第5話 瀬谷と越河

 その光景を、西と東の校舎を結ぶ渡り廊下から、食い入るように見つめている男が二人。


「あれ、俺らに見せつけてるよな」


「きっとそうだろうね。特に修治(しゅうじ)に釘をさしてるんだと思うよ」


「俺みたいな良い子に?」


 修治と呼ばれた男子は銀色の手すりの向こうに手を伸ばし、鼻で笑ってみせた。


「っつーか、釘をさすべきなのは瀬谷の次期当主のお前の方じゃん」


 抑揚なく言葉を並べていく修治の横顔を見ながら、瀬谷の次期当主である男は眼鏡を指先で押し上げ、愛想笑いを浮かべた。


「あとは、片月にすり寄る可能性のある珪介、だな!」


 修治は風に舞い上げられる癖のある髪の毛を気にすることなく、反対側の手すりにもたれ空を見上げている男を振り返り見た。珪介は視線を落とすと、嫌そうに顔をしかめた。


「俺?」


「片月と同じクラスだろ? で、しかも峰岸家のヤツらが同じクラスに一人もいない……そう来たらもう、な?」


「峰岸のお気に入りと同じクラスとか、息が詰まるだけだろ。馬鹿か?」


「あぁっ!?」


「お前がすり寄りたいのなら勝手にすればいい。ただし、俺に迷惑かけんな」


 珪介が鋭く睨み付けると、対するように修治も剣呑な顔つきになる。「まぁまぁまぁ」と両手を軽く振りながら、瀬谷の次期当主である眼鏡の男は二人の間に割って入った。


「珪介は越河の草食系だし、俺だったら断然、越河の無鉄砲系である修治の方を警戒するよ?」


 たしなめるのかと思いきや、感じの良い笑みを浮かべながら、そんなことを言ってのけた。


「……そ、草食系」


「はあっ!? 無鉄砲!? うるせぇよ、篤彦(あつひこ)!」


 珪介がぽつり呟けば、修治も鼻息荒く瀬谷篤彦へ詰め寄っていく。


「珪介のどこが草食系なんだ! で、俺のどこが無鉄砲だ!」


「えー、思い当たらないの?」


「当たらねーよ!」


瀬谷篤彦は眉毛をハの字にして、憐みの眼差しを修治に向ける。


「そっか、残念な人だ……それと、呼び捨てにするの止めてくれる? ちょっとイラッとするよ。俺、一応年上だし」


「一歳しか違わねーだろ!?」


「修治、言葉を慎め。年上である以前に、篤彦さんは瀬谷の時期当主だ……これでも一応」


「珪介……最後の言葉は余計だよ?」


 少し癖の入った黒髪を持ち、膨れっ面をしているのは越河修治。さらさらで指通りの良さそうな蜂蜜色の長髪を後ろで束ね、フレームのない眼鏡をかけ、弱々しい声音で訂正を入れるのは瀬谷篤彦。言葉のやりとりの最中も表情の温度を全く上げなかった越河珪介。


