幕間5 ~ トーファの場合 ~

 早馬で街道を駆ける。

 時折他の通行人を追い抜くが、皆一様に驚いた顔で私と私の乗る馬を見送る。それも当然だろう。街道と言っても地方の宿場町を繋ぐだけの田舎道だ。しっかりと舗装されている訳ではない。道は土がむき出しで所々ぬかるんでいるし、道端には石や木の根も突き出している。そんな中を早馬で全速力で駆け抜けるなど、落馬したいと言っているようなものだ。それでも私の駆る早馬は全速力で走り続ける。しかもその全速力を、既に半日以上続けているのだ。

もちろん、これは魔術の効果によるものだ。馬には重力の軽減に体力の継続回復の魔術。さらに障害物避けのまじないをかけてある。これならば、一日中全力疾走しても大丈夫だろう。むしろ心配なのは私の魔力が保つかどうかだ。


「……。」


 けれど、今は魔力の温存などと悠長な事は言っていられない。なにせ時間が無い。あの偽者のリズが、痛覚共有の呪いから回復するまでに何かしらの手を打たなくてはいけないし、何より、本物のリズちゃんがいつまで保つか分からない。

 リヒトちゃん達には、魂が『欠損』していると言ったが、本当はそれどころの話ではない。前回は『欠損』で済んでいたが、今回は『崩壊』と言っても過言ではない。明日にでも廃人になってもおかしくない。リズちゃんの魂の損傷は、それほどまでに酷いものなのだ。今は一刻も早く、アシェナ村へ辿りつく事が重要。


「……。」


 アシェナ村でリズちゃんの過去を調べ、魂が損傷した原因をつきとめる。言葉にすれば、ずいぶんと無謀な事のように思えた。本当に魂の損傷の原因がその村にあるのかも分からないし、そもそも住人が絶えた村ではリズちゃんの過去を調べきれない可能性がある。けれど、私にはそれが出来るという妙な確信があった。

 私はリズちゃんと出合った時のことを思い出す――。


 三年前のある日、私が仕事を終え、屋敷へ帰る途中のことだった。商店の立ち並ぶ通りの路地裏に、『良くないもの』が集まっているのが視えた。『怨霊』『悪魔』、市民の間ではそう呼ばれるものたちだ。

 何事かと、私はその路地裏に足を踏み入れた。そして辺りを見回して――そこに倒れている一人の少女を見つけた。

 私は倒れている少女に駆け寄り、抱きかかえて……私は、そのあまりに惨い惨状に眉をひそめた。いや、目に見える怪我は無かったのだ。せいぜい纏っていた外套が擦り切れていた程度。だから、私が惨状だと思ったのは、少女のに対してだ。

 その少女は、半身が欠けていた。少なくとも私にはそう見える程に、魂が損傷していた。普通、あそこまで魂が欠損していたら間違いなく廃人だ。肉体で言えば半身がごっそりと削り取られているようなもの。その状態で生きていられる人間は居ない。

『良くないもの』が集まっていたのもそのせいだろう。欠けた分の彼女の半身に、乗り移ろうとしていたのだ。

 私は治療を施そうと、その場で彼女に魔術を施術した。しかしその瞬間、バギン、と音がして、私の魔術がはじかれた。驚いて見れば、彼女の手には剣が握られていた。魔術を弾く性質を持つアスライト。その、超高純度のアスライトで鍛えられた、魔術斬りの剣を――。


 そうして彼女を、少々の紆余曲折の末、私は引き取った。哀れみ半分、そして魂が半分欠損してなお死なない彼女への興味半分。今では大切な仲間と言える彼女ではあるが、彼女を引き取った最初の動機は戯れに近いものだったと告白しよう。

 その後、私は彼女の治療に当たった。初期の彼女は話しかけても何も答えず、眠りもせず、かといって意識が覚醒しているわけでもない、正に廃人だった。ただ辛うじて食事と摂り、命をつないでいるだけ。私はそれでも辛抱強く魂の修復に努め、その甲斐あってか、およそ一年をかけて彼女は人間性を取り戻していった。

でも、完全に治ったわけではない。欠けた魂はそうやすやすと回復しない。傷は傷として残ったまま、それでもなんとか外面上の体裁を保てるようになっただけだ。治療にあたった一年間で、彼女が取り戻したものは三つ。

 一つ目は、彼女の出身地に関する記憶。でもこれは、細部の記憶については曖昧なままだった。

 二つ目は、その異常なまでの剣の冴え。

 そして最後に――

 リズ・シルノフ・アジリエートという、彼女自身の名前だった。

 私は彼女の出身地を知って、彼女を村に帰そうとした。けれどその度に、リズちゃんは頭痛を訴え、そしてその魂に疵を作っていった。

それで私は確信したのだ。彼女の魂が損傷したのは、彼女の故郷に由来するものだと。


「……。」


 それにしても――と、手綱を握りながら思う。あの偽のリズはいったい何者なのか。

 ……いや、か。

 どちらにしろ、何が起こっているのか分からない。私は初め、彼女が私達の知るリズちゃんを殺して入れ替わろうとしているのだと推測した。リヒトちゃん達は未だにそう信じたがっているようだが、冷静に考えて、その企みは既に破綻している。もし、それを成功させると言うのなら、リズちゃん本人とその関係者――私とリヒトちゃん、ラスティさんやジュゼさんを秘密裏に殺し、入れ代わらなければならなかった。けれど今はもう、「殺人鬼がリズを殺そうとしている」という事実を大勢の人が知ってしまっている。だから、もう遅い。今更リズちゃんや私達を殺して入れ替わったところで、多くの人が『リズ』という人間の真贋を疑うだろう。

 ……それでも、彼女はリズちゃんの事を「殺す」と言った。既に手段と目的が入れ替わっているのか、それとも他の目的があるのか――。

 それと、疑問はもう一つ。

 彼女とリズちゃんはあまりにも似すぎている。外見ではなく、その魂のあり方が、だ。例え双子であろうとああはならない。本当になのだ。

 その証拠が、痛覚共有の魔術だ。あれは本来リズちゃんを対象に作ったものであり、他人にはまったく効果の無いものだ。それでも、効果は如実に現れた。似ているという表現さえ生ぬるい。同一存在、ドッペルゲンガー……、魔術の範囲からすら外れる、人々の空想に過ぎないものだが、まだそちらの方が説明が付く。

 そう……空想だ。そんなものは、本来在りえないのだ。その在り得ない筈のものが、なぜ現実に現れたのか。アシェナ村に行くことで、それらの疑問が全て解消されれば良い。けれどもし、解からない場合は――

 最悪の事態も覚悟しなければならないと、私は手綱を持つ手に力を込めた。

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