第15話 魂の欠損
部屋には、重苦しい空気が流れていた。
ラスティさんとジュゼさん、そしてボク。三人が宿屋の小さな部屋に押し込まれているにも関わらず、会話の類は一切無い。ラスティさんは先程からイライラを隠そうともせずに貧乏ゆすりを続けているし、ジュゼさんはそんな彼を完全に無視して物憂げに窓の外を眺めている。ボクはと言えば、そんな二人を目の前にして椅子の上で居心地悪く縮こまるばかりだ。
偽リズとの戦いから数時間が経過していた。ボク達はあれから倒れたリズを宿屋に運び込み、彼女の治療に当たった。いや、正確には当たろうとした。しかし、リズの体をいくら調べても傷は見当たらず、毒を受けたような痕跡も無い。それなのにリズは苦しそうに喘いでいて、意識も戻らないままだった。ボクらが手をこまねいていると、今度はトーファ様がリズの体を調べ始めた。そして一言。
「……リズちゃんは私が看るわ。」
そう言って、リズを隣の部屋に運び、自分とリズ以外の人間を閉め出したのだった。
トーファ様がその様に言うという事は、おそらくリズの不調は魔術的な作用に因るものなのだろう。少なくとも僕の目にはリズが魔術の攻撃を受けたようには見えなかった。しかし、あのレベルの戦いとなれば、ボクが見逃した可能性も高い。ボクの目では追えない所で、何かしらの魔術攻撃があったのかもしれない。
「う……。」
先の戦いを反芻する度に体に震えが走る。はっきり言って、運が良かった。一歩間違えば、ラスティさんかジュゼさん、もしくはボクが死んでいただろう。それほどまでに相手の剣技は苛烈だった。しかもリズと同じ『魔術斬り』の使い手。ボクは、あんな絶技の使い手は世界にリズだけだと思っていた。けれど事実、相手の剣技はリズのそれとほぼ同等の様に見えた。あの、リズに良く似た女性――いや、よく似ていると感じた女性。
アシェナ村の大量殺人事件。その真犯人。いったい彼女は何者なのか。リズに似ているという事は、彼女の親類だろうか。いや、似ていたと言っても、それはあくまで雰囲気だけの話だ。リズ自身も彼女の事を知らないと言っていた。……だが、あの時のリズの反応は、明らかに相手が誰だか知っている様子だった。知っていながら、嘘をついたのだ。なぜそんな必要があったのかは分からないが。
……そして、彼女の正体が分からない一方で、その目的は明白だ。彼女はリズと、その周囲の人々の命を狙っている。トーファ様は以前、偽のリズが本物のリズを殺して入れ替わろうとしてくる可能性について言及していた。あの話を聞いたときは、まさか本当にこんなことになるとは考えていなかったが……。
一方で彼女の発言には、トーファ様以外は見逃すと言ったり、最初はリズを殺す気が無かった様な発言もあり、単純にリズと入れ替わろうとしているには、少し文脈がおかしい発言もあった。
「もう、訳わかんないよ……。」
ボクはそう呟いて、椅子の背もたれに体重をあずけた。椅子がギッ、と音をたてて軋む。
と、そんな風にボクが思考の袋小路にでぐるぐると迷っていた時だ。木の軋む音と共にドアの開く音がした。皆の視線が一斉にそちらに集まる。部屋に入ってきたのはトーファ様だった。
「トーファ様!」
ボクは座っていた椅子から跳ぶように立ち上がり駆け寄る。
「トーファ様!リズは!?」
いつものトーファ様ならばおどけた様子で「大丈夫よ♪」と言う所だ。しかし、その顔は真剣な表情のまま変わらなかった。
「容態はとりあえず落ち着いたわ。ただ――。」
トーファ様は少し言い難そうに視線を逸らす。
「……意識は、戻らないままよ。『魂』が大幅に欠損しているの。最悪このまま意識が戻らないか――仮に戻っても、廃人状態でしょう。」
「――、嘘、」
