第23話 紫の羽


「三階は私たちの部屋と空き部屋が二つ」


 舞は今自分たちが出てきた部屋の扉を指さしてから、その指先を廊下の方へと向けた。


「私たちと一緒より一人部屋の方が気楽って時は、遠慮無く言ってね。この階の空いてる部屋だったら、自由に使ってOKだから」


 廊下の奥を見つめながら紗矢は小さく頷いた。舞が笑みを浮かべる。


「とか言って、実際一人部屋が良いって言われたら、ちょっとへこむけど」


「一人でいるのは寂しいし不安だから、そんな事言わないけど……萩野さんたちこそ、私が出て行くように仕向けないでね。お願いします」


 二人で笑みを交わしてから、紗矢はもう一度細長い廊下を見た。三階には南側に並んで部屋が三つあり、北側には洗面所にお手洗いに階段がある。

 窓の外を見やり数秒後、紗矢は急いで窓際に歩み寄った。


「あれは、何?」


 森の中に、太い柱が空高くそびえ建っていた。


「塔だよ。圧倒されちゃうよね」


「塔?」


「でもね、入り口がないの。だから私たちは塔の中に入ることも、上にあがることも出来ないんだけど……子供の頃、塔の天辺は鳥獣の長が羽を休めにくる場所だって聞いたことあるよ」


「そうなんだ」


 闇の色に染められた柱の天辺は暗い雲に突き刺さっているため目視できないが、例え中に入れて階段があったとしても、登り切ることは容易でないだろう。

 舞は紗矢の隣に並ぶと、声を潜めた。


「あっちの家にはね、一癖も二癖もある越河家の大人の皆さんが住んでるよ」


「家?」


 塔の存在に目を奪われて気がつかなかったが、この建物とハの字になるように豪奢な建物が建っていた。

 瓦屋根の下には沢山の窓が並び、所どころに橙色の灯りがぼんやりとともっている。老舗の旅館のような立派な外観を、暗闇の中に浮かび上がらせていた。峰岸家は西洋風だとすれば、越河家は間違いなく和風の邸宅だ。


「大人……上の代、ってこと?」


「そう」


 すかさず舞が説明を開始する。


「蒼一さんや珪介に修治祐治のお父さんである越河家の現当主、和哉かずやさん。弟の則正のりまささん。和哉さんの妻の美春みはるさんに、前妻の菜摘なつみさん。則正さんの奥さんの真理まりさん。後は先々代のお爺さんお婆さんたちも一緒に住んでるよ」


「じゃあ、この家には?」


「今の所は、私たちと忠実さんだけ。忠実さんは世代的にはあっちなんだけど末っ子だかから歳も若いし、私たちのお目付役としてこっちで暮らしてるよ……まぁ、名前だけ並べられても分からないと思うから、上の人たちと顔を合わせたとき、もう一回説明するね。次は二階の案内」


 舞について階段を降りれば、一番近い扉から修治の賑やかな歌声が漏れ聞こえてきた。

 綺麗に磨き上げられた廊下の両側に多くの扉が並んでいる。二階は、三階の倍広いだろう。室内の照明を反射し輝いている廊下をぼんやり見つめていると、舞はまた口を開いた。


「二階は、忠実さんの部屋。蒼一さんの部屋。珪介の部屋。修治と祐治の部屋。あとは男性の使用人さんが何人か使ってる」


「修治君と祐治君の部屋はそこでしょ」


 紗矢が騒音の聞こえる扉を指させば、舞は苦笑する。


「そうだよ。困ったことに、修治たちの部屋が私たちの部屋の真下なんだよね。五月蠅くてどうしようもないときは、直接怒りに行くと良いよ。で、空き部屋を挟んでその向こうが――」


 舞の説明を遮るように、ガチャリと扉が開いた。部屋から出てきた珪介は二人に目を止め一瞬動きを止めたが、すぐに歩き出した。

 珪介が顔を伏せているのを良い事に、紗矢は彼の格好をじろじろと観察する。黒と灰色のVネックボーダーニットに、深緑色のカーゴパンツ。そして手はコートを抱え持っている。


(どこか行くのかな?)


