いまでも気がかりな 遠い昔にいる女性たち

 私の右隣りの席に座っている山口さんは44歳。小柄で物静かな女性である。もう20年ほども前のことだから、人に話してみる気になったんだろうか。

私と山口さんは隣同士の雑談をしていた。側には他に誰もいないときだった。20年前の出来事を語り始めたのは。それは合槌をうつのも、憚られるような内容だった。


 一人娘が2歳のときだった。保険の女性外交員がやってきた。この手の営業は前ぶれなく、ふいに訪問するのが通常のやり方である。山口さんの嫁ぎ先は農家で、そのとき、一人で畑で草取りをしていた。傍らで、まだよちよち歩きの娘を遊ばせながら。

 はじめのうちは草を抜きぬき相手をしていたがやがて手を止め外交員の話に聞き入ることになる。


 どのくらいの時間がたっただろうか。傍らにいたはずの娘がいないことに気づいた。すぐ、捜しに行った。見つけるのに時間はかからなかった。小さな娘の体は、いくらも離れていない肥溜めの中にあり、顔はその糞尿に埋まっていた。肥溜めとは、土製の五右衛門風呂を畑のまんなかに埋めこんだようなもののなかに、肥料にするため、人間の糞尿を溜め置いて腐熟させる場所である。土製のまるい囲いは大抵地面から20~30㎝ほどの高さしかない。糞尿を筒いっぱいに溜めた状態ならちょうど地面と水平くらいだが、使って糞尿の量が少なくなれば、子供であれば囲いの中に転げ落ちることになろう。

この出来事からほどなく山口さんはその家を出たそうである。どうにも、なんともやりきれない話を聞いてしまった。

 

ところが山口さんの話にはまだ続きがあるのだ。

離婚後ほどなく職を捜した。世の中に、その職しかなかったわけではないだろうに保険の外交員を始めたのである。「なんで、また」という気がするが、それは後に話を聞いた第三者の感想にすぎない。誰かの紹介、そこに先に勤めていた親しい人の勧め等、ものごとには何かしら巡りあわせということもあろう。

 そうして、ある日のこと、保険の外交員として、いつものように保険の契約を取るべくある農家へ寄った。若い母親が畑で作業をしている。まだ足もとの覚束ない幼い子供がその母親に纏わりつくように傍らにいる。

 あの日と同じ光景だった。違うのは役回りだけである。今度は自分が外交員の立場である。お客であるその母親とじっくり話し込むのが外交員の職務である。職務にあるときは誰しも職務に集中していて、他のことは目に入らないし意識に上ってこないものだ。恐らく死んだわが子もこのくらいのときだった、などという感慨もそのとき浮かんではなかっただろう。

あの日と同じ光景だということに思い至ったのは後のことである。 


 子供が見当たらないことに母親が気づいたのは話を聞き始めてから二、三十分後くらいだったろうか。母親は慌てて立ち上がり捜し始めた。山口さんも、じっとしてはおれないので、その後を付いて行く形になった。

 遠くはなかった。子供はほんの目と鼻の先といってもいい位の場所にある肥溜めで見つかった。母親は子供の体を肥溜めから子供を引っ張り上げると、声にならない声を上げながら揺さぶり続けた。

 山口さんはもうその仕事を続ける気にはなれなかった。

 その次の就職先がここで、山口さんは私の隣りに座っている。 

そんなことが実際起こるものだろうか、というような話を聞いたのだが、作り話であるはずはない。作り話でも、およそ思いつかないだろう話の内容である。

 話の途中でも話し終わったあとにおいても山口さんは、辛かったとか悲しかったという自分の感情を挿入することは、ほとんどなかった。いや、まったくなかったような気がする。感情を交えては語り得ない話かもしれない。 



 私のまん前の席は23歳の秋子である。今日は休む予定でいた日なのだが、昨日、女性上司にその旨届け出たら「大事なお客への大事な電話だけは、しに来てちょうだい。ふたつ、みっつはあるでしょう」と言われ、いつも通りの時間に出社してきた。        

この職場は職種でいえば営業なのだが、初対面の挨拶から売り込み、契約まで電話で済まし、納品も郵送という形態なのでお客と直接会うための外出の必要はない。企業名の載った電話番号簿を机のうえに置いて電話をかけ続けるという作業である。そういう業務なので社員はほぼ女性が占めている。

秋子は若いが顔色の悪い陰気な、笑顔のすくない娘だ。だが今日しごとを休もうとしたのは自分のからだの不調のせいではない。入院中の母親の具合が芳しくないので、主治医から再手術するかどうかを含めた今後の治療方針の説明を聞きに行くという用件なのである。それは上司も知っての上での今日の出社命令だった。