あまりに深刻な報告に耳を疑う。トーファ様は沈痛な面持ちのまま動かない。
「……そりゃどういう事だよ。」
固まるボクの代わりに答えたのはラスティさんだった。
「『魂』の治療なんざ死霊魔術師あんたらの得意分野だろうが。さっさと治せばいいだろ。」
イラついた様子でラスティさんは言う。しかし、その言葉にトーファ様は首を振った。
「確かに『魂』が傷付いただけならば問題ないわ。けれど、リズちゃんの魂は欠損してしまっているの。肉体で言ったら四肢を引き千切られているような状態よ。失ってしまった部分は完全には復元出来ない。義手や義足のようなもので補う事は出来るけれど、それでも欠損した理由が分からなければ――」
「理由なんて明らかだろうが!」
バン!と、叩き割らんばかりの勢いでラスティさんが机を叩いた。
「あの
「いいえ。あの戦いの中で彼女が魔術を使った形跡は無かった。確かに引き金は彼女との戦いだったのかもしれない。リズちゃんの様子もおかしかったしね。でも、根本的な原因は――」
「っ――!」
トーファ様の言葉が終わらない内に、ラスティさんは椅子を鳴らして立ち上がった。
「どちらにしろ、あの女を捕まえて吐かせれば良い事だ。俺はあいつを探しに行く。」
そう言って、ツカツカと歩いて部屋から出て行ってしまう。ラスティさんがなぜあんなにも怒っているのか。ボクはただ、勢いよく閉まる部屋のドアを見ている事しか出来なかった。
「あ、あの……。」
ボクはオロオロしながら、残った二人を見回す。
「いいわよ。ほっときなさいな。突然の出来事ばっかりで頭に血が上ってるのよ。別に本当にあの殺人犯を探しに出たわけじゃないわ。頭が冷えたらまた戻ってくる。」
ジュゼさんが諦めたような顔で答える。ラスティさんが、なぜあんなに怒っているのか、彼女には分かっている様子だ。
「で、でも、またあの偽リズがやってきたら……。」
ボクは懸念を口にする。あの偽リズが狙っているのはリズの命だけではない。
「まあ、大丈夫でしょう。あの痛覚の共有の魔術。あれだけ深く入ったら普通は動けない。一時的に気力で持ちこたえられたのには驚いたけれど、今は逃げることで精一杯でしょう。こちらから追い詰めなければ戦いにはならないと思う。」
ボクの懸念に、トーファ様が答えた。
「……で?その『根本的な原因』とやらが分かればリズちゃんを治す事が出来るの?」
ラスティさんの後を継ぐように、ジュゼさんが話を進めた。彼女は落ち着いている。こういう状況には慣れているらしい。
「……ええ。完治するかは兎も角として、少なくとも何かしらの処置は出来るでしょう。」
「心当たりはあるの?」
「本当は、彼――ラスティさんの言うとおり、あの殺人犯を捕まえて聞き出すのが一番早いのかもしれないわ。彼女とリズちゃんが似ている事と言い、彼女が何かしら知っているのは明らかだもの。でも、生け捕るのは無理よ。」
捕らえようとすれば殺し合いになり、必ずどちらかが命を失う。そう、トーファ様は言った。
あの絶技と言って良い剣の腕を思い出す。トーファ様ですら苦戦した相手だ。言うとおり、生け捕るのは難しいし、それを試みたところで犠牲者が出るのは間違いが無い。そして仮にトーファ様の魔術で動けなかったとしても、あの偽リズは死ぬ気で抵抗してくる。そう思わせるだけの執念の発露があった。
「ただ、心当たりはもう一つあるわ。」
トーファ様は続けた。
「実は、リズちゃんが魂の一部を失ったのは今回が初めてじゃない。ずっと前――まだリヒトちゃんが私達と知り合う前にも、同じ事があったの。」
トーファ様はボクをちらりと見る。その話は初耳だ。リズからも、当然トーファ様からも聞いたことが無い。
