第24話 ~そして、ニア・シルノフ・アジリエートの場合~
――気づけば、膝をついていた。
あれだけ拮抗していた戦いは、あまりにもあっけなく決着がついた。リズの――本物のリズ・シルノフ・アジリエートの剣は私の首筋にぴたりと当てられている。一方で私の剣は、主を失い地面に転がっていた。
……あれだけ私の意識を苛んでいた頭痛は、嘘のように無くなっていた。でも、私はその頭痛から解放された代わりに、全てを失った事を実感していた。……初めから、この戦いに私の勝ちなど無かったのだ。いや、勝ち負けの問題ですらない。そもそもこの戦いには意味が無い。無意味な私と、全てを持ち合わせていたリズ。私が本物のリズに敵視された時点で、私が消えるべきなのは明らかだったのだ。
悲しさも、苦しさも、何も無い。ただそれが当然な事。
ニア・シルノフ・アジリエート。
その名の少女は、あの雪の日に……あるいは、タラスクと戦った時に既に死んでいる。ただの死体に、借り物の中身を詰めて、生きているフリをしていた。ならば、本物に糾弾されたのならば、偽者が存在できる道理は無い。
「ようやく……自分が何者か、自覚しましたか。」
冷たい、『本物』の声が降ってくる。
「しかし、本当に馬鹿な事をしたものです。技術の模倣、行動の型の模倣までならばまだ分かります。けれど、さらにその先、思考……いえ、
リズは哀れむように目を細めて言う。
「どれだけ深く私を観察し、この人生を追想しようと、他人では知りえぬ経験、思い至らぬ思想は必ず存在する。模倣が出来るか否かではない。そもそも、その模倣の元となる他人を完全に理解する事自体が不可能なのですから。」
「――。」
それは、私の全てを否定する言葉だった。その言葉は剣よりも鋭く、私の心臓を貫いた。ガラスを砕くような音を聞いた。それは現実のものではない。私が最後に寄る辺としていたものが砕けた音。
そうして。私には本当に何も無くなった。
……残ったのはやはり純粋な疑問のみ。
彼女は、私では彼女の全てを理解できないと言った。ならば、結局私は何を理解できなかったのか。
そもそもからして、私が理解しているリズは今回のような事件を引き起こすような人間ではない。確かに彼女は村の生活に閉塞感を感じていた。感じていたと思う。でも、村人の皆を殺すほどのものではなかったはずなのだ。
「……どうして、村のみんなを。」
「貴方が、それを問うのですか。ニア。」
私の問いに、リズは泣き出しそうな顔で答えた。
「あの村はもう終わっていました。確かにまだ人々の営みは続いていた。けれど、それだけだったのです。アスライトの採取はもう殆ど出来ない状態でした。それにも関わらず、あの人間達は何もしなかった。かといって衰退を受け入れる事すらしなかった。ただ私に命をかけてアスライトを取って来いと命令するだけ。あんな奴らのために、私は命を賭けたくない。」
リズは怒りに震えていた。その震えは剣に伝わり、私の首筋に薄く刃が当たった。
「……それでも、あの閉じた村では村人の総意こそが絶対です。狩りに出ないならば、村から出て行くしかない。けれどそんな事をしようとすれば、彼らは全てを使って私を止めたでしょう。……いずれにせよ、私に選択肢は無かったのです。」
リズの言い分は、やはり私には理解できないものだった。彼女なら、もっと上手く出来たはずなのだ。少なくとも、私の知るリズならば。だが、それが出来なかったという事実こそ、リズにしか知りえない『何か』があったという査証なのだろう。
「私は殺人犯になるしか無かった。けれど、私はいつまでも逃亡生活を続けるつもりはありません。私は、貴方を殺し、貴方に成り代わる。貴方が築いたリズ・シルノフ・アジリエートという地位を奪い、その中で生きていく。」
それが、この一連の事件の真相だと、リズは言った。
「でも……それは、不可能です。私をリズと認識している人間は、あまりにも多すぎる。」
「果たしてそうでしょうか?貴方を正しく貴方と認識できる人間など、いったい何人居るでしょう。貴方には家族は居ない。ならば、それが出来るのはごく近しい人間のみなのではないですか?」
そう言って、リズは私の後ろに視線を移す。
「そう――たとえば、貴方のパーティーメンバーとか。」
そこには、リヒトが倒れていた。
ふと、リズの意識が私から外れた。
「――最早、貴方を殺すのは簡単なようです。ならば、まだ戦意が残っている者から殺すとしましょうか。」
そう言って、リズは私の首から剣を外して歩き出す。
「あ――。」
私はそれを、呆然と見送る事しか出来なかった。
だって、私にリズを止める事なんて出来ない。
私は、彼女の真似をする事で生きてきた。それはつまり――私は、リズの全てを肯定してきたという事だ。
彼女の行いは全て正しい。
それこそがニア・シルノフ・アジリエートにとっての絶対なのだから。
リズはリヒトの前に立った。
リヒトはまだ戦いのダメージが抜けていない。何とか立ち上がって抵抗に意思は見せるものの、その足は震え、顔を上げる事すら出来ない。
「――。」
リヒトが殺される。
それなのに、私は動く事が出来ない。
なぜ?