出社して来てどのくらいの時間居ただろう。一時間ほどか。秋子は「大事な電話」を済まし、早退のあいさつをしに上司のところに行った。

上司の、慰めなのか何なのかよくわからない返答が聞こえた。

「人間、そう簡単に死ぬもんじゃないよ」

その後を続けるとすれば「仕事を後回しにして朝っぱらから母親の容態を見に行かなくても」となるのだろうが、それは口にしなかった。


秋子の右隣りの席の押田さんは31歳の独身だ。

押田さんも秋子同様、よく言えば色白、つまり顔色がよくない。女性には頬べにという手があるのだから、それをすれば見栄えがよくなるのにと思ったりもしていたのだが、直に提案したことはない。

 秋子もそうなのだが、この押田さんも容姿の表現がむずかしい。

 容姿というものを、性格とか他の要素を抜きにして風景の一部のようにあらわすとしたら大抵の女性はむずかしいだろう。美人の場合は美人といえば通用するのかもしれないが、たまたま自分の職場の隣り、向かいに居合わせた女性が美人である確率は極めて低い。それどころか、このワンフロア全体を見渡しても残念ながら一人も見当たらない。

 ついでにいえば、街で通勤の途上、ごったがえす人波のなかには綺麗なひとだなと気がいく女性が少なからず存在している。すれ違うごと、ああいうひとは、いったい何処に行くのだろう。職場に向かっているのならどこなのか後をついて行ってみたいような気がする。

 しかしよくよく考えてみれば街ですれ違う女性の数は何百何千人なのだ。そのなかの出来事なのだから。であるからして過去現在も含めて私のまわりに美人らしきひとをまるで一人も見いだせないことも特に不思議でも不運でもないわけになるのか。 


 さて特徴をいえば「小柄」な押田さん。

三日ほど前、このビルの階段からもんどりうってころげ落ち、踊り場で気が遠くなりかけた。脚にも首にも顔にも怪我をした。好みの丈の長いスカートを自分でふんづけたのだ。こう言ってはなんだが、こんなことになりはしないかと内心心配していた。本人の好みと言えばそれまでだがファッションの上で見ても短い脚にはロングスカートは全然似合わないどころか滑稽な感じさえ漂う。

 大事には至らなかったが、首の筋を違えたらしく首に太い包帯を巻いてもらって帰ってきた。脚も何かしてもらったらしいがロングスカートの内なのでよく分からない。それから頬も擦りむいたのだが、ただ擦りむいただけなので、ガーゼで被うと大げさなので、軟膏を塗るだけにしてもらったという。

すると、その擦り傷がちょうど、まさに頬べにを付けるあたりの擦り傷で、そこらへんに赤みがさし、かえって普段より健康そうに見えたものだった。

 高校を卒業してすぐバスガイドになった押田さん。十年も勤めたそうだ。もし会社がつぶれなかったなら、今でもきっとバスガイドを続けていたという。  

  



 秋子の左隣の宮沢さん、33歳、やはり独身である。

今日は午前中に検査の結果を聞くために病院へ寄り、昼から出社してきた。出社の前に病院から上司に乳がんと診断結果がでたことは電話で伝えていた。顔を合わせて直接報告するのが苦痛と言うより、病院から会社までの時間を、診断結果を報告しなくてはと、思い思い過ごすことが嫌だったのだろう。            

 この上司は厚化粧で背は低く、しかしびっくりするほど肥りかえっていて恐らく80キロは越すだろう、いや90キロあるかもしれない、その体に似合った大声でよくしゃべる。

この上司に掛ってきた電話に上司が直接出ることはない。側に電話の取り次ぎをする秘書の役目も兼ねる事務員がいるからである。雑居ビル2階ワンフロアに全社員の居るこの職場では、この上司に掛ってきた電話の相手は取り次ぎの際わかるし相手との電話のやりとりもほぼ全員の耳に届く。その上、電話の相手と話し終わると大抵、事務員相手に今の電話の内容を咀嚼するようにしゃべる。事務員に同意や感想を求めるわけではない。いつも事務員は困ったような顔で無言で頷いているだけである。


 アメリカへ二度行ったことのある宮沢さん。何をしに行ったか聞いただろうが思い出せない。訊かなかったのかもしれない。二度も行ったのになぜか英語は「ちっとも覚えられなくて、今はぜんぜんしゃべれない」という。また、何事につけ「考えること嫌い」という。髪はおかっぱにしていて声はなんとなく都会的な雰囲気の宮沢さん。だが何かをてらう風はまるで見当たらない。それにおかっぱも顔が大きくて少々造作がいかついせいか、おとぎ話の絵本の「まさかり担いだ金太郎さん」を思ってしまう。