「あれは、私がリズちゃんと初めて出会った……三年前の話よ。リズちゃんと出会ったのは、ドラゴニアにある私の屋敷の近く。道端で行き倒れていた彼女を私が介抱したのが、彼女との出会い。」
「行き倒れていた」という言葉に少し驚く。怪我にしろ、病気にしろ、リズが行き倒れる姿など想像できなかったからだ。
「そして、その時既に彼女の魂は欠損していた。体は健康だったけれど、廃人寸前だった。彼女を見つけたときは、流石に私も慌てたわ。」
幸いその時は私の治療でかろうじて回復したけどね、とトーファ様は付け足す。
「後で分かった事だけれど、その時リズちゃんは彼女の故郷、アシェナ村を出て王都に来た直後だった。そして、欠損の進行状況から見て、彼女の魂はアシェナ村に居た頃から壊れていた可能性が高かったの。……つまり、原因はリズちゃんの故郷であるアシェナ村にある可能性が高い。」
リズの故郷、アシェナ村。
正直に言って、リズからその村の話を詳しく聞いた事は無い。今更ながらに、彼女の過去を知らない事を改めて思い知る。
「今回の件は、アシェナ村で受けた古傷が開いた……と考える事も出来るわ。一度目はアシェナ村の中での出来事。そして今回は同郷の人間と出合った事による再発。あの偽物と本物のリズちゃんの間に何があったのか。何が原因でリズちゃんの魂は欠損したのか。それらは全て、アシェナ村に答えがあるはずよ。」
トーファ様は確信を持った口調で言う。
なるほど、とは思う。でも、例えそうだとしても問題がある。
「なるほど……で、どうやってそれを調べるの?あの村にはもう住人は誰も残されていないんでしょ?」
ボクの疑問を代弁するように、ジュゼさんが言った。
そうだ。アシェナ村の住人達は皆、偽リズによって殺害されている。過去の出来事について知っている人間はほとんど残されて居ないのだ。
「今回のアシェナ村での大量殺人。殺されたのは大人だけで、子供は見逃されているわ。過去の出来事と言っても何十年も前の事を調べるわけじゃない。話を聞くだけなら子供でも十分よ。」
そう言って、トーファ様はボクに視線を送った。その視線の意味をボクは理解する。ボクに、アシェナ村に行って、調査をして来いと――
「と言うわけでリヒトちゃん。私はアシェナ村に行って、事件の真相を調べてくるわ。」
「ええ!?ト、トーファ様が行くんですか!?」
てっきりボクにお遣いを頼むと思い込んでいたので、思わず驚きの声をあげる。
「当たり前でしょう。リズちゃんの症状を正確に把握しているのは私しか居ない。つまり原因もきっと私にしか分からないわ。……それに時間も無い。このままリズちゃんを放っておけば手遅れになる。リヒトちゃんの足じゃ、アシェナ村まで一週間。でも、私の魔術を使えば三日で行けるわ。」
「もっ、もしあの偽のリズがまた襲って来たらどうするんですか!」
トーファ様の言い分はもっともだ。でも、偽のリズはボク達を本気で殺しに来ている。ボクではあの悪夢の様な剣技を持つ相手を足止め出来るとは到底思えない。それどころか、自分の身を守ることさえ難しいだろう。仮にボク以外の人間――ラスティさんや、町に駐在する騎士団が居たとしても無用な犠牲者を増やすだけになる。ボクの見立てでは……現状、彼女とまともに戦えるのはトーファ様しか居ない。
「それは、たぶん大丈夫。向こうは私たちが何処に居るのかも分かっていない。それにさっきも言ったけれど、痛覚共有の呪いを受けている以上、その効果が切れるまではまともに動けないわ。恐らく彼女も無闇に動き回る事はせず、呪いが切れるのを待つはずよ。」
そのトーファ様の言を聞いて、ボクは偽リズの言葉を思い出していた。彼女はリズに「覚悟が決まったら、私の元を訪れなさい。」と言った。確かにそれは、偽リズの方からこちらの居場所を探す気は無い様にも読み取れる。
「でも……。」
