第17話 偽物の『リズ』


 部屋をノックする音で目を覚ました。

 いつの間にか寝てしまっていたらしい。ベッドにうつ伏せになった体を起こす。眠い目を擦ろうとして、右手が塞がっている事に気づいた。目を向けると、ボクの右手は別の手を握っていた。ベッドで眠っているリズのものだ。


「……。」


 あれから、リズの容態に変化は無い。時々苦しそうに呻く事があるが、それだけだ。意識を取り戻す事も無ければ、ボクの問いかけに反応を示すことも無い。

 童話にある眠り姫を連想する。童話ならば王子様のキスで目覚めるのが相場だが、しかし生憎とそんな都合の良い解決策は無い。ボクはこの数日、ただ手を握りながら彼女の名前を呼ぶばかりだった。


「入るわよ。」


 ノックとほぼ同時。ボクの返事を待たずに、ジュゼさんが部屋に入ってきた。彼女はリズの様子を一瞥した後、ボクに目を向ける。


「リヒトちゃん。何か机の上に置いてある魔術具がずっと動いてるけど?」


「え!?」


 ジュゼさんの言葉を聞いて、ボクは飛び起きた。魔術具とはトーファ様との通信用の魔術具の事だ。今は隣の部屋の机の上に置いてある。紙状の魔術具で、トーファ様が対となる魔術具に書き込むと、こちらの紙面にその内容が書き出されるという代物だ。

 この三日間、トーファ様から長文が送られてきた事は無い。ようやく調査で何かが分かったに違いない。

 ボクは戸口に立っているジュゼさんを押しのけるようにして、トタバタと隣の部屋に移動した。机の上の魔道具を覗き見れば、そこにはトーファ様からの伝言が既に数行に渡って書き綴られていた。ボクはその文章に急いで目を通す。


『リヒトちゃん、この手紙を貴女が読んでいるという事は、私はもうこの世に居ないでしょう。』


「え!?」


 いきなりの書き出しに思わず声を上げる。


『と言うのは冗談。私は無事よ。』


「もう!こんな時に変な冗談は止めてください!!!」


 思わず大声で抗議する。もちろん、ボクの声はトーファ様には届かないのだが。


『ごめんなさい。でも、ちょっとした冗談は許して欲しいわ。――私も何から書いたらいいか分からないの。』


 トーファ様はそんな前置きをして、調査内容を書き出した。


『でもまずは――そうね。確実に分かっている事から書きましょうか。……リヒトちゃんと別れてから、私はアシェナ村と、その近くの別の、件の殺人事件で生き残った子供が保護されている鉱山町を訪れたわ。そこで私は、生き残った子供から証言を聞き、その証言が正しいかどうか、残されたあらゆる記録を確認した。その結果、分かったことは――』


 文章はそこで途切れている。トーファ様が現在進行で書いている箇所に追いついたのだ。


「……?」


 しかし、数秒待っても続きは現れない。ボクが訝しがりながらもさらに数秒待っていると、少し遠慮がちな動きで、続きの文章が書き出された。

 ――そして、そこに書かれた内容はボクにとって……いや、ボク達にとって、あまりにも不可解なものだった。


『リズ・シルノフ・アジリエート。そう呼ばれる少女が、つい一月前――、つまり件の殺人事件が起こるその時まで、誰かと入れ替わったという事実は無いわ。そして、。もちろん、生まれた時からずっとね。』


「……!?」


 ボク達が良く知るリズの瞳の色は海を思わせる蒼色だ。一方で、あの偽リズの目は赤色――。つまり、あの偽リズは、生まれた時から今まで『リズ・シルノフ・アジリエート』としてアシェナ村で暮らしていたという事か。

 訳が分からない。だとしたら、今隣の部屋で眠っている、ボク達が『リズ』と呼んでいる少女は何だと言うのか。それとも、同じ村に同姓同名の人間が二人居たと言うのだろうか。

 ボクはアタフタとしながら近くに転がっていたペンを手に取る。こちらからもトーファ様へ文章を送る事が出来るのを思い出したのだ。


『トーファ様、でも、それは……いったいどういう事なんですか?それは、あの『偽のリズ』が、名前を騙っていたという事ではなく?彼女は、リズと同姓同名だったという事ですか?アシェナ村にはボク達が知っている『リズ』と大量殺人の犯人である『リズ』、二人のリズが居たと……?』


 ボクは言葉につまりながらも、トーファ様に疑問を投げかける。


『いいえ。同姓同名じゃないのよ。』


 ボクの質問に答える様に、トーファ様からの文章が届く。


『アシェナ村の記録上、『リズ・シルノフ・アジリエート』という人物はただ一人だけ。その人物は生まれた時からずっとアシェナ村で過ごし、一度も村の外に出たことは無い……一ヶ月前、村人を殺して姿を消すまでは。』


「それって……」


 頭から血の気が引くのが分かった。だって、それが意味する事はただ一つ。その答えが、トーファ様によって紡がれる。


『つまり、あの殺人犯こそ本物の『リズ』……私達の知るリズちゃんほ方こそが、偽物だったという事よ。』


「そん、な――」


 思わず絶句する。

 リズが偽物だった?どうして、そんな……。

 反応が無いボクを心配して、トーファ様が『大丈夫?』と送ってくる。ボクは震える手で、なんとか『はい』とだけ書き込んだ。


『今のところ、リズちゃんが……私達の知るリズちゃんが、何故名前を偽っていたのかは不明よ。でも、村人の記録を当たってみたところ、恐らくリズちゃんと思しき人物を見つけたわ。』


