第14話 戦端

「トーファ様!」


 彼女の着る赤色のドレスもあり、トーファ様の姿はすぐに見つかった。宿の横の空き地の一角に彼女は立っていた。ボクは急いで駆け寄る。


「トーファ様、実は――」


「リヒトちゃん。ちょっとごめんなさいね。今立て込んでるの。」


 そう言って、トーファ様は駆け寄ったボクを手で制す。見れば、トーファ様は空き地の一角に厳しい視線を送っていた。その視線の先を追うと……そこには、先のマント姿の女性。


「『トーファ』……なるほど。貴女がここに居るという事はここでのようですね。」


 そう言って、その女性は先ほどの魔術でさらにボロボロになったマントを、うっとおしそうに剥ぎ取った。その姿が露になる。


 ドクン――。


 その姿を見て、ボクは酷い眩暈に襲われた。


「あ、れ――。」


 思わずふらりとよろける。


「何だ、ありゃあ……。」


 後ろから、ラスティさん達が息を呑む音が聞こえた。きっと彼らも、ボクと同じ違和感を感じているのだろう。

 流れるような金髪、燃えるような紅の瞳。小奇麗な白いシャツに黒色のベストを羽織り、その姿はまるで爵位持ちの貴族のようだ。元々のボロのマント姿からは想像も出来ない、高貴ささえ伺わせる出で立ち。その服装から伸びた四肢はすらりと長く、女性にしては身長の高い方。歳は十代後半といったところか。切れ長の目に整った顔立ちは大人然としているが、後頭部で揺れる赤いリボンが、彼女の年齢を不詳にさせている。

 それらをリズと比べて似ているかと問われれば……かなり微妙なところだ。体格も、顔の作りも、瞳の色も。一つ一つのパーツはかなり違う。全く似ていないとも言い切れないが……しかし、明確な共通点と言えば、金髪くらいのものだ。

 けれど……それでも、彼女は。

 あまりにも、リズに似過ぎている。

 そう、断言できる。


「うっ……。」


 リズとの共通点は少ないのに、彼女に似ているという矛盾。その矛盾は違和感となってボクの胸に広がり、ボクの眩暈をいっそう酷くした。


「リヒトちゃん。そ。」


 と、トーファ様がそう言いながらボクの額に触れて来た。すると、ふわりと違和感が軽くなる。


「ト、トーファ様……。」


「大丈夫。どんなに似ていると感じるとしても、あれはリズちゃんじゃないわ。それだけは間違えちゃダメよ。」


 そう言って、トーファ様は相手を――その、偽リズを睨み付けた。偽リズはその視線を軽く受け流しながら口を開く。


「リズ・シルノフ・アジリエートに合わせなさい。そうすれば、先の三人だけは見逃してあげましょう。」


 ……やはり、狙いはリズか。あまりにリズに似すぎている事と言い、トーファ様の懸念が的中した形だ。しかも、最悪の形で。


「見逃す……?」


 偽リズのその言葉を聞いて、トーファ様は不機嫌そうに目を細めた。


「自分の立場が分かっていない様ね?殺人犯が目の前に居るのに、私がみすみす見逃すと思うの?」


 元から仕込んであったのか。トーファ様の足元に青白い魔法陣が浮かび上がる。ここで、戦うつもりなのだ。


「……前衛に入ります。」


 ボクはそう言ってトーファ様の前に出る。……はっきり言って、戦いたくない。偽リズが似ているのはその雰囲気だけではない。恐らく剣技も本物のリズに迫る。けれど、だからこそボクが前衛に出なくてはならない。トーファ様は魔術師だ。簡単にやられるとは思えないが、それでも剣士が相手なら、足止め役が必要だろう。


「いいえ。リヒトちゃんは後ろに下がっていて。」


 しかし、そんな風に考えていたボクを、トーファ様は手で制する。


「え、でも――。」


「彼女の今の狙いは私らしいわ。それに、大丈夫よ。普段は確かに貴女達の後ろに下がってはいるけれど……私を信じなさい。」


 そう言うのならば、ボクに出番は無い。ボクは大人しく後ろに下がる。


「舐められたものですね。いえ、ドラゴニア最高位の魔術師ともなればその自信も当然ですか。貴女がリズ・シルノフ・アジリエートとパーティーを組んでいる事は知っています。……いずれは戦わなくてはならない相手だとは思っていました。」


