済ませてからでないと落ち着いて描けない
だいぶ前のことなので、どの家かさえはっきりしないが、うちから歩いてもたぶん5分くらいのところに画家が住んでいた。
だれと何の用事で行ったのか思いだせないが、連れて行ってくれたのは女性だった気がする。人それぞれだろうとは思うが、自分の記憶の悪さに我ながら呆れる。ただ、私なりに「ものごとの勘どころ」は忘れてはいないと自負するところはある。
画家の家は新興住宅街のごくふつうの家であった。ふつうの家だったことが印象に残っている。大部分の画家の家はおそらく、なにかしらふつうでないのが普通なのではないだろうか。
ふつうの応接間だった。何か壁に絵が掛かっていたかもしれないが印象にのこるものがなかった、という印象だ。
画家は痩せぎすで歳は80くらいに見えた。この家に一人暮らしである。近頃は一人暮らしも珍しくはないがこの家の間取りは何人かの家族の住む設定になっているはずだ。
よもやま話で画家がどこの美術大学を出て過去どんな賞を取ったかとか、聞いた気もするが忘れた。
私も相手が画家なので、むかし若いころ絵を売るしごとをしていたなどという話題を出したことだろう。だから打ち解けてくれたのかどうか分からないが、次のような問答の会話になった。
「で、今は?」
「肖像画の注文があれば描いてます。」
功成り名遂げた人間が、自分のために自分で注文してくるのだそうだ。相場を聞いたが忘れた。そんなもんだろうな、という値段だったのだろう。
「で、それだけですか?」
「いや、趣味の絵もときどき描いてます。」
「つまり、売らない絵ですか。どんな? なにを描いておられるのですか?」
「女性です。」
「モデルをここに呼ぶんですか?」
「そうです。」
「やっぱり、いや、もちろんヌードですか?」
「そうです。」
「すると、もちろん、『される』のでしょうが、込みでいくらくらいなんですか?」
「その娘によります。」
「で、『される』のは絵を描く前でしょうか、それとも後でしょうか?」
「前です。してからでないと落ち着いた絵は描けません。」
やっぱり、そうか。それは、言われてみればそうだろうな。
と、納得したのをよく覚えている。
それと帰り際、こういう普通の住宅のごくふつうの造りの間取りの部屋で、よくぞまあ、若い娘を呼び、その裸を描き、且つ又、あの行為も行われるものだと思った。もう、これ以上あれこれ想像するのは止めておこうとしたことを、併せて感慨深く思いだす。
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