第20話 決戦2
荒くなった呼吸を整える。視線の端で自分の状態を確認すると、それは酷いあり様だった。衣服は所々破れ、その下から見えた地肌にも何本もの血の線が浮き出ていた。防刃ではなく、耐火のマントを羽織っているのも災いしている。かろうじて中に着込んだ帷子で重症を免れているといったところだ。
ボクは自分に向けられた切っ先を睨みつける。間合いは――三足、いや、相手の実力ならば二足で届く距離だ。既に遠距離攻撃の間合いではない。動き回りながらならいざ知らず、足を止めた状態でこの距離は致命的だった。
ボクは鉄針の投擲を諦めて、その場でだらりと両手を下ろす。見ようによっては降参しているような格好。そんなボクの様子を見て、偽リズは口を開いた。
「……はっきり言って勝負になりません。貴女と私、実力差が分からない訳ではないでしょう。」
すると、偽リズは僅かに剣先を下げて続けた。
「手を引きなさい、森の狩人。貴女が今後一切、あの子……貴女の知るリズを諦めると言うのであれば、命は見逃しましょう。」
まさかの、相手からの譲歩。
だが、その条件はあり得ない。彼女はリズを殺すつもりだ。ここで引く事など出来るものか。
「……それは、出来ないです。事情は知りませんが、貴女のせいでリズは苦しんでいる。なら、ボクは貴女を止める……止めなければいけない!」
そう言って、ボクは腰に下げた短剣を引き抜いた。
「……?貴女、まさか――……いえ、いずれにせよ、邪魔をする人間は全て排除するつもりでした。貴女はその筆頭でしょう――。なら、ここで倒れなさい。」
何故か一瞬、偽リズは怪訝な顔をした。けれどすぐに真剣な表情に戻る。そして、その体が沈んだ。こちらもタイミングを計り、身構える。
ドン!という地面が爆発したかの如き踏み込み。間合いまで二足動、その読みすら生ぬるい。息をつく一瞬。瞬きの間に剣の間合いに踏み込まれる。
「ふっ――!」
初動すら見えぬ高速の剣。その避け得ぬ死の刃が頭上から振り下ろされ――
しかし。
「――!?」
偽リズが驚愕に目を開く。彼女の剣は、まるで空中で縫い付けられたように、ボクの目前で止まっていた。
「奔れ!風精!」
瞬間、靴に仕込んでいた魔術具を発動させる。爆発的な推進力を得て狙った地点へと踏み込む。ただし踏み込む先は偽リズに向けてではない。それどころか地面ですらない。ボクは、ダン!と、偽リズの真横の空中に踏み込んだ。
「やああああああ!」
そして、今一度魔術具を発動。あり得ない軌道を描いて、偽リズの背後から突進する。
ギャリン!と剣と剣がぶつかる音。
「ぐっ……!」
一瞬の交錯。偽リズはたたらを踏み、ボクはすぐさま彼女の間合いから離脱する。そのまま木の後ろに隠れ、今度は彼女の左後ろから再度の急襲。
「チッ――!」
偽リズは体勢を崩しながらも、ボクの突進に合わせて剣を振るう。それは、完璧な迎撃だった。死角に回り込んだというのに、その反応速度には驚嘆するしかない。今度は不可解に剣が止まる事も無い。彼女の振るった剣は、吸い込まれるようにボクの首へとその軌道を伸ばし――。
――しかし、その刃は空しく空を切る。剣が当たる直前、ボクの突進の軌道が空中で変化したからだ。
「――!?」
空振りによって、偽リズの体勢がさらに崩れる。ボクはその隙を狙って、再度彼女へ剣を振るった。
ガッ、という鈍い音。……寸での所で、偽リズはその攻撃を剣の柄で受け止めた。
「くっ……!」
ボクが再び距離をとるのに合わせて、偽リズも背後に飛んだ。お互いに息をつく。
「風魔術による空中での軌道変更……、いや、それだけではこの鋭さは発揮できない。これ、は――。」
偽リズはそう言うと、何かに気付いた様に空中に手を這わせた。すると、その指先が線を引いたように沈む。
「大森林地帯に生息する監獄蜘蛛の糸を撚り合わせた耐刃ワイヤーです。先のやり取りで、それをこの場全体に張り巡らせました。……もうこの空間全てはボクの足場であり――そして同時に貴女を縛る檻になりました。」
そう。鉄針の投擲は陽動に過ぎない。全ては偽リズをこの場に誘導し、罠を張るため。ここからが、本当の戦いだ。
ふっと、偽リズの剣先がブレた。次の瞬間、金属を引っ掻くような音がして、その剣が虚空に停止する。……偽リズが、ワイヤーを切ろうとしたのだ。
「無駄です。耐刃ワイヤーだと言ったでしょう。監獄蜘蛛の糸は半端な斬撃では切れません。これを切れるのは炎の魔術だけ――けれど、魔術を使う隙を見せた瞬間が、貴女の敗北です。」
彼女がこの檻を抜ける方法はごく限定される。この状況下でこの檻が破られる可能性は皆無と言っていい。故に――ここで、全てを決める。
「――奔れ、風精!」
魔術具を再起動。もう二度と魔術の発動を止めるつもりは無い。出し惜しみはしない。ボクの魔力が底をつくまで全力で駆け抜ける――!