「……一応、聞いておくけど。そう言う貴女は何者なのかしら?」


 そのトーファ様の問いに、返ってきた答えはやはり予想通り。しかし受け入れがたいものだった。


「ふん……分りきっているでしょうに。『リズ・シルノフ・アジリエート』それが、私の名前です。」


 やはり、相手は『リズ』と名乗った。


「嘘だ!リズは……リズはボク達と一緒に居る!お前がリズなんかであるもんか!」


 ボクは思わず叫ぶ。


「……なるほど。貴女達にとって『リズ』というのは、あくまであの子の事らしい。……なら、その認識は正さなくてはなりません。『リズ・シルノフ・アジリエート』、あの子はその名を名乗るべきではない。」


 偽リズはそう言ってブン、と剣を一振りし、構えた。白銀の剣が薄闇の中でキラリと輝く。相手の殺気が膨れ上がる。もはや戦いは避けられないと悟った。

 ――恐らく、勝負は一息の内に決まる。

 ボクはいつでもトーファ様の援護に入れるよう、短剣を握り直した。基本的に、剣士と魔術師の戦いはどちらが先制するかで勝負が決まる。剣の間合いの外から魔術師が魔術を打ち込むのが先か、魔術を撃たれる前に剣士が白兵戦に持ち込むのが先か。そこから先の攻防は無い。剣士にとって、高威力の魔術を防ぐ事は至難の技であるし、同様に魔術師も、間合いに入られれば魔術詠唱すらままならないからだ。

 トーファ様と偽リズの間合いは十メートル以上ある。トーファ様の高速詠唱ならば、そして相手が凡庸な剣士であれば、間合いに入られる前に二発は撃てる。だが、偽リズが本当にリズと同等の強さを誇るならば、一度撃てるかどうか――。


「――。」


 トーファ様と偽リズ。二人の集中力が一気に高まるのを感じた。ギシリ、と空気が軋む。

 来る!

 ボクがそう思った瞬間、偽リズが地を蹴った。初速から最高速。まるで矢の様に一直線にこちらに向かってくる。たった一息で間合いの半分が消失した。

 早い……!

 そう呟く事さえできない。だが、そんなボクをよそに、トーファ様も最速で迎撃体勢に入っていた。


「焦亡の炎よ!薙げ!」


 たった二小節の魔術詠唱。通常ならば焚き火程度の火すら熾せぬ短縮詠唱は、しかし。眼前を埋め尽くす炎の群れとなって地面を薙ぎ払った。


「――!」


 自身の踏み込みを、魔術詠唱が上回った事が信じられなかったのだろう。偽リズの顔が強張る。生身で受けて無事でいられるような密度の炎ではない。このタイミングでは魔術による防御も間に合わない。左右への回避も不可能。唯一残った逃げ道は上空のみ。

 ボクは瞬時にトーファ様の狙いを悟る。最早この炎に対処するには上空に逃れるしかない。だが、それが罠だ。トーファ様は空中に何かを仕掛けている。

 だが。


「ふっ……!」


 あろうことか、偽リズは、炎に向かってさらに一歩を踏み込んだ。そして、炎に向かって、その手に持つ白銀の剣を振り抜いたのだ。

 ザン!と。

 偽リズは、トーファ様の作り出した炎を斬り裂いた。


「魔術斬り!?」


 馬鹿な!この剣技はリズだけが使えるもののはず――!

 ボクが、そして恐らくはトーファ様すらも驚きで固まった瞬間をついて、偽リズは残りの間合いを一気に詰める。


「ハッ……!」

 

 その手に持った白銀の、アスライト製の剣が振り上げられる。そしてその刃はトーファ様を袈裟斬りにしようとし――。

 しかしその直前。偽リズの動きが止まった。


「チッ……!」


 偽リズの忌々しそうな舌打ち。見れば、トーファ様の足元に描かれた魔法陣が発光していた。その魔法陣から薄っすらと伸びた魔力光が、偽リズの腕を拘束している。


「変質、衝撃、祖の魂は火花の如く――!」


 トーファ様の追撃。ほぼゼロ距離から放たれた衝撃波の魔術が偽リズの前で炸裂する。


「舐めるな!」


 その直前、偽リズは拘束された手から剣を離す。そしてそれを、口でキャッチすると、無造作に首を振り回した。バキン!という音と共に、偽リズの剣に当たった衝撃波がキャンセルされる。同時に偽リズを拘束していた魔法陣からも光が消えた。


