第9話:ルナ王女、語学を学ぶ。

先日、鍛錬場でアルマーに『呪われている』呼ばわりされてから、数週間が経とうとしていた。


私は相変わらずドラゴンのユージンと会っている。とは言っても、一日中一緒に遊んでいるわけではない。


王女の1日はわりと忙しく、3歳を過ぎた頃からいろいろな習い事をやっているのだ。私は魔法の修行をナギ先生とみっちりやっているのでかなり免除されているが、姉のレイラ王女などは、魔法はもちろんのこと、歴史などの一般教養から語学にダンスに礼儀作法など、とにかく一日中お勉強している。淑女になるのはなかなか大変なものらしい。


今日の午前中は語学のお勉強だ。

授業はマンツーマンで、この世界の公用語であるノラント語を中心に学んでいる。


ノラント語は、ラテン系言語のようにアルファベットのような文字を繋ぎ合わせて単語を作る。


語学の担当の先生はマーシャル先生といって、線の細い年配の女性だ。彼女は、非常に美しいノラント語を話すのだが、私にもかなり厳しくその「正確な発音」をすることを要求してくる。


王女たる者、ノラント語の美しい発音ができることは必須事項なのだそうだ。


この世界に転生してから、周りが話していることは赤ちゃんの頃からすでに完璧に理解できていた私。


最初こそ赤ちゃん言葉が抜けなかったりして発話には苦労したが、5歳にもなると、発音に関しても特に問題はない。先生が授業で言っていることは、もちろんすべて理解できている。


なので、授業では文字の綴り方を中心に習っている。話していることは理解できていても、それを文字に書くとなると話は別だ。この世界のアルファベットの組み合わせを音通りに覚えなくてはならない。しかし生後半年から文字を学び始めたので、5歳になった今ではかなり進んだ内容も読んだり書いたりできるようになってきている。


まあ、あまりにも完璧過ぎると、『子供っぽくない』ので、適当に間違えたりして怪しまれないようにしている。

それはそれで面倒なんだけど。


最近はかなり化けの皮が剥がれてきており、先日アルマーをやり込めたように、大人顔負けの発言もちょいちょいしてしまっているのだが、周りの方が慣れてきたようで特に問題はなさそうだ。


この日は、マーシャル先生は喉風邪をひいて声が出ないとのことらしい。


急遽、代理の先生が手配されて来た。


代理の先生は若いハンサムな男性で、20代後半くらいだ。焦げ茶色の長い髪を後ろでひとつに結んでいて、灰色がかった茶色の瞳は強い光を放っている。肌は浅黒く、背が高くてがっしりしている。


最初部屋に入って来た時は、武道の稽古でも始まるのかと思うほどいかつい印象を覚えたが、授業が始まるとノラント語の発音はさすがのものだった。


侍女たちはこのハンサムで男らしい先生がよっぽど気になるらしく、適当な用事を思いついてはしょっちゅう部屋に入って来てメーヤに睨まれていた。


この先生、名をキジャと言い、普段は王宮近くの屋敷に住む貴族の子弟などにノラント語を教えているらしい。


前回の綴り方の復習を一通り終えると、感嘆したように言う。


「聞きしにまさる覚えの早さですな。私もあちこちの貴族のご子息にノラント語をお教えしておりますが、ルナ様ほど幼い頃から語学を操れるお子様は存じません。初級どころか、中級の内容を習っていらっしゃるとは」


「ありがとうございます」


「ロイブ公爵夫人のお子様たちにもお教えしているのですが……、ああ、アルマー様やノーリア様ですがね。こう言ってはなんですが、ルナ様とは飲み込みの早さなどは比べようもございません」


「アルマー!?」


なんと、キジャ先生はアルマーにも教えているのだ。ノーリアというのは、もしかして下の妹さんだろうか。


「アルマーさんとは親しいのですか?」


それとなく聞いてみる。


「まさか。教師といっても私は使用人ですから」


「……そうですか」


アルマーは身分の低い者とは普通に口をきくのも嫌なのだろうか?

先日一度会っただけだが、どうもあの異母兄とは価値観が合いそうもなかった。


そうこうするうちに、授業は終わりの時間になり、キジャ先生は帰ってしまった。


午前の習い事はこれで終わりで、お昼時になった。


メーヤがテキパキとテーブルをセットしてくれる。今日のお昼ご飯は鶏肉とチーズが入ったリゾット、蕪を滑らかに濾したスープ、それに珍しい南国の果物がトッピングされたサラダの盛り合わせだ。飲み物も数種類の果物のジュースが用意されている。


……5歳の私に対してかなり軽めに作ってこの量なのだから、大人になったらどんなものが出てくるのか気になる。


なかなか美味しいのだが、実は基本的にいつも私は1人でご飯を食べているのだ。


国王は執務で、リューイ王子は剣術の鍛錬や帝王学の勉強で、レイラ王女は習い事で王族は皆忙しく、家族と言っても食事を共にする機会はほとんどない。王妃に至っては私を毛嫌いしている。


