 不安顔になっていく紗矢を見て、再び修治がテーブルを叩いた。


「しっかりしろ、片月! お前が求慈の姫だってことは、間違いねーんだから。もっと偉そーにしてたっていいくらいだ。峰岸卓人に上から目線でいけ! 気持ちで負けんな!」


「峰岸君って、笑顔も怒り顔も迫力あるから、逆にのまれそう」


 修治が目を細めて、人差し指をぴんっと立てた。


「だったら手始めに、珪介と睨めっこでもしてみろ!」


「に、睨めっこ?」


「あの絶対零度男を睨み倒すことが出来れば、峰岸にだって反抗できる」


「……それ、ルール変わってない?」


 良いこと言ったというような表情を崩そうとしない修治に苦笑いしながら、紗矢は今度は怒っている珪介の顔を思い浮かべ――……速攻、小刻みに首を振る。


「越河くんが相手の方がもっと無理だよ! 上から目線でいっても、更に上から目線で来るような気がする。無理。駄目」


「だあぁっ! 越河くんじゃなくて珪介と呼び捨てにしろ! 珪介を顎で使ってやるくらいの気持ちでいろっつーの! そこまでいったら、お前は立派に求慈の姫だ。俺が太鼓判を押してやる」


「……が、頑張ってみる」


 興奮気味に言い放った後、修治は大きく息を吐き出した。虚ろな瞳で、天井を見つめる。


「大声出したら、腹減ったなー」


 今まで交わしたどの声音より低いトーンで囁けば、食堂の扉がキイッと開いた。その隙間からすっと室内に入ってきた和装の男性に、紗矢の目は釘付けになる。威厳を漂わせ颯爽と歩み寄ってくる姿は蒼一を、黒髪の下にある涼やかな瞳は珪介を連想させた。

 年配の男性が、紗矢の真後ろで立ち止まった。


「片月紗矢さん、越河家へようそこ。私は現当主の越河和哉と申します」


 紗矢はふらつきながらも慌てて立ち上がる。どうしてすぐに、この男が珪介達の父だと思い至らなかったのか。ただぼんやりと男性を見つめて座っていた自分を、紗矢は叱りつけたくなった。


「初めまして。あのっ……わ、私」


「あー、良いから良いから。固くならないで。座って座って」


 立ち上がった紗矢の肩に、和哉は両手を乗せ軽く力を込めた。その力に押し込まれるように、紗矢はゆっくりとお尻を座面に戻した。和哉はそのまま床の上に片膝をつき、じいっと紗矢を見つめてきた。


「まさか求慈の姫に、峰岸ではなく越河を選んでもらえるなんて」


 越河家当主を見下ろす形になってしまったっている状況に、紗矢が気まずさを覚えれば、炊事場からカラカラと車輪が回る音が近付いてきた。温かな湯気の立ち上る皿をいくつも乗せたワゴンを押して、浜見さんが近付いてきたのだ。

