第八幕


 第八幕



「おはよう」

 国立南天大学付属高等学校の二年二組の教室に足を踏み入れると、僕は誰に言うでもなく挨拶の言葉を口にし、そのまま教室を横断して自分の座席に腰を下ろす。教室内の座席はすでに八割ほどが埋まっていて、始業前の雑談や娯楽などに興じる生徒達の喧騒が、少しだけ喧しい。すると僕よりも先に登校していた後ろの席のヨシダが、僕の頭を指差しながら尋ねる。

「どうしたんだ、霧島? その頭は?」

「ああ、ちょっとぶつけたんだ。見た目は大袈裟だけれど、たいした怪我じゃないよ」

「ふうん。それは昨日、お前が学校をサボったのと関係あるのか?」

「まあ、ちょっとね」

 そう言った僕の額には、白い大きな絆創膏が張られていた。昨日の昼、病院の待合室で阿杏の父親を殴って説教をした後に過呼吸で気を失った僕は、リノリウムが張られたコンクリート製の床でもって額を強打したのだ。その結果として僕の額には大きな皮下血腫たんこぶが出来、皮膚が少しばかり裂けて絆創膏を張る羽目になったのだが、幸いにも痕が残るほどの傷ではないらしい。

 そう、思い返せば、全ては昨日の出来事なのだ。阿杏の自宅が燃えたのも、僕と阿杏と宮路さんに阿吽の二人を加えた計五人で地下へと下りて渾沌に敗北したのも、僕の命と引き換えに宮路さんが記憶の一部を失ったのも、僕が病院で阿杏の父親を殴ったのも、全て昨日の出来事である事に間違いは無い。しかしそれらの事実に対して、不思議と現実感が希薄なのは何故だろうか。推測するに、気を失った後に病院のベッドで眼を覚ました僕は他の面々と顔を合わせる事無く帰宅したので、この頭の傷以外に全てが事実であった事を証明する手段を持ち合わせていないからなのだと思われる。

「痛っ」

 絆創膏の上から傷口を軽く押してみた僕は、小声で痛みを訴えた。やはり昨日の出来事の内の、少なくともこの傷を負った病院へと赴いた点だけは、夢ではないらしい。

 すると不意に、教室内がざわざわと色めき立つ。

「あれ、王の奴の脚、どうしたんだ?」

 そう言ったヨシダの視線の先を見遣れば、麻痺した右膝に長下肢装具を装着して杖を突いた阿杏が、ちょうど教室に姿を現したところだった。そして同級生の内の何人かが彼女の元に集まると、その脚は一体どうしたのかと、口々に問い質し始める。考えてみればクラスの皆は未だ阿杏の右膝の件は知らされていない筈なので、一昨日までは女子サッカー部の特待生だった級友がいきなり脚が不自由になって登校して来たのだから、驚くのも無理は無い。

「尊くん、おはよう」

「おはよう、阿杏」

 一通り同級生達への応対を終えてからこちらへと歩み寄って来た阿杏が、僕と挨拶を交わした。

「やっぱり、夢じゃなかったんだな」

「うん。夢だったら良かったんだけれどね。でもまあ、過ぎた事をいつまでも悔やんでいても、仕方が無いよ」

 阿杏の麻痺した右膝を見つめながら、僕達二人は寂しげに微笑み合う。

「尊くんも、その頭、大丈夫?」

「ああ、ただのたんこぶと切り傷だよ。みっともないよね。一人で勝手に興奮して、一人で勝手に気を失うなんてさ」

 そう言いながら額の絆創膏を指差し、僕は自嘲気味に笑った。すると阿杏は僕の机の天板に腰掛け、少しだけ嬉しそうに語り始める。

「昨日ね、お父さんがあたし達に、謝ってくれたんだ。これまでずっと、暴力を振るっていて悪かったって。それでこれからは心を入れ替えて、家族皆で仲良く暮らして行こうって。勿論お父さんの言葉をどこまで信用していいのかは未だ未知数だけれど、きっと以前よりは、家族仲は良くなると思うんだ。実際に今朝、一緒に家を出る時も、お父さんは脚が動かないあたしに手を貸してくれたしね。こう言うのを、怪我の功名って言うのかな? これも全部、昨日尊くんがお父さんを殴ってくれたおかげだよ。こうなる事が分かってて殴ったの?」