そんなこんなで、朝も、昼も、夜もボッチ飯。


側にメーヤが必ず控えているけれど、なんか違うよね……。


でも一応、メーヤが一緒に食べてくれるように誘ってみる。


「ねぇ、メーヤも一緒に食べようよ」


「いけません、ルナ様。臣下と一緒にテーブルを共にするなど」


「臣下なんて関係ないよ。ねえ、こっち来て座ってよ」


「いけませんルナ様」


「もー!じゃあメーヤが一緒に食べてくれなかったら私も食べない!」


「ルナ様!いいかげんになさいまし!」


……こんな調子で、メーヤは絶対に私と一緒にご飯を食べてくれない。『ホカサダ』だった頃は、会社のお昼ご飯は1人デスクで食べることが多かったが、なんと王女になってもボッチ飯とは……。


と、扉の向こうでカリカリと音がする。開けてみると、猫の姿をしたユージンが扉の外でちょこんとお座りをしていた。


最近は私が森に行くより、猫に変化したユージンの方から城に現れるほうが多くなっているのだ。彼のお目当てはもちろん王宮で出されるお昼ご飯。いつもお昼時を狙って私の部屋に出没し、食べるとまたふらっといなくなってしまう。でも私が森に行くと気配でわかるのか、いつもすぐに出てきてくれるのだ。


ちょうど今メーヤは飲み物のおかわりを取りに行ってしまい、部屋には他に誰もいない。


「ユージン、ちょうどよかったよ。お昼ご飯あるよ。一緒に食べよ」


「ふふん。今日は鶏肉か」


猫の姿をしたユージンが鼻をくんくんさせ、そのままさっと椅子に座る。お皿に食事を取り分けてテーブルの上に置いてあげた。金色の美しい猫は、お皿の上の鶏肉をはぐはぐとおいしそうに食べ始める。


すごく美味しい時は、猫の姿の時も尻尾が上下に動くのだが、今日はどうだろう。

……あ。動いてる動いてる。

美味しいみたい。


猫の姿をしているからといって、床で食べさせるよりは、席に着いて一緒に食べたほうが私は好きだ。人間でも猫でもドラゴンでも、誰かと一緒に食べるご飯というのは美味しい。


「勉強は終わったのか」


「うん。ノラント語の綴りの練習したよ。手が疲れちゃった。……ねえ、ドラゴン語っていうのもあるの?」


「ああ。でも、おまえには発音できないだろうな」


そう言うと、いたずらっぽくこちらに視線を送ってくる。


……こうやって、ときどき意地悪な言い方をして、私の反応を楽しんでいるようなのだ。


「なによー、えらそうに。ちょっとなんか喋ってみてよ」


「今度な、今度」


もー、けちなんだから。


ご飯を食べ終わったユージンは、テーブルの上に乗って毛づくろいを始めている。その姿を見ていると、自然とほんわかした気分になってくる。


「ね。触っていい?」


ユージンは何も言わない。無言を肯定と受け取り、頭のてっぺんを指の先で優しく掻いてやると、気持ち良さそうに目を瞑っている。かわいいなぁ。


と、メーヤが部屋に戻ってきた。ユージンがテーブルの上にいるのに気づいて怒り出す。


「ルナ様!またその猫をテーブルに乗せて!いけませんよ!」


あっという間にメーヤが首根っこを掴んでユージンをどこかに連れて行ってしまった。

ユージンはされるがままで、ウンともスンともニャアとも言わず行ってしまった。下手に怒ったりして正体を現したりすると面倒だと思っているのだろう。


……メーヤも、自分の掴んでいる猫が実はドラゴンの変化した姿だと知ったらきっと腰を抜かすことだろう。


ユージンもメーヤも他の使用人たちもいなくなってしまうと、もともと広い部屋が余計に広く感じる。


ため息をついて窓の方を眺める。

別に特に変わったものがあるわけではない。いつもと同じ眺めだ。


ふと首を回すと、扉の所にキジャ先生がいるではないか。おいでおいでと手まねきしている。私は素直に先生の方へ歩いて行った。


「先生、忘れ物でも?」


「ええ。私としたことが……。失礼してよろしいですか?」


どうぞ、と言う前にキジャ先生は部屋の中に入り込んでいた。あっという間にこちらに距離を詰めてくる。


……!!


とても語学の先生とは思えない素早い身のこなしに、心の中で警鐘が響く。

なんだかやばい、と思ったのと、先生が私の後ろにパッと回り込んで布で口を塞いだのとが、ほぼ同時だった。


むぐむぐむぐ!


と、口に当てられた布から、甘い匂いが漂ってきた。


これは……!?


あ、やばい……意識が遠のく……。


ユージン……!!


……助けて……。


そう思ったのもつかの間、次の瞬間には私は深い眠りに落ちていたのだった。

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