第13話 危機

「馬鹿野郎!ソイツから離れろ!」


 突然。ラスティさんの緊張した声が路地に響き渡った。その声に振り向けば、いつの間にか彼らも路地に入ってきている。


「え――?」


 ボクは突然のその言葉に混乱する。

 離れる?誰から?


「忘れたのか!大量殺人の真犯人はだって!」


「――。」


 その言葉を聞いても、ボクはまだ事態を飲み込めていなかった。しかし、ラスティさんがそう言った瞬間、周辺の空気の温度が一気に下がるのを感じた。いや、そう感じる程の凄まじい殺気――!


「――そうですか。もうそこまで知れ渡って居るのですね。」


 その言葉に、ボクは再び、マントの人物に振り返――


「――ぁ」


 

――そうして。ボクは自分が死ぬ事を理解した。



 風を切る音。一切の無駄のない洗練された太刀筋。普段リズと打ち合っているからこそわかる、達人クラスのそれが、ボクの喉元に一直線に伸びて来た。その一撃の凄まじさを理解しているからこそ、それを避けられないと悟ってしまった。ボクはわけも分からぬまま首と胴体を切り離され――。

 ギャリン!という音。しかし、その一撃はボクの首筋に届く直前に弾かれた。見れば、ボクの背後から一本の剣が伸びている。


「こ、の……馬鹿が!」


 すぐ背後からラスティさんの声。それで理解した。彼がボクを襲った一撃を弾いてくれたのだ。


「なるほど、良い反応です。しかし――」


 見れば、目の前のマントの人物が剣を振り上げていた。先の達人級の一撃はこの人が放ったのだと今更ながらに理解する。だが、理解したところでどうにもならない。未だ無防備なボクと体勢の崩れたラスティさん。今度は二人共々切り捨てようと、凶刃が振り下ろされる。


「二人共、伏せて!」


 そうジュゼさんの声がしたかと思うと、ラスティさんはボクの頭を掴んで、強引に頭を伏せた。何をするのか、と抗議する間もない。今度はキン!と軽めの音が頭上で響く。見れば、空中をくるくると回っている短剣が一本。恐らく、ジュゼさんがその短剣を投擲したのだ。その証拠にマントの人物は、ボク達に振り下ろそうとしていた剣を止めている。


「――!」


 二度の攻防。だがしかし、この状況は最悪だと、ボクの勘が告げていた。

 マズい、マズい、マズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズい――!

 何も分からない。なぜ戦闘になっているのか。そもそも何故目の前のマントの人物はボクに斬りかかってきたのか。なにもかもが唐突過ぎる。あまりにも状況把握の時間が足りない。まずは混乱を収める時間が欲しい。

 このマントの人物が『敵』だとすると、ラスティさんにもジュゼさんにも次の一手はない。ラスティさんは体勢を崩している。ジュゼさんは剣を手放した。既に敵は次の斬撃に移ろうとしている。つまり、今生き残るには――


「っ!奔れ!!!」


 瞬間。詠唱さえ無視して、魔力を足の魔術具に叩き込んだ。バチン!と嫌な感触を残しながらも、高速移動の魔術が発動する。後先は考えない決死の特攻。短剣を抜く事すら忘れて、ボクはマントの人物に体当たり気味に肘を叩き込む。

相手の腹部を捕らえた感覚。が、それが決定打になる前に、体の芯をずらしていなされる。ボクは勢いそのままにラスティさんとは反対側に着地した。


「っ……!」


 ボクが持っていた荷物が地面に転がる。マントの人物はたたらを踏んでいる。逃げるなら、今しかない!


「二人とも!逃げて!」


 ボクは叫ぶ。しかし、二人が次に取ったのは、退避行動では無く、戦闘態勢だった。ラスティさんは即座に短剣を構えなおし、ジュゼさんも落ちた剣を拾い上げる。


「バ――」


 言葉を失う。この相手は。最初の一撃だけで分かった。この目の前の敵の剣はボク達とは次元が違う!どうして二人には、それが分からないんだ……!

 だが、どうしようもない。恐らく次にボクが声を上げれば、それが戦闘開始の合図になる。既に敵は体勢を戻している。ボク達全員が脱出する機会は失われたのだ。


「……。」


 ボクは無言で腰に下げた短剣に手を伸ばす。今持っている武装はこの短剣だけ。ワイヤーも、その他の道具も持っていない。あとは靴に仕込んである風の魔術だが――こちらも、ダメだ。先ほど無理やり発動したせいで壊れてしまった。

 ラスティさんとジュゼさんも似たようなものだ。二人とも護身用の短剣。魔術具の類も持ち合わせてはいないだろう。それでも確かに……数だけ見れば一対三。しかも狭い路地で挟み撃ちにしている状況だ。普通に考えるなら、逃げるような状況ではない。その意味ではラスティさん達が戦闘を続行した判断は正しい。が、相手が悪すぎる。