 皆、五之木学園の制服に身を包んでおり、珪介と修治の胸のポケットには二年の証である深緑の校章が、篤彦には三年の証とする朱色の校章が付けられている。

 三人揃ってすらりと背も高く、容姿に恵まれている。肩に提げたり腰に添えたりと、それぞれが刀を所持しているので、現実離れした雰囲気までも漂わせていた。


「っつーか、お前ホント二重人格だよな? その冷血鉄仮面が同級生の前……特に力のある女の前で笑顔に変わるとこ見ると、別人過ぎて虫ずが走るわ」


「俺はお前が鬱陶し過ぎて、気が滅入る」


「はいはいはい。そこまでにしようね!」


 篤彦が苦笑しながら言葉を挟めば、珪介は無言のまま空に視線を戻し、修治は苛立ちを露わにしたまま両の手を頭の後ろで組んだ。


「……それにしても」


 篤彦は手すりに手を乗せて、眼下を見下ろした。


「こんなに離れてるのに、彼女の気がびしびし伝わってくるね」


 修治も篤彦の隣に並び視線を落とせば、ちょうど卓人と共に昇降口へ入っていく紗矢の姿を見付ける。


「確かに。片月紗矢すげぇな……ってか峰岸のヤツ。片月の力、うまく隠しやがって。気がついたら峰岸のモノって、こっちは出遅れた感いっぱいだってーの」


「俺は一応、片月紗矢はマツノさんの孫だし、いつか力が現れ出るかもと注視してました。けど、何の力も感じませんでしたね。一年の時は……でも」


 篤彦は体を半回転させ、珪介と同じように手すりに背中を預けると、手で口元を覆って考えるような仕草をした。


「思い返せば、峰岸卓人はずっと片月紗矢をマークしてましたよね。彼女に話しかけようとして、妨害されたときもありました。あの時、力のない子に構うなんて、峰岸卓人らしくないなと思いました」


「あ。マークしてるっていうのは、俺も思った。けど単純に、卓人様は片月紗矢が好みなんだと思った。いずれ愛人にでもすんのかなーと」


 卓人様と馬鹿にした口調で言ってのけた後、修治は「けけけ」と笑う。珪介は宙を見つめたまま、気に障ったかのように眉根を寄せた。


「なのにまさか、こうなるとはね」


「求慈の姫候補は横一線で並んでたっつーのに、片月紗矢の登場で峰岸家が一歩リードか」


「一歩じゃ済まない」


 即座に珪介が否定し、修治は白けた顔をした。


「ちえっ。これで俺らはこれから五十年ずっと、峰岸に大きい顔をされ続けなきゃならんって訳だ」


 まだ考え中の動作を続けながら、篤彦は僅かに口端を上げた。


「いや、諦めるのは早い……まだ手はあるでしょ? 越河さんたちが、片月紗矢を落とし最恐の卓人様から奪い取れば良い。もちろん、命を落とす覚悟でね!」


 修治は目を大きく見開き、珪介も寄りかかっていた手すりから体を離した。


「おいおい。いい人そうな顔してずばっと言うねー……でも一理ある。どうする珪介。あの女、奪いに行くか?」


「行かない。峰岸に大きな顔されようが、どうでもいい」


「……そうか。まぁ、そうだよな。そんなことしたら、珪介ちゃんはお母様のこと思い出して、泣いちゃうもんな」


 修治の揶揄に対して珪介が冷たい一瞥を突き刺した時、始業の時間を知らせるチャイムが鳴り響いた。


「へへへ。授業中に下克上の案でも練ってみるか。片月紗矢を奪えば形勢逆転。越河は確実に五家のトップになれる。峰岸の顔を潰すチャンス到来ってな」


 笑いながら去って行く修治の姿が視界から消えた瞬間、篤彦はため息を吐いた。


「本当、修治は野心家だよね」


「それを見越して、一波乱起こすべく修治をけしかけるアンタは策士家だ」


 珪介は口角を少しだけ上げると、教室に戻るべく歩き始めた。


「そりゃ、今の瀬谷では峰岸卓人一人にすら敵わないからね……でも、越河さんとこには優秀な四兄弟がいるじゃない」


「俺を数に入れんな」


「入れるに決まってるよ。できれば、次期当主同士として手を組ませてもらいたいくらいだ」


 篤彦の少し厳しさのこもった声音に、珪介は足を止め、ゆっくりと振り返った。


「四兄弟で一番弱い草食系に、そんな願望押しつけんなよ」 


「ごめん。根に持たないで。あれは間違えだったよね。珪介は草食系じゃない……粗食だ。しかもわざとそうしてる」


 ぴくりと珪介の眉根が反応する。


「何の話」


「あれ? 俺が気付いてないとでも思った? 刻印を押すに値しない女ばっかり喰らってるくせにその力。賞賛に値するよ……そして、どうして刻印有りを喰らわないのか。珪介は分かってるからだよね。喰らったら自分が越河家の次期――」


「次の当主は蒼一(そういち)兄さんだから。何があってもそこは揺るがない」


「でも――」


「俺が揺るがせない!」


 反論を許さないかのように玲瓏な声音で珪介が告げる。踵を返し離れていく珪介の後ろ姿を見つめながら、「もったいない」と篤彦は小さく呟いたのだった。








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