第13話:続・脱出劇。
私と猫のユージンの目の前に立ったのは、キジャだった。
灰色がかった茶色の瞳には好奇心の光が宿っている。
「あんた、1人でここまで逃げてきたのか?すごいもんだな。馬を逃したのもあんたかなのか。まだガキだっていうのに、随分機転が利くもんだな。信じられん」
そんな……せっかく出口の近くまで逃げて来れたのに見つかってしまった。動揺する私の前にユージンがひらりと躍り出て、キジャに向かって毛を逆立てた。
しかし、キジャは頭をくしゃくしゃと掻き、大きくため息をつくと、思いがけない事を告げてきた。
「来な。逃がしてやる」
「え!?」
信じられない面持ちで、私はキジャを見つめた。逃がしてくれるというが、本当なのだろうか。というか、元々あんたがさらってきたんだろーが!
眉をひそめている私に向かって、キジャが苦虫を噛み潰したような表情で言う。
「あのな。あんたをさらったのは単に金のためだ。王族をさらうなんて危ない橋だったがな。その分報酬は破格だった」
キジャは、訝しげにじっと見つめる私を正面から見据え、子供の私に言い聞かせるようゆっくりと言った。
「だけど、あんたを奴隷に売るというのは知らなかった。俺は、マルみたいな奴隷商人て輩が嫌いでね。あんたのような見た目のいいガキが、売られた先でどんな目に遭わされるか考えると胸くそが悪い……ま、それだけだ。俺の言ってること、意味わかるか?……とにかく、逃げたいなら早く来い」
「……逃がしたりしていいの?」
疑りの言葉がつい出てしまう。キジャは、ちょっと眉を上げて答える。
「さっき金を受け取ったからな。今回の俺の仕事はもう終わってる」
……そういう問題なのだろうか。
ユージンが私の肩にヒョイと乗ってきた。大人の猫のサイズに変化しているのだが、不思議と羽根のように軽い。キジャにわからないように小さな声で囁く。
「おい、ルナ。あいつについて行け。どうやら嘘は言ってなさそうだからな」
ユージンには嘘がわかるのだろうか。
まだちょっと信じられないが、とにかくついて行くことにした。隙を見て倒すこともできるかもしれないし。ユージンはそのまま私の肩に乗っていることにしたようだった。重くはないし、この方がひそひそ声で話しやすい。
馬小屋の外は暴れ馬とそれを追いかけ回す男たちで大混乱だった。キジャは目立たないように、馬小屋の脇にある小さな通用門に案内してくれた。月明かりでなんとか見えるが、松明も何も灯っていない、暗い場所だった。
こんなところに門があったんだ。
正門から出て行っていたら、どうしたって見張りに見つかっていただろう。
キジャはどんどん先に進んで行く。屋敷を出て少し歩くと、街道が現れた。
「見な。あれがあんたの城だよ」
キジャが指し示した方角に、城と城下町が小さく見えた。どうやらここは街はずれのようだ。街道沿いにちらほら他の家の灯りが見える。
このまま道なりに歩いて行けば、時間はかかるが城に戻れそうだった。ホッとした表情の私に、キジャが釘を刺す。
「街道をそのまま歩いていくなよ。追手がかかるだろうからな。街道から少し離れた場所を歩くんだ。わかったな」
そっか、追手ね。
というか、この人ってば親切に助言までしてくれてる。
逃がしてくれるというのは、本当のようだ。それほど悪い人じゃないのかも……?いや、人さらいなんだからやっぱり悪い人か。
まあ、これでトントンかもね。
「やったな、ルナ」
「うん。やったねユージン」
ユージンとそっと囁き合う。
キジャにも、一応お礼を言った方がいいかな。ここまで案内してくれたんだし。
「あの……ありがと」
おずおずとお礼を述べた私に、キジャはびっくりしたような顔を向けた。
「……もともとあんたをさらったのは俺だからな。これであいこだ」
あ。この人も同じこと思ってた。
こんな時なのにふふっと笑ってしまう。キジャが眉をひそめて言う。
「あんた、変わった王女さんだな。俺の知ってる貴族のガキ共は下々の人間に礼など決して言わなかったぞ」
そりゃ、元平民OLですから……。
とは言えず、代わりに「皆同じと思わないでちょうだい」と言ってみた。
キジャは、今度こそマジマジと私を見て、それから吹き出した。男らしいがっしりとした身体が小刻みに震える。
もー、なんなのよ?
私、なんか変なこと言った?眉をしかめた私に、楽しそうにキジャが言う。笑った顔は意外にも柔らかく、とても王女を誘拐した悪人には見えなかった。
「ははっ、悪い悪い。あんた、面白いな。気に入ったぜ。よし、街まで送ってってやるよ。って言っても近くまでだがな。なんせおれが誘拐犯だからな。教師に化けたこともバレて、人相書きもそろそろ出回ってるだろうしなあ」
「えーっ。いいわよ、もうここで。誘拐犯に送ってもらうなんて聞いたことないわ。あんただってこれ以上一緒にいて見つかったりしたら危ないんじゃない?」
「おれの心配までするのかよ。あんた、本当に王女か?王族が平民の、それも犯罪者の立場を考えるなんて聞いたことないぞ」
どき。元平民の気遣い……。
「と、とにかくここでいいから。じゃあね!」
街道に沿って走り出そうとした私を遮るようにユージンが前に躍り出た。フーッと逆立てて前を見据えている。
え、何かあるの?
