第27話本当の黒幕

「社長、どうなさるおつもりですか?まさか、これがこの子の車だなんて、一言もおっしゃらなかったじゃないですか。」

悟はちらと田島を見た。

「知らなかったで済むと思うか?お前はもうこうしてオレに手を貸しただろうが。」

田島は怒ったように言った。

「それは…!オレも罪に問われるとか言うから…!」

悟は手を振った。

「大丈夫、この子は少しおかしいんだ。車と話せるとか言う。実際はどこから調べたのか知らないが、かなりの早さでオレ達の動向が漏れていた。生かしとく訳には行かないだろう。」

田島は、固唾を飲んだ。

「え…そこまでする必要があるんでしょうか。」

悟は、厳しい目で気を失っているあやめを見た。

「誰が嫌がらせをしていたのか知ってしまった。この分なら、桑田の件だってどこまで調べてるかわかったもんじゃない。このままだとこっちに火の粉が来るんだ。それに、元々この車はオレの車だった。それをさっさと先にかすめ取ってしまってたんだからな。色も何もかも変えたのに、こんな所にこんなものを彫りやがって。」悟は、そのAYという文字を憎々しげに見た。「あのカローラでこいつを運べ。崖からこのまま落とそう。この薬品は残らない。災難の多い子だから、呪いだのなんだので流してみせるさ。」

田島は、小刻みに震えながらあやめを星路の運転席から降ろすと、カローラへと運んだ。星路は、悟を見上げた。

「悟…!お前は、なんてヤツなんだ!」

悟には聞こえない。あやめは気を失ったまま、田島に運ばれて行く。

「あやめ…!」

「ちょっと待て。」悟は、あやめの手から星路のマスターキーを抜き取った。「オレが先導する。いい崖がある。ついて来い。」

悟は、まるで何かを追い詰めてやっとものにする時のような顔をしてにやりと笑い、星路の運転席に座ってマスターキを差し込み、それを回した。星路はこんな男の運転に従うなど虫唾が走ったが、あやめについて行くには、マスターキーも離されてしまった今、それしかない。そのまま、後ろから走って来るカローラを見て、星路は言った。

「カローラ、お前なんとか出来ねぇのか!」

カローラが歯ぎしりせんばかりの気迫で言った。

「無茶を言うな!オレだってそいつをひき殺してやりたいが、どうにも出来ない。あやめはピクリとも動かないぞ。何をしやがったんだ!」カローラが、必死にあやめに語り掛けている。「あやめ!あやめしっかりしろ!殺されちまうぞ!」

応答はない。カローラは、運転している田島の精神状態を反映しているのか、時に右に左に大きく揺れた。そのたびに星路はひやりとし、そして悟は舌打ちをした。

「…あいつも殺ったほうがいいかもな。」

その一人言に、星路はゾッとした。これは、オレの知ってる悟じゃない。オレはこんな危ないヤツを、あやめに近付けて平気でいたのか。人は、変わる。悟はこの8年の間に、別人になってしまったのだ。悟は余裕だった…見た目の違うロードスターで、簡単には見つからないと鷹をくくっているのだろう。確かに途中、パトカーとすれ違ったが、こちらには見向きもしなかった。

その道すがら、悟は、何かに気付いたようにフッと笑った。そして、言った。

「ロードスター、お前にオレの声が本当に聞こえて、お前が答えているのならな。ま、そうなら今頃、お前はオレが憎くて話を聞くどころじゃないかもしれないが。」

星路は、悟の顔を見たくもなかった。なので、聞こえないのは知っていたが、答えなかった。悟は、一方的に話し始めた。

「お前と別れる前夜、一緒に目撃したあの女の浮気現場を覚えているか。」

星路は、忘れようと思っていたその場面を思い出した。悟は、あんな女でも愛していたのだ。今ならわかる。悟がなぜあれほどに怒り、そして涙していたのか。女はしらを切り、それでも悟は相手の男を見て…。あの後、どうなったのだろう。

「あれはな、桑田だった。」悟は言った。「桑田だったんだよ。あんな女には未練も何もなかったが、桑田のことは許せなかった。だから、復讐してやろうと狙っていたのさ。全ては、オレの復讐のためだ。ただ、お前が現れたのが計算外だったがな。ロードスター、きっともう、遠くへ行ってしまったのだと思っていたのに。一刻も早く金を稼いで、絶対に取り返すのだと、あの時誓った。それを、姿を見てまた思い出してしまった。あの子には何の恨みもないが、桑田の復讐を果たした今、あとはお前を手にしたらオレは満足なんだ。オレを邪魔するから、死んでもらうだけだ。」

星路は、息を飲んだ。そういうことだったのか。あの時の相手は、桑田だったのか…。

車は、誰に怪しまれることもなく、山の方へと入って行った。まだ明るいのだ。こんな所へ、まさか人殺しをしに来るなどと思わないだろう。

木々が生い茂る間の道を抜けて行くと、そこは、あの時飛び降りた崖のような場所だった。悟は星路を停めると、車から降りて言った。

「そいつを運転席へ移せ。」

田島は頷くと、素直に従った。そして、エンジンを掛け直した。

「やめろ!」カローラが言った。「星路!あやめちゃんが!」

星路は叫んだ。

「あやめ!あやめ!答えろ!」

あやめは、目を閉じたまま身動きしない。星路は必死に念じた。

「シア!シア、オレには何の力もない…!自分の嫁も、助けてやることが出来ないなんて!」

何かが、星路の室内のどこかで光った。

「なんだ?!」

悟と、田島が振り返る。見ると、ロードスターの室内から目映い光が湧きあがって大きくなった。二人は思わず腕で顔を庇う。そして、それが収まった後には、黒髪に青い瞳の、背の高い体格のいい男が立っていた。

「…人の嫁に何をしやがる!」

その男は、物凄い速さで田島を殴り倒した。たった一発で気を失って、人形のように転がる田島を蹴り飛ばし、その男は悟に向き合った。

「よう、悟。お前、オレが欲しいからあやめを殺すだって?」

悟は、その男に向かい合った。目は鋭いが、腰が引けている。体格の差が歴然としているからだ。

「お前など知らん!いい加減にしろ!」

悟は、男に殴り掛かった。男はそれをかわして悟を一発殴ると、倒れたその襟首を掴んで持ち上げ、言った。

「オレは星路。そのロードスターだ。あやめはオレの嫁。お前な、やっていいことと悪いことがあるんだよ。あやめが死ぬほど言ってただろうが。車の声が聞こえると。お前には聞こえなかっただろうよ、残念ながら。だがな、オレ達には悪巧みは見えてるんだよ。オレが待ってたのは、こんなお前じゃねぇ。ただ素直に大事にしてくれた悟だった。だが、今のオレはあやめのものだ。お前のものじゃねぇよ。」

悟が何かを言い掛けた時、星路は悟を殴り倒した。悟も、田島の横に転がる。すると、遠くからパトカーの音が聞こえて来た。

「あいつら、役に立つなあ。」カローラが、まだあやめを乗せたまま言った。「さっき通りすがりに助けてくれと言って置いたんだ。すぐに無線をおかしくして、こっちへと警官を向かわせてくれたよ。」

星路は頷いた。

「ほんとにあいつらには世話になりっぱなしだ。なんか礼をしなきゃな。」

カローラは興味深げに言った。

「なあ星路、それがお前のあっちでの姿か?なかなかいいじゃないか。」

星路は苦笑した。

「そうか?あっちへ行ったらこうなった。ただそれだけだ。さてと。」

星路は田島のポケットから星路のスペアキーの複製を取ると、今差し込んであるマスターキーを抜いて、入れ替えた。そしてあやめにマスターキーを握らせると、今自分の手の中にあるあのガラスのような玉を、あやめのポケットにそっと入れた。そして、悟のキーケースから、自分のスペアキーを抜き取った。

「こいつに全部持たせとかないと、安心出来ねぇ。今は、玉があったからオレもこうしてこの形になれたがな。」

パトカーのサイレンが近くなって来た。

「カローラ、頼んだぞ。」

カローラは頷いたようだ。

「任せてくれ。絶対崖からは落とさないから。」

星路は、霧散するようにその姿を消した。

そしてそこにパトカーが滑り込んで来たのだった。

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