第28話危篤
パトカーは相次いで到着し、現場に倒れる男二人と、海に向かってエンジンが掛かったままのカローラ、そして、黒いロードスターが停まっているのを発見した。訳が分からず、警官はカローラのエンジンを慌てて切り、運転席で気を失っているあやめを見た。
「矢井田さん!しっかり!どうしましたか?!」と、傍の警官を見た。「救急車を。」
あやめは揺さぶられて目を開けようとするものの、朦朧としていてはっきりしないようだ。
「車…私の…!」あやめは、それでも必死に言った。「黒にされて…でも私の…!」
警官はロードスターを振り返った。
「どうしてここに?」
「薬を…」あやめは目の焦点が定まらない。「殺されるかも…。田島さん、宮脇さんが…。」
警官達が気を失っている田島に手錠を掛けた。悟にも手錠を掛けようとした時、ハッと気付いた悟はその手を振り払った。
「やめろ!触るな!」
悟は弾かれたように立ち上がると、じりじりと下がった。
「駄目だ戻れ!大人しく署まで来るんだ。」
背後には断崖が迫っていた。警官達が刺激しないように両手を広げて見せながらゆっくり近付いた。
「来るな!」悟は叫んだ。「オレは捕まらないぞ!」
あやめはまだ朦朧とした意識のまま、歪んだ悟の顔を見た。悟さん…。
「わかった。とにかく話を聞かせてくれ。」
警官が手を伸ばそうとした時、悟は叫んだ。目が、何かの覚悟を知らせていた。
「もういい!オレの負けだ!」
悟は、くるりと後ろを向いて、そこから飛んだ。
「くそ!」
警官が慌てて這いつくばった形で下を見た。下に岩場はなく、ただ水面が見えるのみだ。
飛び降りたの…?
「悟!」
星路の声の向こうで、救急車の音が聞こえる。あやめはまた気を失った。
次に気が付いた時、あやめは病院のベッドの上に居た。看護師の女性が、それを見て微笑んだ。
「気が付いた?」彼女はナースコールを押した。「矢井田さん、気付かれました。」
あやめが状況を把握しようと回りを見回していると、警官らしき私服の男性と、白衣を着た男性が入って来た。
「気分はどうですか?」白衣の男性が言った。「軽い神経作用を起こす薬品だったようで、もう抜けていると判断しているのですが。」
あやめは、自分の腕に点滴が刺されているのを見た。ソリタと書かれた透明のバッグが付いている。過去にインフルエンザで入院した時で知っているが、これが単独の時はもう治りかけの時…。自分の体の状態は大したことないのだろう。
あやめは答えた。
「もう、頭ははっきりしています。あれからどれぐらい経ちましか?」
窓の外は暗い。それには、隣の警官が答えた。
「半日経ちました。ずっと眠っていたので。」と、白衣の男性に言った。「話しても?」
相手は頷いた。
「大丈夫です。退院してもいいぐらいですが、大事を取って今晩は様子を見ましょう。」
あやめは頷いた。星路が気になる。マスターキーは、どこだろう…。
「私の車は?」
警官は答えた。
「問題なく、署でお預かりしています。何があったか、説明して頂けますか?」
あやめは、どう説明したらいいのか迷ったが、星路が話す事は言わずにおこうと思った。
「はい。車を探して、宮脇さんと倉庫などに隠していないか昨日は見て回りました。それとは別に、私は辺りのかたに聞いて回って、黒いロードスターの目撃証言を得ました。私の車は白でしたが、塗られてしまった可能性を考えて、その車が向かったらしい別荘を探り当てました。私は宮脇さんに、警察に立ち合ってもらってそこへ行こうと相談しました。すると宮脇さんは、警察に言わずに先に確認してからにしようと言って、私をそこへ連れて行ったのです…そこに、田島さんも居て、黒いロードスターもありました。ナンバーも違ったけど、私が付けていた印を確認して…運転席側のドアを開けた車体の所に、小さくイニシャルのAYと彫ってあったのです。」あやめはそこで息を付いた。「私がそれを指摘すると、田島さんに布を口に当てられて、気を失いました。それからは覚えていません。」
警官は頷いた。
「宮脇と田島は、窃盗罪と、殺人未遂罪に問われています。田島は拘束されて、素直に取り調べに応じています。だが、宮脇はあのあと海に飛び込み、すぐに助け上げられましたが、意識不明の重体です。」
あやめは口を押さえた。重体…。
「宮脇さんは、ここに?」
警官は頷いた。
