第11話人の体って

三日というタイムリミットを持ってしまった星路とあやめは、警察の検証などにかなり焦ったが、自分達は加害者ではないし、それに無事だったから咎められることもない。

必死に家に帰りたいと言って、とにかく星路を連れて戻って来ることが出来たのは、三日目の夜だった。星路は自分で走るので、そのままディーラーへとなる所だったのだが、ディーラーに連絡もせず、とにかく家に戻って来たあやめは、近所の車達の歓迎を明日の朝まで待ってと留め、家に転がりこんだ。

「急げ!三日ぐらいと言っていたから、きっときっちり三日な訳じゃないだろうが、三日以上かもしれないし、以下かもしれないんだ!」

「分かってるわ!待ってよ!」

あやめは、透き通る玉を出した。これに念じる…。

「…なんて念じたらいいの?」

星路は苛だたしげに言った。

「何でもいいから、あの家にって思えよ!」

あやめは念じた。あの家に帰りたい…!

途端に、足元が変な感じがし、目の前が真っ白になったかと思うと、次に視界が戻った時には、あの家の前だった。あの時とは違って、辺りは日が暮れて真っ暗だった。だが、星が出ていて綺麗だった。

「いてぇ…。」

隣で、星路が尻餅をついていた。あやめは慌てて手を差し出した。

「大丈夫?!どうしたの、いきなり転んでるなんて。」

星路はそろそろと立ち上がった。

「…あのなあ、お前は人だからいいが、オレは車なんだよ。あの感覚からこっちの感覚に急になるんだから慣れるはずないだろうが。手足を地上についてる感じなんだぞ?で、いきなり立ち姿で放り出されるんだから。」

あやめは苦笑した。

「とにかく、家に入ろう?お茶とかあるのかな。」

二人は、そのログハウスの少し高くなっている入口に向かって、木で組まれた階段を上がってデッキに立った。そして、そっと木の戸を引いて開けると、中を見た。

「電気どこ?」

真新しい木の香りが漂う中を手探りで歩いて行くと、星路が後ろから歩いて来て言った。

「電気自体があるかわからねぇぞ。まず電線がなかったしな。」

あやめは振り返った。

「え、じゃあランプかなんか?」

暗い中、星路が顔をしかめたのがわかった。

「なんでもオレに訊くなよ。オレだって初心者なんだ。だが、ここの感じから見たら、念じたら着くような気がしねぇか。オレの服だってそうだもんな。」

あやめは星路を見上げた。

「じゃあ、念じてみて。」

途端にパッと灯りが付いた。どこが光源が分からないが、普通の家の灯りぐらいの明るさだ。

そこは、やっぱり外から見て想像した通りのログハウスだった。テーブルも椅子も木で出来ていて、ソファらしきものも、基盤は木で、その中に大きなクッションが入っているような感じだった。あやめは目を輝かせた。

「わあ…すごくいい!私、こんな所に住んでみたかったのよ!」

向こうの家は、古い祖母の平屋だった。それが不満だった訳ではなかったが、こういう家をテレビで見るたびに、こんなところで住めたらなあと思っていたのだ。

星路が笑った。

「だからだ。ここはお前の望みの家なんだろうよ。」

あやめは、嬉々として隣の部屋を開けた。そこは寝室のようだったが、そこにあったベットは、とても大きなキングサイズのものだった。

「お。」後ろから着いて来た星路が言った。「ここで寝るのか。」

途端に、あやめは真っ赤になった。ちょっと待って。確かに私、こんな大きなベットで旦那様と寝るのは夢だったけれども。

慌てて隣、また隣と見て、四つあった部屋を見たが、他にベットはなかった。あやめは固まった…私の希望って…。

「何だよ、何を探してる?」

星路が怪訝な顔をして言った。あやめは振り返らずに言った。

「…他にベッドはないのかなって思って…。」

星路は不思議そうな顔をした。

「他に?あんなデカいベッドがあるのに、他に要るのかよ。」

「え、だって一緒に寝るの…?」

あやめが真っ赤になっていると、星路が眉を寄せた。

「今更何言ってる。お前、オレのマスターキー握り締めて寝てたじゃねぇか。寝相悪くて落とされたりしたけどよ。」と、あやめの顎を上げた。「なんだ?お前、顔、赤くないか?」

その青い透き通った目に見つめられて、あやめは恥ずかしくて顔から湯気が出そうだった。不意に下を向いたかと思うと、慌てて走って行った。そして、今見つけておいたお風呂の脱衣所に飛び込んだ。

びっくりして追って来た星路が、戸の外で言う。

「なんだよ、どうしたんだ!おい、あやめ!風呂に入るならオレにも教えろ!オレは風呂に入ったことがないんだ、広いんだしオレも入れるだろうが!」

あやめは思っていた…星路は車だった。きっと人の感覚は分からないんだ。一緒にお風呂とか寝るとか、きっと全く恥ずかしくもなんともないんだ…つまりは、人の通常の恋愛って感じじゃないんだ。

そもそも車が、人の恋愛など知るはずはなかった。体も車は常に裸だし、見られる事にも慣れている。だから、見る事にもなんとも思わないのだ。風呂だってきっと洗車感覚なのだ。だとしたら外でみんな並んで行水状態だって、星路は気にしないだろう。

