第4話 聞こえた声音

 やっとの思いで長い坂道を登り切ると、気持ちの良い風が吹き抜けていった。紗矢はそっと瞳を細めた。


 目の前には古びた二本の茶色い門柱。けれど「五之木学園高等部」と刻み込まれた銘板は、しっかりとした光沢を放っていた。

 柱と柱の間を通り抜ければ、クリーム色の敷石がまっすぐに伸び、左側には大きな校庭、右側にはテニスコートや体育館がある。そして何よりも目を引くのは、校舎近くにある大きなシイの木である。一年間毎日のように目にしてきた老木だが、目にする度、圧倒され足を止めてしまう。木の持つ歴史が迫ってくるような気がするのだ。


 そして太い幹の向こうに、五之木学園の豪奢な校舎がある。所々、教室の窓が開かれていて、明るいざわめき声が風に乗って聞こえてきた。やっと日常を感じ取る事ができ微笑んだ紗矢の横を、三人の女子生徒がパタパタと通り過ぎていった。彼女たちは「やばい、HR始まる」と悲痛めいた焦り声を残していく。

 校舎の外壁に備え付けられている時計を確認し見えた時刻に、紗矢は小さな悲鳴を上げ足早に歩きだした。


「おいっ。片月紗矢」


 しかし門を通り抜けた瞬間名を呼ばれ、停止することを余儀なくされる。肩越しに後ろを振り返り見れば、腕組みをした男子生徒が一人、柱にもたれ立っていた。紗矢は思わず「うっ」っと苦々しい声を発した。


「相埜君、おはよう……何か用?」 


 彼の名は、相埜伊月(そうのいつき)。

 卓人よりも頭一つ分くらい背が高く、黒髪短髪で肌は浅黒く、活発な印象を与える。一年の時は違うクラスだったため、言葉を交わしたことはないが、よく卓人とつるんでいるのを見かけていたので、顔と名前は把握している。


「卓人さんと一緒じゃねぇのかよ」


 そして彼はいつも卓人のことを「卓人さん」と呼ぶ。それを耳にする度、同い年なのになぜ「さん付け」なんだろうと、紗矢を妙な気持ちにさせていた。


「え?……あ、うん。途中までは一緒だったんだけど」


 伊月の不満げな表情に気圧され、とてもじゃないが置いてきたとは言えなかった。


「ふうん」


 ゆっくり腕をとき、伊月が歩み寄ってきたことに気がついて、紗矢は反射的に身構えた。実は彼も珪介同様、紗矢へ冷たい視線を投げつけてくる事が、これまでに多々あったのだ。だから正直、あまり良い印象を抱いてはいなかった。

 でも今は毛嫌いするよりも、少し我慢をして頼んでしまった方が良いかもしれない。紗矢は思い直すべく自分にそう言い聞かせ、向かってくる伊月へと気持ちごとぶつかるように体を向けた。


「あの、相埜君!」


「何だよ」


「……これを、峰岸君に返しといてもらいたいんだけど」


 しきりに門の向こうを気にしていた伊月だったが、紗矢の差し出した手に視線を落とした瞬間、驚いたように口を開いた。紗矢が自分の代わりに返しておいてもらいたいのは、小粒の灰色の石が連なったブレスレットである。


「これ卓人さんのだろ? 返すってどういうことだよ……お前まさか、既にうち以外の守護下に入ってたとか言うんじゃないだろうな! 越河か?! 瀬谷(せたに)か!?」


 伊月はブレスレットを受け取ることを拒否するかのように、両手を後ろにする。


(守護下?……守る?……守る)