 乳ガンという検査結果を聞いてのち出社し業務に就いた宮沢さん。乳がんなのだという身の上をどう受け止めているのか、とついそういう思いで宮沢さんを眺めてしまうが、これが「考えること嫌い」の宮沢さんの真骨頂というべきなのか、平生の様子と少しも変ったところは見受けられない。いつもの都会的で明るい声で電話をかけ、3時には引出しからチョコレートを取り出して、皆にふるまい、皆の湯呑みを洗い、机の上の鉢植えのサボテンに止まっている大きなハエを見つけ「おおきいね」とめずらしがり、そして、その鉢に水をやるのである。 

人前で悲嘆に暮れるというような感情は顕わさないと心がけているわけではなく、起きないのだ。彼女にはほんとうに。

 しかし考えてみれば、楽観しようと悲感しようと手術は受けねばならないし、後、養生のためにどのくらいかは仕事も休まねばならないのは分かりきったことである。事に臨んで心配ばかりしたところで結果に違いが起こるはずもない。「考えごと嫌い」も悪くないというか、人間そうできるものなら、その方が望ましいとさえ言えるのではないだろうか。

              

 いつだったか、以前彼女が、一時間ほど遅刻したことがあった。その訳をこっそりというわけではないが私だけにおしえてくれた。出勤のため家をでて駅に向かって歩いていると、どしんどしんという大きな音が聞こえてきた。音の方へ目をやると工事現場のボーリング機の長い円柱の上下する際に発する、あの音だと分かった。初めて見るものではないのだが、なぜだか、そのとき宮沢さんは長い棒の上下運動の反復とその大音響に魅入られたのだ。時間を忘れ、その場に立ち尽くし眺めつづけていた。そして、はたと我にかえるともう一時間ばかりたっていたそうだ。

 これを聞けば、大人のおこないとは思えない常軌を逸した、おかしなことをする、なんだかよく分からない「変な人」という印象しか持たない人の方が多いのだろうか。

 しかし私には覚えがある。

 あれは正しくは何と呼ぶのか知らないが子供の時分、家にある米を持って出て、オートバイだか自転車でリヤカーを牽いて来た、どこか遠くからやってきた見知らぬおじさんにその米を渡し、リヤカーに積んである機械でその米を熱して何倍にも膨らませ、砂糖をまぶしてもらうというものだ。、つまりお米をお菓子に変えてもらうわけだ。

 機械といっても単純なものでドラム缶を小さくしたようなものを串刺しにして軸棒の廻りに連れて、くるくると回すといったものだった。

 子供は出来上がるまで、くるくる廻るドラム缶を待ち遠しく、じっと見守っているのだ。ドラム缶の中の空気は熱せられた水蒸気になり圧でぱんぱんになる。といっても厚いドラム缶なのでドラム缶が膨らむわけではない。

 さて出来上がるとドラム缶のどこかにある蓋口を開けるわけだが、その一瞬、内の膨れきった水蒸気と外の空気の触れ合ったことにより、とんでもなく大きな音が発生する。だから、おじさんは子供らに「鼓膜がやぶれたひともいるんだ」と怖がらせてドラム缶から離れるよう促すのである。実際それが嘘ではないほどの大音響だった。その音をもって、あれは、ぱんぱん菓子と呼んでいたかもしれない。 

 

 宮沢さんの工事現場のボーリングに魅入っていた話から、遠い子供の頃のことを思い出していた。私はドラム缶のくるくると廻るのを飽きもせず眺め続けていたのだ。もうひとつ思い出したことがある。そのおじさんが確かこんなことを言った。「これをずーと見つづけとった人がおって、その人は気が狂うて死んだちゅう話を聞いたことがあるで。」

 おじさんはどういうつもりで言ったのか。子供をからかったのだろうか。私は子供心にも、思いつきのでまかせで言える話ではなく、おじさんも誰かから聞いた実際の話のように思えて恐くなり、それからは絶対見ないことにしようと心に決めた。


 私は職場では宮沢さんがいちばん気になる存在だった。しかし男女の間柄になりたいという願望を持つことはなかった。いや、もし私に限らず誰かが、そういう気をおこし宮沢さんに言い寄ったとしても、宮沢さんにはそれに応える男女間における感情が起こらない気がするのだ。

 実際はどうか分からないが私にはそんなふうに思えるのだ。  

  

 しばらく後私はその職場を辞することになった。だから宮沢さんの入院したのは知っているがその後は知らない。しかし、今でも気がかりなひとであることには変わりない。

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