第22話 勝敗の条件

 一口に『速さ』とは言っても、戦闘行動におけるそれには様々な種類がある。

 単純な直線移動での足の速さ。戦術的に重要な、長距離移動の速さ。白兵戦において最も重要となる、超短距離での機動性。攻撃の鋭さを決める、武器の扱いを含めた攻撃速度。動きそのものではない、動きの開始を早めるための反応速度。そして、停止状態から最高速度に到達する、加速の速さ。

 一般に『速さ』と言われた時に思い浮かべるのが、足の速さと機動性だ。ボク自身、その二つに磨きをかけた『速さ』を重視した戦術を好んで用いている。

 一方で、偽リズも『速さ』において一級品なのは間違い無い。ただし彼女の『速さ』はボクのそれとは種類が異なる。彼女の『速さ』。それは敵との間合いを一瞬で潰す加速性と、そこから繰り出される神速の剣戟。そして何より、それら全ての速さをさらに一段加速する、未来予知めいた反応速度。

 総合的に見れば、ボクと彼女の『速さ』はほぼ互角と言って差し支えないだろう。だが彼女が優れているのは『速さ』だけではない。卓越した剣技とその剣技を支えるアスライトの剣。魔力を見る目。遠距離からの狙撃に気付く直感。速さが互角である以上、それらを持つ偽リズの方が強いのは火を見るより明らかだった。

 ……それでもボクが彼女に勝つためにはどうすれば良いのか。辿りついた答えは、あらゆる有利不利を上回る『速さ』で彼女をねじ伏せる事だった。

 だってボクには速さしか無いのだから。

 でも、短時間でボクの速さを劇的に上げる事は不可能だ。だからボクは逆に、偽リズの速さを殺ぐ戦法をとったのだ。

 特に最後の攻防。魔術を使わせる事で、その機動性と加速を沈黙させた。炎の壁でその優れた目を眩ませた。毒と、直前までの超高速戦闘によって思考力を低下させ、その直感を奪った。そして鉄針の入った袋を囮として使う事で、神速の反応と剣技を消費させた。

 それら全てを重ねる事によって、ボクは偽リズを失速させた。故に彼女がボクに事はあり得ず――、仮に追いついたとしても反撃の目は無い。最後の一撃は、そういう一撃だったのだ。

 事実、ボクの剣は確かに彼女を捉えた。

 ――そこまでは、覚えている。

 だから。

 だからこそ、ボクは今の状況を即座に理解する事が出来なかった。



「……?」


 、最初に見えたのは自分の足。そして、近すぎる地面。周囲では何か紅色の灯りが揺れている。

 そしてふと、その灯りに影が差した。霞む視界に移ったのは、灯りに照らされて輝く金色の髪と、その奥で揺れる赤い瞳。


「――!?」


 その段になってようやく、ボクは自分が地面に倒れている事を理解した。反射的に体を起こそうとして、しかし体が全く動かない事に気がつく。そして頭部が割れているかと錯覚するほどの痛み。


「っ――、ぐぅ……!」


 思考は未だ混乱している。何が起こったのかは分からない。けれど、推測くらいは出来る。ボクはあの瞬間――、偽リズに一撃を入れた瞬間に、何らかの攻撃を受けて気絶したのだ。

 感覚からして、気絶していた時間は数秒程度。けれどその数秒で、既に勝負は決していた。

 ボクの顔に影が差した。気付けば偽リズが、地面に倒れたボクを見下していた。


「素晴らしい戦術、素晴らしい術理、素晴らしい気迫でした。もし貴方にもう少し準備の時間があれば――あるいは、貴方が狩人ではなく戦士であったのなら、私は敗北していたでしょう。」


 そう言って、彼女はボクに剣を突きつける。


「なん、で――。」


 痛みに耐えながら、それだけを口にする。状況は絶望的。最早ここから勝敗が覆る事はない。故に、口をついて出たのは純粋な疑問だった。無いはずの反撃。それをどうして受けたのか、それだけが解らない――。


「……――貴女の最後の一撃は、完璧でした。あの瞬間、私は最後まで貴方を見失ったままだった。」


 最後の手向けか。偽リズは剣を突きつけたままの体勢で答えた。


「そして、だからこそ貴方が私の背後に居る事が解った。狩人故の癖でしょう。どれだけ上下左右に動き相手をかく乱しようとも、最後に仕留めようとする時は、絶対に動物の絶対的な死角――真後ろに回りこむ。ならば見えずとも背後に攻撃をば良い。」


 そう言って、偽リズは僅かに右腕を動かした。

 あの瞬間、剣による迎撃は不可能だった。おそらく彼女は、剣とは反対側の肘か拳でボクを殴打したのだろう。あの時ボクは全力で突進した。相手のその腕に力は無くとも、当たれば必然的に強烈なカウンターになる。

 今更悔やんでも遅い。いや、悔やむ要素すらない。あの状況、あの瞬間において、ボクは自分に出せる最大の力、最良の選択、最高の運を引き出した。

 ただ、それすら超えられた。それだけのこと。


「――。」


 偽リズとの間に沈黙が流れた。周囲を焦がし続けている炎に照らされて、彼女の赤い瞳はよりいっそう赤い光を湛えていた。

 しかしふと。その瞳に違った色合いの光が宿るのが見えた。


「あ――。」


 そうしてボクは理解してしまった。彼女が何を考えているのかを。そしてこの後ボクがどうなるのかを。

 絶望が、じわりと胸に広がる。偽リズの持つ白銀の剣が天を指すように振り上げられた。

 そして、何のためらいも無く。その剣は倒れた僕の頭上目掛けて振り下ろされた。

 ……解っていたはずなのに。

 ここで偽リズに負ければどうなってしまうのかなんて。

 戦いにおける敗北とは、死だ。死ねばそれまでだし、生きていればまだ次がある。

そんな、単純な事実。

 ふと、数ヶ月前のドラゴン討伐の時の事を思い出した。触れるもの全てを炭化する灼熱のドラゴンブレス。視界いっぱいに広がる炎。あの瞬間も、ボクは確かに死を確信した。

 けれどそれと同時に、自分も居たのだ。

 だって、いつだってそうだったのだ。ボクが死にそうになった事は一度や二度ではない。でも、それでも、これまで生きてこれたのは――。

 ギン!と音がして、同時に偽リズの剣がボクの真横の地面に突き立つのが見えた。そして少し離れた位置に、見慣れたナイフが落ちる。


「ああ――。」


 解っていた。解っていたとも。

 ボクがピンチの時は、いつも彼女が助けてくれた。どれだけ絶望的な状況であろうとも、彼女は道を切り開いてくれた。なら今回も、当然の様にボクを助けてくれるであろう事を――解っていたのだ。

 それはきっと、目の前に立つ偽リズも解っていたのだろう。そして、この戦いにおいて、敗北とは死ではない。当たり前だ。だってこの戦いの真の目的は偽リズを倒す事では無い。


「その娘から離れなさい――!」


 怒りを含んだ、しかし懐かしい声が響く。その声の方向に、偽リズは静かに振り向いた。

 ――この戦いにおける敗北。

 それは、偽リズとリズを邂逅させてしまう事なのだから――。

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