 そう考えれば、ずっと体の奥底でくすぶっていた不安感が、大きく揺らめいた。


「お出かけ?」


 舞も同じように考えたらしく、無言で目の前を通り過ぎた珪介に話しかけた。珪介はその問いかけに答えることなく階段を降り始めたが、立ち止まって舞を振り返り見た。


「俺、夕飯要らないって浜見はまみさんに伝えといて」


 珪介が微かに笑みを浮かべたことに、紗矢の心が重苦しく反応する。思わず彼から視線を逸らした。


「分かった。伝えとく」


「ありがと」


 素早く階段を降りていく珪介の足音を聞きながら、紗矢はゆっくりと顔を上げた。小さなため息をついた紗矢の隣で、舞は大きく息を吸い込んだ。


「続けるね。さっき珪介が出てきたのが彼の部屋で、その隣が蒼一さんの部屋。通路挟んで向かい側の部屋が忠実さん……って事になってるけど、忠実さんは一階と二階の空いてる部屋を好き勝手に移動するから、今現在どこの部屋にいるのかよく分からない。別に気にもしてないし」


 話しながら階段を一段一段降りていけば、大きな玄関が目の前に現れた。


「ここ家なんだよね? 旅館とかじゃないよね?」


「もちろん家だよ。向かって右側が応接間。左側が食堂ね。紗矢ちゃん、ついてきて」


 趣を持ち合わせた玄関に気圧されている紗矢に苦笑しながら、舞は階段の裏手へと回っていく。


「右側の廊下は炊事場とかお風呂場に繋がってる。男湯女湯別れてるからちゃんと確認してね。それから左側の廊下は女性の使用人さんの部屋とか、物置部屋とかいろいろ」


 確かに、右側から良いにおいが漂ってきている。お腹が切なく鳴り響き、紗矢は腹部に手を当てた。


「あら、もう動いて大丈夫なの?」


 通路から出てきたふくよかな年配の女性が、紗矢を見て驚いた顔をした。


「紗矢ちゃん、彼女が浜見さん。私たちが子供の頃からずっと食事の支度や家の掃除をしてくれてるの」


「初めまして。片月紗矢です」


 紗矢が頭を下げれば、浜見さんがニッコリと笑う。年相応のシワが目尻に刻まれた。


「舞さん、みんなに食事の用意が出来たと伝えて来てくれる? 紗矢さんにはお粥を用意しましたよ」


「分かりました。あ、そうだ。珪介は今日の夕飯は要らないそうです」


「あらそう、珪介も忙しいわねぇ」


 浜見さんは困ったようにはにかみながら、炊事場へと戻っていった。


「外も説明するね。こっち来て」


 舞は紗矢の手を引いて玄関へと向かうと、靴を履き玄関のドアを押し開け外に出た。


「寒いっ。昼間は凄く暖かかったのに」


 身震いする舞の隣に進み出れば、冷たい風が顔を撫でていった。

 だだっ広い庭は芝生が敷き詰められていて、緑色を突き抜けるように赤褐色の道が一本の伸びていた。途中、煉瓦の小道は枝分かれし、一本は林道へ、もう一本は芝生の向こうの倉庫のような建物へと続いていた。

 重々しい音を響かせながら建物の扉が開いた。そこから珪介とランスが出てきた。一人と一匹が並んで小道を行く。

 途中、ランスが紗矢に気付き動きを止めた。


「……ランス」


 ランスはじっと紗矢を見つめていたが、先を歩いていた珪介に呼びかけられ、項垂れるように彼の後を追っていく。

 僅かな間だが、自分に向けられたランスの瞳は、物悲しげだった。心が重苦しくなるのを感じながら、紗矢はか細く問いかけた。


「ねぇ、舞ちゃん。越河君はどこに行くの?」


「……本人の用事なのか、仕事なのか、それともランスの用事なのか。ちょっと分かんない」


 舞が返答に困り渋い顔をすれば、建物の戸が再び開かれる音がした。

 今さっき珪介たちが出てきた扉から青い鳥獣と水色の鳥獣が勢いよく飛び出し、続くように一組の男女が出てきた。二匹は滑空するように、こちらに向かってやってくる。


「もしかして、あれって鳥獣たちの小屋?」


「その通り獣舎だよ、片月君。冴えてるじゃねーか」


 突然背後から聞こえてきた声に驚き振り返れば、修治が玄関の扉を片手で押さえ立っていた。


「俺は腹が減ってくたばりそうだっつーのに、アイツらは飯食って元気いっぱいじゃねーか」


「くたばりそうには全く見えないわよ」


 舞の一言に、修治は大仰に顔をしかめた。ソラとスイが玄関先に舞い降り、それぞれの音色を口にする。二匹の輝く瞳が「構ってくれ」と訴えているのを感じ取り、紗矢は修治を見た。


