十七、連隊支部襲撃事件
朝方、皆が出勤してくると支部はなく、そこには黒い鉄の山だけがあった。
よく見るとそれはしかし、多量のフライパンだった。恐ろしいほどのフライパンが、山となり、支部を完全に飲み込んでいる。
その上で二人が戦っていた。
片方は〈竜狩り〉ことダニエル・ハヴォック。
もう片方は、〈スフィンクス〉の一員たる男だ。その仮面はのっぺりとした、笑みを浮かべているような三日月型の口と、両目の位置に二つの穴が穿たれた不気味なものだった。
仮面の男は巨漢のチャックよりも大きく、片手に大剣――常人なら両手でなんとか持てるほどの大きさだ――もう片方に鍵を持ち、ダンを圧倒している。ペットのタマの効能によってルポ指数が大きく上昇しているとはいえ、相手が竜でないので苦戦を余儀なくされているようだ。しかもときおり、仮面の男は「〈パンはパンでも食べられないパン〉――此は如何に!」と、鍵を用いて大量のフライパンを召喚し、壁として活用していた。
一同が助けに入ろうとするも、ダンはそれを拒否した。
「あいつのフライパンでタマが押しつぶされてしまった。これは弔いの戦いだ。俺一人でやる」
そうは言うものの、普段から常になんだか草臥れている彼はさらに疲弊しており、敗北は時間の問題のように思われたが、まあ本人がそう言うのだから、邪魔になってもなんだし、と皆は、喫茶店やファーストフード店で時間を潰すためにその場を去った。
仮面の男ことスフィンクスのワルデックはここぞとばかりに大量のフライパンを呼び出しダンを圧殺しようとする。
この男、ネットでスフィンクスに加入する前は、ウェスタンゼルスの北の方の支部の連隊員だった。
ワルデックに限らず、スフィンクスのメンバーは連隊の人間、あるいは退役兵、さらには養成所を中退した者、これから連隊に入ろうとしていた者などその関係者が大多数だった。
これは連隊が英雄視されすぎている歪な世論・社会構造に少なからず疑問を持った人間が、隊に近しいところに多数存在しているからであろう。
ワルデックも、最初は英雄として扱われることを喜んだが、さすがに毎回、すごい、偉い、格好いい、クール、みたいなことを市民や同僚に言われるうちになんだか気持ち悪くなっていた。なぜなら彼は、ジュジュと同じく、そこまで自分で努力しているわけでもないのに、見えざる力で自動的にリドルを退治する力に長けていたからだ。
ジュジュや他のそういう能力者が「まあいいか」と丸く収めたのに対し、ワルデックは真面目すぎた。
自分の身を犠牲にしてリドルから都市を守る、真に英雄的な活動を期待していたのも、連隊の実態を白眼視する要因となった。
彼はストレスを解消するためにこっそりスフィンクスに入り、やがてそちらがメインとなって連隊をやめた。
そして今、多量のフライパンで支部を破壊する彼の顔は仮面の下で、英雄的でないにしろ、充足感に満ちたものになっていた。
ところが、突然異常が発生した。
仮面のそれと同じく、口は裂け、歪な笑顔のようになった。
肉体は膨張し、赤い鱗が皮膚に形成され始めた。
肩甲骨と尾てい骨が肥大化し、それらは翼と尻尾になった。
耳まで裂けた口からは牙が除き、その息は炎となった。
今や仮面の戦士は、赤い竜と化した。
何が起こったのか分からず当惑するワルデックだったが、その答えは、自分を睨め付ける兵士にあった。彼は剣をこちらに向けている。その刃は赤く光っている。
肉体のみならず頭脳も優秀だったワルデックは、この場における有耶無耶のマナとトルメンタ波動値が異様に高いことを察知した。鍵を用いれば、一時的に波動値を七十億ほどにまで上昇させられるのだが、今やその値は八十兆にまで達している。
どうやら、目の前の兵士は、怒りや哀しみ、倦怠感、転職願望などを全てドラーク器官を通すことによりマナと波動、生命エナジー、そのほか色々な要素に変換し、新たな力を身に付けたのだ。
しかしこうして強大な竜に相手を変えてどうするというのだ。墓穴を掘ったな。
というワルデックの嘲笑はすぐに消えた。と言うか顔が消えていた。顔と言うか、全身がすでになかった。
ダニエル・ハヴォックは竜狩りだ。
優れた竜狩りは英雄的なだけでなく、迅速で、無傷で、圧倒的だ。
それを極限まで突き詰めると、ダンのように、竜を目の前にしただけで、迅速、無傷、圧倒的に、一瞬で自動的に狩ってしまう。
唯一の弱点は、〈ロレンスの毒〉がジュリエットという名の存在しか殺せないように、竜でない相手には迅速、無傷、圧倒的たりえないという点だ。
その絶対的な定義を逆に捉えた瞬間、彼は無敵の兵士と化した。
即ち、竜しか狩れないなら、竜だけを相手にすればよいのだ――これまでもそうして来た彼はさらに此度一歩先に進み、すべての相手を竜と化す力を身に付けてしまったのだ。
フライパンの山の上で勝利者たる兵士は剣を収め、煙と化した竜が消えていくのを見ながら、今は亡きゴルゴン猫を追悼するために彼を偲んで、たこ焼きでも食べに行こうと歩いて行った。
その背中は、古代の伝説にある竜狩りのように英雄的。
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