「くっ――」


 先の一撃で勝負を決めるつもりだったのだろう。トーファ様の顔に焦りが浮かんだ。逃げるように一歩後ろに下がる。


「遅い!」


 だが一歩下がったところで何の意味も無い。二人は既に白兵戦の間合いに入っている。いかな高速魔術であろうと偽リズの剣に対処出来るものは無い。


「トーファ様!」


 ボクはトーファ様と偽リズの間に割って入ろうと走る。自分の動きが酷く緩慢に感じる。たった数メートルの距離が届き得ない永遠の遠さに感じる。

 ダメだ。間に合わない。ボクが到達するよりもずっと早く、偽リズの剣が大上段から振り下ろされた。せめてもの防御のつもりか。トーファ様はそれを受け止めようと両手を頭上で交差させる。篭手でも仕込んであるのか。しかしもちろん、そんなものは抵抗にすらならないだろう。鉄鋼さえも切り裂くであろう一撃により、トーファ様は頭から真っ二つに――。

 ……には、ならなかった。 ガギン!という硬い音と共に、偽リズの剣はトーファ様の腕に当たって停止した。


「――!?」


 今度は逆に、偽リズが驚きで固まる。


「氷雨の槍剣よ!穿て!」


 トーファ様の詠唱に応えて、再び無数の氷柱が上空から降り注いだ。


「チッ――」


 偽リズは形勢不利と判断したのか、その氷柱を避けるべく後退した。退がる偽リズを追う様に、氷柱が次々と地面に突き刺さる。流石に偽リズの移動速度よりも氷柱の方が速い。最後の最後に氷柱は偽リズを捉えたが――だがそれも、当然のように、魔術斬りによって切り払われた。


「……。」


「――。」


 二人は無言のまま睨み合う。時間にして十秒程度の交錯。だが、その間に何手の攻防があったのか。目に見えた駆け引きだけではあるまい。

 しかしその無数の駆け引きの末に、二人の間合いは、再び戦いが始まる前のそれに戻っていた。


「魔術斬り……。人真似もそこまで行けば大したものね。魔力で構成される元素魔術だけならいざ知らず、概念そのものを基礎とする死霊魔術を斬るなんて。このドレス、高かったのよ?」


 そう言ってトーファ様は左腕を掲げた。見れば、その腕を覆っているドレスの一部が切り裂かれ、その下にある白い肌が露出していた。手甲などを付けている様子は無い。恐らく、死霊魔術で衣服そのものの強度を上げていたのだろう。……しかし、それも切り裂かれた。

 魔術斬り。

 魔術を切り裂く、リズだけが保有する固有剣技。……少なくともボク達はそう思っていた。それを、相手は使いこなしているのだ。この女性は、いったい――。


「なるほど。大口を叩いただけの事はある。私が剣の間合いに入って斬れなかった人間は貴女が初めてです。」


 偽リズは不愉快そうに言った。


「けれど、次はありません。貴女の魔術は私の剣で全て無効化出来る。呪い屋風情が私に戦いを挑んだ事、後悔させてあげましょう。」


 そう言って、偽リズは再び剣を構えた。

 偽リズの言うとおり、彼女とトーファ様の相性は最悪だ。攻撃も防御も、トーファ様はその全てにおいて魔術を使用している。一方で偽リズは一刀の下にその魔術全てを無効化できる。いかにトーファ様と言えど、圧倒的に不利な状況だが――。


「『呪い屋』と言ったわね。この、偽物の人形風情が。」


 あくまでも強気に、トーファ様は言い返した。彼女の纏う空気が重くなる。逆鱗に触れたのか。怒りを露に、底冷えのする視線で偽リズを睨みつける。


「……いいわ。そんなにお望みなら、本物の呪いを見せてあげる。」


 低く、怒気を孕んだ声でそう言うと、トーファ様は懐から何かを取り出した。

 見れば、それは木製の人形だった。手の平よりやや大きい程度の、関節も動かないような簡素な作りのものだ。小さな子供がよく遊んでいるそれを連想させる。

 トーファ様はそれをそっと地面に置くと口を開いた。


「鏡が映すは嫉妬の影、己の姿は名も無き姫に、森の奥で紡ぐ惨状、その幻は城の中へと還りましょう、」


 そこから流れ出たのは、歌うような詩の朗読。いや、知る者が聞いたのならば、それこそが本来の死霊魔術の詠唱なのだと理解しただろう。

 偽リズは動かない。彼女はそれが魔術詠唱だと知らないし、そうと気づいたとしても動く必要は無い。いかな魔術が紡がれようと、彼女の魔術斬りで全て無効化できるという自信があるからだ。むしろ不用意に動いて罠に嵌る事を恐れているのだろう。