ダン!と最初の一歩を跳ぶ。踏み込みの速さは既に常人では不可視の領域。その速度をもって前後左右に留まらず、上下も合わせた全方向から偽リズを攻め立てる。
「っ――!!!」
立て続けに、偽リズの周囲に火花が散る。
偽リズから一切の余裕が消えたのが分かる。いつかの模擬戦のように、ただ速いだけでは魔力の残滓を追って動きを見切られる。よって空間に張り巡らせたワイヤーを使い軌道を変更。魔力の残滓を追った先、着地地点の予測を悉く裏切り続ける。
連続で響き渡る剣戟の音。高速移動、変則軌道による一撃離脱戦法。
一撃離脱ならば本来は攻撃はまばらになる。しかし、この速度で行うならば話は別だ。その攻撃密度は足を止めての打ち合いに匹敵する。そして戦闘の高速化は、同時に思考の高速化を強要して来る。いつものテンポでは間に合わない。
剣を振った次の瞬間には、次の踏み込み場所を決定する必要がある。その思考を遅らせればとたんにボクは失速するだろう。故に魔術、攻撃、思考に全てのの集中力を注ぎ込む。
何度目かの交錯で、ビッ、と赤い線が一筋舞った。ついに、ボクの剣先が偽リズに届いたのだ。
通用している。
ボクはその事実に歓喜した。この、天才と言う言葉すら生ぬるい化け物相手に、ボクは互角に戦えている……!
そう思った瞬間、今度はボクの肩口を銀光が掠めた。遅れて、小さいながらも鋭い痛みが走る。
「……!」
見れば偽リズの剣先に僅かな血が付着しているのが見えた。ボクは慌てて距離を取りながら、肩に手を当てる。
……戦闘に支障を来たすような傷ではない。けれど今のは、ボクの動きを読まれかけた。
……生きた心地がしない。確かに、この瞬間はボクが偽リズに対して優位を取っている。けれどわずかでも速度を緩めれば、次の瞬間ボクの首がは飛ぶだろう。これは、どちらの剣が先に届くかという勝負だ。ボクが偽リズの裏をかくのが先か、逆に偽リズがボクの動きを読み切るのが先か。僅かでも技と速さの冴えに陰りを見せた方が負ける。
「あああああ!」
さらに速度を上げる。今、ここで勝負を付けなくてはならない。この戦いに長期戦はあり得ない。もともと、この戦術はボクの限界を超えている。高速移動中の強制的な軌道変更。いくらボクの体が小さく体重も軽いと言っても、体にかかる負担は計り知れない。既に体のあちこちが軋み、膝に至っては鈍痛を感じ始めている。それに加え魔術具の連続発動。
一回だけでもそれなりの魔力を消費するのだ。それをもう何度発動させたのか。既にボクの魔力残量は底が見え始めていた。
――故に。焦りが生まれた。
焦りは思考を僅かに鈍らせ、ボクの動きを単調にした。気付いたときには偽リズが振るった剣先がボクの喉元に迫っていた。
あ――。
これは、致命傷になる。
避けるどころか、声を上げる暇もない。
死ぬ。
だが、そう直感すると同時、迫っていた剣の軌道が鈍った。
「――!?」
間一髪、相手の剣閃はボクの髪を一房散らすに留まる。
「ッ――、ハ、ァ――。」
思わずボクは偽リズから距離を取り、息を吐く。
緊張で心臓が爆発しそうだ。今のは本当に危なかった。もし、あそこで彼女の剣が鈍らなかったら――。
ふと見ると、偽リズは忌々しそうに右手で自身の頬を拭った。拭った手を追う様に、うっすらと血の跡が付く。
……ボクの剣が彼女の顔に傷を付けた記憶はない。だとすれば、アレは一番初め。毒矢での狙撃で付いた傷だ。矢に塗った麻痺毒が効いているのだ。
もっとも掠っただけだ。相手の動きが止まる程ではないだろう。だが、それでも先ほどの様に剣戟の精度を鈍らせるくらいは出来るらしい。
――勝てる、と直感した。
今までの狩猟と戦闘の経験が告げている。ボクの体はもう限界だ。魔力もすぐに尽きるだろう。けれど、それよりも相手の動きが鈍る速度の方が速い。
「やああああああ!」
すぐさま攻撃を再開する。速度は今までと同様に最高速。そして今まで以上の気合を乗せて畳み掛ける。数度の交錯。そして――。
ザクン、と。 ボクの手に、肉を切る感触が伝わった。