「そんな、僕はつい、とっさに殴っちゃっただけだよ。むしろ一度、殴った事を謝りに行かなくっちゃ」

「それなら多分、謝らなくても大丈夫だと思うよ。お父さんは赤の他人に、しかも高校生に殴られるような事をしていた自分の愚かさにようやく気付いて、反省していたからね。だからこれからは、お父さんが仕事でストレスを溜めてしまった時には家族で揃って、一緒に楽しい事をしてストレスを発散させようって約束したんだ。それにもしかしたら転職して、もっと楽な仕事に就くかも」

「そうなんだ」

「うん。だから尊くん、本当にありがとう」

 微笑む阿杏から礼を述べられた僕は、照れ臭いやら気恥ずかしいやらで、赤面しながら顔を逸らした。するとそんな僕を見て、阿杏は微笑みを一層深めると、膝が麻痺した右脚をぷらぷらと揺らす。顔には出さなかったが、彼女の笑顔が見られる事が、僕は嬉しくて堪らない。

「でもね、尊くん。この脚じゃ当然だけれど、女子サッカー部の顧問と相談した限りでは、やっぱり特待生の立場は返上しなくちゃならないんだってさ。だからこれからは授業もサボれないし、今までみたいにテストで赤点を取っても放っておいたら、落第する事になりそうなの。良ければ尊くん、今度、勉強を教えてくれない?」

「勿論。喜んで」

 そう言って、僕は阿杏と共に笑い合った。彼女にとっては自分が特待生である事よりも、脚が不自由になった事よりも、家族の問題が少しだけ解決に近付いた事の方がより重要で喜ぶべき事なのだろう。

「はい皆さん、ホームルームを始めますよ。席に着いてください」

 そうこうしている内に始業のチャイムが鳴り、教室に姿を現した担任の周教諭が出席簿をぱんぱんと叩きながら、生徒達に着席を促した。そして阿杏が不自由な脚で歩く事に手間取りながらも自分の座席に腰を下ろすと、周教諭が出席簿を開き、生徒達の出欠を確認し始める。その時ふと気付いたが、教室の一番前の座席が一つだけ空席で、そこに腰を下ろしているべき宮路さんが未だ出席していない。

「すいません、渋滞に巻き込まれて、遅れました!」

 周教諭が出欠を確認している最中に、そう言って謝りながら、ハーフヘルメットを被ったままの宮路さんが息せき切って教室に飛び込んで来た。教室中の生徒達がどっと笑い、周教諭は呆れたように肩を落として、溜息を漏らす。

「宮路さん、ギリギリで遅刻しなかった事にしてあげますから、早く自分の席に着きなさい。それと、頭」

 そう言って自身の頭を指差す周教諭の仕草に、自分がハーフヘルメットを被ったままである事にようやく気付いた宮路さんは、顔を真っ赤にしながら急いでヘルメットを脱いだ。そしてくすくすと笑う生徒達の視線に照れ笑いで応えつつ、教室を縦断して、自分の座席に腰を下ろす。

「さて、それではホームルームを開始します」

 宮路さんが着席した事を確認した周教諭が、学級活動の再開を宣言した。そして未だ息を切らしている宮路さんと、杖を持て余しながらも自分の座席に腰を下ろしている阿杏。二人の元気な姿を確認した僕は、ようやく昨日の出来事が全て現実だったと言う実感が沸いて来て、悲喜交々の複雑な表情を浮かべる。フォルモサの空は常に曇天だが、今の僕の心情を天候で例えるならば、果たしてどんな色の空なのだろうか。