「鳥獣たちを触っても良い?」


「こいつらも片月が外に出てきたから、絡む気満々で寄ってきたんだろうし、好きなように触って良し!」


 修治がびしっと人差し指を立てれば、ソラがギャアと一鳴きする。紗矢は二匹に近付き、そっと手を伸ばした。柔らかさと温かさが手の平から伝わってきて、紗矢は目を細めた。


「怖くない?」


「全然怖くないよ」


 舞の上ずった声音に紗矢が朗らかな声音を続かせた時、力強い羽音が響いた。獣舎の屋根の開かれた箇所から夜空へと紫色の鳥獣が飛び出し、大きな円を描くように空を旋回した。

 紗矢は目を瞠った。


「修治君! あの子の名前教えて」


「あ? おわっ、ライラがいる」


 優雅に舞いながら、ライラは二匹のすぐ隣に舞い降りてきた。


「初めまして、ライラ」


 初めての姿に戸惑いながら紗矢は手を伸ばす。ライラは嫌がることなく紗矢の手を受け入れると、気持ちよさそうに目を閉じ、鈴を転がしたような美声を発した。


(何て言うか……すごく上品な子)


 面持ち、佇まい、鳴き声、反応。全てから気品が滲み出ている。


「ライラがいるっつーことは」


「蒼一さんとあい姉さん、帰ってきたみたいね」


 玄関から庭へと伸びた明かりの帯の中で、修治と舞の呟きに反応するように二つの姿が揃って足を止めた。


「ライラ、退いてくれないか。話がしたい」


 落ち着いた低い声音が、紗矢の鼓膜を揺らす。ライラが紗矢の前を明け渡すように、ぴょんと後ろに跳ねた。


「初めまして」


 黒髪の下の力強い双眸に捉えられ、紗矢は息をのんだ。


「越河蒼一です」


 名乗った後、彼は微笑みを浮かべたが、その精悍さは損なわれることはなかった。

 背の高さは珪介と同じくらいだが、線の細い珪介と比べれば、蒼一は肩幅も広く胸板も厚みが有り、より大きくみえた。

 安定感のある人。グレーのスーツを身に着けているため蒼一を大人に感じ、尚且つ、彼の身の内から感じ取れる強い力のせいなのか、紗矢は蒼一に対してそんな印象を持った。

 蒼一が歩み寄ってきたことにハッとし、紗矢は頭を下げた。


「は、初めまして。片月紗矢です」


「……なるほど。起きてみるとはっきり分かるな。これが求慈の姫の力」


 蒼一は紗矢の頬に触れ、頷く。


「いくら隠されていたとは言え、ここ一年、彼女の力に全く気付かなかったことが、やっぱり信じられん。この馬鹿が」


 鋭い蒼一の眼光に射貫かれて、修治は両の拳を握りしめた。


「気づいて取り戻したんだから結果オーライだろ! 蒼兄、バカを取り消せ!」


「そうだな、辛うじて気づけた珪介だけは馬鹿を取り消そう。が、お前は取り消さん!」


 蒼一の気迫に押されて紗矢が身を引くと、修治がからからと笑った。


「蒼兄、片月引いてるって。オッサン、マジ怖ェェってな」


 修治の揶揄に、蒼一の眉がぴくりと反応する。


「修治、飯の後に裏庭に来い。稽古を付けてやる」


「えーっ。これから雨降るってニュースで言ってたぜ?」


「ちょうど良いじゃないか。そのとぼけた頭に活を入れてやる」


 修治が一際大きな声で「げー」っと呻けば、蒼一の陰に立っていた女性が前へと進み出てきた。


「話も付いたところで、そろそろ夕食を頂きましょう。舞、祐治と唯を呼んできて」


「はぁい」


 ため息交じりに家の中に入っていく舞に、修治が慌てて言葉をかけた。


「舞、あいつら俺らの部屋にはいねぇよ」


「分かった。だったらきっと忠実さんの所ね。探さなくちゃ」


 女性は、足早に階段の裏手へと進んでいく舞にふふっと笑みをこぼしてから、改めるように紗矢へ体を向けた。

 腰まである黒髪はとても艶があり、漆黒の瞳にはハッとさせられる輝きが宿っている。まるで日本人形のようだ。