 伊月の言葉が切欠となり、卓人の笑みが脳裏に浮かぶ。


『君を守れるのは誰?』


 卓人の声が頭から体全体へと、痺れを伴いながら広まっていく。


『僕だよ。僕だけ』


 視界がだんだんと霞んでいく。


『だから、僕に力を貸してくれるよね?』


 腕を力強く掴まれ、咄嗟に紗矢はその手を振り払おうとした。


「いやっ!」


「おい! 片月、大丈夫か? フラフラしてるぞ」


 見れば、自分の上を掴んでいたのは、少しだけ狼狽した様子の伊月だった。背中にもおまけのように添えられている彼の手の感触がある。


「……あ、ごめん。ありがとう」


「驚かせんなよ。お前に傷でもつけたら、卓人さんに酷い目に遭わされる」


 渋面する彼の口から出た言葉に紗矢が眉根を寄せれば、ふっと彼の視線が自分を観察するかのように降りてきた。掴まれている彼の手に力が入れば、その視線は値踏みするような色合いに変わっていく。


「しかし、まるで別人だな……このまま喰らい付きたくなる」


「喰、なっ……離して!」


 物騒な物言いに、紗矢は伊月の体を突き飛ばした。紗矢を見据えたまま二歩ほど後退し、伊月はニヤリと笑みを浮かべた。


「大丈夫だよ。今はまだその時じゃないことくらい、俺だって分かってるさ。それこそ卓人さんにしばかれちまう……しかしお前の婆ちゃんも、ホントやってくれるよな」


「お、お祖母ちゃんが、何よ」


「片月マツノは、事が過ぎるまでお前のことを隠し通すつもりだったんだろ?」


 突然、亡き祖母の名前を出され、紗矢の鼓動が大きく跳ねた。


「な、なんで、私のお祖母ちゃんの名前知ってるの?」


「そりゃ知ってるさ。有名な人だもんな」


(有名? 何で有名?)


 記憶の中に住む祖母に、高校生男子に有名と言われるような節はない。


(近所で、何か有名だったのかな?)


 あまりご近所と接点を持たずに過ごしてきてしまった紗矢が、何かを思い当たるはずもなく、自然と首だけが傾いでいく。


「まんまと俺らも越河も瀬谷も、気付かなかったけど……卓人さんだけには騙し通す事が出来ず、逆に怒りを買ったってわけだ」


「怒りって……何の話?」


「何の話って、そりゃ――」


「そこまでだよ、伊月」


 余裕のある声音が、ゆっくりとした足音を刻みながら近付いてきた。


「それ以上余計なことを言ったら、怒るよ?」


 卓人がふっと口元に笑みを浮かべた。しかし目元は笑っていなくて、紗矢は僅かな薄ら寒さを感じた。


「卓人さん! す、すみません」


 伊月は佇まいを直し、堅い口調で返事をした。


「まだね、紗矢ちゃんの体からマツノさんの力が抜けきってないんだから」


 紗矢は落ち着かず俯けば、卓人はふふっと笑い声を漏らしながら、ブレスレットを握りしめている紗矢の手を両手で包み込んだ。


「紗矢ちゃん、外しちゃ駄目だよ。これはね、僕と君とを繋ぐ物なんだから」


「峰岸君。でも私……やっぱりもらえないよ」


「いや。君は君自身を守るために、これを持っていなくちゃいけないんだ」


 君の気持ちなど関係ないと言われた気がして、紗矢は表情を強ばらせた。


「マツノさんもそれを望んでいるよ」


「……お祖母ちゃんが?」


「うん」


 再び祖母の名を出され、紗矢の鼓動が早まっていく。


「さぁ、手を。はめ直してあげる」


 彼の目を見れば、まるで狙いを付けていたかのように、茶色の瞳の中に色彩が増えていく。卓人の瞳の奥で灰色の影が揺れ、紗矢の意識を侵食し始める。彼の身から放たれる灰色の細かい粒子に引き寄せられるかのように、紗矢は己の手を上昇させる。卓人は灰色の小石の連なりを紗矢の手から取り上げ、改めるように紗矢の手首へ通した。


 その瞬間、頭上から雷鳴の如し鳥の鳴き声が振り落ちてきた。紗矢ははっと我に返り、身を震わせる。真っ白なあの鳥が大きな翼を羽ばたかせながら、校舎の屋根へと舞い降りてきた。