 トーファ様がそう言った下の行に、人物の簡単なプロフィールのようなものが書き出される。

・シルノフ・アジリエート。本物のリズと同じ家の生まれで同い年。……双子かと思ったけど違うわね。それぞれ母親が違う。アシェナ村の住人の中で、三年前に村を出たのは彼女だけ。……全部、私達の知るリズちゃんと一致するわ。』


 ボクは、あの偽リズと初めて会った時の事を思い出す。あの時、偽リズはリズに対して、何かを呟いていた。そう、確か、「ニア」と。その名前を聞いて、リズは取り乱した様に見えた。あの時、リズは自分の本当の名前を突きつけられた。あれは、そういう事だったのだ。


『これで、リズちゃんの……私はあえて、これまで通りリズちゃんと呼ぶけれど……リズちゃんの魂が損壊した理由もある程度は掴めて来た。彼女は、を押し付けられたのだと思う。』


「名前を?」


『『存在そのもの』と言ってもいいわ。経緯は不明だけれど、彼女はニア・シルノフ・アジリエートという名前を魔術的に剥奪されて、リズ・シルノフ・アジリエートとして生きるように強制されたのよ。』


『で、でも、名前を変えたくらいで……。』


 未だに混乱する頭をなんとか整理しようと、ボクはトーファ様に疑問を投げかける。


『だから、と言ったでしょう。名前だけじゃない。その行動も、発する言葉も、思考そのものまで『リズ』として塗り替えられた。……元の魂が壊れるには、十分な理由ね。』


 そんな……そんな事がありえるのだろうか。その言動全て、自分が何を考えるかまで、そっくりそのまま他人と同じにさせられるなんて……。でも死霊魔術には、対象者の魂を縛って操る魔術もあると聞く。もしかしたら、リズに起こったような事も可能なのかもしれない。


『今の所、なんでそんな事をしたのか理由は不明よ。でもまあ、恐らくは『天才剣士』を二人作ろうとしたのでしょうね。事実アシェナ村では、最近になってリズちゃんを村に呼び戻そうという動きがあったらしいわ。』


「リズを?」


『アスライトの鉱石は、魔獣を狩る事で採れるらしいの。近年、アシェナ村の周りには強い魔獣しか出なくなって、アスライトの収量が減少していたらしいわ。……だから、リズちゃんを呼び戻して、戦力にしようと考えていたんじゃないかしら。』


 その推測が正しいとするなら、あまりにも酷い話だ。どのような理由があったにせよ、名前を……存在そのものを書き換えるような非道をしてまで他人を利用するなんて。

 ボクはしばらく動けなかった。しかし、しばし間を置いて、ボクは再びペンを取る。


『まだ、混乱してますけど……話は、おおよそ分かりました。』


 ボクは紙面にそう書く。


『トーファ様。ボクは、これから何をすれば。』


 ボクはあえて、そう問うた。迷った時間は短かったと思う。リズが……ボク達が良く知るリズが、実は他の誰かだったという事実。俄かには信じられない。けれど逆に、そのあまりの現実感の無さが、ボクの中から迷いを追い出したのだ。

 だって、例えリズの名前が『リズ』では無かったとしても。そしてその人格が作られたものだとしても。彼女がボクを守り、助けてくれていたという事実は覆らない。……だからボクも、ボクの良く知る彼女の事を今までどおり『リズ』と呼ぼう。本来のリズがどのようなものだとしても、彼女が苦しんでいるというのなら、今度はボクの番だ。ボクが、リズを助ける。それは……それだけは、絶対だった。


『とりあえずの方針は変わらないわ。もう少しリズちゃんの過去を調べれば、彼女の治療法も自ずと見えてくる。私はあと少しだけ調査を進めて急いでハイデルンに戻――』


 と、トーファ様がそこまで書いた時だった。ガタン、と。隣の部屋で大きな物音がした。リズが寝ている部屋だ。次いで、ジュゼさんが何か叫ぶ声。


「――!?」


 ボクは、即座に椅子を蹴って隣の部屋に向かった。まさか、襲撃があったのか。

隣の部屋の扉は閉まってる。焦りで足を縺れさせながら、体当たりをする勢いで扉を開く。


「――!」


 まず、目に入ったのは空のベッド。リズが……リズが居ない。その時点で血の気が引く。次いで部屋を見回すと、開け放たれた窓と、その窓の外を呆然と見るジュゼさん。


「ジュゼさん!リズは!?」


 ボクはジュゼさんにつかみかかるようにして問いただす。ジュゼさんは、ボクの方に振り向いて、苦虫を噛み潰すような顔をして言った。


「ごめん!逃げられた!追いかけないと――!」


「逃げられたって――、あの犯人が襲ってきたんですか!?」


「違う!リズちゃんが目を覚ましたと思ったら突然――」


 ボクはその言葉を聞きながら、窓へと走り寄る。二階に位置する部屋からは、表の通りがある程度見渡せた。しかし、左右を確認しても、リズの姿は見つけられない。


「っ!まさか、自分の足で逃げたんですか!?」


「ええ、そうよ!まだ遠くには行ってない!追いかけましょう!」


 ボクはその言葉に頷くと、ジュゼさんと一緒に部屋を出ようとする。


「――っ!そうだ!」


 と、ボクは、部屋を出る前にもう一度窓際へと引き返した。そこには、トーファ様から借り受けた魔術具がある。リズの魂の居場所を指し示すという円盤状の魔術具。しかし――。

 魔術具は、無くなっていた。

 ボクが部屋を出るまではあったはずだから、ジュゼさんが何かしたのでなければリズが持ち出した以外にあり得ない。それはつまり、リズが、自らの意思で、偽リズを探しに行った事を物語っていた――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る