第13話役に立った?
あやめは、慣れて来たその感覚に目を開けた。あのセダンは、どうしただろう。
「…どこ?」
「ここだ。」星路より少し年上のような声がした。「なんだろう、オレも人になったのか?」
あやめは振り返った。また全裸…しかし、もう慣れた。
あやめはひとつ咳払いをすると、視線を合わせず言った。
「えーと、服を着る事をイメージして。」
相手は素直に従った。パッと現れたのは、桑田がいつも着ていたスーツ姿だった。
「人になりたかったの?」
あやめが訊くと、その黒髪に黒い瞳の30代ぐらいの人型は首をかしげた。
「いや。ただ、自分の意思で考えて行動出来る命にと願っただけだ。人ぐらいしか知らないからだろうな。」と、立ち上がろうとして、前につんのめった。「…なんて安定の悪い。犬や猫にした方がよかったか。」
あやめは苦笑した。
「すぐに慣れるわ。星路もそうだったもの。でも、形はいくらでも変えられると思うわよ?人が嫌なら別のものにと願ったら?」
セダンは少し考えた。
「…いや、人でいい。もし生まれ変わる事があったら、オレは安全運転の人になる。」
あやめがどうしようかと思いながら、セダンが歩行練習するのに付き合っていると、シアの声がした。
「来ましたか。あなたは人を、選択するのですか?多くの車は、車のままで過ごしますけど。」
セダンは答えた。
「人で。どうしてあのような事になったのか、人の考えや感覚を学んで知りたいのです。車では…理解出来なかった。」
シアは頷いたようだった。
「分かりました。名をつけましょう。あやめ、何かいい名前はありますか?」
あやめは、急に言われて焦った。
「え?えっと…クラウンだったのよね。冠…う~ん。」
セダンは苦笑した。
「別に何でもいい。前とは関係ない所で頼む。」
あやめはセダンを見た。
「じゃあ、人を志してるから、人志(ひとし)さんで。」
我ながら思い付きの一方的なネーミング。だが、相手は頷いた。
「それでいい。」
シアの声が微笑んだ。
「では人志。こちらへ。」目の前に、あの四角い戸が現れた。「慣れないだろうし、あやめ達の家のほど近くにしましょうね。あなたは街へも案内しましょう。私の声についていらっしゃい。あやめは、帰らなければならないから。」
あやめはそれを聞いて、慌てて頷いた。
「ええ。一応あちらで生きていることになるし、働かなければならないの。会社に挨拶に行かなきゃ。」
人志は笑った。
「ありがとう、あやめ。またこちらで一緒だろうから、よろしくな。」
あやめも微笑んだ。
「ええ。それじゃあシア、よろしくお願いしますね。」
「こちらこそ」シアの声は答えた。「あなたには、人を教えてもらわねばなりませんから。ではね、あやめ。」
その声が終わるか終わらないかという頃、回りの景色は薄れ、気付いたらあやめは、悟の事務所の前に立っていたのだった。
あやめは目を瞬いて突然の場面転換に自分の頭を慣らせ、軽く頭を振ると、思いきってその戸を開けた。受付の女性が、弾かれたように立ち上がった。
「矢井田さん!ああよかった、心配したのよ!」
その声に、奥の悟も顔を上げた。
「よかった!もう体はいいのか?」
すぐに立ち上がってこちらへ歩いて来ると、中へと促した。あやめは面接の時と同じブースに招き入れられ、そこに座った。
「本当になんともないんです。」あやめは答えた。「追って来ているのに動転してしまって、赤信号で交差点を左にハンドル切ってしまって。あの道へ入ってしまいました。そこからは一本道で、どうしようもなくて…気が付いたら、あの島に突っ込んでいたんです。」
悟は頷いた。
「怖かっただろう。まさかそこまで無茶するとは思わなかった。オレも気が気でなかったよ。事情聴取を受けた時に、詳細は話しておいたけどね。」
あやめは頷いた。
「はい。ありがとうございます。」
「それで…」悟は、気遣わしげに言った。「あの、ロードスターはどうなった?」
あやめは心の中で微笑んだ。悟さんは、やっぱり星路のことが心配なのだ。
「はい。奇跡的にぶつかられたテールの所だけの損傷だったので、あちらの保険会社から直してもらうことになりました。今、ディーラーに預けています。三日もすれば戻って来ます。」
悟は、心底ホッとしたような顔をした。
「それは良かった。それで…仕事なんだけど。」
悟は言いにくそうに言った。あれから、数日経ってしまっている。きっと、事務仕事が溜まっているんだ。
「大丈夫です。明日から出勤します。もう、出勤しない理由はないし。」
悟は満足げに頷いた。
「ありがとう。正直、あんなことがあった後だから休ませてあげたいんだが、こちらも仕事があるから。」
あやめは微笑んだ。
「わかっています。では、今日はこれで失礼しますね。明日は、いつも通り出勤しますので。」
あやめが立ち上がったので、悟も立ち上がった。
「大丈夫?送らなくてもいいかな。」
あやめは首を振った。
「大丈夫です。本当にもう、何とも無いですから。」
あやめはそう言うと、受付の女性にも見送られながら、悟の事務所を後にしたのだった。