「げに美しきは屍に、その臓物は栄華の贄に、存在は逆しまに廻り、止まった刻に愛を注ぎましょう、」


 詠唱が続く。それと同時に、地面に置いた人形に変化が起きた。人形から黒い『靄』が滲み出し、人形全体を覆い始めた。その『靄』はどんどんと大きくなり、一つの形を形成する。


「人……?」


 ボクは、呟く。

 両手、両足、そして頭部。輪郭が霞んではいるが、『靄』は人の形をとっていた。顔は無い。その輪郭も霞んで朧げだ。見れば右手に当たる部分からは一本の細長い棒が延びていた。それは見様によってはその『靄』が剣を持っているようにも見えた。


「魔法の時代の語り部、古の国の物語をとくとご覧あれ。さあ――神話の再現を始めましょう。」


 詠唱が成る。それと同時、『靄』がまるで意思を持ったように動き出し、その手に持った剣で構えを取った。


「――。」


 偽リズが怪訝そうに眉を顰めた。それも当然だろう。『靄』動き出したのはまだいい。けれど、『靄』が取った構えは、偽リズのそれと酷似していた。


「行きなさい。」


 トーファ様が一言、そう継げた。とたん、『靄』は地を蹴って偽リズに突進する。その速度は先程の偽リズ本人のそれに引けをとらない。


「……!」


 僅かに反応が遅れながらも、偽リズもその突進に対応するように前に出た。都合一秒でその間合いを潰し切り、二人の剣が交差する――!

 偽リズと『靄』の間に火花が散った。それだけしか認識出来なかった。それが、三度に及ぶ剣の交差によって発生したものだと気づいたのは、辛うじて剣戟の音が三つ聞こえたからだ。


「――!」


 偽リズの瞳が驚愕に見開かられる。それも当然だろう。あろうことかその『靄』は、ボクも認識出来ないような高速の剣技を見せたのだ。しかも、それだけでは終わらない。『靄』は、立て続けに剣を振るった。

 無数の金属音が響く。それは、雷撃の様に苛烈な剣戟の応酬だった。最早、剣先は目視できる速度ではない。剣がぶつかった火花を観測することで、そこに剣戟があった事を知るのみだ。

 いかな魔術を用いているのか、『靄』の振るう剣速は際限なく上がっていく。そして、それについて行く偽リズもまた化け物じみている。未だ動揺しているようだが、しかし彼女は『靄』の剣を全て捌ききっている。


「っ――。」


 いったい何合打ち合ったのか。偽リズが、先の見えない攻防を嫌って距離をとった。『靄』もそれを追撃することなくその場に留まる。まるで、まだ余裕だとでも言うように――実際は『靄』に顔は無いのでボクの感覚なのだけれど――『靄』は静かに構えを取り直している。


「貴様、この人形の剣技は――」


 偽リズは忌々しそうに『靄』を睨む。それを見て、トーファ様は得意げに微笑んだ。


「そう。その人形は貴女の写し身よ。身体能力、行動パターン、そしてその剣技に至るまで忠実に再現してあげましょう。自分と全く同じモノ相手に、貴女は勝つ術があるかしら?」