 和哉はそれを気にすることもなく、真顔のまま紗矢を見つめ続けた。


「長の代替わりが自分の代と重ならなかったことが、非常に残念だ。初めて息子達を羨ましいと感じたよ……それにしても」


 不意を突くように、和哉が微笑みを浮かべる。紗矢は頬が熱くなっていくのを感じた。一瞬、同級生に優しく接する時の、珪介に見えてしまったのだ。


「いやー、可愛いらしいお嬢さんだ。いっそ蒼一に当主を譲るのを辞めて、俺があと五十年現役で頑張ろうかな。あぁ。良い考えだ。そうしよう」


 自分の考えに納得し頷きながら快活に言葉を並べていく様は修治そのもので、紗矢は少しばかりホッとする。


「もちろん君が私を望んでくれるならだけれども。どうだね? 紗矢さんだって、出来損ないの息子たちより、俺の腕の中の方が居心地が良さそうだと思わないかい?」


 しかし安心したのも束の間、和哉に手を掴み取られ、紗矢は狼狽えた。和哉の瞳の奥で橙の色彩が揺らめき、紗矢は急いで顔を逸らしてた。


「俺を好きになってもらっても、一向に構わないよ。精一杯、君に尽くそう」


 和哉の声音が頭の中で反響し、鼓動が重々しく鳴り出した。


「本当に可愛いね」


 掴まれている手に、彼の色が絡みついてくる。


「あのっ」


「心配はいらない。私に全てゆだねれば良い。守ってあげよう」


 振り払うことも逃れることも出来なくなっていく。


(……珪介くん)


 助けを乞うように珪介の事を思い描いた瞬間、テーブルに手の平を打ち付ける音が聞こえた。浜見さんが小さく悲鳴を上げ、テーブルの上に置こうとしていたお皿を掴み取る。紗矢の視界に、青い翼がうつり込んだ。

 修治はテーブルを飛び越え自分の父親の背後へ着地すると、後ろから後頭部を鷲づかみにした。


「守ってやる? 介護してくれの間違いじゃねーか? 五十年後、ヨボヨボなくせに」


「修治、行儀が悪いぞ」


 和哉は息子の手を払いのけ、立ち上がった。


「仕方ねぇだろ! 俺らの代の女を言葉巧みに奪い取ろうとするオッサンが父親なんだからな!」


「お父様と言え」


 親と子供がにらみ合っていると、紗矢と和哉の間に大きな体が割り込んできた。


「修治の言う通りです、父さん。こういうことは止めて頂きたい」


 腕を組み気難しい面持ちの蒼一に、和哉が引きつったような笑顔を作る。


「蒼一! 帰ってきていたのか」


「はい。急いで帰ってきて正解でした」


 蒼一の厳しい口調を引き継ぐように、扉近くから祐治の不機嫌な声音が響き渡った。


「父さん。いつまでも僕たちを力の弱い子供だと、そんな風に思っておかない方が良いよ」


 普段、朗らかな祐治が怒っていることもあり、場の緊張感が増幅する。


「今の発言、美春さんに知れたら大騒動になりますよ」


「そうね。もしかしたら、どこかで聞いているかも知れない。明日が楽しみだわ」


 いつの間にか室内へ入ってきていたのは、蒼一や祐治だけではなかった。壁際には呆れ顔の舞と、薄く笑みを浮かべた愛が立っていた。そして祐治の隣りには、紗矢にとって初めて目にする女の子がいて、その子だけが心配そうに事の成り行きを見守っていた。


(あの子が唯さんかな)


 舞や愛と似通った顔立ちから、彼女が三姉妹の末っ子の唯だろうと、紗矢は予想する。


「父さんたちと我々の代、きっちりと線引きしてもらわなくては困ります」


「オヤジは引っ込んでろ!」


 父と対峙したまま全く引く様子のない蒼一の横に修治が並べば、はっきりと二対一の構図ができあがった。


「三姉妹と求慈の姫に、手を出したらただじゃおきませんからね」


 和哉は目の前の二人と、あからさまに敵対心をむき出しにしている祐治を順番に見て、ふっと笑みを浮かべた。


「途端に良い顔になったな。息子たちよ……いや。一人足りない。珪介はどうした」


「珪介は出てます」


「そうか。今ここで、息子たちの力を見定めてやろうと思ってやって来たのだが、珪介はいないか」


 蒼一が意味を計りかねるように、首を傾げた。


「見定める、とは?」


「姫が我が越河を選んだ瞬間から、周りが五月蠅くなってな……早く、求慈の姫と越河家の次期当主を、我々にお披露目してくれと」


(お、お披露目!?)


