第12話最初の仕事
目が覚めると、目の前に白いシャツの胸板があった。何だか体が動きにくい…と、あやめが視線を上げると、星路があやめを抱き締めた状態で眠っていた。あやめは思わず叫んだ。
「きゃー!!」
星路はびっくりして目を開けた。
「ああ?!どうした、何があった?!」
あやめは、キングサイズのベッドの端で、こちらを見ている。星路はあやめを見た。
「…おい。まさか夢を見たとか言うんじゃねぇだろうな。朝から人騒がせな。」
あやめは、口ごもりながら言った。
「だ、だって星路、わた、私を、だき、抱きしめて寝て…。」
星路は眉を寄せた。
「別にいいだろう。人の恋人同士ってのはべたべたしてるじゃねぇか。だから抱き締めて見ただけだ。案外に柔らかくて気持ちよかったんでな。お前、オレと体付き違うのな。あっちこっちなんだって凹凸あるんだ?」
あやめは絶句した。寝てる間に触ってたの?!
「ちょ、ちょっと!寝てる時そんな…」
星路はきょとんとしている。
「別に起きてる時でもよかったけどよ。何が悪い?」
あやめには、返す言葉もなかった。だが、星路は中途半端に人の男なのだと思った。抱き締めてみたら気持ちよかったから触った。まるで子供だ。
だが、シアが言っていた。慣れない体で頑張っている…。
あやめは、何でもないように取り繕いながら、答えた。
「べ、別にいいけど。ずっと触ってたとか?」
ちょっと冗談めかした感じに言うと、星路は大真面目に言った。
「いや。触ってたら変な感じがしたからすぐ止めた。」
あやめは眉を寄せた。それは聞き捨てならない。
「変な感じって何よ?」
星路は困ったように首をかしげた。
「なんて言うか…オレはものを食ったことはないが、食っちまいたいような。だから止めた。」
あやめはびっくりした。それって…もしかしてああいうこと?
星路はきっと、本当に人の男になったのだ。だが、根本的にそんな知識はないので、ためらったのだろう。
あやめが黙っていると、星路が伸びをした。
「あ~よく寝たような感じがする。給油してくれ、あやめ。すっきりしたらEベタになった気がする。」
お腹が空いたのか。あやめは笑った。
「じゃあ、朝ご飯食べてから向こうへ戻ろう?星路のテール、直してもらいに行かなきゃ。ローダーで来てくれるとか言ってたのに、勝手に帰って来ちゃったから悪かったかな。」
星路はベッドから降りた。
「まあいいさ。近くなんだしな。」
あやめは念じて食材を出すと、手早く和食の朝ご飯を作り、星路とまたすったもんだして食べたのだった。
「いや、星路はそこに居たぞ?」前のプリウスが言った。「ただ、死んでるように気配がなかった。だから皆で騒いでたんだ。」
回りの車や自転車、バイク達にことの次第を話していたのだ。どうやら、あっちへ行ってる間は車はこのままで、命が戻るらしい。星路は言った。
「そうか。そうだろうな、オレは死んだんだからよ。」
「不思議な事もあるもんだ。」斜め前のエルグランドが言った。「だが、それで怖くなくなった。オレは死んだらどうなるのかと、ずっと思ってたからな。何しろ、もう13年目なんだ。」
そろそろ意識を失う事もあるのだろう。星路は答えた。
「大丈夫だ。あっちは過ごしやすいぞ。オレみたいに人になるこたないだろうがな。」
エルグランドはため息を付いた。
「人になりたいとは思わないな。車で生きて来たから、戸惑うだろう。だが、人が嫌いな訳じゃないぞ?」
星路は知っていた。ここのオーナーは、ずっと大切に新車から乗って来ていた。嫁はその隣にあるマーチに乗っていたが、オーナーはずっとこれだった。ちょっとコンビニへ出るのもエルグランドなのだ。だから、エルグランドはオーナーのことが好きなのだろうと思った。
プリウスが言った。
「星路は人で良かったろう。あやめちゃんと恋人だと言っていたじゃないか。」
星路は少し黙って、それからため息を付いた。
「…だがな、オレだって車だったんだよ。こっちのほうがしっくりくるし、人の常識があんまりわからねぇ。だいたい、この中に人と恋愛したヤツは居るか?オレはあやめが好きだが、どうも人の男ってのはそれだけじゃないらしい。結婚ってのは役所に届け出して一緒に住んでるだけじゃないのか。」
プリウスが黙った。エルグランドが、言いにくそうに言った。
「…いや…違うと思う。」皆の意識が、エルグランドに向いた。「オレは知ってるがな、人っていうのはああいう体を持ってる生物だろう。どうせ人には聞こえないから言うが、オレのオーナーは嫁の他に恋人ってのが居た時があったんだ。オレは室内が広いから、中でいろいろ…な。それで知った。人の恋人同士ってのはこんなことをするのかと。」
プリウスも思い切ったように言った。
「私のオーナーも、たまに人けのない公園の広い駐車場とかで、人のそういうことのDVDを見ることがあったのだ。」これもまた言いにくそうだ。「なので知っている。つまりはな、星路、人になったならそういうことが必要という事ではないのか。」
星路は戸惑った声を出した。
「そういうことってなんだ?オレはどうやったらそれを知ることが出来る?」
一瞬、エルグランドもプリウスも黙った。どう説明したものか考えているのだろう。すると、横から自転車が言った。
