幕間1 ~リズ・シルノフ・アジリエートの場合~

 ――そうして、ハイデルンでの狩りの一日目が終わった。

 ラスティ、ジュゼとの食事……と言うには些か酒盃の多い宴が終わり、私とリヒトは自分達の宿へと戻って来ていた。

 この安宿には湯浴みが出来るような設備は無い。トーファが居れば簡単な浴槽を魔術で作り出す事も可能なのだろうが、私達だけではそこまでは出来ない。せいぜいお湯を作って、シャワーの代わりに周囲に撒き散らす程度だろう。……もっとも、部屋がずぶ濡れになるのでやらないが。桶に汲んできた水を魔術で温めて、それを使って体を拭く程度に止める。それで満足とはいかないが、私もリヒトもこういった生活には慣れている。早々に済ませて、私達はベッドに入った。

 この部屋には一人用のベッドが一つのみ。それも当然と言えば当然で、私達は宿代を浮かすために、一人部屋を二人で使っているのだ。リヒトと寄り添うようにベッドに入る。大柄な男であればそうもいかないのだろうが、幸いリヒトも私も小柄な方だ。少々狭くは感じるが、寝苦しいという程でもない。

 目を閉じると、間近にリヒトの息遣い。そして窓の向こうからは、男達の豪快な笑い声が漏れてきていた。宿屋に併設された酒場からの声だろう。確かに、飲んだくれの男達にとっては、まだ一日を終わらせるには早い時間だ。リヒトは耳が良いから、この雑音のせいで眠れないかもしれない。そんな心配が頭を過ぎり、リヒトの方をちらりと見た。するとリヒトも私の視線に気づいて、微笑みを返してくる。そして、静かに頭を私の肩に寄せてきた。


「こうやって一緒に寝るの久しぶりだね?」


「……そうですね。」


 私はそっとリヒトの頭を撫でた。……僅かに、お酒の臭いがする。今日はあまり飲んでいない様に見えたが、実際は結構な量を飲んでいたのかもしれない。子供らしい見た目に反して、リヒトはお酒にはめっぽう強い。なんでも、大森林地帯に住む人々は毒への耐性が強いのだとか。恐らくお酒も毒の一種として耐性があるのだろう。と、以前リヒトは言っていた。

 そう言う私もお酒には強い方だ。鉱山地帯に生まれる人間は遺伝的にお酒に強い傾向にある。危険な鉱山に潜っては、その日の無事を祝って飲み明かす。そんな文化が過去連綿と続いてきたせいだろう。


「ねえ、リズ?」


 ふと、リヒトが声をかけて来た。……やはり、眠れないのかもしれない。少し話し相手になってあげた方が良いだろうかと、私はそれに応える。


「何ですか?リヒト。」


「リズは鉱山地帯の出身なんだよね?リズの生まれた所ってどんな場所だったの?」


 恐らく先のラスティ達との会話の続きのつもりなのだろう。リヒトはそんな事を聞いてくる。


「ふむ、そうですね……。私が生まれ育ったのは鉱山地帯の中でも、特に小さな村です。ただ、小さくてもアスライトの産地でしたから、貧しいという訳ではありませんでした。寧ろ裕福な方だったでしょう。」


「そうなんだ……。確かにリズってお金持ちのお嬢様っぽい所があるよね。トーファ様とは違った感じの。」


「確かにトーファは着ているドレスこそお嬢様っぽいですが……アレと比べられてお嬢様とは、些か複雑ですね……。」


 私は苦笑して答える。


「……まあ正直に言えば、裕福ではありましたが地位があった訳ではありません。村に貴族と呼べるような身分の者はせいぜい村長程度でしたし、その他は皆平等な扱いでしたから。村全体が一つの家族の様な感じです。」


「あー分かる分かる。ボクの村もそうだったから。同じ年代の子供は皆兄弟扱いなんだよねぇ。皆元気にしてるかなぁ……。」


 リヒトは懐かしそうに言う。そんな様子を見て、今度は私の方からリヒトに聞いてみる事にした。


「リヒトは何故、ドラゴニアに来たのですか?」


 鉱山地帯程ではないにしろ、森林地帯も食うに困る様な地域ではない。わざわざ都会に出てきて冒険者などにならなくても、ずっと生まれた村で暮らすことだって出来たはずだ。


「あれ?前にも言わなかったっけ?村の生活に飽きたからだって。」


「それは確かに以前にも聞きましたが……、飽きたからからといってドラゴニアまで出て、しかも冒険者になるのはかなり珍しいケースなのではありませんか?」


「まあ、普通はそうなんだけどね……。」


 リヒトは僅かに沈黙した後、言葉を続けた。


「でももう、村の近辺で、ボクに狩れない魔獣は居なかったから。それに、村を出る前には、ボクが村で一番強い狩人になちゃってたし。……それで村の皆も「リヒトは都会の冒険者ギルドに入って勉強して来なさい」って……。」


 リヒトのその言葉は、若干言い訳めいていた。もしかしたら自分がドラゴニアに出てきた事に、何か負い目があるのかもしれない。


「ね、リズ。リズはどうだった?リズだって田舎の生活に飽き飽きしてたんじゃないの?」


 そんな事をリヒトは聞いてくる。


「……。」


 私は、その質問にすぐには答えられなかった。どうだ……ろうか?飽きていた、という事は無かったと思う。私もリヒトのように村で一番の剣士だった。けれど、戦う相手に困った様な事はない。鉱山地帯に出る魔獣は強力だ。私でも手こずる様な相手がいくらでもいた。いくらでも自分の強さを磨く余地はあったのだ。そういった意味では、飽きた、とは言えない。

 ……けれど、確かに。閉塞感の様なものは感じていたか。


「そうですね……。飽きたというのとは違いますが、少し、嫌気が差していたかもしれません。やはり田舎は色々と閉鎖的ですからね。」


 変わらない生活。変わらない思想。変わらない村人達。変わらなければいけないのに、過去の安寧に縋り付く愚かな人々。そんな中で私は――


「そっか。それでリズはドラゴニアに出てきたんだね。……うん。リズ程の剣士が田舎で燻ってるのはもったいないよ。」


 リヒトは納得した様に言う。地域は違えど、同じ田舎の村に生まれた者として感じるものがあったのだろう。

 そうだ。私は村での生活に嫌気が差していた。だから、私はドラゴニアへと出てきた。その――はずだ。しかしリヒトと違うのは――、私が村を出て行く事は、村の皆にあまり歓迎されていなかったであろう事。


「――。」


 僅かな違和感。先のラスティ達との食事中にもあった。私が村を出たとき。村の皆の心情は良くなかったはずだ。けれど実際は――……村を出たような――。そのあたりの記憶が曖昧だ。


「ん……。」


ふと、リヒトが小さく呻いた。いつのまに寝付いたのか。気づけば、彼女はすでに寝息を立てている。


「……。」


私は彼女の頭をもう一撫ですると、目を閉じた。まあ、いい。覚えていないと言うことは、あまり重要な事ではなかったのだろう。私は違和感を振り切るように、意識を闇に落とす。リヒトから伝わる暖かさが、私を優しく包み込んでいた。

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