 これから矢面に立たされるということであろうかと紗矢が動揺すると、和哉が蒼一と修治を手で払い避け、前へと進み出た。


「紗矢さん、うちの息子の中で気に入った男はいたかい?」


「へっ!?」


「やはり、気に入るとすれば兄弟の中で一番強い力を持ってる蒼一かな。力のある者は自分に見合う力を持つ者を求めるからね」


 何か言わないといけない。そう思うのだけれども、肝心の言葉が見つからず、結局紗矢は珪介に似たその目元から顔をそらした。

 和哉がふふっと笑い声をこぼした。


「力の強さだけじゃない。越河を継ぐ覚悟。求慈の姫を守り抜く覚悟。五十年間、この地を守る覚悟。これらの覚悟がない男には、鳥獣の長が君の隣に並ぶ資格を与えないだろう。息子達の中でその器に一番近いのは蒼一だ。紗矢さんなら、分かるね?」


(きっと、間違ってないと思う。兄弟の中で一番強い力を持ってるのは蒼一さんだ)


 和哉に目を向けることもなく、紗矢は押し黙った。


「紗矢さんには求慈の姫という重い役割があるけれども、ゆくゆくは蒼一と縁を結び、そして愛をはぐくみ、越河を次の世代に繋いでもらいたい。宜しく頼むよ」


 語りかけられた言葉に、紗矢の視界が揺れた。


(縁を結ぶって……蒼一さんと結婚するってこと?)


 息苦しさに体を支配され、膝の上にある手が強ばっていく。軽く微笑みながら屈めていた身を起こすと、和哉は蒼一の肩をぽんっと叩いた。


「お披露目は来月の頭を予定している。お前ももう少し、紗矢さんに見合う男に近づけるように気張りなさい」


「はい」


「よろしい。今日はこれで失礼する……浜見さん、食事の支度を中断させてしまって申し訳なかった」


「いえ、旦那様」


 壁際で待機していた浜見に声を掛け、和哉は颯爽とした歩みで食堂から出て行こうとする。

 その後ろ姿を目で追いかけて行くと、ふいに戸口近くに立っていた祐治と目があった。彼の何かを問いかけるような強い瞳に、思わず紗矢は息を詰めた。祐治の手が上昇する。


「父さん、待ってください。異議ありです」


 祐治に袖をきつく掴まれ、和哉は足を止める。


「蒼一兄さんで即決しないで下さい。僕も立候補したいです。だからもう少し猶予を下さい」


 驚きに目を大きくさせてから、和哉は嬉しそうにまなじりを下げた。


「祐治、兄さん三人を追い越す気か?」


「はい……他の男に好きな女を取られるくらいなら、やってやりますよ」


 紗矢がぽかんと口を開き、和哉はうんうんと頷きながら顎に手を当てた。


「そうだな。鳥獣の長が卵を産み、物事が慌ただしくなる前に、次期当主のお披露目を済ませておくべきだろうと考えていたのだが……祐治がその気ならば、もう少しだけ待ってやろう。と言っても、長に動きが出た時点で次期当主は確定させる。そのつもりでいろ」