   ●


「尊くん、この後は何か、予定はあるの?」

「いや。晩飯を食べてから帰る以外には、特に予定は無いよ?」

 終業のチャイムが鳴ると同時に帰り支度を始めた僕に、杖を突きながら歩み寄って来た阿杏が予定の有無を尋ねたので、特に何も考えずに即答した。すると僕の返答を確認した阿杏は、教室の一番前の席に腰を下ろした宮路さんにも声を掛ける。

「美恵、美恵はどう? この後は何か、予定はあるの?」

「ううん。漫研の部室に顔を出そうかと思ってたけど、特に用事がある訳じゃないから、どうとでもなるけど?」

「そっか。じゃあ二人とも、この後ちょっと、あたしに付き合ってくれない?」

 そう言った阿杏に、僕と宮路さんは詳細を知らされないまま同意した。すると思い出したように僕に向かって手を差し出しながら、阿杏は要求する。

「尊くん、ちょっと携帯電話を貸してくれる?」

「え? ああ、いいよ?」

 そう言えば阿杏は携帯電話を持っていなかったなと思いながら僕がスマートフォンを手渡すと、彼女は財布の中から名刺の様な紙を一枚取り出し、電話を掛け始めた。

「……あ、チ・ホア? うん、あたし。王杏。今日はこれから、少しの間だけでいいんだけれど、時間作れない? 大丈夫? じゃあ悪いけど、夜市の入り口で待っててくれないかな?」

 どうやら名刺の様な紙はチ・ホアの店のショップカードで、阿杏はそこに記載された番号に電話を掛けているらしい。そして通話を終えた彼女は、「ありがと」の一言と共にスマートフォンを僕に返却すると、僕と宮路さんを会食に誘う。

「良かったらさ、この後あたしと一緒に、甘い物でも食べに行かない? 昨日の一件の打ち上げと言ったらちょっと変かもしれないけれど、精進落としと言うか、お互いの苦労を労うみたいな意味でさ? いいでしょ?」

「うん、構わないよ」

「あたしも、賛成」

 特に異論は無かったので、僕と宮路さんは快諾した。

「それじゃあ、行こうか」

 そう言って先導する阿杏の後に続いて、僕と宮路さんは歩き始める。杖を突いている阿杏の歩みは常よりも遅いが、僕達は彼女に気を使わせないように注意しつつ、歩速を合わせる事を忘れない。そして駐輪場までミニバイクを取りに行った宮路さんと昇降口の前で合流すると、僕達三人は校門を潜り、南天地区の夜市を目指して歩を進める。

「……霧島くんって、同じクラスだったんだね」

 夜市に向かう国道沿いの歩道を歩きながら、宮路さんが僕に語りかけた。

「霧島くん、影が薄いのかな? あたし、今朝まで霧島くんが同じクラスだって事に、気が付かなかったの。なんでだろう?」

 小首を傾げながら不思議がる宮路さんだったが、彼女がそう感じるのも無理は無い。僕に関する過去の記憶を全て失っているのだから、宮路さんにとっての僕は、突然クラスに現れた異邦人なのだ。

「僕は、未だフォルモサに来たばかりの転校生だからね。見慣れていない僕の事を、宮路さんが気に留めていなかっただけじゃないのかな?」

 僕はそう言って誤魔化そうとするが、宮路さんは納得が行かない様子で、益々をもって小首を傾げながら不思議がる。そんな彼女の仕草を愛でながら歩き続けると、やがて僕達は夜市の入り口へと辿り着いた。するとそこにはアオザイと眼帯に身を包んだ長身痩躯のベトナム女チ・ホアと、白衣に緋袴姿の阿吽の二人が立っており、手を振りながら僕達三人を迎える。

「あれ? 阿と吽も一緒なの?」

「なんだ、霧島? あたし達が一緒じゃ悪いか?」

「いや、渾沌にやられた傷の方は大丈夫なのかと思って……」

「ふん、あの程度の傷、丸一日も休めば充分に回復してお釣りが来る」

 僕の疑問に、神獣である吽が、只でさえ釣り上がった眼をより一層細めて詰め寄りながら答えた。するとチ・ホアが、そんな吽の肩を抱いて説明する。

「阿吽はね、あたしが誘ったの。ぶっちゃけ地下では殆ど役に立たなかった二人だけれど、役立たずなりに一応は頑張ってくれたんだから、一緒にご飯を食べるくらいはいいでしょう?」

