第9話使命

しばらく歩いていたら、星路は慣れてあやめに支えられなくても歩けるようになった。どうも運動神経はいいらしい。あやめがホッとしていると、目の前に四角い形の穴のようなものがあって、その向こうは草木の生い茂った美しい場所だった。

「見て。あれがあの世っていう所?」

星路もそれを見た。

「何だろうな。オレ、車なんだけど、これからこの姿で生きるのか?」

あやめが顔をしかめた。

「生きるっておかしくない?死んだのに。」

星路はあやめを見た。

「まあそうなんだがな。お前は、これがいいのか。」

あやめは赤くなりながら頷いた。

「それは…同じ方がいいでしょ?こうして手も繋げるし。」

星路は、繋いだ手を見た。

「…そうだな。お前がいいなら、いい。」

それにしても星路はいい男だった。車の時はこんなこと、考えたこともなかったのに。おかしな話だけど、死んでよかった。

「…それがあなたの選択ですか?」

綺麗な、透き通るような女声が言った。二人は回りを見回した。どこから聞こえる?

「誰だ?」

星路は、あやめを自分の背後に回した。どうも無意識に守ろうとしているようだった。

「私は、番人です。」相変わらず、声しか聞こえない。「あのままなら、あなた達は死んで別々になっていました。でも、両方が強く共にと願い、あの咄嗟の瞬間に自分のことよりお互いの事を考えた。あやめ、あなたはロードスターの命を握りしめて守ろうとしましたね。ロードスターは窓を開いて、あやめが脱出出来るように備えた。」

二人は、あの瞬間のことを思い出した。確かにそうだった…。

「だから、あやめが人と物を繋ぐ能力の持ち主だったこともあり、あなた達は共にここへ来たのです。ロードスター、あなたは命を与えられました。人として。」

星路は訊ねた。

「なぜ、オレ達物には意思のあるものとないものがあるんだ?オレの意思とはなんだ?」

声は、優しげに答えた。

「命は、人の想いで生まれ出るものなのです。あなたを作った人の想いが、あなたに命を与えました。ほかもそう。思い入れのない物には、命はありません。あなたの命の玉をあやめが見付けられたのも、あなたを大切に思うあやめの気持ちがあったから。普通は見えないし、簡単に砕けるものなのですよ。」

星路は、工場を出る時の記憶を思い出した…あいつが、オレに命を与えてくれたのか。あやめがあの玉に触れたのは、愛してると言った時だった。あやめがオレの命に力を与えていた…。

「オレ達は、これからどうしたらいいんだ?」

声は、しばらく黙った。そして言った。

「本来なら死んであちらに行っているところ。でも、相談があります。あやめ、あなたは物達を救う気持ちはありますか?」

あやめは、驚いた。救う?

「あの…何か出来るのでしょうか。なら、お手伝いしますが。」

すーっと美しい姿が目の前に現れる。見たこともないような整った優しげな顔立ちの、髪の長い女の姿だった。女神…天使?あやめはただボーッと呆けたようにそれを見つめた。なんて綺麗…!

半分光のまま、それは言った。

「では、あの子達をここへ自由に出入りできるようになさい。苦しんでいる命もあります。ここへ来れば、こうしてあなたのように、心のあるものとは話せます。もちろん物だけではなく、木や花にも心のあるものは居ますよ。」

星路が顔をしかめた。

「…つまり、あれか?そいつらと一緒に毎回あの崖から飛んだらいいのか?」

そういえばそうだ。あやめは思った。ここへの来かたなんて、それしか知らないし。

「まあ、ほほほ。それでも良いけれど、次は本当に死んであちらへ戻れなくなってしまいますよ。」

その女神様はコロコロと笑った。笑い事じゃないけど。あやめは思った。

「では、どうしたらいいでしょう。」

あやめが問うと、相手は答えた。

「これを。」目の前に、パッと光が瞬いたかと思うと、ガラスに見えるピンポン玉ぐらいの玉が浮かんだ。「あなた達にあげましょう。あなた達のどちらかが念じれば、こちらへ来られます。帰る時も同じ。帰りたいと念じれば帰れます。こちらでの、あなた達の家を与えねばなりませんね。」

相手は言うと、目の前の四角い入口らしきものを指した。

「そこへ入りなさい。そこが、我々命の源を司るものが統治している場所。たくさんの命が、ここで羽を休めています。」

あやめは、星路と顔を見合わせた。星路は、あやめの手を握ると、そちらを見た。

「じゃあ、行ってみるか。」

あやめは頷いた。星路と一緒なら、どこでも大丈夫な気がする…死ぬのも、案外怖くなかったし。

二人が意を決したようにそこへ入ると、背後で後ろにあった白い空間に、開いたその戸が跡形もなく消えた。驚いた二人が振り返ると、そこには何もなかったかのようで、回りは木々が生い茂る森だった。

「さあ、この先に用意させました。真っ直ぐ歩いて。」

その声に従って、二人は芝生のような草がふんわりと生える地を踏みしめて歩いた。しばらく行くと、小さなログハウスのようなものが見えた。

「それです。」声が言った。「そこをあなた達に与えます。そこで生活をなさい。と言っても、あちらにも戻らねばなりません。あなた達の役目はあちらとこちらの橋渡しであるのですから、もはやあちらで生きてはおらぬ身でも、生きておるフリをせねば。ロードスター、あなたはあちらへ戻ればまたあの体です。こちらへ来れば、今や本来の姿であるその体に戻ります。あくまで、あなた達はこちらの者であって、あちらの者ではないのです。わかりましたか?」

星路は、自信なさげに頷いた。よく分からないが、行ったり来たりが出来るが、あっちへ行ったらまた車に戻る訳だな。でも、もうオレは車ではなく、この人の体だってことだ。

「わかった。だが、具体的に何をしたらいいのか分からない。この世界もよく分からないしな。」

その声は頷いたようだった。

「少しずつ学べば良いのです。一度に皆は無理。分かっております。それに、今までと同じことをしておれば良いのですよ。あやめは物の話を聞いてやり、必要ならば持ち主共々ここへ連れて来て直接話せるように計らってやる。人の想いが生んだ命は、人の愛情を欲しがります…寂しい命を、助けてやってくださいね。」

あやめは頷いたが、自信がなかった。とりあえず、自分の出来ることからやって行くよりないな。

「もう一つ。」その声は言った。「あなた達は、こちらの者だと言いましたね。あちらに長く居ては、その命が消滅してしまいます。一番良いのは、毎日休む時にこちらの家に戻って休むこと。それでリズムが出来ますでしょう。」

え、じゃあタイムリミットがあるってこと?あやめは言った。

「どれぐらい離れていてはいけないのですか?」

その声は考え込むような波動を送って来た。

「そうですね…四日は無理でしょう。三日だと思ってください。個人差があるので、はっきりとは言えません。」

三日…結構短い。

星路が言った。

「じゃあ、毎日ここで休む。それでいいんだな?」

その声は頷いたようだった。

「そうです。では、あちらへ戻しましょう。不自然になってはいけないので、最初はつらい位置かもしれませんが、それは許してくださいね。私は、ここに居ります。何かあったら、話し掛けて。」

体が光り輝く。きっと戻されるのだ。あやめは焦った。

「あ、あの、お名前は…!」

意識が薄れて行く中、その声は優しく言った。

「シア。」まるで二人を愛おしむような声だ。「私はシアです、あやめ、星路。」

二人は意識を失った。

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