二十四、バスの中の沈黙

 翌日、集合地点へ赴くと、隊長はだるそうに体を壁に任せて立っていた。

「あ、本当に来たのかジュリエット。仕事熱心なヤツだな。朝飯は食ってきたのか?」

「はい」

「そうか、朝飯は大事だからな。それによって〈朝飯前〉の基準が変わる。朝飯の前にこなせば、どんな難儀な仕事も朝飯前だってな」

「昼になる前に食べないと〈朝飯抜き〉になってしまいますが」

「細かい話も抜きにしたいところだ。ただでさえ見通しも立たないしな。ご覧の有様で」

 駅前は人々の路上喫煙で濃霧のように霞んでいる。建設中の娯楽施設が非実在のようにぼやけているのが見えた。害虫駆除の兵士たちが装備していたガスマスクが欲しい所だ。

「なんでまたこんなに煙いのですか、これは」

「昨日から喫煙は肺臓に大変よい、ということになっちまったからだな。寿命が五十年は伸びるそうだ」

「なるほど」

「それより本日の仕事だ。近くの第三十二番連隊を手伝って欲しいと先方から連絡があった。これもお前の大嫌いな無為な仕事だ。俺に言わせりゃ、無為でカネ貰えんのは贅沢だぞ、ジュリエット。虚業こそ真に人間が従事すべき責務だ」

「それは個人的信念ですか?」

「我が銀朱連隊一流の企業理念だろ。誰も言わねえだけだ、お前と俺以外はな。リドルっつう虚構をなんとか器官とかなんちゃらパワーって幻影、口八丁でやっつけましたって言い張って、民衆は嘘っぱちの賛美、この無為サイクルで雇用と安心を生んでるんだ。第一だけじゃねえ、他の隊もおんなじだろ。だが仕事なんてそんなもんだろ?」

「皆に教えてあげたい系統の真理ですね、隊長」

「そうしたところで市民は苦笑いでどっかに行っちまう。それほどイスカンダールのもたらしたリドルは強大なんだよ」

「彼はリドルの駆逐者では?」

「やつは詐欺師で最古にして最大のリドルだ。ローギルと俺のような清廉潔白の市民の宿敵だよ。こんなこと小学校で習う歴史だろ?」

「そういえば習った気がします」

「じゃあとっとと三十二番連隊のアジトへ行くぞ」

 駅前から寂れた商店街を経由して辿り着いたアジトは、潰れたガソリンスタンドだった。錆びついたバスが停車してあり、その中に三人のよどんだ目をした兵士がいた。

「ラドクリフ、何しに来たのだ?」床に腰掛けている大柄な人物が言った。「仕事の依頼か?」

「手伝いに来た。そっちが呼んだんだろ? こいつは新入りのジュリエット」

「よろしければジュジュとお呼びください」

 相手は数秒間じっとこちらを見て、「ああ、そうだった。我々はリドル駆除を請け負う兵士だったな。なんで軍服着てるんだろこいつ、と思ってしまった」

「お前に今言われなきゃ俺も忘れてたところだ」ラドクリフ隊長は座席に腰掛け腕組みをした。「本日すべき仕事を話してくれ、ワシントン」

「イェーガー副長が説明を行う」

 ワシントンの隣に座って煙草を吸っていた灰色の髪の女が、こちらをぼんやりと見て、「は?」と言った。

「副長。説明だ」

「……はぁ」口から煙を吐いて、「隊長。何を」

「仕事だ」

「何の仕事で?」

「ラドクリフ隊長とジュジュに本日手伝ってもらう仕事だ」

「仕事……手伝ってもらう仕事?」

「そうだ」

「その仕事の……」

「説明」

「説明をあたしがするんですか?」

「したまえ」

「うん」

「あんたら大丈夫か?」ラドクリフ隊長が堪り兼ねて言った。「具合でも悪いんじゃねえのか? こんな風通しの悪いとこにいるから」

「ああ、窓を開けようか?」

「ちなみにあたしは」副長が言った。「世の人々が急に健康目的で喫煙を始める前から吸ってるんですわ。ねえ。健康目的で喫煙だなんて問屋が降ろしませんわ。マジで。だいたい、痩せたい人が我慢せず食べられるスイーツとか、低カロリー低カフェインコーラとか、もう寝言は寝ておっしゃい、っつう感じの商品が最近多くて。痩せてえならスイーツだのコーラなんざ買うなって思いますわ。ねえ」

「仰るとおりだ。で、仕事に関する話はまだなのか?」

 ラドクリフ隊長が言うと全員がお互いの顔を見合わせる。

「ああ、そうだ。シンガー。君がこの件に関しては担当者だったかな。仕事の説明を」

 今まで一言も発していなかった、少年と言っていい若さの兵士が、ワシントン隊長に水を向けられ、無表情で全員の顔を見て、頷いた。

「僕が説明をするんですね」

「そうだ」

「説明をすればいいんですね」

「そうだな」

「仕事の説明を今からする」

「そうだ」

「ラドクリフ隊長とジュジュに対して」

「ああ」

「本日行う仕事の説明を」

「するんだ」

「それは、お二人がこちらの仕事を手伝ってくださるからなのですね」

「そうだ」

「そうですか、副長」

「そうだね」

 しばし全員が沈黙し、副長が煙を吐き、シンガーは頭をかいたり、姿勢を変えたりした。

 ワシントン隊長はときおり何かを促すかのようにラドクリフの顔を見やった。

「なあ、もしもだ」ラドクリフ隊長が、助け舟を出すつもりか、うんざりしたのか、気乗りしない感じの声で言う。「準備が整っていないのなら、出直そうか?」

「いや、その必要はないんだ」ワシントン隊長はうって変わって力強い口調で断定する。「わざわざご足労いただいたんだ。そちらの好意はありがたく受け取るとも」

「なら、説明ってやつをして欲しいな」

「今からするとも、副長」

「ええ」

 副長は煙草に火を点けながら答える。

 ラドクリフ隊長はジュジュを見た。これだ、無為、純然たる無為だ。そう言っているかのように。

 その後同じようなやり取りを何度か繰り返した後、ラドクリフ隊長は言った。「説明が難しい専門的作業なのか? あんたらが普段どういう仕事をしているのか知らないんだが」

「もちろん専門的だ。説明は簡単だが」

「じゃあ話しづらいようなことなのか?」

「そんなことはない。我々はこの都市の守護者、第一連隊と同じく堂々たる担い手だ」

 ワシントンはそう言ったがイェーガー副長とシンガーは黙っており、肯定しない。ラドクリフ隊長はため息を吐いて、席を立ちながら言った。

「堂々は堂々でも、堂々巡りって感じなんだが」

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