第7話 鼠狼

 『鼠狼』。

 大陸中央部に広がる大森林地帯。その中でも人里に近い地域に広く分布する、狼型の野獣。人や家畜、そして森の生態系を荒らす害獣として認知され、大森林地帯周辺では定期的に大掛かりな討伐が行われる。全長は1m程と比較的小型で、体は茶色から灰色の硬い毛皮で覆われている。活動の時間帯は昼夜問わない。その他の身体的特徴としては、麻痺毒を持つ毒牙を備えている事が挙げられる。もっとも、その毒もそれほど強いものではない。噛まれた部位の感覚が無くなる程度のもので、毒だけで動けなくなったり、ましてや死亡に至る事例は殆ど無い。麻痺そのものも、数時間経てば消える程度の弱毒である。よって、一匹単位で見るならば鼠狼の強さはそれ程ではない。多少凶暴な中型犬を相手にする様なものだ。経験を積んだ冒険者ならば、まず間違いなく無傷で倒せるし、一般人でも武器を持っていれば対抗し得るだろう。

 しかし。

 それにも関わらず鼠狼討伐の難易度は比較的高いとされている。理由はその生態、および習性にある。

 鼠狼の討伐が厄介とされる最も大きな理由は、繁殖力の強さ。そして彼らが数十匹単位の群れを形成することだ。そしてさらに、彼らの習性として、それが何であれ動くものに片っ端から襲い掛かるというものがある。彼らの縄張りに入ったものは、例えそれが大型の魔獣であろうと襲われる事になる。そして最後の一匹を倒すまで襲われ続ける。一匹一匹の強さは大した事が無い。けれど、それが何十匹、何百匹と束になって際限なく襲い掛かってくるのだ。並みの冒険者では、撤退できずに途中で力尽きてしまうだろう。

 ……とは言え、討伐自体が『雑魚狩り』であることには変わりが無い。リズや狩慣れしているボクはもちろんの事、ただ狩るだけならばラスティさんでも問題なく対処出来るはずだ。


   ◆


 さて、ハイデルンへと到着し、ラスティさん、ジュゼさんと邂逅した翌日。ボク達は早速、鼠狼が居付いたとされるハイデルン近郊の森へと向かった。

 メンバーは、リズ、ラスティさん、ジュゼさん、ボク。それに加えてラスティさんのパーティーメンバーである新人4人を加えた8人だ。聞いたところ、新人さん達は本当に冒険者になったばかりらしい。歳は聞いていないが、十代前半かそこらだろう。ボクやリズよりもけ年下に見える。……いやまあ、容姿だけで言うならボクの方が子供っぽいかもしれないのだけれど。

 4人のうち2人は男の子で純粋な剣士。残る二人は女の子で、こちらは逆に純粋な魔術師だ。出発前に少しだけ腕試しをさせてもらったが、全員最低限の技術はあるようだった。後はラスティさんの依頼の様に、実践の中でボク達が教えて行く事になるだろう。


   ◆


 さて、兎にも角にも鼠狼の討伐である。

 現地に着くと、ボクは早速、狩りのための仕掛けを作った。仕掛けの中に鼠狼の群れを誘い込む作戦だ。とは言ってもそう大掛かりなものではない。単にワイヤーを周辺の木々に渡って巻きつけただけだ。でも、それだけでも鼠狼の進路を妨害する効果はある。

 鼠狼を狩る際に重要なのは、相手が複数匹で一気に襲い掛かってくるのを防ぐ事だ。そのためには陣形も重要になってくる。とりあえず、ラスティさんとジュゼさんが前衛になって群れを引き付けて、ボクとリズが遊撃と新人さん達のサポート。新人さん達には後ろで交代しながら少しずつ狩りに慣れてもらう形にした。

 ワイヤーを張り終わって、体制を整える。まずは鼠狼の群れをこの場所まで誘導して来なくてはならない。もちろん誘導役は鼠狼の習性をよく知るボクだ。故郷での経験を思い出しながら、鼠狼の痕跡を辿る。