「ここの家のパソコンに頼んでみたら?」皆の意識がそっちへ向いた。「僕、よくパソコンと窓越しに話すけど、結構自分でいろんなことが出来るらしいよ。人の手を使わなくても。だから、星路のコンピュータに送ってもらったらいいんだ。そういうことの画像とか、資料をさ。」
プリウスがホッとしたような声を出した。
「そうだ。お前の所のパソコンは窓際だからな。話しも出来るんだろう。頼んでくれないか。」
自転車は頷いたようだった。
「任せて。いつ送ったらいい?星路、いっつもあやめちゃんと居るから、見られないんじゃない?」
星路は真剣に答えた。
「今日はこれからディーラーへ行くんだ。だから、あっちで直されるまで居る。ただ、あやめが板金を急がせていたから、長くて三日だな。夜中なら誰も居ないから大丈夫だろう。」
自転車は得意げに言った。
「オッケー。そう言っとくよ。多分パソコンも夜中の方がいいって言うだろうから。」
あやめが出て来た。ディーラーへ行くのだ。
「星路?マスターキーから話しても答えないから。」
少し怒っているようだ。星路は答えた。
「近所のやつらに心配掛けただろうよ。いろいろ説明してたのさ。お前は、どうする?オレを預けてから、セダンの所へ行くのか?」
あやめは頷いた。
「ソッとね。私が言えば見せてくれるだろうけど、あっちに連れて行く時私はこっちから消えちゃうから。警察の人がびっくりするでしょう?また、どうなったのか夜にでも説明するよ。」
星路は慌てたように言った。
「夜は駄目だ。ほら、オレも寝るんだよ。車だからって寝ないで済む訳じゃねぇだろ。」
あやめは、怪訝そうに言った。
「そう?いつも起きてたのに。ま、今は本当は人だものね。わかった、昼の内に連絡する。」
星路は言った。
「ああそれから、ネットに繋いで置いてくれよ。前に何かの更新を無料で一緒にしてくれようとして、繋がってなかったから出来なかったことあったんだ。」
あやめは驚いたような顔をして頷いた。
「そうなの?ごめん、繋いどくわ。」
星路はホッとして、乗り込むあやめを見守った。そして、あやめの運転に従ってそこを出て行ったのだった。
星路をディーラーに預けたあと、あやめは一人で警察署の裏側へ歩いて行った。そこの車庫のことは、あやめも知っていたのだ。
「早く、こっちへ!」
知らない声がする。振り返ると、そこにはパトカーが停まっていた。
「パトカー?」
「人が来る。オレの後ろに。」
あやめは、急いで言われるままそのパトカーの後ろに隠れた。目の前を、二人の作業着姿の人が通り過ぎて行った。
「もう大丈夫。しばらくは来ないよ。」あやめは、パトカーの声に恐々顔を上げた。パトカーは続けた。「あいつを、助けてやるために来たんだろ?白バイが街で他のやつらに噂を聞いて来たから、ここでもみんな知ってる。連れてってやるんだろ?」
あやめは頷いた。
「廃車になるって聞いて。まだ、意識があるのに。」
パトカーは笑ったようだった。
「ホッとしたよ。オレの仲間も、同じように廃車になって行ったヤツが居るんだ。君がもっと早く居たらなあ。あいつは最後まで勇敢だったが。それでも怖かっただろうと思う。」
あやめは頷いた。
「これからは、私と星路が出来る限り頑張ります。」
パトカーは頷いたようだった。
「頼んだよ。オレに何かあっても、これで安心だ。」
あやめは、パトカー達に見送られて、車庫の奥へと歩いて行った。そこには、見るも無残な姿になった、あのセダンが静かに停まっていた。あやめは涙が出た…あの時、後ろから一生懸命逃げろと言ってくれていたのに。あの狭い道を、無理に進まされた上星路にぶつかって…。
あやめは、涙ぐんだままそっとそのつぶれた右のドアの辺りに触れた。セダンが、ハッとしたような声を出した。
「…嬢ちゃんか?なんでこんな所へ。」
あやめは答えた。
「連れに来たの。一緒に行こう?」
セダンは、戸惑ったような声を出した。
「どこへ?確かにまだ走れるが、こんな状態じゃあな。」
「あっちの世界よ。あのね、私はもう、星路と一緒にあっちの世界の住人になってしまったの。だから、あなたの命を、この体から離して連れて行くわ。」
セダンは息を飲んだ。
「…廃車になる前に?」
あやめは頷いた。
「そう。今、私達はあっちとこっちを行き来して生きてるの…正確には、こっちの世界では既に死んでるんだと思うけど。こうして、あなたのように迷いそうな物達を救う使命を与えられたから戻って来てるのよ。」
セダンは少し黙った。そして、言った。
「…そうか。だが、オレはもう車はまっぴらだ。命を持つなら、例え虫けらだろうと、自分の意思で動けるものになりたいよ。」
あやめは、あの玉を出した。
「そうね。それはあちらへ行ってから考えたらいいわ。きっと、生きる道を示してくれるから。私達も初心者なの…とても優しい女神様みたいな存在が居るんだ。だから、行こう。」
セダンが、微笑んだような気がした。
「行こう。」と、パトカー達に向かって叫んだ。「世話になった!オレは行く!」
パトカーから声が戻って来た。
「またな!そのうちオレ達も行くから。」
あやめは、セダンに手を触れたまま玉に向かって念じた。
目の前が真っ白になって、あやめはその命と共にあの世界へと渡った。
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