「……いきなり斬りかかるたぁ、ずいぶん礼儀知らずな奴だな。」


 ラスティさんは、マント姿の女性を睨みつけて言った。

 ――そうだ。そもそも何故、この人はボクを斬ろうとしたのか。


『忘れたのか!大量殺人の真犯人はリズに良く似た人間だって!』


 ボクが斬りかかられる直前、ラスティさんはそう言った。リズと、この女性は……似ている。確かに、ろくに顔も見ていない。けれど似ている気がしたし、今でもしているのだ。近づいて確認するまで人違いに気づかないほどに。それに、この女性はこう言っていた。


『彼女、アシェナ村の殺人事件の犯人に間違われたのですよね?』


 リズが件の大量殺人のという情報は、まだボク達と憲兵団、そしてラスティさんが噂を流したごく一部の人しか知らないはずだ。そして、噂話を聞いて駆けつけたにしてはあまりにも。つまり、その事実を知っており、憲兵団でも、ラスティさんの知り合いでも無いというのなら、残る可能性は『犯人』しか居ない。


「……。」


 まさかそんな事がありえるのかという考えと、やはりそうなったかと納得する感情が交錯する。今日、ボク達が街に出かける前にトーファ様が語ったこと。大量殺人の犯人が、本物のリズに成り代わろうとする可能性。つまり、本物のリズとそれを知る者達を殺しに来る可能性。あの時は、考えすぎだと否定する事もできたが、今となっては――


「……てめぇが、アシェナ村の村人達を皆殺しにした犯人だな?」


 ラスティさんが、単刀直入に聞く。それを、目の前の女性は静かに受け入れ――


「いかにも。私が事件の真犯人です。そしてそれを知る貴方達は――」


 ラスティさんに向かって構えられる白銀の剣。その剣が、リズの持つものに酷似している事にボクは気づいた。


「今ここで、死になさい。」


 底冷えのする声でそう言い放った直後、相手の足にギシリと力が入るのを見た。

 来る。

 次の瞬間には、相手はラスティさんの懐に飛び込み、そのまま彼を一刀両断する。動揺したジュゼさんに対して剣を払って体勢を崩し、同様に一撃。遅れて後ろから援護に入ろうとしたボクも振り向き様に薙ぎ払われる。

そこまで明確に予測できる。予測出来ているのに、対抗手段が見つからない。あまりに実力差が有りすぎて、取り得る選択肢があまりにも少ない。それでもボクは、出来る限りの事をしようと剣を握る手に力を込め――

 だが――次の瞬間、ボクが見たのはボクの予測とは違った未来だった。その女性の足元。そこにある地面が、彼女の足を飲み込むようにズブリと沈んだの


「チッ……!」


 相手は慌てて剣を地面に突き立てる。そしてその勢いで足を引き抜こうとするが、しかし、沈んだ地面はまるで泥沼の様に彼女の足に絡みついた。


「氷雨の槍剣よ!穿て!」


 聞き慣れた声が、路地に響いた。そしてその声を掻き消すように、上空から無数の氷柱が――

 ドガガガガガガ!と目の前に氷柱が突き刺さる。


「うわああああああああああああああああ!」


 ボクは叫びながら尻餅を付いた。二メートルはあろうかという氷の柱だ。それが一つや二つではない。路地にかかった屋根を、左右の家を、石畳の地面を粉々に砕きながら、まるで豪雨の如き密度で降り掛かってきた。

 数秒の後、目の前に広がっていたのは、左右の壁が破壊されて少し明るくなった路地と……目の前に広がる、氷柱の森だった。


「な、何が……!?」


 いや、分かっている。大規模ながらも、的確にボクを避けるように突き立つ氷柱。誰かがボク達を助けるために、魔術を使ったのだ。そして、これだけの規模、これだけの精度の魔術をあの詠唱の短さで発動できる人物となれば、ただ一人。


「トーファ様!」


 ボクはこの魔術を放ったであろう人物の名前を呼んだ。


「リヒトちゃーん!大丈夫ー?」

 

 遠くから、少し間延びしたトーファ様の声。ボクはそれを聞いてホッと安心する。が、すぐにそんな場合では無い事に気づく。


「――!あの人は!?」


 氷柱に貫かれたかとも思ったが、それらしき痕跡は見当たらない。あたりを見回してもその姿は無かった。ボクは急いで立ち上がり、ラスティさん達に合流する。瓦礫と氷柱の間を縫って彼らの所に辿り着くと、ラスティさんがジュゼさんに助け起こされているところだった。


「いちち……いったい何が起こりやがった?」


「トーファ様が助けに来てくれたんです。合流しましょう。」


 ボクは二人をそう促して、路地を出る。

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