 群れはすぐに見つかった。見える範囲では数匹だが、誘い出せば30は超えるだろう。ボクはわざと注意を引くように、群れから少し離れた位置で音を立てた。

鼠狼の目が、一斉にボクを捕らえる。

 さあ、久々の狩りの始まりだ。


   ◆


「落ち着いて!一匹一匹確実に!もし押し倒されても首さえ守れば大丈夫だから!」


 ワイヤーによる仕掛けの中を駆け抜けながら、新人君達に指示を飛ばす。指示をしながらも、新人君達の死角から襲い掛かろうとする鼠狼を短剣で一刺し。その他正面から来る何匹かは練習用に新人君に流してやる。そんなやり取りをリズと交代しながら繰り返す。積み上げられた鼠狼の屍骸は既に数えきれない。毒牙の採取も新人君達に任せているが、既に一抱え程の袋が一杯になろうとしてる。 それでも途切れない鼠狼の群れ。森全体がざわめいている。目に見える分だけでも十数匹。木々に隠れている分も含めれば果たして何十匹居る事か。

 でも、それにも関わらず、ボク達はまだ余力を残していた。それはもちろん、ワイヤーによる仕掛けが鼠狼の進行を押しとどめていたからというのもあるし、リズと交代で狩りに当たっていたためというのもある。

 けれど、一番大きな要因はラスティさんとジュゼさんの存在だ。彼らはほぼ休みなしで前衛の囮役に徹しているが、今のところ大きなミスをする様子は無い。ラスティさんの実力が十分である事はボクも理解している。彼の豪腕から繰り出される剣は、容易に鼠狼達を捉え、押し潰す。模擬戦の中ではあまり披露する場も無かったが、彼の剣技は経験に裏打ちされた確かなものだ。

 一方で、ジュゼさんの方も見事な戦いぶりだった。その華奢な見た目に反して、彼女も剣士だった。装備は比較的軽装。右手に細身の長剣を持ち、左手にはやや小ぶりの盾を携えている。恐らく盾に関しては魔術効果が付与されているのだろう。盾に向かって体当たりをした鼠狼は、何かの衝撃を受けたように、遠くに吹き飛ばされていた。ジュゼさんはラスティさんの様に一撃必殺の剛剣は持ち合わせていない。けれど、これ以上無い程に敵の動きのコントロールが上手いのだ。敵を吹き飛ばす盾と細身の剣から繰り出される鋭い牽制で、鼠狼達を付かず離れずの距離に留めている。

ジュゼさんが敵の動きを誘導して、その隙にラスティさんが一気に決める。長くパーティーを組んでいた事が良く分かる、効率的な連携だった。


「リヒト。」


 ふと、前衛のサポートに回っていたリズが後ろに下がってきた。鼠狼達の動きに目を配りながら、ボクに身を寄せてくる。


「一度、撤退しましょう。予想以上に数が多い。心配しすぎかもしれませんが、万が一という事もありますので。」


 そう言いながらも、リズは短剣を投擲して鼠狼を一匹仕留めた。流石だ。


「うーん……。でも、リズもまだまだ余裕あるでしょ?前衛の二人も良い感じにリズムに乗ってるみたいだし、なるべく続けた方が良いんじゃないかな?」


 ボクとしては、今のところ不安材料は無い。むしろ、ここで狩りを区切ってしまう事によって気持ちまで切れてしまう事の方が嫌だ。


「……なるほど、リヒトはこういう状況に慣れているのですね。けれど、見てください、ほら。」


 そう言って、リズは狩場の一角を指差した。そこにはボク達が狩った鼠狼の屍骸が積み重なっている。いや、その一角だけではない。ボクが仕掛けとしてワイヤーを張り巡らせたこの狩場全体に、鼠狼の屍骸が散らばっている。


「屍骸のせいで、だんだんと足場が無くなって来ています。いずれ戦う時の足裁きにも影響してくるでしょう。余裕のある私達なら兎も角、初心者にとってはいつ事故に繋がるか分かりません。」


 ボクは新人君達に目を向ける。彼らもまだまだ気合十分だ。良く動けているし、こちらの指示にもちゃんと従ってくれている。……ただ、確かに少し息が上がってきているか。彼らはまだ実戦経験が浅い。今は気分が高ぶっていて感じないかもしれないが、自覚出来ない疲れが溜って来ている可能性もある。