「初めまして、私は萩野愛はぎのあい。舞と唯の姉です。外は寒いわ、中に入りましょう」


 愛は綺麗に揃った前髪を微かに揺らしながら、トレーを手に歩き出す。蒼一も修治も連なるように玄関へと入っていった。


(もうちょっと触りたかったな)


 紗矢が鳥獣たちと玄関に視線を彷徨わせれば、鳥たちが一鳴きし、思うままに飛び立ち始めた。


(また明日、ね)


 鳥獣たちに心の中で言葉をかけて紗矢も家の中に戻ると、丁度浜見さんが食堂の扉から出てきた。


「お二人とも帰っていらしたんですね。お帰りなさい」


 蒼一と愛は「ただ今」と礼儀良く言葉を返した。


「これ、獣舎で美春さんから渡されました」


 静かに淡々と愛が浜見に告げ、持っていたトレーを差し出した。トレーの上にあった三つのカップが、カランと音を立てた。


「まぁ! 全部食べてある! 今日はランスも食べたのね」


「すみません。ランスの分はライラが食べてしまいました」


 割って入ってきた蒼一の申し訳なさそうな言葉遣いに、浜見は口元に手をあてた。


「あらやだ、うっかりしてたわ。ライラも帰って来ているものね……やっと口に入れてくれたのかと思って、はしゃいじゃったわ。年甲斐もなく恥ずかしい……さ、皆さん、食事の準備出来ていますから、中へどうぞ」


 修治は我先にと食堂の戸をくぐり、蒼一と愛はとりあえず着替えてくると階段を登り始めた。

 紗矢はそっと浜見に歩み寄り、小声で尋ねた。


「それは鳥獣の餌、ですか?」


「えぇそうよ。食べやすい大きさにカットした肉をね、一日に二回与えているのよ」


「あの……ランスはいつも食べないんですか?」


 思い切って尋ねてみると、浜見さんは悲しそうな表情を浮かべた。


「えぇ。私たちが出す肉には一切口を付けないのよ。子供の頃に、ちょっとあってそれ以来……だからあの子だけ、他の三匹に比べて体も小さいでしょ?」


 記憶を掘り返せば、思い当たる場面が頭に浮かんでくる。

 ライラとスイとは想像上でしか比較できないのであやふやではあるが、目の前で見たソラとランスには結構な体格差があった。


「だから、傷の治りも遅くてねぇ」


 それを聞いてしまえば、もう紗矢は我慢出来なかった。


「今度、私もランスに餌をあげてみても良いですか?」


 浜見が驚いたように目と口を開いた。


「ちょっと付いておいで」


 歩き出し、紗矢を誘い入れるように足を踏み入れたのは、こぢんまりとした炊事場だった。

 こぢんまりと言っても、紗矢の家の台所よりは広い。けれど、旅館のような外観や内装から連動して想像してしまうような広々とした台所ではなかった。その場にいるのも、浜見と同年代だろう女性一人だけだ。慣れた手つきでお皿にスープを注いでいる


「紗矢さん。こっちよ」


「はい」


 辿り着いた場所は部屋の最奥にある業務用の冷蔵庫だった。


「この冷蔵庫の中に、カットしたお肉が入っているわ。他の三匹は一応時間を決めて与えているから、それに倣って欲しいのだけれど。紗矢さんが自分の思うタイミングで、ランスにお肉を与えてみてくれないかしら」


 浜見の願いに、紗矢は大きく頷いた。


「鳥獣には私たちは関わっちゃいけないことになっていてね。刻印持ちの彼女らが食事を与えているのだけれど……怖いみたいでね、あまり積極的に関わろうとしてくれないのよ。でも、貴方がそう言ってくれるのなら、こちらからお願いするわ」


「はい!」


 紗矢は冷蔵庫の場所をしっかりと覚え浜見に頭を下げてから、修治の鼻歌の聞こえる食堂へと弾むような足取りで進んでいった。







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