「はい。ですが、難しい容態のようで、予断は許しません。それに警備の警官もついていますので、ご心配なく。」
あやめは頷いた。だが、そんなことを心配しているのではなかった。こんな形で悟さんに何かあったら、星路は傷付くのではないか…。
「今夜はゆっくり休んでください。もう大丈夫かと思いますが、ご自宅に警備の警官をつけますので。それで一週間ほど様子を見ましょう。」
あやめは頭を下げた。
「はい。ありがとうございます。」
あやめは、出て行く警官と医師を見送った。看護師が言った。
「お腹が空いてませんか?今の時間なら、ぎりぎり下の購買が開いているので、何か買って来られてもいいですけど。」
そういえば、何も食べていない。だが、不思議と空腹ではなかった。飲み物だけでも買って来るかな。
看護師は、すっすと手早く点滴の針を抜くと、出て行った。あやめは、傍の小さな棚に置いてある自分の鞄を取って、中を覗いた。星路のマスターキー…。
そこには、驚いたことにマスターキーも、悟に渡したはずのスペアキーも、そしてあの玉も入っていた。
「…星路?」
あやめは、マスターキーを手に取って言った。星路は待っていたようで、答えた。
「あやめ?体調はどうだ。」
あやめは星路の声にホッとしながら答えた。
「私は大丈夫。もう退院してもいいみたいなんだけど、今夜はここにって。」
「そうか。」
星路はホッとしたように言った。あやめは鞄の中を見ながら言った。
「ねえ、私いつもポケットに入れていた玉も、悟さんに渡したはずのスペアキーもここにあるの。」
星路はああ、というように答えた。
「警察が到着する前に、オレがお前に持たせたんだよ。きっと看護師か警官が鞄に入れたんだろうな。」
あやめは驚いた。星路が持たせた?
「でも、星路…どうやって?」
星路は苦笑した。
「お前、玉を使って田島から逃れようとしたろう?その時、間に合わなくてオレの中にあの玉を落としたんだよ。お前、あのままじゃカローラに乗せられて海に落とされるところだったんだ。シアに向かってオレが叫んだら、玉が光出して、こっちで人の姿になれた。だから、二人をぶん殴ってやったのさ。その後、いろいろ集めてお前に持たせた。」
「ええ?!すごいわ!」あやめは叫んだ。「こっちでも玉を使えば、もしかして人になれるんじゃない?なんだか嬉しい…星路、ありがとう。助けてくれたのね。」
星路はなんだか嬉しそうな声を出した。
「オレも嬉しいよ。お前を守ることが出来て。何しろ、お前はオレの嫁だからな。」
あやめは、なんだかくすぐったくてふふと笑った。
「そうよね。ふふふ。すごく嬉しい。ここに星路が居たらなあ。一緒に眠りたいなあ。」
しばらく黙った後、星路が言った。
「うーん、病院ではちょっとなあ。いくら個室でもオレもしたことないことするからなあ。」
あやめは、その意味を悟って慌てて言った。
「違うわ!星路、あっちの意味じゃないくて、ただ一緒に寝たいだけよ!」
顔が赤くなる。星路は普通に答えた。
「なんだ、違うのか。オレはてっきりお前が早くしたいのかと思って。」
あやめは首も耳まで赤くして首を振った。
「もう…いくらなんでも私からそんなこと誘ったりしないわ。」
星路はあくまで平常心だ。
「そうなのか。じゃあ、オレから誘うことにするよ。」
あやめは顔から火が出そうだった。あやめが黙っていると、星路が言った。
「ところで、悟は恐らく、あっちへ行ってるな。」
あやめはがばっと顔を上げた。
「やっぱりそうなの?…じゃあ、もう助からないわね。」
星路はしかし、自信が無さそうだった。
「いや、分からないが。オレは、あっちへ行ってみようかと思ってるんだが…。もし、明日まであいつが持ったら、一緒に行かねぇか?」
あやめは考えたが、頷いた。
「うん。明日行ってみよう。仕事も、これじゃあもう事務所閉めてしまってるだろうし。悟さんがあんな感じだもの。」
「生き残っても、犯罪者だからな。もう、あんな仕事が出来るのかどうか。」星路は言った。「とにかく、明日行こう。」
あやめは頷いて、星路のマスターキーを抱き締めた。
「星路…早く落ち着いて生活したいね。」
星路は頷いたようだった。
「ああ。もう少しだ。」
あやめは頷いて、売店は諦めて、ベッドに横になって目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます