第26話真実
次の日、あやめはこちらの世界に戻ると、急いで代車のデミオに乗って職場へと向かった。駐車場に停めて歩いて行くと、悟が来てシャッターを開けているところだった。
「はやいね、あやめちゃん!」悟はびっくりしたように言った。「ちょっと待って、まだ誰も来ていないんだ。本当なら田島が当番の日だったんだが、今日は休むと連絡があってね。体調を崩したらしい。」
あやめは、不安になった。休み…じゃあ、その間にどこかへ持って行かれるかもしれない。あやめは焦って急いで言った。
「悟さん、ロードスターの居場所がわかったんです。」悟は驚いていたが、あやめは構わず言った。「昨夜移動させられて。今日、警察と一緒にその家に行きたいのですが。」
悟は、あやめと向き合った。
「…どうしてわかる?」
あやめは急いで言った。
「昨日も言いました。本人がそう言ってるんです。山向こうの、別荘のシャッター付きガレージの中に。」
悟はしばらく黙って、あやめの言う事を信じるか信じないべきか悩んでいるようだった。
悟は、開けた事務所の中を示した。
「とにかく、中へ。」
あやめは何でもいいから早くして欲しかった。中に入りながら早口に言った。
「急がないといけないんです。」あやめは必死に先に歩く悟について歩きながら言った。「田島さん、お休みでしょう?ロードスターが言うには、田島さんが倉庫からその家に運んだと言ってるんです。またどこかへ運ぶつもりかも…。」
悟は黙ってパソコンを立ち上げる。そして、言った。
「…君は無茶を言う。そんなことを簡単に信じるのは無理なんだ。警察にまで言って、他人の家を家宅捜索させて、間違いでしたじゃ済まされない。まして、田島はオレの信頼している部下だ。それを疑えと君は言うのか。」
悟は険しい顔であやめを見た。確かに、信じられないだろう。昨日付き合ってくれただけでも、悟にすれば譲歩したことなのだろう。あやめはうなだれた。
「…そうですよね。」他人に頼ってばかりなのがいけなかった。あやめはそう思って、踵を返した。「悟さんまで巻き込むつもりはありません。私、一人で警察に行きます。」
あやめが出て行こうとすると、悟はあやめを呼び止めた。
「…待て!」悟は、ため息を付いた。「わかったよ。どの辺りだ?今、パソコンで地図を出したから、教えてくれないか。」
あやめはためらった。これ以上悟さんを巻き込んだら、後で後悔するんじゃないだろうか…。
「国道を山越えして、宮地口交差点を右折。」
星路の声が言った。あやめは、迷いを振り切ってマウスを持った。
「それから?」
星路は続けた。
「道なりに進んで始めに出て来る分岐を左。その突き当り、左方向の家。」
あやめは、言われるままに地図を辿り、ポインタを当てた。
「この家だと言っています。」
悟はまた黙った。しばらくそれを見ていたが、言った。
「…別荘地だよ。きっと人はいないだろう。君がどうしてもと言うのなら、一度先に見に行こう。警察を呼ぶのは、それからでも遅くはない。」
あやめは、悟を見た。
「でも…いいです。もう、これ以上は悟さんには面倒でしょう。警察に来てもらいます。私には、そこに確かに星路が居ると分かるから。」
悟は怪訝な顔をした。
「星路?」
あやめは頷いた。
「私のロードスターの名前です。黒い車体に、銀の新しいホイールを履かされて、ナンバープレートまで換えられていても、星路は星路だと、私には分かるから。」
悟は、じっとあやめを見た。無表情で、何を考えているのか分からない。あやめは、頭を下げた。
「では、また。」
あやめは急いで事務所を出た。代車のデミオに向かっていると、後ろから悟が追って来た。
「あやめちゃん!待て!」あやめは振り返った。悟は言った。「オレも行くよ。オレの車に乗って。」
あやめは戸惑った。
「でも…、」
「根負けしたよ。」悟は、あやめの手を取った。「さあ、行こう。急ぐんだろう?」
あやめは頷いて、悟のスカイラインに乗り込んだ。
スカイラインは、また無言で出発した。
山の中を抜けて行く国道を走りながら、あやめはその景色を見つめた。星路は、この道を走らされて行ったのだ。きっと心細かっただろうなと思うと、あやめは胸が痛んだ。見た目をあんなに変えられて、それでも文句も言えないのだ。車って、きっと盗まれたりしたものは、そんな思いで走って行くのだろうな。
そんなことを考えながら窓の外を見ていると、悟が言った。
「それで、あやめちゃんはいつから車の話が聞けるようになったんだ?」
あやめはハッとして悟を見た。
「…5年前です。ディーラーに並んでいる星路を見ていたら、話し掛けて来た。それが最初でした。それで、何が何でも買えと星路自身に押し売られたんです。私もまあ、気に入ったから、買いました。それから、いろんな車や物の話し声が聞こえるようになって。祖母が亡くなっても、だからそんなに寂しいと思う暇はありませんでした。近所の車達も、とてもよくしてくれるから。」
悟は、無表情で前を見ながらハンドルを握っていた。信じられるはずなどないけど。あやめはもう、諦めていた。だが、悟は、言った。
「…羨ましいよ。君は一人でも寂しくはないんだな。」
あやめは驚いて悟を見た。悟は、それから何も言わずに、星路の示した道のまま走り続けた。
気が付くと、そこは木々に囲まれた細い林道だった。あやめは緊張気味に道の両脇を見た…ほとんど一方通行のように、舗装すらされていない道だ。星路が言った最初の分岐が出て来て、そこを入って行くと、突き当りにあの別荘が現れた。昔の洋館のような作りで、小高い位置に建てられ、下が駐車場になっている。シャッターは閉まっていたが、その近くには、白いカローラが停まっていた。
「あ…!」
あやめは、田島が来ているのだと思った。あのカローラは、悟の事務所の社用車だ。悟が俄かに眉を寄せた。
そして、スカイラインをその隣に停めると、言った。
「行こうか。」
あやめは頷いた。どちらにしても、悟が居るのだから大丈夫だろう。
「大丈夫か?ここには田島が居るぞ。悟に言っておけよ。」
あやめは頷いた。
「知ってるわ。外に社用車のカローラがあるから。」
悟は、中を覗くと、シャッターの横の戸を開けて中へ入った。あやめは驚いた…どうして、そんなに大胆になれるのかしら。
あやめが中へそろそろと足を踏み入れると、田島がこちらを見て、星路の向こう側に立っていた。悟は黙っている。あやめは言った。
「星路…。」
星路の車体に触れると、星路は言った。
「…気をつけろ。様子が変だ。」
あやめは頷いた。そして星路の助手席側のドアを開いて乗り込むと、言った。
「間違いありません。姿は変わっているけど、私のロードスターです。」
悟は首を振った。
「どうして分かる?」
あやめは、ダッシュボードの下を見て、そこの傷がないのを知った。ここも、きっと取り換えられてしまったのだ。しかし、運転席側に座り直して、ドアを開けて車体に刻印されている番号と、その横に並んでいるAYの字を見た。
「私の!ここに私のイニシャルを彫ったのです。間違いありません。これは私のロードスターです。」
悟は、ため息を付いた。
「そうか、君は本当に抜け目ないんだな。」悟は言うと、運転席側のドアの横に立った。「車の声が聞こえるって?そんなこと信じられないだろう。どうやってここを調べた?倉庫もどうやって見つけたんだ。誰が探しても辿り着けないように、オレはいろいろ工作したってのに。田島のことまで言い出した時には、信じてしまいそうになったよ。」
あやめは、何を言っているのか、始め分からなかった。茫然としていると、星路が叫んだ。
「あやめ!田島が何か持ってる!」
運転席側のドアから田島の腕がにゅっと伸びたかと思うと、何かの薬品を沁みこませた布を口と鼻に押し当てられた。
慌てて助けを求めて悟の方を見たが、悟は無表情にあやめを見降ろしている。咄嗟にあちらの世界へ飛ぼうとポケットの中の玉を探ったが、力が抜け、意識が遠のいて行った。
「あやめ!」
星路の声が遠く聴こえる。あやめの手から、シアからもらった玉がポトリと落ちて、人知れず星路の車内を転がって行った。
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