第4話就活

連日、あやめはハローワークのサイトを検索して仕事はないかと探していた。

家でパソコンに噛り付いて求人情報ばかり見ているので、すっかり星路とはキーで話すのが主になってしまっていた。面接を取り付けても、そこまで行くのに車では置き場所が良く分からない時があったので、電車で出掛けて星路は置いて行くことになる。なので、いつもマスターキーだけは肌身離さず持っていた。すると星路が一緒に居るような気がして、面接も心強かったのだ。星路は回りに聞こえないので、面接寸前までずっと話し掛けてくれていた。面接の最中も、あやめが詰まると、横から適切な言葉を教えてくれたりした。なのであやめは、他の就活の人々より、ずっと恵まれていると思っていた。だから、落ちても落ち込まずにいられるのだ。

あやめは、星路にそっと、自分の印を付けようと、退屈な毎日の中思った。

「ねぇ、悟さんの印だけじゃなく、私も印を入れていい?」

星路はぎょっとした声を出した。

「印?何をする気だ。あんまり大きくしてくれるな。」

あやめはふふと笑った。

「ここにしよう。」あやめは言った。「私の名前のイニシャルを彫るわ。」

あやめはその見えない場所に、コンパスの針でコリコリとAYと彫った。星路は黙って終わるのを待っている。あやめは満足げにそれを見た。

「はい、出来上がり。これでどこに居ても、私の星路だって判断出来るわよ?」

星路は困ったように笑った。

「仕方がねぇなあ、全くよ。」

あやめは嬉しくてその傷を優しく撫でた。

そして今日も、パソコンで新しい職場の検索を掛けてみた。

年齢を入れて、条件を設定して行く。年間休日は、多い方が良かった。なるべく皆と話す時間を持って行きたい。事務系で探すと、ザッと一覧が現れた。一番上に「New!」というマークが出ているものが並んでいる。新しく更新されて追加された求人なのだ。

「なんかあったか?」

星路の声がキーからした。あやめは答えた。

「うーん、どうかな。今日更新されたのが5つ検索に引っかかったよ。」

「上から言ってみな。」

あやめは頷いて、読み上げた。

「サエキ不動産、従業員12名、経理事務、基本給18万。年間休日105日。」

「場所は?」

あやめは住所を見た。

「うわ、遠い!無理だよ、車でも1時間ぐらい掛かるとこだもん。」

「そりゃ駄目だ。ずっと通うのに遠いのは困るな。」星路は言った。「次は?」

あやめは次を見た。

「え~」と、あやめは顔をしかめた。「駄目。これも遠いわ。電車でも結構掛かるかなあ。」

星路は、しばらく黙ってから、諭すように話し始めた。

「なあ、あやめ、お前は結婚しないのか?」

あやめはびっくりして顔を赤らめた。どうして急にこんなことを。

確かに二十歳で星路を買ってから、闇雲に頑張っていてあやめの回りに男の気配など全くなかった。唯一、辞めた会社の社長の桑田が再三誘って来ていたが、既婚者相手に冗談じゃないとにべもなく断っていて、こんなことは考えたこともなかった。桑田の執拗ないじめのようなものは、これが原因ではないかと思っていたぐらいだ。なのに辞めると言うと、また自分に手を貸して欲しいから連絡してもいいかとか聞いて来て、あやめは鳥肌が立った…もちろん、断った。

あやめは、何でもないように取り繕いながら、答えた。

「何よ、急に。ないない。私、それどころじゃないし。」

星路はあくまで真剣だった。

「そろそろ考えたほうがいい。あやめ、お前には親も居ないし、頼るものがないだろう。」

あやめは努めて明るく振舞った。

「じゃあ、星路、私と結婚する?星路ならいいよ。」

星路は少しイラっとしたようだった。

「茶化すんじゃねぇ。オレがどうやってお前と結婚するってんだ。何かあっても、オレ達じゃどうしようもないんだ。オレがお前の手を使わずに勝手に出来るのは、クラクションを鳴らすこととパワーウィンドウを開けることぐらいだ。話しても誰にも聞こえないから、電話機に頼んでも知らせることすら出来ねぇんだよ。家だって古い。婆さんの遺産も少なかったろう?葬式で無くなったんじゃねぇのか。」

