メルの旅立ち

メルの旅立ち


「どうやらメルよ……お前おめーは “ドジッ娘魔法使い”らしい……」


「……ふぇ!?」


 散乱した食器を片付け終えたメルは、改めて席に着いたエヴィエニスとバルガに視線を向けられながら、恐縮した様子でバルガの話を聞いた後、何処から出したのかと言う様な声を上げた。バルガも元々事細かに説明するタイプではなく単刀直入に切り出したのだが、それが余計にメルの混乱を招いていた。

 意味が解らないメルは、その視線をバルガとエヴィエニスの間で行き来させて更なる説明を求めたのだった。


「……メルクレール嬢、貴女は二千年を経て現代に現れた “ドジッ娘魔法” の使い手たる “ドジッ娘魔法使い” なのです」


 真摯な態度に真剣な眼差しで、エヴィエニスはユックリと言い含める様に彼女へと言葉を掛けた。


「……ふぇ!?」


 エヴィエニスの緩やかな言葉にウンウンと頷きながら聞いていたメルだったが、やはり彼女が口にした言葉は到底理解したと言う言葉では無かった。

 そもそも彼女が、肝心の “ドジッ娘魔法” や “ドジッ娘魔法使い” について説明が全くなされていないのだ。エヴィエニスは当然の事ながら、先程目の当たりにしたバルガはその文言だけで理解出来る物の、彼女にしてみれば到底一般的ではない “ドジッ娘魔法” についてその説明を省いた言葉を掛けられても、それが例えメルでなくとも理解するのは至難であり、当然彼女も理解出来なかった。

まして相手はメルである。どれほど噛み砕いたとしても理解出来るかどうか怪しい物なのだ。


「……いいか? メル。とにかくお前おめーは魔法使いってー話なんだ。それもとーっても強い魔法使いなんだと。だからお前おめーはこの伯爵様に付いて行って王都に行かなきゃーなんねーんだ」


 長い説明を早々に諦めたバルガは、途中の経緯を完全に省いてこれからの事だけを彼女に言って聞かせた。流石にこの辺りは長い付き合い、まるで家族同然に過ごして来ただけはあるバルガであった。彼は彼女の扱いにとても長けていると言って良かった。


「……んー……なんで?」


 とりあえず王都に行かなければならないと言う理由はメルなりに理解出来た様だった。本来ならば彼女から山の様な質問が沸き起こってもおかしくないのだが、彼女が質問しようにも何が解らないのかそれさえ解らない状況に陥っていたのだった。

 彼女の「なんで?」と言う質問を「魔法使いだと何故王都に行かなければならないのか?」と言う意味に捉えたエヴィエニスがその問いに答える。


「貴女は私と共に王都へと赴き、大神官殿に神託を授からなければなりません。そうする事で貴女の “ドジッ娘魔法使い” としての特性がハッキリするのです」


 先程までバルガやメルのやり取りを見ていたエヴィエニスは、極力彼と同じ様にユックリとかみ砕いて説明した……つもりであった。しかしその言葉の殆どは残念ながら彼女に届いていない。


「……ふ……ん……」


 頷きなのか疑問符なのか解り難い声がメルから漏れる。それを聞いたエヴィエニスがバッとバルガの方へと顔を向けた。その顔には「通じましたか!?」と言う期待の籠った瞳が爛々と輝いている。だがバルガはユックリと首を左右に振り彼の期待を儚くも打ち砕いた。それを見たエヴィエニスの顔は途端に失望へと変わりがっかりした物へと変わってしまった。


「……メルよ。王都に行って偉い人とお話ししないと王様に怒られるそうだ。お前おめーも王様には怒られたくないだろ?」


 もうここまで来れば幼女に言い含めるそれである。しかし勘違いしてはいけないのが、メルは理解力が幼女並みと言う訳ではない。ただ非常におっとりとしており、どうしたって耳から入った情報が脳に達しそれを理解するまで時間が掛かると言うだけなのだ。

 それをなるだけ早く行おうとすればバルガが使ったような話し方になるだけの話であった。


「……ええー……なんで怒られるのか解んないよ……」


 これに対してメルは大いに不満と言った言葉を発した。もっとも彼女が不満に思うのは、例え理由を全て把握していたとしても至極もっともな物だった。自分が望みもしない能力を顕現させてしまったと言うだけで、わざわざ王都まで強制的に向かわなければならないのだ。これに不満を持たない者は少ないのではないだろうか。


「……でも怒られるのだし……私、行くよ」


 エヴィエニスの説明では怒られると言う言葉は出て来ていないが、王命として登城が命じられている以上、反すれば何かしらの罰を受けるだろう。バルガの説明も意外に的を射ており、その説明が功を奏したのか彼女はごねるでもなく王都行きを承諾した。

