第7話 山吹の花言葉


 帰り道、初めて私たちは隣り合いながら一緒に駅に向かった。

 私も穂垂も、なにも言わなかった。

 不思議だ。

 以前なら落ち着かなかった無言のこの空気も、今なら心地好いと感じられる。自然と口許がゆるんだ。


 あれから私達は、何事もない顔をして図書室を後にした。

 下校時間間際の図書室は無人で、カウンターには当番の図書委員も司書も居なかった。司書室の中から小さな物音が聞こえたから、なにか作業でもしていたのだろう。

 好都合だった。

 張り上げた声が誰かの耳に届いていたとしても、顔を合わせなければそれが誰かもわからない。彼女に視線を向けると、彼女は僅かに黒耀石の瞳を細めて応えてくれた。


 私はもう一度、すぐ隣の彼女に視線を向けた。


 凛とした横顔。

 長い睫毛が、瞬きのたびに上下する。果実の赤をした唇の端はきゅっと上を向いている。耳の横の、頬の高さでまっすぐに切り揃えられた髪が揺れる。長く伸びた後ろ髪が、豊かに風に靡いている。


 なんて綺麗なんだろう。


 私は心臓の鼓動を強く感じた。


 次の瞬間、ふわりと柔らかな風が吹き抜けた。

 黄色の小さな花弁が風に乗って舞う。そのひとひらが、穂垂の髪に舞い降りた。

 思わず、手を伸ばした。


 艶やかな黒の浮き立つ黄。

 指先に、さらさらとした細い髪が触れた。


「真郷?」


 黒耀石が私を見上げる。


「――花弁が、」


 私は小さな黄色を乗せた掌を開いて差し出した。


「山吹だね。もう花が咲いているんだね」


 彼女は愛でるように目を細めて言った。

 私の掌からこぼれた花弁が、彼女の掌へと渡る。


「山吹の花言葉を知っているかい」


 唐突に彼女は問うた。

 蠱惑的な煌めきを放つ黒耀石から、視線を逸らせない。私はゆるゆると首を横に振った。


「『待ちかねる』。僕たちにぴったりの花だと思わないかい」


 待ちかねる。

 五文字の言葉を脳内で反芻する。


「僕は、ずっと待っていたよ。こうして君と、心が通じ合える日が来ることを」


 しっとりと濡れた唇が、薄く開いた。


 どくん。


 心臓が大きく騒いだ。


 大きな瞳が潤んでいる。

 涙の膜に、私の惚けた顔が滲んで見えた。


 私は思わず、


 薔薇色の頬


 手を伸ばして


 滑らかな柔肌


 覗き込むように


 濡れた赤い唇


 息が触れるくらい


 目を閉じる


 彼女の唇に


 自分のそれで、


 そっと触れた。


 息をすることも忘れていた。


 惜しむようにゆっくりと唇を離す。


 そろそろと瞼を押し上げる。


 彼女は目をまん丸に見開いていた。

 そして次第に頬が逆上せたように赤く赤く染まっていく。


「真郷……君、――」


 それだけ言うと、彼女は赤い唇を両手で隠し押し黙ってしまった。

 耳の先まで赤い。


 狼狽した様子の彼女に、思わず笑みがこぼれる。


「奪っちゃった」


 とくとくと、心臓が煩い。


 甘い香りをした風が、私たちを包むように吹き抜けていった。


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