これからは私の書いたものは『詩』ということにしました すこし長いのですが
詩を職業として、それだけの収入で生活している人は日本ではただ一人だそうです。
たぶん小説などと違って短いのが、つまり文章の分量の嵩がはらないのが、きっとその理由でしょう。
身もふたもない話ですが。
考えてみたら私は短いものばかり書いています。でも、「詩」というには少し長めです。
なので従来の常識でいうと『詩』とは見做されにくいのですが、私の新機軸のやや長めの「詩」なのだということにしたいと思います。
今まで書いたものも、今回のも、これから書くものも。
詩といえば、ああいう調子の、つまり、みじかいセンテンスを改行、改行でつなぐものという常識がありますが、その常識を取り払って、文章にする。詩が文章、文章が詩で何が悪い、何がおかしい、といったところかな。
詩はだいたい分かりにくいのが相場で、だから尊い、価値があるという風潮があり、私どものような素人には解説が必要です。それでもって初めてなんとか理解を得ているというのが実情ではないでしょうか。
そこで詩を書こうとしてもつい文章になってしまう私のは、「詩」ではあるが同時にその「詩」の解説も兼ねている文なのだと了解してもらえないものでしょうか。いや、私の文の中身は「詩」ではなく、「川柳」にあたるのかも知れません。
「川柳」でもないかな。
何なのか自分でもよくわかってないのです。
① 芸術という枠に収めにくいジャンルの何かを褒め称えるときなどに「芸術の域に達している」という言い方があるが、このとき、発言者はなんとなく「芸術的」という表現を使っただけのことで深い意味は多分ないだろう。
そんなときに私はいつも、一体、芸術的とはどんな状態のものをいうのかという思いに駆られる。
今日ではなにやかや、たくさんのジャンルが芸術の仲間にかぞえられる傾向にあるような気がする。たとえば、流行歌の歌い手がアーティストと呼ばれたりしている。しかし、私にはよくわからないのだが、歌のジャンルにもより、なぜか演歌はアートの内に入らないらしい。
そこで比較的歴史のある「絵画」「小説」を例にあげてみる。
どちらも題材は自由で、あらゆるものが描かれている。ほのぼのとした心温まるファンタジーもあるが、同じ作者が、戦争のむごたらしい場面、地獄の恐ろしい有様の想像図も描くこともある。
しかし、評論家、批評家はどちらがどうという分け隔てなく芸術の館に並べている。
小説の例は何を挙げればいいのか、迷うのだが古いものでいうと
「源氏物語」はたぶん、なんとなく芸術の範疇に入れられるのではないか。
ところが私には、その芸術性がさっぱりわからない。
物語はつまるところ、平安貴族たちの色模様、色事であってわれわれ庶民にはなんにも関係のない、なんの共感もない、うらやましいといえばうらやましいかぎりのことがらの羅列である。それだけの感想しかもてない。
それとも、上品な着物や家具、調度、優雅な牛車、屋敷のたたずまいを思い描いて「芸術性」を感じる、感性を磨かなければならないのだろうか。
また、例はあらぬところに飛ぶようだが今、ちょうどオリンピックをやっている。
フィギュアスケートの競技の採点に「芸術点」なる項目がある。
芸術点ではことばの曖昧さを指摘されるだろうから(演技)構成点というらしい。
まったく、その方面の知識はないのに言うのもなんだが、採点者はどこをどう見ているんだろうと思う。
想像だがたぶん「ぜんたいの印象だ」と答えが返ってくるような気がする。
では、「ぜんたいの印象とは何なのだ」と問えば要領を得た説明はおそらくないだろう。
フィギュアのアイスダンスという競技でテレビの解説者が、どこかの国のカップルが登場してきたとき、「このペアには存在感がありますね」と言った。
私も、確かに存在感を感じた、女子選手には。男のほうは別にして女子選手はすらりとした容姿の、誰にも好かれそうな顔立ちの美形なのだ。
ちなみに男のほうも、男前と見てとれる。解説者は女性なので男子選手の方に注意が向いているはずだから、その男前の「存在感」を感じたのだろう。
このペアはメダル候補なので、その前提はあるにしても、まだ、その時点では滑っていないのだ。すもうの横綱の取組前の立ち姿を眺めて存在感を感じたというのならまだ分かる気がするが。
芸術点の採点の項目に、(これは採点表を見せてもらわなくても想像できることだが、)容姿、容貌とか過去の成績は加点材料にはなってないはずである。
しかし、そこんところを私はひそかに憶測するのだ。(大きな声では言えないが。)
高い芸術的感性の持ち主とみなされている採点者たちも「芸術性」には内心、困惑していて
「いったい、自分たちは何を見て何を採点しているのだろう。実際は観客といっしょで、容姿という見た目とこれまでの実績という、いわば雰囲気にのまれた採点をしているのでは」という、言うに言われぬ訳の分からないわだかまりをいつも抱えているのではないか。
むしろ、こんな曖昧な「芸術点」など止めにして、いっそのこと技術点だけにしてほしいと望んでいないだろうか、などとひとり要らぬ世話をしてみる。
芸術性なるものを感得できない人間は、教養のない、感性の乏しい面白みのない野卑な人間と見做されてはくやしいので、皆、分かったふりをしているだけなのではないのか。
神、霊魂、精神、真、善、美 など形而上の仲間なのだ、芸術は。愛や平和も親戚筋だろう。
あるような、ないような、実に何とも名状しがたい悩ましい観念だ。
でも、あることにしないと話がはずまない。味気ない。
この世の彩り、にぎやかしであることだけは確かなのだから。
➁ 死んだら歯を磨かなくていいんだな
爪も切らなくていいのかな
でも 冬はさむい気がする
③ 兵站を無視した大本営のインパール作戦は後々まで語り草の無謀な作戦だった。
神国日本の兵隊、ほぼ全滅。後でその無茶な作戦命令のことを知った兵士の家族は、あきれ、憤慨した。
でも、そのおかげで敵の兵士は生き延びた。
敵兵の家族は胸をなでおろした。
④どこかで何かを聞いたがもう忘れた
むかしのことを思い出しかけたが出てこない
なにを思い出そうとしたのかも、もう思い出せない
それは、ほんの数秒のあいだに膨らみかけて消えた泡に似て
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