伝説の再来
発端30分前
―――幻晶歴2104年。
―――あぁ……お店が……お店が燃えてますぅー……。
メルの眼前では、8歳から10年務めた店が激しく燃え盛り、すでに一部は崩れ出していた。その光景を彼女は涙ながらに見つめていた。
―――わた……私のせいでしょうかぁー……。
涙を流して立ち尽くすメルの視界には、炎に包まれた店の中に飛び込もうとしている店主のバルガが、周囲の村人に羽交い絞めで動きを封じられて留められている。
「俺の……俺の店がーっ! 燃えちまうーっ!」
彼の悲痛な叫びは周囲に同情を誘ったが、もはや手が付け用の無い程燃え広がった彼の店を、その場の誰もがどうする事も出来なかった。メルはそんな光景を、絶望と悲哀の眼差しで見つめた。
―――私が……私がドジばかりしちゃったからー?……。
すでに店を全て呑み尽くした炎はその勢力を若干ではあるが弱めつつある。そして長年世話になったバルガの力も徐々に脱力している様で、今は彼を取り押さえる村人の手も無い。
そんな光景を、メルは力の籠らない瞳で見つめていた。
―――今から30分前……。
「わっ……きゃーっ!」
―――ガランガラガラーッ!
メイド服姿の少女が悲鳴を上げると共に、彼女が重ねて持っていた木製の皿が豪快にぶちまけられた。
周囲を森に囲まれた閑静な村「リエス村」。林業と狩猟が主な収入源なこの村には、もう一つ嗜好家を唸らせる特産品があった。
決して盛んとは言えない酒造りだが、余りに出来の良い地酒はこの大陸に住む愛飲家たちに人気が高く、この村へと頻繁に旅人が訪れる理由となっていた。
そしてこの村唯一の酒場兼宿屋を営む「バルガ亭」はその恩恵を受け、一年を通して比較的賑わいを見せていた。
そしてそう言った表の特産品とは別に、もう一つ名物ともいうべき事象がこの店にはあった。
「こっらー、メルーッ! まーたやったのかーっ!」
少女の悲鳴に時を置かずして、野太い男性の怒声が飛んだ。悲鳴を上げた少女の足元には木製の食器が散乱しており、恐らくそれを落とした少女はその惨劇を見ない様に両手で顔を覆っていた。
しかし男性の声を聞いて身を強張らせたメルと呼ばれる少女は、恐々とその顔から手を引き離した。
「……あ……あの……バルガ……その……」
「……今日は木製食器か。被害は殆ど無い様だな……ほれ、すぐに片付けな」
怯えるメルを一瞥して、彼女の足元に広がる惨状を確認したバルガは、少し安堵の表情を浮かべてテキパキと彼女にそう指示を出した。
「……は……はいっ、ご……ごめんなさいでしたーっ!」
すでに背を向けているバルガに、メルは深々と頭を下げると急いで足元を片付けだした。
「はははっ、バルガ。今日もメルちゃんの声は元気が良いなー!」
「……まったく……素直で元気が良いから、あれだけドジっても憎めねーってのは全く役得だぜ」
常連客の軽口にバルガは苦笑いで答えた。
幼くして両親を亡くしたメルは村長の庇護を受けて数年を過ごした後、自らの希望もあってバルガの店でメイドとして働く事となったのだ。
そそっかしくオッチョコチョイな彼女は、当時から今に至るまでドジを踏まない日は無かったと言って過言では無かった。
しかしその分何事にも一生懸命で、失敗にもめげる事無くいつも明るく振る舞う彼女は、バルガの店のみならず村中からの人気者でもあった。立場上厳しく振る舞うバルガであったが、10年も一緒に働いていればもはや娘か妹の様に感じており、今では彼女のドジも微笑ましく感じているのだった。勿論、店に被害が無ければの話であるが。
彼女のドジはこの店に笑顔の花を咲かせる名物となっていたのだった。
「あっ! ……いやーっ!」
―――ドガッシャーンッ!