 その言葉を聞いてエヴィエニスから安堵の吐息が漏れる。彼にしてみればバルガ達が考えている以上に重要な任務だったのかもしれない。そこでバルガには一つの疑問が浮かび上がった。


「……よう、伯爵様。あんた、なんでメルがその…… “ドジッ娘魔法使い” か? それだと気付いたんだ?」


 彼の挙動はある時から明らかにメルに対して警戒を取っており、それはあの食器が乱舞する以前からの物であったのだ。バルガの物言いは相変わらず身分を無視した失礼な物であったが、エヴィエニスにそれを気にした様子はない。


「……私は大神官殿の受けた啓示を元に、王より勅命を受けてここに来たのだ。大神官殿が受けた啓示は『リエス村に千年前の脅威が顕現する。これに備えよ』と言う物だったらしい」


 そう言ってエヴィエニスはメルへと視線を向けた。自身を脅威と言われて本来ならば怒っても良い場面であるが、当然メルがそれに気付いた様子はない。

「……なんでこの村に現れたその “脅威” って奴がメルだってーんだ? 違う人物かも知れねーし、必ずしも人とは限らねーだろ? その “脅威” ってやつは」


 口の悪さとは裏腹に、存外切れるバルガの質問はやはり正鵠を射たものであった。やや驚いた表情を浮かべたエヴィエニスは、その直後には小さく微笑んでその問いに答えだした。


「啓示で示された『千年前』と言う符丁が重要なんだ。それにその啓示を受けた者が大神官殿であったと言う事も。これを見て欲しい」


 そう言って彼は、傍らに肌身離さず持ち歩いている美しい盾を持ち上げてメル達に見せた。それは美しい白銀をしており、緻密な意匠がふんだんに施された逸品であった。それだけでも随分高価な事が誰にでも理解出来る物だったが、更にその中央上方に埋め込まれた碧い宝石がその価値を引き上げていた。神秘的な色を湛えるその宝石はメルの拳よりも一回り小さい程度であったが、傷は勿論曇り等一つもなく、もしもそれが蒼玉サファイアならば一体どれほどの値が付くのか計り知れない程であった。その余りの美しさにバルガは息を呑み、メルは「ほわぁー」と感嘆の声を上げて魅入っていた。


「この盾は国宝 “女神の盾” と言い、この宝珠はドジッ娘魔法に反応して光りその脅威から所持者を守るとされていた物です。そしてその効果の程は先程見た通りです」


 そう説明し終えたエヴィエニスは、宝珠から視線を離さないメルに僅かながら困惑しつつ、それでも自身の傍らへ先程の様に盾を下ろした。女神の盾が視界から消えた事に、メルは随分と不満顔を浮かべていた。


「千年前に起こった脅威とは、どの様な文権を紐解いても一つしかない。それはドジッ娘魔法に依る大破壊。そしてその啓示が女神の盾を安置している神殿の大神官殿に告げられたと言う事、ドジッ娘魔法使いはドジな少女もしくは少年に発現する力だと言う事実。これだけの事が揃えば、この村でであるメルクレール嬢がそうだと思ってもおかしくないでしょう?」


 確かにそれだけ合致する事柄があれば、余程の理由が無ければメルに目星を付けるだろう。寧ろメルに目を付けないと言う事の方が不自然と言う程であった。

 流石にここまで理由を並べられれば、バルガも他に疑問を呈する事等出来ず小さい唸り声を零して黙るしかなかった。


「……それで? いつこの村を発つってんだ?」


 バルガも本心を言えばメルの王都行きに諸手を上げて賛成とは思っていなかった。彼女の危険性は今一つピンと来るものでは無かったし、何よりも家族同然の彼女をこの村から送り出す事に反対であったのだ。

 だがそれも彼一人の感情であり、この村全体の事を考えれば到底楽観出来る事ではない。何かしらの問題が起きて被害が彼の店だけで収まれば問題ないと考えられても、他の村人やこの村全体に及んでは目も当てられない。


「……はい、明日にも。事は一刻を争うのです」


 彼の問いに、エヴィエニスは僅かの逡巡後にメルの方へと視線を向けてハッキリとそう答えた。確かに今の所彼の持つ盾でしかメルの魔法を抑える事が出来ないのならば、のんびりと村に逗留する訳にはいかない。早急に王都へと向かい大神官という人物から神託とやらを授からなければならないだろう。


「えー……お店の片づけがまだ終わってないんですけどー……」


 あからさまに拒絶反応を見せたメルは、その視線をバルガの方へと泳がせた。出来ればバルガから援護射撃をと目論んでいたのだろうが、当のバルガからは首を左右に振られてしまった。つまりはメルの意見を却下されたのだ。ガックリと項垂れたメルは、再びエヴィエニスへと視線を戻して小さく頷いた。


「それでは明朝出立します。私はこちらの宿で一晩過ごしますが……」


 彼は「あなた方はどちらで休んでいるのですか?」と続けそうな視線をバルガに送った。


「……俺の家は今焼け落ちてないんだよ……俺達も宿でお世話になってるんだ」


 エヴィエニスからの視線に込められた意味を読み取ったバルガはそう彼に答えた。エヴィエニスは頷いて再びメルへと向き直る。


「それではメルクレール嬢、明日よりしばらくは宜しくお願いします」


 そう言葉を掛けたエヴィエニスが小さく頭を下げた。改まった彼の仕草に慌てたメルが即座に立ち上がろうとする。


 ―――ガンッ!