「有り難う御座います」


「いやー。一番大人しかった祐治が。うんうん。紗矢さん、蒼一だけでなく祐治のことも、自分の未来の夫に相応しいかどうか、考えてやってくれ」


 和哉はそれだけ言うと、嬉しそうに部屋を出て行った。

 祐治が緊張を解くように肩の力を抜いた瞬間、部屋の中にすすり泣く声が反響し始めた。


「あっ、唯ちゃん! 違うんだよ! 今のは違うんだ!」


 自分の隣で泣き出した唯の両腕を、祐治は慌てて摩り始めた。


「やっぱり、祐治くん、紗矢さんみたいに、可愛くて、力の強い女性が、良いんじゃない!」


 嗚咽を交えながら自分の胸元を叩き始めた唯を、祐治は抱き締めた。


「今の、ちゃんと説明するから……僕が好きなのは唯ちゃんだけだよ! 信じて! ね?」


「本当?……でも」


 祐治の唯に対する溺愛っぷりに、目を瞬かせていた紗矢を、唯がちらりと見た。


「大丈夫だよ。紗矢さんが気に入ってるのは僕じゃないから」


 祐治の爆弾発言に、紗矢を含め、その場にいたみんなの時間が一時停止する。しかし、発言主は気にすることなく、唯に熱い眼差しを注ぎ続けた。


「こんなに好きで好きで、大事で大事でたまらないっていうのに、唯を傷つけちゃうなんて。僕も駄目だね。でも、泣き顔も可愛いよ」


「祐治くん!」


「ごめんごめん。食事しながら説明するね。でも本当に可愛いなぁ」


(あの父親から、みんなちゃんと引き継いでるんだね)


 目元は珪介、立ち振る舞いは蒼一、快活な口調は修治、そして甘い囁きの繰り出し方は祐治が、和哉からしっかりと受け継いでいるようだ。


「お前は! その気が無いなら振り回すな!」


 蒼一の活が飛んだが、祐治は笑顔を崩さぬまま椅子を引き、そこに唯を座らせた。そして自らも唯の隣に腰掛けると、小さく息を吐いてから、ゆっくりとしゃべり出した。


「求慈の姫を手の内にすることが出来て、嬉しいってのは分かります。これから越河の時代になるわけですし……けど、みんなちょっと浮かれすぎだと思うんです」


 祐治が蒼一に糖度の消え失せた目を向ければ、それを発端にそれぞれが手近な席につき始めた。


「僕は僕なりに色々思うことがあって、異議を唱えました」


「何を思ったんだ」


 蒼一が腕を組み問いかければ、祐治が人差し指を立てた。


「さっき父さんが言っていた、自分と見合った力を持つ者を欲するってことです」


 祐治の話の邪魔にならないように、静かに素早く、浜見はテーブルに料理を並べていく。


「よく考えてみて下さい。俺たち四兄弟と峰岸卓人、それから瀬谷。求慈の姫である紗矢さんが、自分の身を守るに充分な力を持つ者をこの中から選ぶというのなら、普通に考えて間違いなく、峰岸卓人を選ぶと思うんです……でも今、紗矢さんは僕たちと共にいる」


 自分の前に置かれたお味噌汁を一口飲んでから、祐治は紗矢を見た。


「紗矢さんがちょっと変わっているという可能性もあるかも知れませんが……でも僕は、もしかしたら僕たち兄弟の中に峰岸を超えられる者がいて、紗矢さんはそれを見抜いて越河を選んだのかもしれないって思ったんです」


 愛も舞も蒼一も、そろって難しい顔をし、修治だけ大きく口を開いた。


(峰岸くんよりも強い力を持つ人)


 紗矢は胸に手をあて、考え込んだ。

 意識の奥深くに潜在するものに働きかけられ、自分は越河の力を持つ珪介に助けを求めたのだろうか。峰岸卓人を越える人材がいるとすれば、それは蒼一のことなのだろうか。それとも……。


「水を差してしまって蒼一兄さんには申し訳なかったと思います。でもハッキリ言って、蒼一兄さんも誰もまだ峰岸を越えていない今、紗矢さんの夫ともなる次期当主を決めるのは早計だと思います」


 静かに目を閉じていた蒼一が腕を解いて、瞳を開けた。


「確かに。峰岸卓人は越えなくてはならんだろう」


「蒼一も猛特訓するってことか」


 修治がニヤリと笑う。祐治は自分の意見を素直に聞いてもらえたことに笑みを浮かべ、再び紗矢を見た。


「時間が許す限り、蒼一兄さんも修治兄さんも、それから珪介兄さんも努力すべきです」


 珪介と口にした瞬間、祐治が紗矢に向かってにこりと笑いかけた。


(祐治君……私の気持ちを見抜いてる)


 紗矢は表情を崩さぬように、慌てて唇を引き結んだのだった。




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