あやめは戸の外の星路に言った。

「あのね、人は裸は滅多に見せないの!結婚したり付き合ってたりしたらあるかもだけど!」

星路が戸惑ったような声で答えた。

「付き合う?オレ達は、恋人同士とかいうやつじゃねぇのか。じゃあ今結婚したらいいじゃないか。」

駄目だ。星路には分からないんだ。

「星路、結婚を学んで?何をするのかそこのところを知って。私は星路が好きだけど、星路は人を知らないのよ。」

星路は黙った。そして、しばらくして言った。

「…そうか、オレは知らないことがあるんだな。わかった。とにかく風呂は別ってことは。」

あやめはため息を付いた。これからどうして行けばいいんだろう。私も初めての彼氏なのに…。

あやめは、とりあえず風呂に入る事にして、服を脱いで浴場へと入った。


「おーいあやめ、体洗ったぞ!ワックスどこだ?!」

もう何度目だろう。星路は風呂に入った端からずっとこの調子だった。そのたびに腰をタオルで隠してもらい、説明に走った。ワックスってさ。

「人はワックス掛けないの!それで終わり!」

あやめが戸のこちら側から叫ぶと、星路が言った。

「髪を洗った時のコンディショナーとかいうのはワックスじゃねぇのか!」そして、ぶつぶつと続けた。「なんだってあっちこっち違う洗剤使うんだよ。ややこしいな。」

あやめは答えた。

「だからあれはコンディショナーなの!ワックスじゃないの!」

「わかったよ!」

星路は、さっさと出ると、バスタオルで体を拭いた。体が小さいのですぐに拭けるのは便利だと思った。しかし自分で洗うのがこんなに面倒な事だとは。

「オレさあ。」出て来た星路は、あやめが出したTシャツと短パン姿で居間で、待つあやめに言った。「なんか自信ないよ。この体の使い方には慣れて来たが、人の習慣ってのが分からないんだよな。お前は何だか教えにくそうだし、じゃあオレは誰に聞けばいいんだ?」

あやめは、困って下を向いた。

「…だって、女の人だったら私だって一緒にお風呂だって入っただろうし、いろいろ一緒に出来たんだけど、星路は男なんだもの。私、男の人と一緒にお風呂なんてないし…人の習慣、他の事なら教えられるんだけどな。裸見ないって言ったでしょ?」

星路は納得いかないようにあやめを見た。

「オレ達、じゃあ何なんだよ。お前はオレが車の時は好きだったが、人になったら駄目だってことか。」

あやめは慌てて首を振った。

「違うわ!人になって嬉しいって言ったじゃない。私は星路がどんな姿でも好きよ。でも、星路が人の男の人がどんな感じか知らないからややこしいんじゃないの。」

星路はため息を付いた。

「ま、出来る限り頑張ってみるよ。」と伸びをした。「あーなんか疲れたな。さっさと寝よう。そういやお前に話があるんだ。」

星路は、寝室へ向かいながら言った。あやめは緊張気味にそれについて行きながら言った。

「何?」

星路は、キングサイズのベッドに乗りながら言った。

「桑田のセダンのことだ。」星路はごろんとベッドに横になった。「あいつ、まだ生きてる。なのに、廃車になるって決まったんだ。」

あやめは、気遣わしげに星路を見た。

「え?あれだけ損傷したのに、生きてるの?」

星路は頷いた。

「そうなんだ。あいつは諦めてるって言うが、オレは納得いかねぇ。普通は廃車になる時にはもう、その車の意識なんてとっくにないものなんだ。あいつは、意識が残ってるのに廃車になる。その恐怖ってのはどんなもんか、オレには想像もつかねぇよ。」

あやめも、ベッドに乗って横になった。星路が近い。だが、星路からはこれから何かをしようなどという感じは全く感じられなかった。やっぱり、車だから何も感じないし、知らないのだ。

「ねえ…これも使命だと思う?あのセダンの意識、こっちへ連れて来るべきなのかな。」

星路は天井を見つめたまま答えた。

「ああ。オレはそう思うんだ。あいつをこっちへ連れて来て、その間に廃車にされたらそのままここに留まれる訳だろう。要は死ぬわけだが、同じだからな。助けてやらねぇか?」

あやめは頷いた。

「ええ。でも、どうやればいいのかな。あのセダンの横に行って、玉に念じたらいいの?」

星路は顔をしかめた。

「そうだろう。だが、確信はねぇな。」

するといきなり、あの優しいシアの声がした。

「触れなければなりませんよ。」その声は本当に優しく包み込むようだった。「車体に触れて、念じれば良いのです。どこでも良いので、触れてみて。」

あやめは、宙に向かって言った。

「シア…こういうことが、私達のすべきことですか?」

シアの声は微笑んだようだった。

「そうね。一度にいろいろな事は無理です。なので、一つずつこういうことから助けてあげて。」

あやめは頷いた。

「はい。」

星路は、納得したように頷くと、手を上げた。照明が落ちる。

「もう寝ようや。人の体ってのは、眠気が来て仕方がねぇや。」

言うやいなや、星路は目を閉じて、すぐに寝息が聞こえ始めた。あやめはびっくりした…本当に疲れていたんだ。

「星路は、慣れないのに頑張っていますね。あやめ、きっといろいろこれから星路にとって知らないことが、体に起こるかと思います。恥ずかしがっていないで、教えてあげて。でないと、婚姻など出来ませんよ。こちらでは、子もなすことが出来るのです。長い道のりかと思うけど、助けてあげてね。」

あやめは、少し赤くなった。私だって深く知ってる訳じゃないのに…。

それでも、頷いた。

「はい。頑張ってみます。」

「よろしくね。」

シアの声は消えた。あやめは、隣で眠る星路にホッとしながら、そっとその肩に頬を寄せて、目を閉じたのだった。

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