「いったーいっ!」


 そして再びメルはテーブルに太腿を強かに打ち付けて悲鳴を上げた。その瞬間、エヴィエニスが目にも止まらぬ速さで盾に手をかけ、バルガは両手で顔を庇う様な姿勢のまま固まった。


「たは……たはは……」


 しかし聞こえてきたのはメルの照れ笑いであり、その他には何も起こらず当然宝珠にも反応は起こっていなかった。エヴィエニスとバルガは同時に大きな溜息を吐きだして防御姿勢を解いた。


「わた……私の事はメル……メルとお呼び下さいっ! エブ……エヴォ……」


「エヴィエニス……いえ、エニスと呼んでください、メル」


 エヴィエニスの名前を正確に覚えていた事も怪しいが、その言葉を正確に発音出来なかったメルに彼は自身の愛称で呼ぶ事を提案した。


「は……はいっ! 解りました、エニス様っ!」


 随分と難易度の下がった彼の呼称に気を良くしたメルは、どこか照れた様にそれでも元気よくエニスに答えた。そしてエニスはそのまま部隊の元へと一旦戻り、メルとバルガも作業へと戻っていった。一度は離れたエニスだったが、やはりメルから目を離さない位置で彼等の作業を見守っていた。




 翌朝早朝、多数の馬がいななき騒がしい村の入り口にエニスとバルガ、メルの姿はあった。


「それでは団長、お先に出立しますっ! 道中お気をつけてっ!」


 馬にまたがりエニスにそう声を掛けたのは、この村へと同行して来た親衛騎士団副長であった。彼等はエニスの指示により、エニス達よりも先に出立する手筈となっていたのだ。


「……よう、エニスさんよー。なんで親衛隊を先に帰らすんだ?」


 不思議に思ったバルガがエニスにそう問いかけた。道中が非常に危険と言う事は少ない筈だが、それでも野党の集団や魔獣により襲撃が考えられるのだ。移動は部隊単位で行った方が良いに決まっていた。


「……この盾で防ぐ事が出来るのは狭い範囲なのだ……彼等が一緒ではに守る事が出来ないのでな……」


 理由を聞けばもっともな話だとバルガもすぐに納得した。この村から王都までは数日の距離であり、早々トラブルに遭遇するとは考えられない。そう楽観した物でもないが、問題が無ければ最も危険だと考えられるのはメルの力なのだ。


「……じゃーな、メル。気を付けてな。元気で過ごせよ」


 バルガの物言いはどこか今生の別れを感じさせるしんみりとした物であった。それもその筈で昨日の話ではあえて話題にしなかったが、メルがこの村を出れば彼女の独断でこの村へと帰って来る事等考えられないとバルガは知っていたのだ。

 メルはバルガも目の当たりにした通り間違いなく “ドジッ娘魔法使い” だと彼も考えていた。千年前に大事件を引き起こす程の魔法使いならば、王都が彼女をそのまま放逐する訳が無い。配下に加えるか、それが不可能ならば隔離して自由にはさせないだろう。

 バルガにはそれが解っており、本来ならば彼女を引き留めたい思いで一杯だった。しかしそうした所で彼女の運命が変わる訳でも無いのだ。


「うんっ! 帰ってきたら店の事手伝うからねっ!」


 だが彼女自身、自分の運命を理解していないのだろう、バルガに対するメルの答えは底抜けに明るく無邪気な物であった。


「……ああ、期待せずに待ってるよ……」


 ワシャワシャとメルの頭を強く撫でながら、バルガは優しい笑顔でそう答えた。


「何よ、バルガァー……」


 言葉では反論していても、メルはどこか気持ち良さそうに彼のされるがままでいた。だがそんな時間が無制限に続く訳もない。


「……それではバルガ殿……」


 バルガに向けて僅かに頭を下げるエニスの言葉には「時間切れ」だと言う意味合いも含まれていた。別段エニスが意地悪と言う訳では無く、彼としても任務があり早急に出立する必要があるのだ。

 エニスが引く馬に付いて行くようにメルが村を後にする。


「それじゃーねーっ! バルガ―ッ! お土産待っててねーっ!」


 何度も振り返りバルガに向けて手を振るメルであったが、とうとうバルガから手を振られる事は無かった。しかしメルの姿が米粒の様になり見えなくなるまで、彼の姿は村の入り口から消える事は無かった。

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