「……そうだね。一度撤退しようか。」


 ボクはリズの提案に賛成した。ただ、このタイミングで撤退するには、問題もある。


「でも、どうしよう?撤退するにはワイヤーの仕掛けを解かないといけないし、鼠狼はまだまだ居るし……。」


 ワイヤーを解けば、残った鼠狼が一気に襲い掛かってくる。そうなれば、今保っている均衡が崩れる危険性もある。


「私とリヒトが囮になりましょう。その間にラスティ達を後退させます。」


「うーん……。囮になるのはいいけど、その後鼠狼を振り切れるかなぁ……。この子達、物凄くしつこいんだよねぇ……。」


「まあ、その時は諦めて、二人で戦いましょう。もともとそのつもりだったのですから。」


「……それもそっか。」


ボクは苦笑して答える。確かにリズの言うとおり、もともと二人だけで狩るつもりだったのだ。リズはラスティさん、ジュゼさんの所に戻ると、撤退の旨を伝える。ボクも新人君達に撤退を指示した。リズを残して、前衛二人が後ろに下がり、新人君達と合流する。


「こちら側のワイヤーを外します。ワイヤーが無くなったら全速力で脱出してください。何匹か後ろを追って来るでしょうが気にしないで。ボクが仕留めますから。」


 ボクが改めて脱出の手順を伝えると、皆はコクリと頷いた。


「じゃ、ワイヤー外しますよ。……走って!」


「オラ!お前ら!走るぞ!」


 ボクがワイヤーを外すと、ラスティさんが先頭を切って走り出す。リズが大部分を引き付けているとは言え、ワイヤーの外には何匹もの鼠狼が居る。当然彼らは、走り出したラスティさん達に飛び掛り……


「奔れ!風精!」


飛び掛った所を、ボクの短剣によって叩き落された。

ギャン!と悲鳴をあげながら地面を転がる鼠狼。一撃必殺とはいかないが、今は彼らの注意をこちらに集められれば十分だ。そのまま木々の間を走り抜けながら、鼠狼達の注意を引き付けていく。そしてラスティさん達が安全圏にまで脱出したのを見届けた……その時だった。

 メキメキメキ……という音が近くから聞こえて来たかと思うと、ドン!と目の前に木が倒れてきた。


「な、何!?」


 目を向ければ、そこにはリズが居た。そして、木が倒れて来た理由も判明した。

 ありていに言って。リズの周囲には地獄絵図が展開されていた。撤退を始めた瞬間からこの短時間の間にいったい何匹を倒したのか。真っ二つに切断された鼠狼の屍骸がリズから数mの円周上に積み重なっている。

 いや、屍骸だけではない。屍骸と一緒に、周辺の草木も軒並み切り倒されている。先ほど倒れて来た木もその一つだ。自分の胴回り程もある木を剣で切り倒すとはいかなる技か。おそらく、その木ごと鼠狼も切り捨てたのだろう。その理不尽さは、竜巻による災害を思わせる。鼠狼の討伐なんかに振るう力じゃないよなぁ……としみじみ思う。


「リズ!撤退終わったよ!」


 その光景にしばらく言葉を失っていたボクだったが、ようやく現状を思い出して叫ぶ。


「分かりました!リヒトは先に脱出してください!」


「いや、ボクが残るよ!森での逃げ足はボクの方が速いから!」


「いえ!都合よく、殆どの鼠狼が出てきてくれた様です!残党は私がここでします!」


「えぇ……。」


 リズの決断に言葉を失う。先ほど撤退を提案した人間の言葉とは思えない。


「まあ、リズがそう言うなら良いけど……。」


 ボクは木々の後ろに隠れながら鼠狼の注意を切る。リズが派手に立ち回ってくれているおかげで、ボクに纏わりついてきていた鼠狼達はすぐに居なくなった。代わりに、リズの周辺には鼠狼の群れが押し寄せていた。遠目に見ると、無数の灰色の点が所狭しとリズの周囲を駆け回っている。なぜ彼らが『鼠』狼と呼ばれるのか良く分かる。その光景はあいるたかも鼠の集団移動の様子を見てようだった。

 その中にありながら、リズの金色の髪はその灰色に犯される事なく舞い続けていた。灰色の点がリズの間合いに飛び込む度に赤を撒き散らしながら真っ二つにはじけ跳ぶ。どれだけ数が居ようと関係が無い。その剣の結界は獣程度では破れない。