と、次の瞬間、街道の傍の暗がりに隠れていたらしき数人の男たちが眼前に飛び出してきた。隠していた松明があらわになり、街道を明るく照らし出した。
キジャが焦った声を上げる。
「しまった!人を張り込ませてやがったか。おい、こっちだ!」
えええ。
こんな暗い所に人がいたわけ!?
アルマーとマルはとことん慎重に今回の誘拐を計画していたのかもしれなかった。街道を突っ切って逃げようとしたその時、男たちの1人が呪文を詠唱するのが聞こえた。
途端、身体が動かせなくなってしまった!
眼球は動かせるので横を見ると、キジャも固まっている。
……か、金縛り!?
男たちが私たちを囲むように立った。皆チンピラのような風体て、ニヤニヤと笑っている。そのうちの1人は、ローブを身に付けていた。どうやらこいつが魔法を唱えたらしい。
「ざまあねえな、キジャさんよ。〈
「マルお抱えの術士か。後悔するぜ!」
「それはあんただろ。商品を逃がそうとするなんて、マル様に殺されるぜ。それも、楽には死ねないような方法でなぁ」
男たちが残忍そうな表情を浮かべてせせら笑う。どうやら〈
と、複数の松明の炎が屋敷の方向から近づいてくるのが見えた。……やばい。きっと、これは。
現れたのは、馬に跨ったアルマーだった。逃げた馬をなんとか捕まえたのだろう。屋敷にいたと思われる男たちと、趣味の悪い派手な服装に、いやらしい表情を浮かべた小太りの中年の男を連れている。もしかして、というか多分、こいつが奴隷商人のマルって奴だろう。
その派手な小太りの男が、声をかけてきた。ことさらに作り込んだような、ねちっこい声だ。
「お〜やぁ。ルナ王女にキジャではありませんか。こんな夜更けにいかがなさいましたかな」
「マル……。くそっ!」
キジャが悔しそうな声を上げる。マルの方は余裕の嘲りを顔に張り付かせている。
アルマーが怒りの声をあげる。
「お前が裏切るとはな、キジャ。金のためなら何でもすると評判の男が、なぜ王女に情けをかけたのだ?奴隷商人の商品を逃すとは命知らずな」
ん?……あ。そっか。
アルマーもマルも、まさか5歳の子供が猫と一緒に1人で屋敷から逃げ出したとは思っていないようだ。キジャが裏切って私を逃したと思い込んでいる。
キジャは、しかし否定せずに答えた。
「……俺は、奴隷商人ってのが気に食わないんだよ。今回だってマルが出てくるなんて知らなかった。マルよ、エンゲルナシオン王国で年端もいかない子供をさらって売りさばくだけじゃ儲けが足りないか?王女を売ったのがバレたらあんたもおしまいだぜ」
んなっ……こいつ、そんなワルだったんだっ!子供をさらって売ってるなんて。
しかしマルは恨まれるのに慣れているのか、余裕の表情を浮かべつつ答える。
「ホッホッホ。それがお前の本音ですか。まあいいです。無礼は許してあげましょう、どうせ殺してしまうのですから。水責めか、火か……生皮を剥ぐというのもそそられますね。お前の肌は浅黒くてそれほど私好みではないのですが」
どうやらこのマルという男は、残忍かつサディスティックな趣味があるようだった。
こんな奴に売られるなんて!
私は馬上でふんぞり返っているアルマーをきっと見上げた。5歳の少女という顔をかなぐり捨て叫ぶ。
「アルマー!あんた、わかってるの?そこにいるマルは、この王国で年端もいかない子供をさらって売りさばいてるって言ってるのよ。あんたも庶子って言っても自分は本当は王族だと思ってるんでしょ!?自分の国で悪どい商売をしてさんざん儲けてる奴なんかと、どうして手を組むのよ!」
「なっ……小娘が!私に意見する気か!」
痛いところを突かれたらしいアルマーが真っ赤になって激昂した。腰に差した剣に手をかける。
しかしマルがアルマーを制して、今度は私の方に視線を向けて舌舐めずりする。
「王女の方も、お仕置きが必要かもしれませんねぇ……その可愛い爪の間に鋭い針を刺してあげましょうか。これはね、外側から見ても傷がわからないので奴隷の値段が下がらない、いい方法なんですよ。フフフフ……」
げげげ、こいつ、マジで最低……!
ゾワゾワと悪寒が走るのを懸命に堪える。
ユージン、助けてよ。
さっきから私の肩に乗った猫は、直立不動の姿勢で微動だにしない。まさか、ユージンも〈
マルが馬上から合図する。と、男たちが一斉にこちらに向かってきた。前からも後ろからも挟み討ちだ。
や、やだっ……!
男の手が私に伸びた刹那、凛とした大きな声が響き渡った。
「―― 〈
凄まじい閃光と爆音が鳴り響き、周辺が光の渦に包み込まれた。
「うぉっ!」
「きゃあっ!」
強い爆風を正面から受け、私もキジャも地べたに転がってしまった。今の衝撃で術が解けたのか、身体が動く。なんとか上体を起こした私は、光の中心に信じられないものを見て思わず叫んでいた――。
「ナギ先生!!!」
光の中から現れたのは、黒いローブに身を包んだナギ先生だった。
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