 つまり、あの『靄』は偽リズの写し鏡。絶対的な強さを持つ魔術ではない。しかし相手が強ければ強いほど、それをそのまま返してくる……正に、呪いと言うに相応しい魔術だ。

 ふと。

 偽リズが剣の構えを解いた。だらりと腕を下げ、顔を俯かせる。

 流石に諦めたのか。そう思い、ボクはトーファ様に問いかける。


「トーファ様、」


 今なら偽リズは無防備だ。例え降参したのでは無かったとしても、彼女を拘束する絶好の機会には変わりない。しかし、見あげたトーファ様の顔は、真剣なものに変わっていた。


「フフ……」


 と、突然、偽リズから囁くような笑い声が聞こえてきた。


「フフフ……アハハ……アハハハハハハハハハハハハハ!」


 笑い声は次第に大きくなり、終いには狂笑に変わる。気でも狂ったのか。そう思いたじろいているボクを尻目に、偽リズが続けて言った。


「これが私の写し身?この、出来損ないが……?」


 そして突然、偽リズは真顔に戻る。その顔には明らかな怒りの表情が浮かんでいた。

「貴様は何も分かっていない。この程度で写し身を語ろうなどと思い上がりも甚だしい。の純度は本物を凌駕する。そんな事すら知らぬ人間が、彼女の傍に居るなんて。」


 そう、偽リズはよく分からない事を、言った。そして再び腰を低く落として剣を構える。


「『呪い屋と言った事を後悔させる』と言いましたね。その言葉、そのまま返しましょう。私相手に私の写し身を語ったこと、後悔しなさい!」


 ダン!と偽リズが地面を蹴った。その速度はやはり神速。一瞬で『靄』との間合いを詰める。

 だが、それだけでは先程の焼き直しだ。当然のように『靄』もその踏み込みを迎撃する。再度、二人の間に激しく火花が舞う。同じ速度、同じ技術によって振るわれる剣は、計ったようにお互いにぶつかり合い、弾かれる。際限なく続く雷鳴。ボクの理解及ばぬ術理で打ち鳴らされる剣戟は、しかし、いつまで経っても決着がつかない。


「……。」


 そこでふと、ボクは気づいた。相当な達人であるとは言え、偽リズも人間だ。人間である以上、体力というものがある。『靄』に体力という概念があるかどうかは知らない。しかし、あの影の様な外見を見る限りでは疲れを感じるような代物には思えない。このまま剣の打ち合いが続くのならば、体力が有限である偽リズの方が徐々に不利に――


「はああああああああああ!」


 しかし、そんなボクの予想を打ち消すように、偽リズが吼えた。ギャリン、と『靄』の剣をいなし、そのまま大上段に剣を構える。

 そして。そこから繰り出された一撃は正に必殺だった。

 空気を裂く音。ここに来て、今までで最速の剣。速度だけではない、全体重を乗せた一撃が『靄』を襲う。だが『靄』もただそれを見ているだけではない。その一撃を受け止めようと、自身の剣を頭上に掲げ――

 キン、と。

 やけに軽い音が響いた。剣がぶつかり合ったというよりは、何か硬いものを斬ったような――

 遅れて、『靄』の持っていた剣が根元から折れる。折れた剣は、秒と経たずに元の黒い霧に戻り……そして、霧散した。

 魔術斬り。

 所詮、『靄』も魔術で構成されているということか。偽リズが『靄』の剣を叩き切ったのだ。


「――、終わりです。」


 あまりにもあっけない幕切れ。偽リズは再度剣を引き、『靄』の首めがけてそれを突いた。『靄』は既に剣を失っている。よってそれを止める術は無い。せめてもの抵抗と、体を捻るのみだ。が、それも遅い。首はそれたものの、無常にも偽リズの剣は『靄』の右肩に突き刺さった。


「……。」


 先の剣と同じく、『靄』の右腕だった部分が胴体から切り離され、黒い霧となって消滅した。

 それで、終わりだ。

 未だ『靄』はその存在を保っている。しかし、武器と右腕を失った。それそのものが魔術故、再生するかとも思われたがその様子も無い。


「チッ、往生際の悪い。」


 無力化しただけでは足りないのか、偽リズは構わず追撃しようとする。結果は見るまでもない。『靄』は胴体を真っ二つに切り裂かれ、本体そのものが消滅するだろう。

 ……しかし、その直前。偽リズの剣が『靄』を捉える間際。その剣が止まった。


「がっ……!?」


 何が起きたのか。偽リズが驚きと苦悶の声を上げて、後退した。


「え――?」


 何が起きたかわからず、呆けるばかりのボク。そんなボクの視界の隅に、意地悪げに微笑むトーファ様の顔が映った。


「良かった。ちゃんと効いてくれた様ね。――自分で自分を斬った気分はどうかしら?」


 トーファ様は言った。それを聞いて、偽リズはトーファ様を睨みつけた。その額には脂汗が滲んでいる。


「っ……。人形を斬ったのと同じ位置……、この痛み、痛覚の共有か。」


「ご名答。剣技の模倣はあくまでオマケよ。本命はこっちの方。貴女も呪いの藁人形の話は知っているでしょう?『人形に付けた傷を対象者にそのまま写す』。現代の市民の間に伝わる、最もポピュラーな呪い。それを拡大解釈したものが、貴女の目の前にあるモノよ。」


 『呪いの藁人形』の話ならば、ボクも知っている。藁で形作った掌大の人形に、呪いたい相手の髪の毛などを編みこみ、それを釘で打ちつける。すると、その人形が釘によって受けた傷が、対象となる人間にも写されるというものだ。その話自体は誰もが知っている。が、その有効性については噂話の域を出ない。ろくに魔術も習っていない一般人がそれを行ったところで、かすり傷程度の効果さえ現れないというのが実情だ。