それは、止める理由が無いから。リズが殺すというのなら、それは正しい事だから。
――本当に?
リズは無言のまま剣を振り上げる。
リヒトは動けない。
このままでは本当にリヒトが死ぬ。
私は動けない。
リズが正しい。
――本当に?
他人の全てを理解出来ないと、今正に言われたばかりではないのか。
私は動けない。
――本当に?
リヒトは、私のために戦ったのに?
それは、つまり――。
……そして、聞いてしまった。その、リヒトの呟きを。
「リズ、に……近づくな……!」
命の危機に瀕しているのは彼女自身なのにも関わらず。その口から出た言葉は、私を庇うものだった。
そして無情にもリズの剣が振り下ろされる。リヒトの首に刃が迫る。
私は――。
ふと、ある日の夜を思い出した。
何もかも壊れた自我の中で、それだけは残っていた。
ベッドの上で二人、肩を寄せ合って眠った。その、小さな暖かさを。
蹴った。
全力で地面を蹴り、二人の間に割って入った。
ギィン!という音。取り落としたはずのアスライトの剣は、再び私の手の中でリズの刃を受け止めていた。
「――へぇ。」
リズの口元が三日月の形に歪んだ。今までとは違う、歓喜の表情。
「リヒトは……殺させ……ません……!」
搾り出すように、私は言った。それは、恐らく生まれて初めての、リズへの反抗。
「そう……やっぱり貴女は、正しい方を選ぶのね。」
「正しい……?もう私には、何が正しいのか分かりません。でも……この娘が死ぬ事は違う。例え私の選ぶ何もかもが意味が無く、間違っていたとしても……それだけは――。」
「そうね。貴女が負ければ、貴女だけではなく、この女の子も死ぬ。貴女がこの子を守るというのなら……初めから、殺しあう以外の選択肢は無かったのです。私達には。」
そう言って、リズは私から距離を取った。
初めからこうするしかなかった……本当に、そうなのだろうか。
頭の中はぐちゃぐちゃで何もわからない。それでも、ただリヒトを守るという一心で剣を構える。……そして、リズも剣を構えた。私と全く同じ……けれど、今はもう少しズレてしまった構え。
……ここに、本当の意味で最後の戦いが始まった。
魔術炎の残り火と、僅かな月明かりだけが照らす夜の森。その空間に火花が散った。神域の速度、悪魔めいた鋭さで交わされる剣は、しかし先の戦いから比べればいくぶんか密度の薄いものだった。
それもそのはず。もはや私達の間には例の未来予知めいた感覚は存在しない。相手の動きは読めて二手先。それさえも相手の工夫に覆される。当然、あの馬鹿げた剣技の相殺は発生せず、必然的に相手と距離を取っての読み合いが長くなる。
この結果は当然の事だった。なぜなら、私はもう『リズ』では無い。その時点で、私は彼女の思考をトレース出来なくなっている。ここに来てようやく、この戦いは通常の剣士同士の戦いになったのだ。
「っ……!」
足が竦む。恐怖からではない。私はまだ心のどこかで彼女と戦う事を拒否している。私にはリズと戦う理由が無い――と。ともすれば、簡単に折れてしまいそうになる心を、歯を食いしばって繋ぎとめる。決意など無い。覚悟など無い。私はリズのためにここで死ぬべきだとさえ思える。ただ、私がここで倒れれば、リヒトが死に、トーファやラスティにも危険が及ぶ。その事実に必死になって抗い続ける。
何合目かの打ち合いの末、頬に刺すような痛みが走った。私が放った一撃をいなされ、逆に返す刀で一閃された。慌ててリズと距離を取る。
「――。」
絶好の機会だ言うのに、リズからの追撃は無かった。私はなんとか体制を立て直して剣を構える。
私がリズの模倣を止めた事でリズと私の剣技の差はより明確なものになっていた。これは当たり前の事だ。そも、私は私では足りないからリズの模倣をしたのだ。故に、私の素の剣技がリズに及ばないのは初めからわかっていた事。
「――ぬるい。貴女はまだ、これが殺し合いだという事を分かっていないようです。」
ふと、リズが言った。
「仮に――仮に貴女が私を殺さずに捕らえられたとして、それでも私は止まりませんよ。憲兵に引き渡したところでそれが何になると言うのです。私は人を殺しすぎた。私が生き残るためにはもう貴女と貴女の周りの人間を殺しつくすしか無いのですから。」
「そんな、事は――。」
「ない、とは言わせません。拿捕される事はつまり、私の死を意味する。」
それは、そうかもしれない。でも、本当に無いのか。リヒトも死なず、リズも生き残れる手が。
「っ……そ、そうです!トーファなら……!彼女なら何か良い方法を――」
