第8話ここはどこ?
何だか、暖かい所だった。
あやめは、死んだのだと思った。目を開けるのは怖かったが、このままずっと横になっている訳にもいかない。そっと目を開けて、手に握っているはずの、星路のあのガラスみたいな肌触りの玉を見た。
しかし、そこにあったのは、人の手だった。人の手…誰の手?
目の前には、明るい茶色の髪の、きりりと整った顔立ちの男が横たわっていた。色白で、驚くほどに綺麗だった。まるで人形みたい…。あら?服を着ていない。裸なのね。そうか、死んだら服なんてないか。え?じゃあ私は服…、
あやめは、握っていた手を離してガバッと起き上がった。私、服着てる?!
あやめは、服を着ていた。しかし、うつぶせに倒れているその綺麗な男は、全裸だった。
あやめは慌てて後ろを向いた。なんだって、あんなにいい男が全裸で隣に倒れてるの?どうなったの?死んだらいい思いさせてやろうってことなの?いやいや、私混乱して何を考えてるんだか。
その男が、身を動かした。
「う…。」
あやめは、気になってちらと振り返った。男は、身を起こして、目を開けた。
「なんだ…どうなった?あやめ?」
その声は、星路だった。
「せ、星路?!どうしたの、その姿は?!」
星路は、眩しそうに目を瞬かせた。その目は、透き通った青だった。
「なんの姿だ?なんだ、お前が大きく見えるな。見え方が違う。それに、聞こえ方も違う。それに、話すのが、なんだか疲れる…」と、口の辺りを触った。「なんだこれは?これが動いてるぞ。口?」
あやめは、星路の方を見たいが、裸なので目のやり場に困った。
「何だって裸なのよ。何か着てよ、服は?!」
星路は顔をしかめた。
「お前、車が服を着てるのを見たことあるか?」
ない。困ったあやめは、一か八か言った。
「念じてみたらどう?ほら。悟さんの服、思い出して。」
星路は、じっと考え込んでいるような顔をした。すると、パッと黒っぽい綿のパンツに白いシャツ姿になった。あやめはホッとしてそちらを向いた。
「出来るじゃないの。ああ良かった。でも、どうして目が青いの。星路って国産じゃなかったっけ。」
「知らねぇよ。お前がヘッドライトを青く変えたからじゃねぇのか。」
そう言われたら、そうだった。
「え、ヘッドライトの部分が目なの?」
星路は困ったように顔を背けた。
「だから知らねぇって。そんなにじっと見るなよ。落ち着かねぇだろ。」
あやめは、赤くなった。だって、星路がこんな姿になるなんて…死ぬのも、悪くないな。
「それで、ここは死んだら来る所かしら?」
しかし、回りは真っ白だ。どこへ行けばいいのかわからない。星路が回りを見て、言った。
「さあな。オレだって死ぬのは初めてだし、どうなったのか分からねぇんだ。だが、人と同じ所へ来るなんて聞いたことはないな。知らなかった。」
あやめは、向こう側に小さく何かがあるように見えた。
「ねえ、あっちへ行ってみようか。このままここに居ても、きっと解決しないし。」
星路は頷いて、あやめが立ち上がったのを見て、自分も同じように立ち上がろうとした。だが、うまく立てない。あやめは、慌てて支えた。
「二足歩行なんて初めてよね。いつも四輪だったし。」
星路は頷いた。
「いちいち何て面倒なんでぇ。人はすごいな。これでバランスとれるのか。」
あやめは苦笑した。
「じゃあ、歩くのを練習しながら行こうか?どうせ死んじゃったんなら、時間はたっぷりあるわ。」
星路は真剣な顔で頷いた。
「とにかく、歩かなきゃな。」
二人は、よろよろと歩き出した。
「欠片でもいいから、探せ!」
あの崖の下の海では、警察が必死にロードスターを探していた。証言の通り、桑田のセダンの前には何かにぶつかった跡があり、そしてタイヤ痕は間違いなく海に向けて続いていた。そこには、ロードスターのテールランプの破片が落ちていて、間違いなくここでロードスターの後ろに当たったのは分かる。だが、当のロードスターは、跡形もなかった。流されるような激しい潮の流れではなかったはずなのに…。
上空には警察のヘリと報道のヘリが飛び回る。目撃した二人は、顔を隠されてインタビューを受けていた。
「私に電話して来たんです。」悟が、警官に必死に説明した。「追われていると。ホームセンターで待ち合わせようと言いました。なのに、山の方へ向かったなんて…。」
逆恨みなのは、警察にもわかっていた。当の桑田は錯乱していて話にならない。桑田のセダンは、見る影もなく車体の右側と、前面はひしゃげてボロボロだった。
「…生きてるか?」
隣のパトカーがセダンに話し掛けた。
「ああ。」セダンは答えた。「だが、廃車だろう。死んでた方が楽だったかもな。」
パトカーは、気の毒そうに言った。
「誰かが引き取る可能性もある。気を落とすな。部品はきれいだろうから。」
セダンはフッと笑った。
「ロードスターにした事を思えば生きる気力もない。もういいんだ。」
パトカーは答えた。
「仕方ない。アクセルを踏まれちゃあオレ達だってやったろうよ。」
人の間では、この話でもちきりだった。
しかし物の間でも、この話は駆け巡っていた。
最初に知ったのは、一キロ離れた場所の、ステップワゴンだった。車内のテレビで速報で流れ、それをそこの家の自転車が聞き、隣へ隣へと送られて僅か数十分で、あやめの家の前の、プリウスまで来た。
「なんてことだ…あれから、山へ向かったのか。星路がついていたのに。」
隣のカローラが言った。
「あやめちゃんが混乱してハンドルを切ったんだろう。あそこは一本道だ。転回しようにも追われてたんだから無理だったんだよ。」
左隣のバイクが言った。
「だから帰って来ないのか。」
そこへ、その家の住人が自転車に乗って帰って来た。その自転車が、興奮した様子で言う。
「あやめちゃんが!あっちのパトカーが言っていた。セダンに押し出されたらしいって。」
プリウスが頷いたようだった。
「今聞いたところだ。星路…願わくば、あやめちゃんと向こうで会えてたら…。」
自転車が不思議そうに言った。
「車と人は別々なんじゃないの?」
プリウスは憮然として言った。
「だから願うんだ。あやめちゃんはなあ、星路を恋人だって言っていたんだぞ。星路もそうだって言っていた。だから、一緒がいいんだ。」
自転車はしんみりとして答えた。
「もっとあやめちゃんと話したかった…。」
プリウスは少し黙ったが、言った。
「私もだ。」
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