「……光……には硫黄と……立ち出ずる陽炎……清く……手には救いの炎……灰に……沈黙……なる炎……」


 ふと、リズが何か呟いている事に気づいた。炎がどうこう言っている。……と言うか、どう考えても魔術詠唱だ。詠唱の長さから見て、恐らくは上級レベルの魔術。状況と詠唱内容から察するに、広範囲系の炎の元素魔術だろう。それを、剣を振るいながら詠唱し続けているのは驚嘆に値する。

 ――って、ちょっと待って。


「リズ!ちょっと待って!炎は――」


 ボクは慌ててリズを止めようとする。しかし、残念な事にボクの叫びは紅蓮の炎によってかき消された。

 ドンッ、という爆発音。同時にボクの視界が炎に埋め尽くされる。


「うあああ……!」


 一月前、ドラゴンと戦った時の記憶が甦る。流石にドラゴンブレス程の威力はあるまいが、それでも非常識な規模の魔術に圧倒される。炎が辺り一帯を荒れ狂う。そして十数秒の後、急速に視界が晴れていった。

 そこに現れた光景は、言い逃れのしようが無い程に、完全な焼け野原だった。辺り一帯、空を覆うように生い茂っていた枝葉は焼け落ち、木の幹は黒く変色、その表面には未だ火がちらついている。地面は、草木の燃える火炎がそこかしこに残っている状態だ。

 そして時折、炎の球が狂ったように走り抜けていく。


「あ、うわぁ……。」


 ……それが、燃えながらもがき苦しむ鼠狼だと気づいて、ボクは思わず口を手で覆った。良く見れば、そこかしこで炎の球が暴れている。キャンキャンという甲高い悲鳴が耳に付く。いや、なんと言うか……これはこれで先ほどとは別種の地獄絵図だ。

 そんな中にありながら、リズは平然とその場に立っていた。身に纏う白色のコートには、煤汚れ一つ無い。恐らく、魔術で自分の周りに何かしらの防壁を張ったのだろう。それにしたってこの炎と、それから身を守る防壁の魔術を同時に展開するとは……そこらの魔術師なら真っ青になる才能だ。

 リズはしばらく辺りの様子を観察していたが、ボクの存在に気づくと、ゆっくりとこちらに歩いてきた。未だ燻り続ける火を、ガシガシと剣で切りつけ道を作ってくる。


「リヒト。終わりました。残らず排除……とはいきませんでしたが、とりあえずこれ以上は追ってこないでしょう。」


 リズは満足げな顔でそう言った。そんなリズに、しかし、ボクは頬を膨らませて抗議した。


「リズのバカ~!」


「えっ……、な、何か間違いましたか……?」


 そんなボクの様子に、リズは若干狼狽しながら聞き返す。


「大間違いだよ~!鼠狼の毒は熱に弱いから、こんなに強い炎の魔術使ったら毒牙が回収出来なくなっちゃう……。」


「う……そ、そうなのですか……。すみません。知りませんでした……。」


「う~……まあ良いけどさ。どうせ全部回収するのなんて無理だったろうし……。」


 でも、リズの魔術で焼かれた鼠狼の数は相当だろう。ちゃんと回収出来ていれば……と思わずにはいられない。


「おおーい!リズー!リヒトー!何かすげー爆発があったけど大丈夫かー!?」


 と、その時、遠くからボク達を呼ぶ声が聞こえてきた。ラスティさんだ。きっと、リズの魔術に驚いて戻って来たのだろう。


「……とりあえず、戻ろっか。」


「はい……。」


 ボク達はお互いにションボリしながら、頷きあった。お金は惜しいが、狩りはまだ始まったばかりだ。まずは怪我無く一区切り付けられたという事でよしとしよう。そんな感じに自分を無理やり納得させながら、ボクはラスティさんの元に向かったのだった。


   ◆


 その後、しばしの休憩を挟んで。

 ……さらに言えば、リズの魔術で火事になりかけた森の消火を行ったりもして。ボク達はもう一度、鼠狼の狩りを行った。

 一回目の狩りでリズが殆ど焼き払ってしまった事もあって、昼過ぎの時点で残った鼠狼を全て狩る事が出来た。ハイデルンの森全体で見れば、まだいくつか群れは存在するだろうが、とりあえずこの場所で狩れる分は全て狩った感じだ。続きは明日、改めて場所を移して群れを探す事にして、今日のところは引き上げる事になった。

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