さっきの悲鳴からそれ程時を置かずして、新たな悲鳴が調理場の方から響き渡った。先程よりも大きく金属質な音は、メルが鍋か何かをひっくり返したのだろう。
「うぉいっ! まーたやっちまったのかっ!?」
先程と違い、金属製の鍋や食器等だと怪我をする事もある。バルガは叫びながら彼女の悲鳴があった部屋へと飛び込んだ。
案の定、メルはコンロに乗せておいた大鍋を見事に引っ繰り返しており、自身も床に尻餅をついていた。一目見たバルガには、何をどうすれば鍋をひっくり返す様なこけ方が出来るのかと疑問に感じたが、それをやってのけるからこそのメルなのだと納得もしていた。
幸い鍋の中身は殆ど空っぽで、床にぶちまけられているシチューは殆ど残り物でしかなかった。これが出来上がり間際だったならメル自身にも危害が及んでいたかもしれないし、何よりも店で提供する料理が激減し売り上げにも影響を与えていた所だった。
「……あいったた……」
そう漏らしたメルは強かに強打したお尻を擦っている。どの様なシチュエーションでそうなったのかバルガには解らないが、年頃の女性が大股開きで尻餅をついている姿は決して余人に見せられた物では無いと、彼は呆れたように大きな溜息をついた。
「……おい、メル……早く鍋を……いや、その前に早く立て……それよりも足を閉じろ、足を」
毎度のことながら何から突っ込んでいいやら迷ってしまう惨状に、バルガは思いつく限りの事を立て続けに告げた。
「……え……わっ……きゃっ!」
漸く自分の状態を把握した彼女が、見る間に赤面させ慌てて足を閉じた。
「……見ま……した……?」
座り込んでいるメルは、真っ赤な顔をしながらバルガを睨め上げ、絞り出す様にそう問い質した。その表情は恥じらいに満ちており、口を真一文字に引き結び、瞳には涙を浮かべていた。
思わず垣間見たメルの「女性」としての表情にバルガは思わず動揺したが、それでも肉親の様に感じている少女であった為即座に平静を取り戻した。
「……しっかり見えたよ。それよりも早く鍋を直して床を掃除しておけよ」
溜息交じりにそう言うと、バルガはクルリと踵を返してその場を立ち去ろう……として動きを止めた。
「もぅっ! バルガのバ……カ……?」
彼の言葉に抗議の声を上げようとしたメルだったが、バルガの視線におかしな物を感じてその言葉は尻すぼみに小さくなっていった。彼の視線はメルでは無く、その背後に釘付けとなっていたのだ。
怪訝に思ったメルも、彼の視線を辿る様に背後へと振り返った。そこには彼女が引っ繰り返した鍋と、その中に僅かだけ残っていたシチューが散乱している。
しかしその瞬間、メルもその不可思議な光景に目を奪われて動きが止まってしまった。
零したシチューの残りが、ボコボコと泡を吹いていたのだ。
それまで鍋には火が掛けられておらず、中身は完全に冷めていた筈だった。それにも拘らずそのシチューは、まるで今でも火にかけられている様に、まるで煮立っているかのような泡を吹きだしているのだ。しかもその泡は大きくなり次第に数も増していった。
―――ゴゥッ!
まるで生き物の様に泡立つ速度を上げていたシチューが突如発火した。正確にはシチューが零れていた床の木が燃え出したのだ。それだけに留まらず、泡が弾ける時に放った滴の付いた部分からも同じ様に発火し出したのだ。
メルとバルガの見ている前で、調理場は見る間に火の海と化したのだった。
「……えっ……」
突然の事にメルは動けず、ただ燃え盛る炎を見つめていた。
「うぉいっ、メルッ! 何してるんだっ! 早く逃げろっ!」
即座に回復したバルガがメルを強引に立たせて入り口の方へと引っ張った。成されるが儘のメルは、状況を把握出来ないままにフラフラと店の入り口へ歩いて行く。
「何だ何だっ!? 火事でも起こしたのかっ!? 早く消せーっ!」
常連客も異常を察知し、恐らくは奥で消火作業を行っているバルガの加勢へと向かって行った。
しかしメルには、呆然とする以外に成す術が無かったのだった。
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