「呼んでもいないのに、あちらからお出ましとは」


「峰岸君……あの鳥は何なの?」


「あれはね鳥獣(ちょうじゅう)の長(おさ)だよ……僕たちと一緒に、この地を守っているんだ」


「守ってる?」


 卓人は真っ白な鳥を見上げながら両手を広げ、嬉しそうに口元を綻ばせた。


「もうすぐね、長は刻印を押した女の子の中から、自分の分身を託す求慈の姫を選ぶんだ」


「きゅう、じ?」


「求めるに慈愛の慈で、求慈だよ」


「求慈の姫」


 初めて聞く言葉なのに、声に乗せて呟き返せば、緊張感が沸き起こってくる。卓人は表情を変えることなく、にこやかなまま紗矢を見る。


「そう。そして鳥獣が姫に選ぶのは紗矢ちゃん、君だよ」


 断続的に、鳥獣の地響きのような鳴き声が続いていく。しかし反響し幾重にも重なり合っていた声が、だんだんと小さくなり……すり替わるように声が聞こえてきた。


『主(ぬし)、誰に力、分け与える』


 紗矢は恐る恐る視線を上昇させる。


『主、誰に力、与える』


(あの鳥の言葉が聞こえる)


 声を発しているのは、真っ白な鳥獣の長。そうとしか、思えなかった。返答を待つかのように鳥は動きを止め、じっと紗矢を見つめている。

 巨大な鳥の周囲やシイの木に、鳥が舞い降りてきた。青や黄や緑、峰岸の鳥だろう灰色の姿も見えた。

 次々と沢山の色が降りてくる光景に紗矢が身を竦めれば、卓人が肩に手を乗せ、紗矢を自分の元へと引き寄せた。そして、鳥獣へと不敵な笑みを向ける。


「まるで待ちきれないって言ってるみたいだね……それとも、僕たちを祝福してくれてるのかな」


(違うよ……峰岸君には声が聞こえてないの?)


 心の中で否定と疑問が浮かび上がるが、それを言葉にして卓人に突き付けることは出来なかった。


「お望みとあらば、今夜にでも。彼女に刻印を」


 少しも臆することなく、卓人が鳥獣の長に宣言した。


『主、誰に力、与える。誰に添い、生きる……答えよ』


 卓人の言葉に一瞬の逡巡を見せたものの、鳥の視線は紗矢に留まったままだ。紗矢はごくりと唾を飲み込んでから、唇を開いた。


「分からない」


 本当に分からないのだ。取り巻く状況全てに、自分は完全に置き去りにされてしまっている。紗矢が精一杯首を振れば、鳥獣の長は翼を広げる。


『今宵、再び問う。決断せよ』


 優雅な動きでその場から飛び立ち、純白の鳥は風をまとい舞い上がっていった。


「紗矢ちゃん。今、鳥獣と話したね?」


 口ごもれば、卓人が紗矢の体を抱き寄せた。


「ちょっ、止めて! さっきも言ったけど」


「僕は紗矢ちゃんを絶対に離さないよ。誰にも渡さない」


「峰岸君っ!」


 伊月の見物するかのような視線にも耐えられなくなり、紗矢が「やめて」と大声を上げれば、卓人は悲しげに体を離した。


「慣れてくれないかな……僕はどっちかって言うと、スキンシップ過多なタイプだから」


「なんで慣れなくちゃいけないのよ!」


 ムキになって叫び返せば、途端に卓人はふて腐れ顔になる。しかし校舎にちらりと視線を向けた後、思い直したように頷くと、可愛らしい表情に戻っていく。


「まぁ、いいや。そのうち、そっちから僕に抱きついてくるだろうし……今はどちらかというと、アイツ等に牽制しておくべきだよね。紗矢ちゃんは僕のモノだって。きっちりとね」


 卓人は紗矢の手を掴むと、そのまま手の甲にキスをした。


「っ!?」


「紗矢ちゃんが刻印を押されれば、すぐ世代交代が始まる。君は求慈の姫になり、そして峰岸の当主となった僕のフィアンセになるんだ」


「ふぃ、あ」


「仲良くしようね!」


 紗矢は短い唸り声を上げたあと、項垂れたのだった。





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