今まで掠るだけだったボクの剣が、ついに相手に有効打を与えたのだと知る。それは、ボクの攻勢が相手のそれに勝った証だった。
「――!?」
だが、飛来した感情は喜びでも安堵でもなかった。肉を抉る感触と共にボクを襲ったのは、強烈な違和感だった。
いくらなんでも、簡単すぎる。
これは、ギリギリの戦いのはずだ。ボクに余力など無く、限界を迎える最後の最後でボクの剣が届く。そんな戦い。だが、まだ先があるこの段階でボクの攻撃が届いた。そして、それは有効打ではあるが、致命傷ではない。
ボクの背中に悪寒が走る。そして直後、ボクの耳に偽リズの声が届いた。
「滅却せよ。其は光を撒く浄化の剣。大地には揺れ踊る蜃気楼。大気には硫黄と陽に照らされた紅玉の王冠――。」
それは、魔術詠唱。そしてその文言は、よくリズが使っていたそれ。周辺一体を焼き払う、炎の上級魔術。
あり得ない。そう思った。
監獄蜘蛛の糸は高い耐刃性能を持つ代わりに、炎には極端に弱い。それは一般的な蜘蛛の糸と同じで常識の範囲内。炎で焼き切るという方法は思いついて当然の選択肢だ。
一方で、この一帯に張り巡らされたワイヤーを速やかに排除するためには上級以上の広範囲魔術を用いる必要がある。魔術詠唱している間は、魔力のコントロールに多大な集中力が割かれ、上級ともなれば詠唱時間そのものも長い。故に白兵戦をしながらの魔術の使用はかなりの難易度となる。それはリズレベルの天才であろうと例外ではない。
鼠狼の狩りを思い出す。あの時も確かにリズは戦いの最中に魔術を使用した。けれど今はあの時とは比べ物にならないほどの超高速での戦闘の最中だ。魔術使用の難易度は不可能と言ってもいい。
そう。不可能なのだ。不可能な事象。けれど、それを可能とするために、偽リズはある行動に出ていた。ボクは彼女のその状態を見て、改めてその決断に恐怖する。
――彼女は、その足を止めていた。
今まで足裁きに使っていた分の集中力を魔術詠唱に回したのだ。
この高速戦闘下で足を止めるという事は案山子になるのと同意。機動性で劣っていたとはいえ、絶えず足を動かし続けたからこそボクの攻撃機会を減らし、防御を成功させていたのだ。それを止めてしまえば当然僕の攻撃頻度は倍増し、元々ギリギリだった彼女は攻撃を捌き切れなくなる。事実、ボクの攻撃は届くようになった。
まさに自殺行為。
けれど、その自殺行為と生存の境界線のギリギリの淵を偽リズは保っていた。足を動かせば攻撃を防げるが、魔術詠唱は途切れる。足を止めれば魔術詠唱は続けられるが、攻撃を受ける。故に彼女は、魔術詠唱を続けつつ、重症は受けても致命傷は受けない。そんな線引きをしたのだ。
一歩間違えれば死に繋がる。
その判断を即座に下したことそものがありえない。まさに狂気と言う他無い。そしてそれ以上に、そのギリギリの綱渡りを、本当に現実に成し遂げて居るという事実がありえない――!
「チィ――!」
何度目かの手応えに、しかしボクは舌打ちを打つ。
届かない。
確かにボクの攻撃は傷を与えている。だが、どういうわけか決定打に後一歩届かない。
「立ち出ずる陽炎は世界を清算する。清く、正しく、しかして時に激しく。手には救いの炎、瞳には静謐なる光。全ては灰に、白く、白く、あらゆる事象は降り積もる。」
続く魔術詠唱。ボクが与える傷になど全く動揺しない。ただ死にさえしなければいいと、恐怖を感じる程の集中力で詠唱が紡がれ続ける。
「ああああああああ!!!」
ボクは残存魔力と体の軋み、その全てを度外視して速度を上げた。度重なる過負荷、そして何より緊張と焦りで全身が張り裂けそうだ。ワイヤーを焼き切られれば、ボクの速度は地に落ちる。そうなればあとは嬲り殺されるだけだ。だからそうなる前に、ボクの全てを注ぎ込んでたたき伏せるしかない――!
決死の特攻。そして、ザン、と肉を切る感触。しかし――。
「……全ては沈黙する。深遠なる炎よ、その真意を顕現せよ――!」
無常にも、偽リズの魔術詠唱が完成した。
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