その頃、星路はあのディーラーでメカニック達のチェックを受けていた。皆、一様にここまで無傷なのに驚いているようだったが、噂のキセキのロードスターを目の当たりにしようと、待合室からも客が皆出て来て、リフトアップされている星路を見上げていた。星路は落ち着かない気持ちで居たが、ふと、端の待機の駐車場に、あやめがデミーちゃんと呼ぶあのデミオが、ぽつんと停まっているのを見て取った。由香里の夫が売ってしまったのだと聞いている。つまりは、あれは買い取られて回送待ちなのだ。
星路は、そのデミオに話し掛けた。
「よお、デミー。」
デミオは、星路に力なく答えた。
「星路さん。崖から落ちたって、近所の車達に聞いたけど。」
星路は答えた。
「ああ。一度は死んだ。だが、こうして戻って不幸な意識のある物達を助けろと言われたのさ。だから、助かった訳じゃないんだ。三日に一度はあっちへ戻らなきゃ、オレは消えちまう。」
デミオは、驚いたような声で答えた。
「じゃあ、噂に聞いていた、あっちの世界ってあるんだ!僕は、そんなものはないのかと思っていたよ。死んだら、きっと消えてしまうんだろうなって。」
星路は首を振った。
「いいや。デミー、命あるものは、消滅なんてしないのさ。オレ達を作ってくれた人の想いがこうして命をくれて、それは命の循環のシステムの中で人と同じように循環する。だから、心配しなくていいんだぞ。」
デミオは、しばらく黙ったが、思い切ったように言った。
「星路さん、あやめお姉さんが二人目のオーナーだったんだよね。どうだった?次のオーナーに変わるまで、寂しくなかった?」
星路は、デミオが心細くしていたのだと知った。それで、答えた。
「いいや。回りには、同じ境遇の車達や洗車機、自転車まで居た。新しい車も来た。だから、退屈はしたが、寂しくなんかなかったな。最初は慣れなかったが、すぐに慣れた。そうやって三年居たが、ついにあやめに出逢ったんだ。だから、待った甲斐はあったな。」
デミオの声には力が無かった。
「…でも、僕はもう5年だ。距離はまだ三万ぐらいだけど。次のオーナーは現れるのかな。」
星路は笑った。
「何を言ってる。お前は人気車種だぞ?おまけに三万しか走ってねぇし、丁寧に乗ってるから車体も綺麗だろうが。オレみたいになかなか売れないことはないさ。オレはあやめに自分を押し売ったんだからな。」
デミオは黙った。その間に、星路はリフトから降ろされた。メカニックが話しているのを聞いたら、明日板金屋が来て突貫作業をしたのち、テールランプを直すらしい。明後日は仕上げで、間に合うかぎりぎりなのだそうだ。まあ、最悪この体を残したまま、あっちへ帰ればいいしと星路は思っていた。
駐車場へ移されると、回りの車が次から次へと話し掛けて来て、星路はそのままデミオと話すことはなかった。
夜になって、静まり返った駐車場で、星路はデミオに言った。
「なあ、お前、寂しいのか。」
デミオはビクッとした気を返した。そしてしばらく黙ってから、言った。
「由香里さん、ほんとに僕を大事にしてくれたんだ。」デミオは、ぽつぽつと言った。「納車の時から、洗車も自分でして、点検もきちんと通って。なのに、ある日ね、同窓会ってのに行って帰って来た時、仕事をしようかと思ってるって言い始めて。紹介してくれるから、経理事務の仕事があるんだって。僕の維持費が高いと、ダンナさんがうるさくなっていたから、稼いでくれようとしたんだと思うんだ。それで…あの男と出会って。最初は冗談じゃないと笑ってたんだよ。なのに…。」
デミオは、声を詰まらせた。星路は小さく息を付いた。少しの事で、歪んでしまう。人の世界っていうのは、なんて脆いんだろう。自分もそんな人になったことに、星路は不安になった。あやめと、あんな風になってしまったらどうしたらいい…。
「なあ、もう戻れないのは確かだ。だが、由香里と話してみたいか?デミー。」
デミオは、顔を上げたようだった。
「…ほんとに?話せる?」
星路はため息を付いた。
「ああ。だが、一回きりだぞ?お前がそれで前を向いて行けるなら、オレがあやめに頼んで由香里を連れて来てもらって、お前と一緒にあっちへ連れて行こう。そしたら、話せる。だが…聞こえない人が来てくれるかどうかが問題だな。あやめは由香里と面識ないし。ちょっと顔は見たことあったかもしれないけど。」
デミオは泣きそうな声を出した。
「お願い!星路さん、あやめお姉さんに頼んで。一度でいいから、由香里さんと話したいんだ。きっと、それで新しいオーナーの所へ行く準備するから!」
星路は黙った。だが、これはデミーにとって、大切なことだ。あやめには無理を掛けるかもしれないが、オレも一緒にがんばろう。
ぴぴ、と、星路のコンピュータが鳴った。エルグランドの家の自転車は、うまくパソコンに言ってくれたらしい。
「お。じゃあ、デミオ、あやめに言っておく。お前がどこに居ても、オレ達は見つけ出して話させてやるから。安心しな。オレは今から勉強だ。人ってのは難しいらしくてよ…。」
星路は、パソコンから送られてて来た恋愛の資料を読み、それから問題の映像を再生した。そして息を飲んだ…人は、こんなことをするのか。
星路は呆然として、言葉を失った。
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