第17話:ドラゴンの気持ち。

北の塔はレンガ造りの重厚な建物で、部屋の造りは心配したほど悪いものではなかった。私が割り当てられたのは塔の最上階に位置する豪華な内装の部屋で、一時的に滞在するには申し分ないものだった。


ただ、部屋の外には見張りの兵が常に待機しているようだ。窓は開けられるが、人間が抜け出せないように太い鉄格子が付いている。もしも抜け出せたとしても塔の最上階である。とても飛び降りることができる高さではない。


王妃は人目につかないようにするのが私の安全の為だと詭弁を唱えていたが、これでは体の良い軟禁に他ならない。いつも私の身の回りの世話をしてくれているメーヤもここには入れない。毎日決まった時間に別の侍女が食事を運んでくることになっている。


これからどうしようと部屋をぐるりと見回すと、豪奢な金色の小さなドラゴンがちょこんと椅子に座っているのが目に入った。


「ユージン!今までどこ行ってたのよ」


近づいていくと、炎のように輝く金と青の瞳が私を見つめて言った。


「人間どもが騒いでうるさいからな。少し避難してた。おまえこそ、どうしてこんなところに閉じ込められることになったんだ?」


私は手短かに事情を説明した。


『呪われた銀の乙女』の話はこれまで王族だけで秘密にされていたこと。ドラゴンの出現により噂が立ち、この話が周辺国に知られると、リューイとレイラの縁談にも支障が出るかもしれないこと。ドラゴンが出現するタイミングに合わせて他国から攻撃されるのを恐れていること。私を気味悪がって、これ以上危害を加える者が出てこないように、安全な所に移すと言っていたこと。


話し終えると、ユージンがあきれたように言った。


「王妃はおまえの安全のためにこの塔に行けって言ったのか?おまえをさらった異母兄もこの塔に幽閉されてるんだぞ。被害者と加害者を同じ所に入れようなんて何考えてるんだ?」


「えっ、アルマーが?この塔にいるの?」


「ああ。さっき見張りが話してるのを聞いた。下の階層にいるみたいだな。自由に動けるわけじゃないだろうが、普通おまえをさらった本人がいる所に行けなんて言うのはおかしいだろ」


「だよねえ……」


ユーミ王妃はあわよくばアルマーが私を殺してくれればいいとでも思っているのかもしれない。実の子なのに、よくそこまで憎めるものだと逆に感心してしまう。


「それに周辺国に攻撃されるって、戦争状態でもないのにあるわけないだろ。だいたいドラゴンの出現に合わせてって言ったって、おれがいつどこに現れるかなんて誰にもわかるものじゃない。そんな不確かなものに他国の軍勢が合わせようがあるか」


……確かに。


ユーミ王妃にまくし立てられた時には皆なんとなく納得させられてしまったが、ユージンにはあっさり論破されてしまった。


「まあ、おまえの兄さんと姉さんの縁談についてはわからないがな。気味悪がられて倦厭されるというのはあながち嘘とも言えないかもな」


「そっか……」


「それよりどうするんだ、おまえ。ここにずっと住むのか?」


「わかんない。一時的にここにいろって言われてるけど」


「ふうん?でも外出できなきゃ不便だよな。おれが外に連れてってやろうか」


「えー?そんなことしたら怒られちゃうよ」


笑ってユージンを見ると、ユージンは真面目に私を見つめ返してきた。ゆっくりと、言葉を選ぶように私に話しかける。


「……おれは、本気だよ。おまえがいいって言うなら、ここから連れ去りたい」


目を丸くした私に、ユージンが静かに語りかける。


「この王国は、おまえにとっていい環境かどうかってずっと考えてた。いくら安全のためだなんて詭弁を並べたって、どこの親が実の娘を塔になんか閉じ込める?おまえの母親はひどい女だが、おれに言わせりゃ言いなりになる父親もろくなもんじゃない。おまえの兄さんも姉さんも、悪い子供たちじゃないんだろうが、親には逆らえない。でも、おれが1番気に入らないのはそんなことじゃない」


「……何?」


「幼いおまえが毎日1人で過ごしていることだ。そりゃ、侍女や召使いどもは周りにいるだろうが。でも、おまえはいつも1人でご飯食べてるだろ。おまえには両親も兄姉もいるが、家族として過ごしているわけじゃない」


「………………」


私は何も言えなかった。ユージンが言っていることはすべて本当のことだからだ。王宮の暮らしは何不自由ないものではあるが、家族としての時間は皆無に近かった。王族に生まれたからにはそういうものかと思って過ごしていたが、まさかユージンが気にしてくれていたとは。


「おまえが気にしないって言うならいいよ。塔に閉じ込められていたけりゃそれでもいい。でも、おまえはなんだか普通の王族のやつらとは違う感じだろ。本当は寂しいんじゃないか?」


青と金の瞳が、まっすぐに私の紫の瞳を見つめる。


「私は……」


言いかけた言葉を切り、これまでのことを振り返って考えてみた。


王族は忙しいため、家族であるはずの王や王女に一日中会えないこともよくあった。もともと王族は普段は食事なども一緒にとらないし、家族で団欒したりもしないのだ。たまにするとしても、後宮に『団欒室』という場所があり、そこで一定時間を過ごすのが王族流の団欒だった。ちなみに、使用人が周りを囲んでいるためそれほど落ち着けるわけでもない。


なので、団欒すると言っても『夕食を一緒に食べる』こと自体が団欒であったり、後は団欒室で食後のお茶を飲みながらカードゲームをしたり、おしゃべりしたりするのが常であった。


