第6話調査

悟の事務所は、結構人の出入りのある、とても活気のある所だった。従業員は皆正社員で、悟の他に男性三人、受付に女性が一人いた。あやめは主に経理事務を担当して、合間に男性達と共に調査に出たりした。星路は目立つので、調査の時には社用車を使った。皆親切で、悟も面接の時のイメージ通りの穏やかで優しい人柄だった。

今日も、調査の相方を務める事になり、従業員の一人の田島と一緒に、オープンカフェでお茶を飲んでいる…ふりをしていた。よくある浮気調査というやつだが、夫の方からの依頼だった。あやめは先に写真を見せられていたが、どうも見たことがあるような気がしていた。まあ、この辺りは地元だし、どこかですれ違っているのかもしれない。

車はデミオ。ナンバーも知らされていた。デミオならディーラーでいやほど見ているので、見逃すことはなかった。

田島がトイレに席を立ったので、あやめは気が気でなく辺りを見回した。何で先に済ませておかないのよ。

するとそこへ、道の横のパーキングに、一台のデミオがスッと止まった。

「デミーちゃん!」

あやめは思わず叫んだ。そして慌てて口を押さえた。ナンバーを見る…間違いない。調査のデミオ…でもこれは、由香里さんのデミオだ。そういえば、ここのところディーラーで見ていなかった。

降り立ったのは、やはり由香里だった。あやめは星路のキーを握り締めた。

「星路…デミーちゃんなのよ。」

星路は何も言わない。あやめは、そっと由香里のデミオに話し掛けた。

「デミーちゃん?」

デミオは、ハッとしたような声で答えた。

「お姉さん?」その声は、少し大人びていた。「久しぶりだね。星路さんは一緒じゃないのか。」

あやめは首を振った。

「別の所に停めてるの。最近、見なかったわね。どうしたの?」

デミオは、少し黙った。無邪気にはしゃいでいた面影は、全くなかった。

「…由香里さんは、忙しいから。」デミオは、言葉少なに答えた。「でも、僕は元気だ。まだ5年だし、そんなに点検しなくてもいいんだよ。」

あやめは、慎重に言った。

「由香里さん、最近違う所に出掛けるようになった?」

デミオから、ビクッとしたような気配が伝わって来た。あやめは、デミオが言ってはいけないと思っているのだと悟った。

「…ううん。友達に会いに行くぐらいだ。」

あやめは、それ以上聞かないでおこうと思った。

「そう。私のお友達が来たわ。じゃあね、デミーちゃん。」

「またね。」

さりげない風で、田島が戻って来た。

「さ、行こう。ここに車を停めて、歩いてこの裏のホテルに行くらしいんだ。オレ達もそんなカップルのフリして行く。」

あやめは頷いて、立ち上がった。由香里さん…いったい誰と?でも、これを暴いてしまったら、デミーちゃんはどうなるんだろう。

あやめは、ひたすらポケットの中の星路のキーを握り締めた。私はどうしたらいいの。

星路の声が、言った。

「…何にしろ、いい結果にはならねぇ。オレは見た事あるから知ってるがな。両方にとって良くないことになる。しかし、これが仕事だ。あやめ、気にするな。」

あやめは、頷く代わりに星路のキーを指先で撫でた。

普通のカップルのフリをして、田島と二人で手をつないで歩きながら、楽しそうに話しているフリをした。由香里は、身を隠すように縮めて歩いて行く。

そして、確かにホテルの駐車場へと入って行った。入り口の前にはシートが何枚か途切れ途切れにぶら下がっていた。そのせいで、中がよく見えない。なので、写真も動画も撮れそうになかった。田島が、いらいらしたように小声で言った。

「矢井田さん、ちょっと傍まで行こう。オレに合わせて演技してくれ。」

今まで、相手に分かるような写真の撮り方はしなかったし、接触自体を避けて来た。あやめは少し不安になりながらも、仕事なのだからと頷いた。

ホテルの前の電柱で、田島が誘っているフリをして言った。

「今日はいいだろう?」

あやめは困ったように笑った。

「でも、まだお昼じゃない?」

ちらと見ると、由香里の姿に奥の車から男が降りて来るのが見えた。田島が、そちらを見ないでスーツの裏に仕込んだカメラで動画を撮っていた。あの姿…見覚えが…顔が見えそうなんだけど。

あやめがそう思っていると、田島がまた言った。

「なあ、行こう?昼だって、中に入ってしまったら分からないからさ。」

あやめはその男の顔が気になりながら言った。

「もう…仕方がないわね。」

歩いて入口の方へ向かうフリをすると、二人の姿がはっきりと見えた。男があやめを見て少し驚いた顔をした…その顔は、桑田だった。

あやめは田島の手を振りほどくと、急いで言った。

「ごめん!やっぱり私、今日は無理!」

田島は慌てた風で言った。

「おい、ちょっと待てよ!」

急いで追って来る。そしてさっきのカフェの近くまで来た時、田島が息を切らせて笑って言った。

「やったな!ばっちりだよ!顔もしっかり撮れたはずだ。退場の仕方がオレがかわいそうな男になってしまったけど、まあいいや。」

あやめは、同じように息を切らせて頷いた。だが、桑田には自分が分かったはず。調査だったと、後で知ってしまうんじゃ…。

あやめは、星路に言った。

「桑田だった。」

星路は、驚いたような声を出した。

「なんだって?お前、顔見られたんじゃないのか。」

あやめは頷いた。

「うん。見られたの。あいつ、私に撮られたと思わないかな。」

星路は考え込むような声で言った。

「…そうだな。お前があの会社で働いてるのを見たら思うだろうな。しらを切る方法もあるぞ?お前が田島に利用されてたってフリをするんだ。知らなかったで通せ。もしも何か言って来たらな。」

あやめは頷いた。本当なら、顔なんか見られるはずはなかったのに。いつもなら、遠くから怪しまれないように撮るのに。今日は中まで行かなきゃ、相手を確認できなくて…。

あやめが、鬱々とした気持ちで事務所へ帰ると、画像を見た悟は、いつもより険しい顔をしてそれを見ていた。田島が言った。

「この男の素性を調べますか?車のナンバーは控えてあります。」

悟はしばらく画像を見ていたが、首を振った。

「その必要はない。オレの知ってる奴だ。」悟は、あやめを見た。「矢井田さん、顔見られたな。」

あやめは驚いて悟を見た。悟は、わかっているという風に頷いた。

「前の会社の社長だろう。こいつはオレの同級生だ。昔から女癖が悪くてな。矢井田さんには、手を出さなかったか?」

あやめはブンブンと首を振った。

「あんな人有り得ません!」

あまりに嫌悪感溢れる表情に、悟は苦笑した。

「はは、見る目あるよ。だが、こいつは執念深い。困ったな。ここに君が居るとなると、君に何をするか分かったもんじゃない。とにかく、しばらくは自宅のパソコンに送るから、そっちで仕事してくれ。異常があったらすぐにオレに知らせろ。夜中でも電話して来ていいよ。携帯の電源は切らないようにしておくから。」

あやめは身震いして頷いた。

「はい。」

その日は、時間前なのに帰され、あやめは星路に乗って自宅へと向かった。


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