 しかし、それを行うのが死霊術師となれば話は別。彼らの専門は正にこの類。『対象の存在そのものに直接働きかける魔術』だ。しかも、今回それを操るのは国でも最高レベルの死霊術師であるトーファ様。その効果は偽リズの苦悶の表情が物語っている。

 かろうじて剣は握っているものの、彼女の右腕は力なく垂れ下がっている。この魔術が本当に完全な痛覚の共有であるならば、今彼女は右腕を切り落とされたのと同じ痛みを感じているはずだ。


「っ……大層な、魔術ですね……。確かに、この痛みはっ、真に迫る……。」


「効果は上々……か。そこまで痛みを共有するためには、本当は相手の髪の毛なんかが必要なのだけれど。貴女とリズちゃんが似ていて助かったわ。こっちのリズちゃんのもので代用できたから。」


 トーファ様は言う。


「さて、どうするのかしら?確かに貴女の魔術斬りならばこの人形を斬る事は容易いでしょう。けれど、それは同時に、あなた自身も傷を負う事を意味する。」


 もし、ボク達を殺そうとするのならば、偽リズはあの『靄』を突破しなければならない。けれど、『靄』に攻撃を加えれば自分自身が傷を負う。ボク達を殺そうとする限り、偽リズは既に詰んでいる形だ。それは、偽リズも理解しているはずだが――。


「どうするか……ですって……?」


 フッ、というため息。いや――偽リズはその瞬間、確かに笑った。


「私は既に手負い……。目の前には呪いを返す影人形。しかも、それを突破しても、その先には最高レベルの死霊術師。……確かに、私に勝ち目は無さそうですね。」


 偽リズは言う。辛うじて剣を握っていた右手が緩み、ズルリと剣が傾ぐ。


「勝ち目は無い……けれど。」


 しかし、偽リズはなお顔を上げた。ボクはそれを見てゾッとする。まだ、彼女の目は死んでいない――!


「その程度で止まれるならば、そもそも私は此処に辿り着いていない!」


 偽リズは右手からこぼれ落ちた剣を、左手で掴み取る。同時に一息で『靄』の懐に飛び込み、そのまま体をぐるんと回転させ、


「消えろ!出来損ない!」


 勢いをそのままに、『靄』を一閃した。


「――。」


『靄』は真っ二つに裂け、瞬く間に霧散する。カラン、という音に目を向ければ、『靄』があった場所、その地面に同じく真っ二つにされた木製人形が落ちていた。


「……馬鹿。」


 それを見て、トーファ様がため息をついた。


「ギ――あ、ぐ――」


 同時に聞こえてくる苦悶の呻き声。見れば、偽リズは今にも倒れそうな様子でよろめいていた。剣を地面に突き立てて、かろうじて体を支える。


「……人形本体を斬れば魔術を無効化出来るとでも思ったの?もしそうなら、勉強不足ね。死霊魔術は魔力ではなく存在そのもの――魂を媒介にして発動するもの。無効化すると言うのなら、貴女と人形の魂の繋がりそのものを切り離さなければ。」


「っ――グ――。」


 偽リズは答えない。いや、答える余裕など無いのだろう。先の『靄』が、受けた傷を正しく偽リズに返すと言うのなら、この瞬間、彼女は体が真っ二つにされたのと同じ痛みを感じているはずだ。それはボクの想像を絶する痛みに違いない。


「――呆れた。まだ意識があるのね。狂死してもおかしく無い痛みでしょうに……。でももうお終いよ。色々聞きたい事はあるけれど。今は眠りなさいな。」


 言って、トーファ様は偽リズに向かって右手を掲げる。


「表層化、拘束、祖の魂は氷の如く――」


 紡がれる魔術詠唱。青白い魔法陣が偽リズの足元に浮かび上がり、その体を周囲の空間ごと拘束していく。


「あ――」


 その間際、偽リズはうめき声を上げた。それが精一杯。最早、彼女に抵抗するだけの精神的余裕は無い。あとはトーファ様に捉えられるのを待つのみ――。

 ――そう。思っていた。


「あ――あああああああああああああああああああああ!」


 うめき声と思っていたか細い声は、突如、裂帛の気合となって大気を振るわせた。

バギン!という硝子を砕いたような音。それと同時に、偽リズを拘束しようとしていた魔法陣が急速に形を失っていく。

 ――見れば。

 偽リズは、支えにしていたアスライトの剣を、頭上高くまで振り抜いていた。


「――っ!冗談きついわよ。その状態で動けるなんて!」


 トーファ様もそれにたじろいた様子で一歩下がる。


「っづ――、この呪いが……本物の傷を返すものであったのなら、手の打ち様がありませんでした……。けれど……これはあくまでもを返す呪いです。ただ痛みを感じるだけならば……そんなもの、無視すればいい――!」