「くどい。あの呪い屋に何が出来ると言うのです。仮に何かしらの方法があったとして、アレが私を助けるとは思えません。だったら、殺したほうが早い。」
私の苦し紛れの思いつきは、即座に否定された。
「――。」
「ぬるい、と言ったのはそこです。私は、アシェナ村の皆を殺した。その時点で私の覚悟は決まっている。私はもう、殺し尽くす以外の選択肢を取るつもりはありません。」
リズの殺気が膨れ上がった。それは、今までの比ではない。それだけでリズに深い覚悟がることが分かる。
憧れたものと守りたいもの。そのどちらかを選ばなければならないというのなら、せめて――。
「これが最後です。失いたくないと言うのなら、来なさい。」
「あ……」
覚悟、という意味では私のそれはリズの足元にも及ばなかった。けれど、自分が何をすべきかは、あまりにも明確だった。
「あああああああああああああ!!!」
叫ぶ。
その絶叫は最早慟哭に近い。覚悟の不足を感情で補う。ありったけの魔力を身体強化に注ぎ込んで、私はリズへと突進した。
衝突の後、ギチリ、という鍔迫り合いの音。もちろん、そんな直進的な突進が通じるはずもない。身体強化の魔術だって気休め程度に過ぎない。それでも良い。まずはこの場所から離れなければ何も始まらない。
リズからすれば、私が自棄を起こした様に見えたかもしれない。純粋な力押し。あまりにも雑な攻撃。相手に傷を負わせられるか、と聞かれれば否であろう。事実リズは私の剣を苦もなく受け流している。
けれど私の勢いに押され、リズは後退を余儀なくされていた。めまぐるしく立ち位置を入れ替えながら夜の森を駆け抜ける。時折散る火花がお互いの顔を照らし出す。リズの表情からは、彼女が何を考えているのかは読み取れない。……それが、少し悲しい。彼女と一心同体も同然だった感覚は消失し、ただ彼女から発せられる殺気から彼女の感情を察するしかない。
ガギン!と一際大きな剣戟の音が響く。私の渾身の一撃を受け、リズは大きく後ろへ跳んだ。お互いの距離が開く。
「……。」
「――。」
僅かな沈黙。
思考の同調ではなく、純粋に剣士としての勘として、次で決着が付くのだとお互いに理解する。
その先は無い。ここから私が放つ二手。そこに私の全てを賭ける。
「……行きます。」
私は、静かにそう宣言した。
「――来なさい。」
リズはそう応えて剣を構えた。
今は失われた、存在しないはずの記憶がノイズとして走る。
それは、いつの事だったか。もう、思い出せないけれど。こうして、リズに剣の稽古を付けてもらった事もあったのだ。
私は、その郷愁を振り払うように息を吸い込み、呪文を紡いだ。
「滅却せよ!其は光を撒く浄化の剣!大地には揺れ踊る蜃気楼――!」
「――!?」
リズの瞳に困惑の色が走る。それも当然だろう。私が使おうとしているのは炎の広域魔術だった。その事はリズもすぐに理解したはずだ。そしてそれが自分には通用しないという事も。
魔術斬り。それがある限り、リズにも、そして私にも元素魔術は効かない。それにも関わらずこの局面で魔術の使用を選択したのだ。リズが戸惑うのも当然と言える。
けれどその戸惑いも一瞬だった。リズはすぐさま状況を判断し、私に向かって突っ込んでくる。
肩口にリズの剣が掠めた。鋭い痛みを感じる。魔術詠唱中はその集中力の大半を魔力制御に回す必要がある。故に接近戦、高速戦闘に意識は避けず、必然的に足を止める事になる。剣士からすれば案山子も同然。リズは私の魔術行使を好機と見て一気に畳み掛けてくる。
「っ――、大気には硫黄と陽に照らされた紅玉の王冠!立ち出ずる陽炎は世界を清算する!」
それでも私は詠唱を止めない。最低限の防御すら放棄。絶え間ないリズの剣戟に何度も肉を抉られるが、ただ致命傷を負わない事だけに――いや、致命傷すら覚悟の上で詠唱を継続する。
「清く、正しく、しかして時に激しく!手には救いの炎、瞳には静謐なる光!全ては灰に、白く、白く、あらゆる事象は降り積もる!」
繰り出された三連突きを捌ききれず、右腕を盾に軌道を逸らした。骨ごと腕を貫かれ、激痛が走る。
だが、間に合った。
「全ては沈黙する!深遠なる炎よ、その真意を顕現せよ!」
魔術が完成する。魔術の発動を警戒したリズが後ろに跳んだ。それを追う様にして炎の壁が立ち広がる。
夜の静寂を、二度目になる炎が焼き払った。
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