神様の誕生日

 仏様とはお釈迦様つまり仏陀のことと定めて、では神様とは誰のことをいうのか。

 まずあの山には神が宿っているとか、この池には神が住んでおられるとか、道祖神は旅の道中の怪我や病気や、あるいは悪霊を防いでくれるとされている。こういう謂わば土俗の神様は、手を合わせて無心に素直に、お願いをし無事旅を終えられたら感謝の念を込めてまた手を合わせる。

 しかし本格的な神様という存在がおられるものだろうか。まあ何かの流儀の信者であればその教祖こそが本格的神に違いない。

 旧約聖書では人間も含めて森羅万象つまり宇宙の創造主である絶対者という定義らしい。もっともらしい定義だが私にはうまく理解できない。『創造主」とは、あるいは「絶対者」とはいったい何者なのか。はっきり言って私のみならず、実は誰もよくよく考えてみれば全然何のことやら分かってないことに思いいたるのではないか。あいまい、抽象的なことこの上ない。

 新約聖書ではイエス・キリストが神と見做され崇められる存在ではあろうが私のような門外漢には神様という雰囲気を感じにくい。

 ことほど左様に神とはなんなのか、さっぱり合点がいかないままではあるが神という存在の誕生は何時の時点だったのだろうかと思案してみることにする。

 神は神聖な精神を有する「何物」か、あるいは「何物」という表現が適当でないなら『何事』かと捉えると精神も「物質」と見做すことになろうか。すると神という物質の誕生は何時の時点だったのかと言い換えることもできるのではないだろうか。

 私はビッグバンから始まったという説を大いに疑う者である。あえて言うなら恒常宇宙の方がまだましと思える。というかこの宇宙の内に在っては、いくら科学が進歩しようが、どれほど観測技術が高度になろうが真相を突き止められるわけがない。

 突き止められるときとは、宇宙の外側に出て宇宙を丸ごと観測できるようになってからのことではないだろうか。                                           

 ただし、もしビッグバンという現象があったとする説の立場で言うとすると、まさに神はその瞬間に形成されたと考えるのが一番妥当というか、それ以外は考えにくい。ビッグバン以前には時間も空間も何もないのだし、以後だとすると我々生身の衆生と変わらぬ出生の原理に類似するということになろう。

 それでは困る。

 恒常宇宙の方がまだしも想像の収まりがつきやすいのではないか。

 つまり始まりも終わりもないのだから、神様には誕生日というものは存在しないという見立てができるのではないか

 それより何より「神」とは一体何を指すのかが分からないのに。そんな掴みどころのない存在の誕生日なぞ端から見当が付くはずがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る