 偽リズは、俯いたその顔を僅かに上げる。ゆらりと揺れたその前髪の隙間から覗いた瞳は、異常な光を称えて爛々と燃え盛っていた。


「っ……!」


 その気迫に押され、ボクは思わず後退る。この女性は何かがおかしい。リズに似ている事もそうだが、その行動の根底に呪いめいたものを感じる。闘志でも、殺意でもない。これは、執念だ。


「――。」


 トーファ様が、ギリ、と歯を食いしばるのが分かった。弱気な顔は見せないが、彼女も相手の気迫に押されているのだ。


「トーファ様。」


 ボクは思わず声をかける。


「参ったわね。これで捕まえられないなんて、考えてもいなかったわ。」


 トーファ様はため息混じりに言う。


「……リヒトちゃん。ラスティさん達を連れて下がりなさい。」


「そんな……トーファ様は、」


「たぶん、今の手持ちでは彼女を生きたまま拘束出来ない。――ここから先は殺し合いよ。最悪、大規模魔術で周辺ごと薙ぎ払う事になるわ。だから、巻き込まれない位置まで下がって。」


 そう言って、トーファ様は再度足元の魔法陣を起動させた。ボクはチラリと後ろを盗み見る。ラスティさんとジュゼさんは構えを取ったままだ。彼らはトーファ様の魔術の威力を知らない。彼女の本気の魔術から逃れるには百メートルは距離が必要だ。


「……離脱のための時間は稼ぐわ。いいわね?」


「……はい。」


 ボクはトーファ様の言葉に頷くと、後ろに跳ぶ準備をする。ラスティさん達を説得している時間は無い。ボクが引っ張って行くしかないが、大人しく従ってくれるかどうか。


「ああああああああああ!」


 偽リズが叫んだ。それと同時、トーファ様へと駆ける。


「具現化――」


 それを迎撃せんと紡がれる魔術詠唱。間合いは短い。両者の剣と魔術の一撃はほぼ同時だ。ボクはその交錯に合わせて後退しようと身をかがめ――

 しかし、その直前。 三度目になる、第三者の介入があった。

 白い風が、砂金を撒き散らしながらトーファ様と偽リズの間を駆け抜けた。刹那、甲高い金属音とともに発生した火花が辺りを照らす。


「ぐっ……!」


 声を上げたのは偽リズだ。偽リズは、その火花に弾かれるようにたたらを踏んで後退する。

 ボクは、白い風を目で追う。それは地面に着地すると、僅かに滑って静止した。先程、砂金と見紛った金髪が揺れる。その人物が着ている白いコートは、普段から見慣れているそれだ。


「リズ!」


 ボクはその名を呼ぶ。偽物ではない。本物のリズだ。


「皆、大丈夫ですか!?」


 リズは偽リズを牽制しながらボクたちに駆け寄る。ボクはそれを見てホッと胸をなでおろした。これでもう大丈夫だ。いかに偽リズが強くても、リズとトーファ様二人を相手に勝てるとは思えない。ボクも支援に回れば磐石だろう。ボクはそう思い、リズの横に並ぼうとした。


「馬鹿!出てきちゃダメって言ったでしょう!!!」


 しかし、その突然のトーファ様の叫びに、ボクは足を止める事になった。トーファ様の叱責はリズに向けたものだ。トーファ様の顔には、怒りが――いや、あれは、焦り……?


「しかし、そうは言っても相手は魔術を――」


 トーファ様の理不尽な叱責に、リズは反論しようとする。あたりまえだ。リズはボク達を助けてくれたのになにもそんなに怒ることはない。そうボクがリズを擁護しようとした時だった。


「――ニア。」


 偽リズが、何かを呟いた。


「――え?」


 その呟きに、リズがゆっくりと振り返る。そして、偽のリズと目を合わせ――


「あ、」


 何か、絶望した声を上げて、固まった。


「――。」


 まるで、時が止まったようだ。無言のまま数秒が過ぎる。


「……リズ?」


 リズの様子がおかしい。ボクは思わずリズに声をかける。それでもリズは固まったまま動かない。

 代わりに動いたのは、偽リズの方だった。ザリ、と、偽リズは一歩、こちらに歩み寄ってきた。それを見て、本物のリズは警戒するように――いや、何かに怯えたように、後退る。