 そう言って微笑むチ・ホアと、憮然とした表情の阿吽の二人。この三人の組み合わせは仲が良いのか悪いのか、本当に分からない。

「それで、どこのお店で何を食べるのかしら?」

「あたしの知っているお店で、皆で雪花冰シュエホワビンでも食べようかなってか思うんだけれど、どうかな?」

 チ・ホアの問いに、発起人である阿杏が答えた。彼女の口から発された聞き慣れない単語に、僕は問う。

「しゅえ……何だって?」

「雪花冰。内地で言うところの、カキ氷の一種かな。美味しいよ」

 阿杏が、雪花冰の正体を簡単に説明してくれた。すると他の面々も、彼女の提案に賛同する。

「いいんじゃないの、雪花冰。今は冬だけれど、たまには冷たいデザートを食べるのも悪くないんじゃない?」

「賛成。冬のアイスとか、美味しいもんね」

「是非も無い」

 チ・ホア、宮路さん、それに阿吽の二人も、それぞれの言葉でもって雪花冰とやらを食べに行く事を諾った。勿論この僕もまた、異論を挟む気は無い。

「それじゃあ皆、目的のお店はこっちだから、あたしに付いて来て」

 そう言った阿杏が杖を突きながら夜市を歩き始めたので、僕達はぞろぞろと、彼女の後に付き従う。そして数分も歩いた後に辿り着いたのは、夜市の露店ではなく、夜市沿いに建つビルの一階にテナントとして入居している甘味店だった。

「ここの雪花冰、種類も豊富で美味しいんだ。尊くんは、どれにする?」

「ええと……」

 店内の壁に掲げられたメニュー表を指差す阿杏に問われて、僕は何を注文するべきかを悩む。幸いにもこの店のメニューは北京語だけでなく日本語も併記されていたので、漢字の意味が分からなくて難儀する事は無さそうだ。ちなみに「雪花冰」には日本語で、「味付きカキ氷」と併記されていた。随分と大雑把な表現だなと思い、少しだけ吹き出しそうになる。

「霧島くん、何にするか悩んでるの? だったら最初は一番スタンダードなミルク味の氷に、マンゴーシロップをかけてもらったら?」

「それが一番スタンダードなの? じゃあ、それにしようか」

 宮路さんの助言に従い、僕は彼女が言う通りの組み合わせで雪花冰を注文した。すると厨房内の店員が白い氷を削って陶器の皿に盛り、その氷の上に角切りのマンゴーをたっぷりと乗せ、更にその上からマンゴー味のシロップがこれでもかとばかりにかけられる。そして最後の仕上げにチョコチップとコーンフレークが少々トッピングされて、僕の雪花冰は完成した。

「皆、昨日はお疲れ様。乾杯」

「乾杯」

 甘味店の一角のテーブルに陣取った僕達は、阿杏の音頭で乾杯を唱和すると、無料の温かい烏龍茶を一口啜る。阿杏は右膝の自由を失い、宮路さんは記憶の一部を失った今の状況はお世辞にも祝うべきものではなかったが、一つの事を成し遂げた区切りとしてこんな場を設けるのも悪く無い。

「あれ? 氷が甘い?」

 自分の雪花冰を一口食べた僕は、驚きの声を上げた。

「うん。雪花冰は内地のカキ氷と違って、練乳を溶いた牛乳を凍らせてから、それを削ってカキ氷にしたものなんだ。だから最初から、氷に味が付いているの。ちなみにあたしのは、氷もシロップもチョコレート味」