しかも王妃が私を毛嫌いしているので、だいたい私だけ先に部屋に戻らされてしまっていた。家族の団欒からハブられるんだからひどい話である。まあ、私だけ歳がかなり離れているので仕方ない面もあるかもしれないけど。


そんなわけで、エンゲルナシオン王国の王族に転生した私は、家族の団欒とは無縁で、さらに毎日ボッチ飯をしていた。前の世界で会社のデスクで1人お弁当をかっ込んでいた時とさほど変わりない。それでも別段気にしてはいなかったのだが、ユージンがこんなにも私のことを見ていてくれたことが単純に嬉しかった。


ユージンに寂しいか、などと正面から聞かれて困ってしまった。照れ隠しに問いかける。


「……ユージンは、私を1人にしないってこと?」


「ああ。ご飯も一緒に食べてやるよ」


「……たまに猫ちゃんの姿になってくれる?」


「なんだ、あれ気に入ってるのか。別にいいけどな、たまになら」


冗談めかしてユージンが言う。


たまにだって。

まったく、けちなんだから。

ユージンと見つめ合ってしばし笑い合う。


笑いが止み、沈黙が訪れた。


……ユージンは人間ではない。それはわかっている。


なのに、この小さなドラゴンに対する親愛の情がとめどなく溢れてくる。まともに人間の男性を好きになったことすらない私が、ドラゴンに対するこの気持ちをどう説明したらいいのかわからない。でも、ただの犬や猫に対する気持ちとはまるで違う。


気に食わなければ生け贄として食うなんて言っておきながら、さらわれた私を迷わず助けに来てくれたユージン。今だって塔に閉じ込められた私に会いに来てくれた。


口は悪くても、これまで噓偽りを述べたことはない。


―― 温かくて、まっすぐな心を持った気高いドラゴン。


「ユージンは私のこと気に入ってるって言ったよね。私のこと食べたりしないなら、一緒に行ってもいいかなぁ」


冗談ぽく言ってみた。


しかし、ユージンは答えなかった。代わりに、おもむろに椅子から身を起こし、私に向かってふわりと飛んで来た。私の顔の前で羽ばたきながらも、その眼は相変わらずジッと私を見つめている。


「『銀の乙女』なんてしゃらくさいもの、最初はすぐに喰ってやろうと思ってたんだかな。……計画が狂った」


そう言うと、ユージンは私に静かに近づき、軽く頬をついばんだ。


「………………」


ぽかんとする私に向かってユージンが怒ったように言う。


「言っとくけどな。今のは親が子供にしてやるようなもんだぞ。変な意味じゃないからな」


「…………わ、わかった……」


どんどん顔が火照っていくのを感じながら慌てて言った。


ばっ、ばか私!何照れてるのよ!

相手はドラゴンだって、ド・ラ・ゴ・ン!!!


頬に触れたドラゴンの口はヒヤッと冷たかったが、それに反して私の心にはじんじんと熱いものが広がっていくようだった。ユージンも左右にパタパタと飛んで、恥ずかしさを誤魔化しているように見える。しばらくしてから私の方に向き直り、尋ねてくる。


「ルナはおれのことどう思ってるんだよ。……怖いか?おれのこと。巨大化したしな。山も吹っ飛ばした」


「うーん。でも私を助けようとしてのことだし。私、ユージンのこと怖いって思ったことないんだよね、不思議と」


「……王妃に嫌われてこんな所に閉じ込められてるのだって、元はと言えばおれのせいだぞ」


「それはユージンのせいじゃないって言ったじゃん。そんなふうに考えないでよ」


「……そうか。……おれのこと、好きか?」


「ちょっ、何でそんな恥ずかしいこと聞くのよ!」


「おまえこそなんで恥ずかしがるんだよ。変な意味で聞いてるんじゃないって」


「………………!!」


ユージンは、真っ赤になっている私を見て楽しんでいるようだ。私をジッと見据えて、答えるまでは引いてくれそうにない。


恥ずかし過ぎて何も言葉にすることはできなかった。代わりに、小さく頷いた。頷きながら、顔がさらに赤くなるのを感じた。


あ、相手はドラゴンだってばー!!

こういうシチュエーションに慣れてないから、赤くなっちゃうだけっ!!

ただそれだけだって!!


なんだか今更ながらこうしているのが恥ずかしくなってきて、ユージンの方を見れなくなってしまう。ユージンも自分で聞いておいて照れたのか、パタパタとあさっての方向に飛んで行ってしまった。部屋をくるくると一周してやっと戻って来た。いまだに私の方を見ることができないようで、首だけは別の方向を向いたままだ。


しばらくして顔の火照りが冷めるのを待ってから、ユージンの方を向いて言う。


「私決めた。ユージンと行く」


「……本当か?」


「うん」


はっきりと頷いた。


「そうか。じゃあ行くか?」


「えっ、もう?」


ユージンと行くとは決めたが、まさか今すぐ行くとは考えていなかった。……と言うか、一体ここを出てどこに行くのだろう。


私がユージンに問いかけようとしたのと、訪問者を告げる声が外の見張りの兵からかかったのとが同時だった。


「ユージン、とりあえず隠れて」


適当な場所を探して周りを見渡すと、私のベッドが目に入った。枕がいくつか並んでいるのでその中にユージンに入っていてもらう。……少し枕がこんもりしてしまったが、これならわからないだろう。



―― 扉が開いて部屋に入って来たのは、意外な人物だった。

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