「……久しぶりね。」


 偽リズは目を細めて言う。その瞳には薄っすらと懐かしさが漂っていた。

 偽リズと本物のリズ。同じ村から来た二人。やはり、知り合いだったのだ。もしかしたら、二人が似ているというのは、偽リズが言った通り、二人が血縁関係にあるためかもしれない。


「あ――」


 本物のリズはその言葉に反応するように身を震わせた。しかし、その口から出てきた言葉は、恐らくその場にいた誰にとっても意外なものだった。


 「しら――ない、」


 リズの目が、曇る。


「っ、……貴方の事なんて、知らない――!」


 何かに怯えたように、リズは偽リズの存在を否定した。それは、どのような意図だったのか。リズの反応を見れば、彼女が偽リズの事を知っているであろう事は明白だ。だが、なぜそれを否定……ましてや恐れる必要がある?

 偽リズにとっても、リズの言葉は意外だったのだろう。その叫びを受けて、偽リズは何かに驚いたように目を見開いた。けれど次の瞬間には――静かに顔を伏せて、元の陰険な雰囲気に戻る。


「そう――もう、のね。」


 怒りを込めて……あるいは、哀れみを込めて。偽リズは、そんな言葉を口にした。


「なら、私はやっぱり、貴女を殺さなくてはならないようです。」


 改めて、偽リズは宣戦布告する。やはり、彼女の狙いはリズだ。本物のリズと入れ替わるために、それを殺そうと……いや、それにしては発言の文脈がおかしいような――、


「リズちゃん!下がって!」


 と、リズを庇うように、トーファ様が前に出た。先ほどと同じようにトーファ様と偽リズが睨み合う。

 そうだ。リズの様子がおかしい事は兎も角として、状況が逆転した事は間違いない。リズとトーファ様。この二人が揃い、なおかつ手負いでは、偽リズも成す術が無いだろう。難しいことは、偽リズを捕まえた後に考えればいい。


「――。」


 偽リズも不利を悟ったのか。その体から立ち上っていた殺気がみるみる薄れていくのが分かった。その代わりに、偽リズは再び口を開く。


「……覚悟が決まったら、私の元を訪れなさい。……いえ、例え覚悟が無いとしても、貴女があくまでリズ・シルノフ・アジリエートを名乗るのなら、私と戦わなくてはいけないはず。そして私も貴女を否定しなくてはいけない。お互い、逃亡という道はありません。今度は、誰の邪魔も入らない場所で会いましょう。」


 それは、リズへの言葉。そしてボク達にとってはあまりに不可解な台詞だった。

だが、その言葉の意味を解読している暇はない。偽リズはもう用は済んだとばかりにこの場を離脱しようとする。


「逃がさない!具現化――」


 それを阻止するため、トーファ様が動いた。今までどおり、最短詠唱で魔術を組み上げる。しかしその直前、トーファ様の体に、トン、と、軽い衝撃が走った。


「!?」


 それに反応して、トーファ様の魔術詠唱がキャンセルされる。見れば、リズがトーファ様を抑えるようにもたれかかっていた。


「!?リズちゃん、いったい何のつもり――」


 トーファ様は怒りの表情で抗議の声を上げる。しかし、彼女はその言葉を途中で止めた。


「……?リズちゃん?」


 見れば、リズの様子が何かおかしい。息は荒く、額には汗をびっしりとかいている。目は閉じ、意識があるのかも怪しい。

 これは――リズはトーファ様を抑えたのではない。自力では体を支えられなくなって倒れたのだ。


「……!」


 そのまま地面に倒れそうになるリズをトーファ様は慌てて支える。ボクも走り寄るが、リズは完全に意識を失っているらしかった。


「――。」


 リズを抱き寄せながら、トーファ様は偽リズの方に目を向ける。しかし、そこにはすでに彼女の姿は無かった。残されたのは瓦礫となった建物と、夕闇の残光を受けて輝く氷柱。

 気づけばいつの間にか静寂は破られ、ざわざわとした気配を遠くに感じる。きっとボク達の戦闘に気づいた野次馬達が集まってきているのだろう。


「……仕方ないわ。とにかく、宿に戻りましょう。」


 偽リズが消えた方向を睨みながら、トーファ様が言う。リズが倒れたにしては、冷静な様子に違和感を覚える。

 だけど、ボクはその言葉に頷くしかない。突然の戦闘に巻き込まれ混乱する頭を、まずは冷ます必要がありそうだった。


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