「ふうん」

 雪花冰の製法を解説してくれた阿杏の言葉に頷いた僕は、このフォルモサ式のカキ氷を食べ進める。内地のカキ氷との違いは氷に味が付いている点だけではなく、削り方も内地よりもきめが細かくて、フワフワとした粉雪の様な食感が舌に心地良い。そして阿杏が食べている雪花冰は、確かに彼女の言う通り、茶色いチョコレート風味の氷にチョコレートソースがたっぶりとかけられていた。

「ねえ、霧島くん」

 雪花冰の上に乗せられた角切りのマンゴーを頬張っていた僕に宮路さんが声を掛けて来たので、そちらを見遣る。すると彼女は、苺がたっぷりと乗せられた彼女の分の雪花冰を、既に半分方食べ終えたところだった。そう言えば以前一緒に豆花を食べた時も苺を大量にトッピングしていたので、宮路さんは苺が好物なのかもしれない。

「あのさ、霧島くんはさ、東京から来たんだよね? 東京の、どの辺?」

「え? 浅草だけど?」

「え、すごい。東京でも、真ん中辺りじゃない。それじゃあ霧島くんはさ、芸能人とか漫画家とかに、知り合いとかいるの? やっぱり東京では、そこら辺に芸能人が歩いてたりするの?」

 以前もどこかで行なわれたような遣り取りを、僕と宮路さんは繰り返す。

「残念ながら、芸能人に知り合いはいないし、漫画家にもいないよ。それに僕の父さんは作家だけれど、売れない小説家で、漫画家じゃない。将来は漫画家を目指している宮路さんには悪いけれど、力にはなれないね」

 僕の返答に、宮路さんがスプーンを咥えたまま、またしても眼をぱちくりさせた。

「え? どうして霧島くん、あたしが漫画家を目指してるって知ってるの? 阿杏から聞いたの? 違う? それじゃあ、もしかしてヨシダから聞いたの? あいつさ、あたしの事を、アニメばっかり観てるオタクだって言って馬鹿にしてたでしょ? オタクは気持ち悪いって、あいつすぐに言うんだもん」

 そう言って唇を尖らせる宮路さんに、僕は微笑みながら、やはり以前も一度言ったような事を繰り返して言う。

「いや、宮路さんは気持ち悪くなんてないよ。女の子がアニメが好きとか、ちょっと可愛いんじゃないのかな?」

 僕がそう言うと、宮路さんは僕の顔を少し熱っぽい眼で見つめながら、何やら頬を赤らめ始めた。

「ん? どうしたの、宮路さん?」

「え? あ、いや、その、ううん、何でもない。何でもないから」

 しどろもどろになりながらもそう言った宮路さんは、無理に作ったような笑顔をこちらに向けながら、残りの雪花冰を無心に食べ続ける。彼女の隣では渋い抹茶味の雪花冰に小豆をトッピングしたチ・ホアが、僕達二人の遣り取りを聞きながらニコニコと微笑んでいた。またテーブルの一番奥に並んで腰を下ろした阿吽の二人も、バナナ味の雪花冰を一心不乱に食べ続けている。

「こう言うのを、『人間万事塞翁が馬』って言うのかな? それとも、『禍福は糾える縄の如し』?」

「ん? 尊くん、何か言った?」

「いや、別に。只の独り言だよ」

 チョコレート味の雪花冰を食べる阿杏の問いを、僕は誤魔化した。彼女は確かに大事な右脚を失ったが、その代わりに父親との関係が改善に向かっている。そして記憶の一部を失った宮路さんもまた、僕に対する記憶と感情を再構築しつつあるように見受けられた。その事実が、やけに嬉しい。

「どうしたの、尊くん? さっきからニヤニヤと笑ってるよ?」

「いやその、渾沌も、あれはあれで悪い妖ではなかったんじゃないのかなと思ってさ」

「ふうん? 変なの?」

 訝しむ阿杏の問いに答えた僕は、彼女と宮路さんの顔を交互に見遣ってから、願を掛けると同時に決意を新たにする。彼女達の未来に幸多からん事と、そのために僕が全力を尽くす事を。

 甘味店の外を、一匹の饿鬼が走り去った。

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