あやめは首を振った。

「生命保険が降りたの。だから大丈夫。」

星路は退かない。

「老後に置いてるんだろうが。人が生きるには、人の力が必要だ。オレ達は、所詮人の手伝いしか出来ないんだ。」

あやめは、バンッと机を叩いた。

「いいの!私には星路が居る。星路が嫌でも、私が手離さなかったら傍から離れられないじゃない!」

星路は、ためらったような声を出した。

「…それは…そうなんだが。しかしあやめ、オレは…、」

「もう、いいの!その話は止め!次々!」と、あやめは次の会社をクリックした。星路は黙った。「え~とね、うわ、なんだか未知の分野かも。宮脇探偵事務所。従業員5名。事務。基本給20万、各種手当あり。年間休日114日。でも、近いよ。車で20分も掛からないんじゃないかな。」

明かに、息を飲んだような感じで星路が黙った。あやめは驚いてキーを見た。

「星路?知ってるの?…な訳ないか。」

そう、星路は物知りだが車だ。物同士のネットワークで物知りなのは見ていて知っていた。だが、人に知り合いなんか居るはずはない。まず、話せないからだ。自分のように話せる人は、数万人に一人だとか車や物たちは言っていた。それでも結構な確率だよなぁとあやめは思っていた。

しばらく黙っていたが、星路は言った。

「…そうか。あいつは頑張ったんだな。」星路は、そうつぶやいた。「オレの前のオーナーだよ、あやめ。オレを新車で注文して買ったヤツだ。」

「ええ?!」

あやめは、びっくりしてまじまじとパソコンのディスプレイを見つめた。オーナーって…会社が持ち主だったの?

「星路、会社の車だったの?」

星路は、思い出すような様子で答えた。

「そう、そこの社長の宮脇悟(みやわきさとる)がオレのオーナーだった。オレのシートの色とか車体の色、中の仕様は皆あいつの趣味だ。だが、聞いたところによると、オートマにしたのは嫁が自分も乗れないような車を買うことを許さなかったかららしい。それでも、あいつはどこに行くのもオレを使っていたな。お蔭で走行距離が伸びちまったんだがよ。」

懐かしげな様子に、あやめは少しヤキモチを妬いた。そんなの、三年で星路を手放した人じゃない。私なんかもう五年大事にしてるのに。

「でも、三年で手放したんでしょう?」

あやめが言うと、星路は少し厳しい声になって言った。

「仕方がなかったんだ。あのなあ、あんまり業績の良くない会社だったから、嫁はそれはぴりぴりしててさ。あいつは弁護士だったのに、あんな事務所開いて収入が不安定だったから、オレにいい顔しなかった。買ったハナから売る話ばっかしていたよ。金のことでケンカするたびに、オレが引き合いに出されてて、オレも悟が気の毒だった。新しい間のほうがいいとか、車検が残っていた方がいい値が付くと聞いたとか、あの嫁は言ってたな。悟はある日、オレの値を下げようと、思い余ってあのダッシュボードの下に傷を入れたのさ。あんな見えない所に入れて何になるのかと思ったが、どうしてもオレを手放したくなかったからだったんだろうよ。」

あやめは、途端にその悟という人が不憫になった。そこまでして、星路を持っていようと思ったんだ…。

星路は続けた。

「だがな、人ってのは車検って制度を作ってるだろう。オレにも車検がやって来た。当然のこと、嫁は車検代を出すことを拒んで、悟はオレのために深夜バイトまでしたが、駄目だった。皆バレて持ってかれてな。あの時オレは、人の女ってのは男を食い物にしてるのかと思ったね。」星路の声は、批判的だった。「…悟は、泣く泣くオレを手放したんだ。あいつにはオレの声が聞こえなかったが、前の晩にオレの運転席に座って、幌を上げてオープンにして、星を見ながら言ったんだ。『きっと、会社を大きくして、買い戻してみせるから。』ってな。オレは、待ってるよ、と答えた。」

あやめは、その様子が目に浮かんだ。きっと悔しかったんだろうな。でも、私が星路を買っちゃって…もしかして、探していたかもしれないのに。

「でも、私が星路を買ってしまったから、買い戻せなかったのね。探してるのかもしれないな。」

星路は少し黙ったが、首を振ったように感じた。

「…いや。きっと思い出したくなかったんじゃねぇか。オレが居たら、否応なく思い出すことがあるから…。」

あやめは、え、と星路のキーを見た。

「…何かあったの?」

星路は、また黙った。そして、ぽつりと言った。

「まあ、人ってのはいろいろあらぁな。」

星路は、そのまま黙った。あやめは、迷ったが思い切ってその会社をプリントアウトし、それを持ってハローワークへと向かった。紹介状を出してもらうために。

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