幕間7 ~■■・シルノフ・アジリエートの場合~

 リズ・シルノフ・アジリエートについて……いや、について思い出す。

 ……なぜ、今更そんなことを思い出すのだろう。きっと、体がとても痛くて、苦しくて、寒いからだ。

 ……そう、痛くて、苦しくて、寒かった。


 私は、鉱山地帯にあるアシェナ村という小さな村で生まれた。アシェナ村はアスライトという特殊な金属が採れる場所として有名で、昔はたくさんの人が住んでいたらしい。でも、近年になって採取量が減少して、村人達はどんどん外へ出て行って、その時村に残っているのは数十人にまで減っていた。

 そんな村だから、当然子供の数は少ない。私と同じ年に生まれたのは、私ともう一人だけだった。そのもう一人の子供は、名前をリズと言った。リズ・シルノフ・アジリエート。シルノフ家の子供……つまり、アシェナ村における、村長の子供。

 そして私は――私も、村長の子供だった。少なくとも父親は村長だとされていた。でも――母親は分からなかった。リズと同じ母親と思ったけれど、どうも違うらしい。大人達には獣の子だとかイ■バイの子だとか色々言われたけれど、結局誰なのか分からない。

 だからなのか。私は村中の皆から嫌われていた。アシェナ村では、子供は親元から離され、成人するまでは皆纏まって生活する。学問の教育も剣の修練も、その他の生活も子供達全員が平等に受ける事になっている。

 ……それにも関わらず、私だけはその輪から外された。教育は受けさせてもらえなかった。皆が集まって師範の話を聞いているところ、私だけは色々と理由を付けられて部屋から追い出された。剣の修練は、受けさせてくれなかった。村では幼い頃から実剣を使っての修練を行うが、私には剣が与えられず、輪に入ろうとすれば蹴り転がされた。食事さえ、まともに与えられなかった。残飯が置かれれば良い方だ。時にはそれすら取り上げられ頭の上でひっくり返された。着るものや寝る場所については言うまでもない。納屋の様な所で毎晩震えて眠った。そして……私を見た大人たちは、唾を吐きかけ、暴力を振るった。

 差別は大人から始まり、周囲の子供たちへと伝播した。私は一緒に住む同世代の子供達からも、毎日蹴られた。

 何で?と思った。何か私がいけない事をしたのだろうか。私は必死になって、何が悪いのかを考えた。

 そんな中で、私が目を向けたのはリズだった。

 リズは、私とは何もかもが違っていた。彼女は天才だった。少し秀でている程度のものではない。本物の天才だ。師範から習った事は完璧に覚える。覚えるだけでなく、さらにその先にある知識・技能に自ずからたどり着く。まさに一を聞いて十を知るというものを体現していた。

 特に剣に関しては異常とも言える才能を示した。十四歳になる頃には、例えいかなる手段を用いたところで、剣を持った彼女に勝てる人間は村には居なくなっていた。

 剣術は村の要だ。村の収入源であるアスライト鉱を採取するためには、魔術の通用しない魔獣を倒す必要がある。よって、狩りの上手さ――剣術の得手不得手が村での地位を決めると言っていい。

 そしてそんな彼女は十五歳の成人を待たずして、村の狩猟隊に組み込まれ、実績を上げ、その地位を確立していった。そんなリズを見て、私は思ったのだ。リズの様になれば、皆私を差別するのを止めてくれる――と。

 私はリズの真似をした。剣術はもちろん、その振る舞い、言葉遣い、指一本の動かし方まで。目を見開いて観察し、彼女が今何を考えているかまでをトレースした。

 ……そのおかげで、完全とは行かないまでも、私はリズの真似をするのが上手くなっていった。リズの様にさえなれば、この苦しい生活から解放される。私はそれだけを頼りにリズの真似をし続けた。

 ……けれど。私がいかにリズと同じ様に振舞おうと、私の待遇は変わらなかった。私はそれを、まだ足りないからだと思った。私はまだリズの様になれていないからだと。

 でも、その考えが間違いだと、決定的に突きつけられる日が訪れた。

 冬のある日。ゆっくりと雪が降り続く日だった。

 その日、私は単独で森に入り獲物を仕留めて来た。その魔獣は偶然にも前日にリズが仕留めたのと同種のもので、大きさも同じくらい。それなりに強く、アスライト鉱の量も多い魔獣だったから、これを仕留めたリズは大人たちから褒め称えられていた。

 だから私は愚かにも考えていた。私はまだリズには及ばない。けれど、今日の成果はリズと全く同じもの。大人たちもこの件に関しては私を認めてくれるだろうと――。

 ……そして、私を待っていたのは謂れの無い罵倒だった。

 大人たちは私が持ち帰った魔獣を見て、まず初めに「元々死んでいたものを持ち帰ったのだ」と言った。そして、魔獣が斬り殺されている事を確認すると、「他の人間が狩った獲物を横取りしたのだ」と言い出した。けれどその日、他に狩りに出ていた者は誰も居ない。それを知った大人たちはさらに激昂し――最後には、よくわからない言葉で私を罵倒し、殴打し……雪のちらつく暗い夜に、私を叩き出したのだった。

 私は力なくその場に倒れ込んだ。そこは開けた場所で雪も風も凌ぐ事は出来ず、地面も雪が積もったままだったけれど、もうそれ以上動く気力は残っていなかった。……ズクリと、蹴られたわき腹が痛んだ。口から血がこぼれ、中身が傷んでいる事を知った。風と雪が容赦なく体温を奪っていき、どんどんと呼吸が浅くなっていくのが分かった。

 ――ああ、どうして。

 どうして、同じ結果を出したのに。私に残された思考はそれだけ。同じ結果を出した。言動だって……全く同じとはいかないけれど、可能な限り同じように振舞った。少なくとも何か疎まれるような行動はしなかったはず。それなのにまだ、私は認められない。

 そう。誰も私を認めてくれない。認めてくれない。ああ、つまり――。

 

 そうして私は、その答えに至ったのだ。


 私が疎まれている理由は、私が知りうるものではなく――、初めからその存在そのものが嫌悪の対象だったということ。

 私が何をしようと関係が無い。

 私がどう考えようと関係が無い。

 私がどのような結果を出そうと関係が無い。

 初めから「私」に意味など無く、存在するだけで邪魔なゴミ屑の様なものだという事に――私は、気づいたのだ。


「ああ――」


 自然と、息を吐いた。いつの間にか、呼吸は止まっていた。寒くて、痛くて、苦しい。けれど、もうそんな事を気にする事さえ無意味に思えたのだ。

 涙も出ない。

 苦悶の声も無い。

 私はただゆっくりと目を閉じ。


 そうして私は、私を諦めたのだ。

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