そうは言っても、不安は拭いきれない。例えボク達がずっと宿屋に引きこもっていたとしても、人の噂に戸口は立てられない。いずれ、その噂からボク達の居場所を突き止めて襲撃してくるかもしれない。
「……そうね。じゃあ、リヒトちゃんにはこれを渡しておくわ。」
そう言ってトーファ様は袖の中から手のひらサイズの円盤を取り出した。見た目は懐中時計や方位磁石に似ている。円盤にはボクでは解読不可能な文字が円周上にぐるりとならび、中心からは針が一方向にのみ伸びている。その針は一方向をピンと指して動かない。本体をくるりと回すと、回るのは本体だけで針は同じ方向を指したままだった。
「これは……?」
「あの偽のリズが近づいてたら、この針は彼女の方を示すわ。これで、偽のリズが近くに居るかどうか分かるはずよ。」
「――、という事は、その針は今も偽のリズの居場所を指しているってこと?それなら――」
ジュゼさんが当然と言える思いつきを言いかける。しかし、トーファ様はそれに首を振った。
「いいえ。これは本来、『本物のリズちゃんの魂の居場所』を指す魔術具よ。だから今だってこの針はリズちゃんの方向を指している。」
ボクは針の指し示す方向を見る。その先は確かに、リズが寝ている部屋があった。
「でも、本物のリズちゃんと、あの偽者の魂の質はとても似ている。それに加えて、今は本物のリズちゃんの魂は弱っているから、もし偽者の方が近づいてきた場合、針はそちらにブレるはずよ。」
そう言いながら、トーファ様はその魔道具をボクに手渡した。本物のリズと偽者のリズが似ているのは雰囲気だけではなく、その魂も似ているらしい。
「もしその針に反応があったらリズちゃんを連れて全力で逃げなさい。もし逃げ切れないなら陽動だけでも良いわ。とにかく、偽者にリズちゃんの居場所を知られない事が重要よ。」
ボクは、その魔道具をじっと見つめた。今は針がブレる様子はない。
「それと、ジュゼさん。悪いけれど、頼まれてくれないかしら?……これは正式な依頼。」
「何かしら?」
「貴方のパーティー、街の人間に顔が利くのでしょう?なら、あの偽者のリズを手分けして探してもらえないかしら?」
トーファ様のその依頼に、しかしジュゼさんは首を横に振る。
「いえ、それは無理。探して、もし見つけ出してしまったら、見つけた人間が殺される可能性が高いでしょう。そんな危険な事はさせられない。」
「いえ、探すフリだけで良いわ。街中に自分を探す人間が居る、というだけで彼女はうかつに動けなくなる。それだけで、こちらが見つかる可能性はかなり下がるはずよ。もちろん、成否にかかわらず報酬は支払うわ。」
そう聞いて、ジュゼさんはしばし考える素振りを見せたが、最終的には頷いた。
「わかった。……もっとも、報酬うんぬんはラスティに聞いてもらえる?一応アイツがパーティーリーダーだし。」
「今回の件、ラスティはもう『身内の問題』と思ってるだろうしねぇ……」とジュゼさんは笑った。いままでずっと張り詰めた表情をしていたトーファ様も、ようやく表情を和らげる。
「……これで、とりあえずの方針は決まったわね。私はアシェナ村に、リズちゃんの魂が損傷した原因を調査しに行く。リヒトちゃんはその間、リズちゃんの護衛。ジュゼさん達は、あの偽者の間接的な足止め……。」
目的はそれぞれ変更になったが、結局各人が取る行動そのものは当初の予定通りだという事に、ボクは気付いた。ボクは、リズを守る。やるべき事は変わらないのだった。お願いね、という風に、トーファ様がボクの方に手を置いた。
不安は拭えない。しかしそれでも、ボクはそれに応えるように、小さく頷いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます